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・庭野日敬師のごあいさつー明るい社会づくり運動 第十回総会にて [インタネット講座「拓塾」]

・庭野日敬師のごあいさつー明るい社会づくり運動 第十回総会にて

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庭野日敬師は、平成元年4月26日に開催されました、明るい社会づくり運動 全国協議会の第十回総会のごあいさつで、以下のお話をされています。

今回は、私の余計な注釈はなしで、このブログをご覧いただいている皆様と一緒に、庭野日敬師のごあいさつの内容を噛みしめて見たいと思います。


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明るい社会づくり運動 全国協議会の第十回総会


本日は明るい社会づくり運動の十回目の総会がこうして開かれましたが、

私は、あちこち飛んで歩いておりまして提唱したということだけで、

何のお役も、お手伝いもできないでおりました。


しかし、本日伺ってみまして、

井探先生を会長さんにいただいて、

非常に充実した、

素晴らしい明るい社会づくり運動が全国的に進められていることを知り、

ご参集の皆さまはじめ、

全国で活躍してくださっている方々に

本当に心から厚く御礼を申し上げる次第でございます。

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人材をつくるためには期間をかまわず、

永遠の努力をしなければならないことだと思います。

こういう人材をつくるということになりますと、

どなたか熱心な方がやってくださるというようなことにならないと、

なかなかできないことだと思います。

これからも皆さまのお力で、

どうか、その方の積み重ねをお願い申し上げたいと思います。


最近になって私は比叡山にまいりました。

日本の仏教の母山といわれる比叡山を興しました

伝教大師さまのおそばにいらっしゃる

お座主さま(山田恵諦猊下)が、

始終なにかの際に引用されます言葉に、

「忘己利他」「自分を忘れて他に利益を与える」というお言葉があります。

私どもが他に利益を与、えるということは、

自分を忘れなければできないことだと思います。


そういうご緑でお座主さまの説法を聞いていますと、

本当にいきいきとした感じがいたしまして、

いつも素晴らしいお座主さまの人格に触れたことによって

自分の心がさわやかになる、やすらぎを得る、

そういう感じがいたします。

そのようなことで先般私どもの平和賞(第六回庭野平和賞)を、

お座主さまに受けていただくということが、

ようやく実現したわけでございます。


ところでお座主さまは、

伝教大師の「悪いことは永く続かないものである。

良いことは永くつづくものである」というお考え方を

ずっともっておられる。

伝教大師さまが比叡山を開創されましてから一昨年で

一二〇〇年になりました。

一二〇〇年の間永遠のともしぴ(不滅の法燈)の火が

消えないでずっと続いているわけです。

この永遠のともしびが永く続いていること自体が

素晴らしいことなのです。


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これがもし世界宗教者平和会議のような所でつながるならば、

という願いをもっていましたところ、

ローマ法王さまが昭和六十一年十月、

アッシジにおいて世界の宗教者の方々と共に、

世界平和の祈りをしようということを呼びかけられました。

その時にはお座主さまは、

アッシジまで九十二歳のお年で参加されました。

その翌年には、比叡山での宗教サミットを主宰され、

また本年は、比叡山サミットの精神を

今度はWCRPの第五回目オーストラリアでの会議(メルボルン)に

持っていくということになりました。

ところで具体的に「火」をもっていくのは大変困難をことで、

どのようにして持っていかれたかと伺いますと、

「比叡山のともしびをカイロ灰にうつし、

それをそっと肌身離さず持っていってくださった」ということでした。

そして、むこうにまいりますとペンマン大司教(聖公会)さまが、

今度の開催国の共同議長として

オーストラリアの宗教者をまとめていただいたわけですが、

この方が、持ってまいりましたともしびを

「永遠に私どもが守ります」ということで、

奥さまと二人で引き受けてくださったわけでございます。

そういうことで私共も、長く続けていくということは大変なことだと、

つくづく思わせていただいたところでございます。

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私共の信奉している法華経でありますが、

法華経の一番有り難いところは何処かといえば、

十六番の如来寿量品という所で「如来の寿命は永遠である」と

説かれているところであります。

そこで、永遠の生命の尊さと同じような意味において、

天台宗のお座主さまがその象徴であるともしぴを、

そのまま自分で持ってオーストラリアまで行って、

メルボルンで大司教さまにお渡しし、

その真心をたんたんとお話しをくださっているうちに、

大司教さまご夫妻が

「これは永久に私どもが自分の生命をかけてお守りさせてもらいます」 

こう受けていただいたということで、

お座主さまのお気持ちは、

具体的に世界の場に伝わって行ったわけでございます。


そのように、いいことを続けるためには、

私達の考えを継いでいってくれる

次の世代の方をつくらなければ続かないわけであります。

そういう意味におきまして、まず自己をつくり、

そこで明るい社会づくり運動の精神を自分もそれを行じ、

そしてまた次の者にその精神を伝える。

そういう考えが広まるということは、

大変素晴らしいことであると思うのであります。

そういう点でも、今日まで各都遺府県の会長さん方が

このように揃って運動を実施していただいている。

こういうことは非常に素晴らしいことだと思うのであります。


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私は今年また、

日宗達(日本宗教連盟)の理事長を仰せつかっているのでありますが、

一九六九年にもちょうど私が当番でありましたので、

その時「私は今度日宗達の理事長という使い走り役をおおせつかりまして、

来年度は世界宗教者の平和会議を日本の京都で行なうことになりました。

これにご協力をお願いしたい」ということで、

まず高野山に行きますと、過去に何かありますとき、

宗派などが違いますと多少びったりしない所があって、

どなたに会っても、

なかなか容易でないことが多かったわけでありますが 

高野山の方が「君の所は新しいだけに、

君が会長で始めた時から他宗教を別物と考えない。

全く偏見がなくやっていることは私も認めている。

君がやるのがどなたがやるよりも皆さんが協力しやすいのではないか。

うちだけは心配なしだよ。力いっぱい後押しするから、

真剣にやってください」と励ましてくださいました。

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次に、翌日比叡山に行きますと 

「この山は汚れのない山だ。

日本のお祖師さまはこの山から生まれたのだ。

私たちも伝教大師さまの精神を貫いてずっと来ている。

世界平和のためにやるならば、

協力するから全山を世界平和のために自由に使ってください」という

お言葉をいただきまして、

むしろ私どもが今まで新しい宗教、古い宗教などというような

こだわりを持っていたのではないか、

古くから長年つながっている方々は、

非常に尊い人格を持っていらっしゃって、

私どものそういう考え方は無い、

と知って比叡山に行ってよけい安心をいたしました。

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三日目には伊勢神宮にまいりました。

そして前の徳川宗敬大宮司さまの所に行きましたら

「ほうぼうのお寺さんもそういうことをやるならば、

伊勢神宮もそのことに賛成します。そのかわり来年に遷宮式があります。

次の遷宮式にあなたも参列してください」と、

こういうお言葉をいただいたわけです。

ということで三五〇人ほどの神職さんと一緒に、

遷宮式のご神体の車のすぐ後の所に私の立つ場所がありまして、

行列に従ってその遷宮式に参列しました。


私はなぜか不思議な因縁だなと思いますのは、

一昨年の比叡山がちょうど開創一二〇〇年ということです。

そして十五~十六年前になりますが

、伊勢神宮の遷宮式が六〇回日ということは、

一二〇〇年目の遷宮式にはからずも、

私は大宮司さまから参列してくださいといわれまして、

お仲間に入れていただいた。

そういうようなことで一二〇〇年という年の巡り合わせが、

仏教の伝わる所からも来たり、

それより前にすでに

神道の方の一二〇〇年目の遷宮式にお仲間にさせていただいたり、

そういうようなことを通して、

神さま仏さまが

正しいことは永く持続させなければいけないのだということを、

逆に教えてくださっているような気がするのであります。

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私どもの日本の神道「八百万の神」ということは、

あらゆる所、形のある所にはみな神様が宿ってなさる。

仏教で言うと、これは仏性であるといわれますが、みんな弘子なんだ。

仏心はみんなもっているのだ。

仏さまの方からしては「仏の子だ。仏の子だ」と言おうとして、

法華経ではそれを明らかにしている。

そういう意味で「仏さまの子だ」とおっしゃっているのに、

われわれは凡夫だといって、

欲を捨てないで、いろいろの面倒を自分で作っている。

欲を捨てて忘己利他で自分を忘れて、

人さまのために益を与えるようにしようという、

こういう考えになれば、伝教大師さまと同じようになれる。

それは八百万の神を祀るという神道の精神であると私は思っている。

神さま仏さまというのは目に見えないけれども

「いつでも仏さまは、おまえの側にいるよ。

おまえには見えないけれども、神さまはいつでも側にいる」と

おっしゃっているわけです。


そういう意味で神さま仏さまを

いつも心の中に描いて明るい社会づくり運動をすれば、

神仏のご加護によってうまくいくのではなかろうか。

そしていろいろな形で人格的にも、哲学的にも、

心の中に一つの宗教を持って世の中を明るくする、

永遠の生命の尊さと世界の平和を願うというようなことも、

同じょうなことではないかと、

そんなふうに考えさせていただいたわけでございます。


このように私は今日一〇回目の総会に伺いまして、

これだけの素晴らしい方が全国からお集まりいただいておりますが、

皆さま方のご協力またご精進に心から厚く御礼を申し上げます。

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そして私の今考えている心境を

正直に皆さんの前に披歴をさせていただきました。

自分では宗教協力ということを言葉に出していながら、

ややもすると心の中にこだわりがあるのでございます。

世界宗教者平和会議というものを通じて宗教団体を訪問してみますと、

偏見のない日本の偉大なる指導者の方々がいらっしゃる。

この幸せを感じて、

およばずながら一生懸命やらせていただいておるわけでございます。


五年に一度の当番で、

今年は四回目の理事長(日宗達)をやらせていただくということに

なっているわけでございます。

どうか皆さま方のご支援をいただいて、

私も努める場所を間違いなく努めさせていただくよう、

ご支援のほどを重ねてお願い申し上げまして、

今日のご挨拶に代えさせていただきます。


(要旨:平成元年4月26日)

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・庭野日敬氏の提唱した世界宗教者平和会議と明るい社会づくり運動(2) [インタネット講座「拓塾」]

・庭野日敬氏の提唱した世界宗教者平和会議と明るい社会づくり運動(2)

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「明るい社会づくり運動と世界宗教者会議は、車の両輪ですよ。」

この言葉を、私に事あるごとに繰り返し言って下さったのは、

元・世界宗教者平和会議(WCRP)の初代事務局長をなさった大島浩之氏(故人)でした。


大島浩之氏(故人)は、

庭野日敬師がカトリック第2バチカン公会議に招待され、

教皇パウロ六世に謁見したときの感動から、

世界のすべての宗教を網羅し、

全宗教者が平和のテーブルに着く世界会議の開催を願って奔走し、

世界宗教者平和会議(WCRP)を軌道に乗せる時の事務局長をなさり、

後に、明るい社会づくり運動事務局長をなさり、

皇太子殿下並びに妃殿下(第六回明るい社会づくり運動全国大会)、

常盤宮殿下並びに妃殿下(第七回明るい社会づくり運動全国大会)など、

明るい社会づくり運動に皇室をお迎えするなどの尽力を尽くし、

庭野日敬師の心情をよくご存じの方の一人でした。


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庭野日敬師は大島浩之氏(故人)との対談でも、以下の事を述べています。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

庭野日敬師-

 今から約三十年前というと、

日本人がエコノミックアニマルと書われ始めたころじゃなかったかな。

経済発展ばかり考えて宗教や倫理を無視する人たちというので、

ある外国の政治家がそのように呼んだと聞いています。

外国へ行きますと、

日本のことを「背骨のない巨人」とか、いろいろな呼び方をしている。

だからWCRP(世界宗教者平和会議)の

基礎固めに走り回っているうちに、

これは足元の日本もしっかりしなければ-というのが、

そもそもの動機といえるかもしれません。

加えて日本人は、宗教を堅苦しいものと感じているんです。

ただ、宗教には参加しにくいが、

明るい社会づくりなら気楽に参加できるというところがある。

つまり、すべての国民がそれぞれの信念や信仰の本義に目覚め、

それに基づく生き方で思いやりのこもった

心豊かな社会をつくっていくのが究極の願いです。

そこに行く道として明社運動が始まったわけです。

例えば、県知事なら、

明るく住みよい県をつくりたいという理想がある。

それと同様に、私たち宗教者もお互いに手をとり合い、

幸せな社会にしたいと願っている。

明るい社会をつくろうとする信念は一緒なんですね。

ですから志ある人なら、気楽に参加できるわけです。

明社運動を始めたころはね、

「庭野は、何を言っているんだ」と言われたものです。

でも、実際やってみると、

知事さんや市長さんが

喜んで明るい社会づくりに参加、協力してくださる。

教育者や福祉関係の皆さんも参加してくださる。

徐々に地域レベルへと活動が進み、

今日まで皆さんが手をつないでやってこられたわけです。  

 佼成新聞(1994年10月7日号に掲載記事より)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

以上の事を考える時に,

「明るい社会づくり運動と世界宗教者会議は、車の両輪ですよ。」と、

おしゃっている事が太変よく理解出来ます。


しかし、現実はどうでしょうか。

私は「片手落ちではないだろうか。」と考えています。


世界宗教者平和会議(WCRP)と、

明るい社会づくり運動の起因とを再確認し、

バランスの取れた活動にして行く事が、

庭野日敬師の願いにお応えする事ではないでしょうか。


お互い様に、

様々なご苦労があると思いますが精進・努力して行きたいと思います。


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・明るい社会づくり運動と宗教活動 ー 庭野日敬師の願いとは、    [インタネット講座「拓塾」]

明るい社会づくり運動と宗教活動 ー 庭野日敬師の願いとは、


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庭野日敬師は、生前にご自身が始めた立正佼成会の活動と、世界宗教者平和会議や明るい社会づくり運動の区分けをしていたのでしょうか。

あなたは、この事をどのように思いますか。

私は、庭野日敬師の中には特別な区分けなどはなく、立正佼成会の活動や、世界宗教者平和会議や明るい社会づくり運動は、一つの同じ目的をもった同じ活動であったと思っています。

しかし、現在の状況はどうでしょうか。

「私達は宗教活動だけをやっていればいいのです。」
「とても、明るい社会づくり運動にまでは手が回らない。」と、
言っているとか、いないとか、・・・・・・・。
「もう、さんざん明るい社会づくり運動には散財してきたので・・・。」と、
耳にする事がありますが、

あなたはどのように受け止めていますか。

私は、以前にもこのブログでも書かせていただきましたが、前・明るい社会づくり運動の会長をされていました井深大氏の言葉を思い出します。
「明るい社会づくり運動に参加する人は
それぞれがもっている信念や宗教を突き抜けなければいけない。」と。

裏返せば、それぞれがもっている信念や宗教の殻の中に
閉じこもっていてはいけないと、受けとめていますが、

あなた自身はいかがでしょうか。

私は、仕事の合間をみて色々な宗教の勉強しています。
まだまだ世の中の諸先輩方からすると若輩者の私です。
でも、それぞれの方々が目指す形や手法はまちまちですが、
目指す所は一緒のようです。

間違っているでしょうか。

もし、この事が間違っていないのであれば、なぜ、現在の明るい社会づくり運動が全国各地でバラバラな活動をしているのでしょうか。また、その事によって急進力が落ちている現実を見過ごすのでしょうか。

庭野日敬師が提唱された本願をしっかりと捉え、一致団結出来る方向を探る事はとても大事な事です。過去の諸先輩方は、とても大変なご苦労をしながら一致団結を目指して来ました。

もしかしたら、現在の明るい社会づくり運動の執行部の方々には、庭野日敬師の本当の願いや思いを理解する事は出来ずに、目先の利益や損得、体裁が優先せざるを得ない状況なのでしょうか。

まして、末端の会員さんのご苦労など分からないのでしょうか。

明るい社会づくり運動の、本当の勇気とはいったい何でしょうか。

是非、あなた自身のこころに問うてみてください。

そして、いつもこのブログをただ見ているだけではなく、あなたの考えを聞かせて下さい。


あなた自身の真摯な誠意に期待して ・ ・ ・ ・ ・ 。


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・明るい社会づくり運動の基本を見直そう、① | 庭野日敬法話選集より、 [インタネット講座「拓塾」]

・明るい社会づくり運動の基本を見直そう、① | 庭野日敬法話選集より

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おはようございます。

インフルエンザとコロナワクチンの予防接種の予約をしていました。
そこで、先日予約時間に病院に行きました。すると駐車場に車が入らない程に、待合室も順番待ちに人で一杯の人でした。
何事が起こったのかと、思いましたがインフルエンザとコロナの感染が広がっているようで、大混雑になってしまったようでした。
そこで、改めて予約時間を変更して無事に接種を済ませました。

こんな事もあるもんだ、と思いつつ家路に着きました。

今夜から寒くなって来るようです。体調に気を付けながらお過ごし下さい。

~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~

庭野日敬氏の著書であります、庭野日敬法話選集を拝読させていただきました。

何冊かある中で今回は法話選集6を手に取りました。

その内容は、国連軍縮特別総会に出席する事になる経緯から、世界宗教者平和会議に至る経緯や、その為の庭野日敬氏の理念・平和への実践、等がとてもわかりやすく書かれています。

初心者の方でも、よく理解出来るように丁寧に書かれています。

その中に、何か所も明るい社会づくり運動の活動の在り方に付いても触れています。

私が気になった個所をこれから順次、ご紹介いたします。

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庭野日敬法話選集 6 世界平和-理念と行動 P242


平和運動について、

現在の日本の平和運動をみますと、私どもには、なかなか理解できないことがあるようです。平和運動の中に、もし、指導権争いとか、自己の主張だけを振り回すようなことがあれば、平和運動はゆがめられ、誤った方向に陥ってしまいます。これは運動の当事者が、あまりにも唯物史観に偏るため起こることではないかと考えます。

唯物思想や物質尊重の考えだけでは、ほんとうの平和は得られません。心の平和こそ、何よりたいせつであり、すべての平和運動は、ここから出発すべきものです。

仏法では〃物心一如〃と言って、物質と精神がどちらにも偏らないで、一体となることが、理想の境地であると説いています。また、他人のいぅことに耳をかさないで、自分のことばかり主張するようでは、争いが絶えません。

かえって、平和を乱すもとをつくることになります。意見が対立したり、理解がいかぬ場合は、納得のいくまで話し合うことがたいせつです。

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現代の社会では、自分独りでは生きられません。
多くの人々の相互の助け合いと、社会の秩序が必要です。自分も他人もすべて、つながりをもち一体であるという境地に目覚めることが〃自他一体観〃です。

党利党略にとらわれて、〃真実〃を見失うようでは、平和を口にする資格はないでしょぅ。

〃物心一如〃といえ〃自他一体観〃といえ、釈尊が二千書年前に、われわれに説かれた真理です。大衆の先頭に立って、平和運動に挺身するような人こそ、物心一如の境地まで、自分自身を高め、自他一体観に目覚めなくてはなりません。

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考えてみますと、
釈尊は、人に教えを説き、みずからも実践されたかたですから、世界で最も偉大な、最も古い平和運動家だと言えましょぅ。

本会も釈尊の教えを人々に及ぼし、個人の完成や社会、国家の平和境建設を目指して活動しているわけです。今日ほど、世界に平和が求められているときはありません。

ただ、口に平和を叫ぶだけでなく、すべての人々がおのれ自身を反省し、他と協調していくことがたいせつです。ひとりでも多くの人が仏法の本義に目覚めて、日々の中に実践していくことにょって、ほんとうの平和が開けてくるものと思います。

(昭和39年7月佼成新聞)

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長い間、明るい社会づくり運動に接してきましたがとても重要な事をお話しています。その中で、最も重要な事は理や理屈ではなく実践の尊さを繰り返しお話していただいています。

今、何をしなくてはいけないのか。

今、何が出来るのかを真摯に受け止める事が求められる時期に来ている思います。

私は、これからの明るい社会づくり運動には、このような視点や感性を持ち合わせるリダーが必要不可欠だと思っています。

明るい社会づくり運動を提唱した、庭野日敬師の心情を思うと・・・・・・。


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・生かされている恩返しとは、- 庭野 日敬 著 『開祖随感』より [インタネット講座「拓塾」]

・生かされている恩返しとは、- 庭野 日敬 著 『開祖随感』より

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もうすぐ立春になりますね、

太陰太陽暦では立春に最も近い新月を元日とし、新年の始まりであることから、一般的に立春の前日に節分の行事が行われるようになったようです。

その為、今年の節分は2月3日(土)になります。

では、節分とは具体的に何をする日なのだろうか。

一般的に邪気を払い、無病息災を願う行事、と言われています。

いにしえより「季節の変わり目は邪気が入りやすい」と考えられ、また「この時期(2月上旬)はまだ寒く体調を崩しやすい」ことから新年を迎えるにあたって、邪気を祓い清め、一年間の無病息災祈る行事として追儺(ついな)という行事が行われてきたようです。

元々の発祥は中国との事、大陸文化が広く取り入れられた平安時代、大晦日に宮中行事として追儺が行われるようになったと言われているようです。これは疫鬼などを追い払うもので、大晦日に陰陽師がきて厄や災難を祓い清める儀式だと言われています。

古くは「続日本書紀」のなかに、疫鬼払いとしての記述が見られるようです。宮中行事としての追儺は徐々に衰退し、江戸時代には行われなくなったと言われている。しかし、いつの頃からか、追儺は豆をまいて鬼を払い無病息災を願う「節分」という行事として庶民の間に広まり、定着したようです。

この節分、2月3日というイメージが強いですが、2月2日や4日になる年も稀にあるようです。どうやら日にちは固定ではないようです。
2021年は、なんと1897年以来124年ぶりに、2月2日が節分だったとのこと。ちなみに、1984年は2月4日で、2021年はそれ以来37年ぶりに2月3日以外が節分だった。

普段何気なく思っていることでも、意外と知らない事があるものですね。

どんな事でも、固定的に眺めずに自分の身のまわりを眺めて見ると、意外と新たな発見があるかもせれしれません。


そして、視野や感覚や、こころが澄んで来ますと、出来事や物事を正確にキャッチ出来るようになります。

しかしその逆に、独善的に視野や感覚や、こころが歪んで来ますと、出来事や物事を正しく捉える事が出来なくなった来ますので、知らず知らずに、その判断や行動に誤りが生じやすくなって来ます。

そんな意味で、日ごろの精進や努力を重ねる事が重要になります。

庭野日敬氏は、こんな事を言っています。

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生かされている恩返し


庭野 日敬 著 『開祖随感』1993年(平成5年) (佼成出版社) より

仏教の教えの基本が、すべての存在は他との関係(縁)なしにはありえない、という縁起観であることは、みなさんもよくご存じのとおりです。

その教えをどう実践に移していくかです。

まず、自分が今日一日を無事に過ごせるのはだれのお陰であるのかどれだけの人の助けをいただいているか、その縁起を知ることが報恩行の出発点です。

私たちは仕事が順調に進んでいるときには、すべて自分の力、自分の努力の結果だと思い込んで得意になっているのですが、それが、どれだけ多くの人の後押しによってなっているか、毎日、振り返ってみる習慣をつけてしまうことが大切です。

朝夕の経典読誦のご供養は、その行の一つなのですね。

いつも、まわりの人たちへの感謝を忘れずに、その感謝の気持ちを素直に表わしていく生き方と、自分を過信して得意になったり、努力が報われないと恨んだりする生き方とでは、天地の開きが出てしまいます。

先祖供養も、親孝行も、菩薩行も、すべて今日の自分をあらしめているものへの恩返しの行なのです。   

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親殺しや、子殺しや、オレオレ詐欺、等々、現代社会は病んでいると思います。

そんな世の中にあって、明るい社会づくり活動は生かされている恩返しだと考えています。

お互い様に、様々なご苦労があると思いますが、精進・努力して行きたいと思います。

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・時代の証言者よりー明るい社会づくり運動の庭野日敬師の真意とは、 [インタネット講座「拓塾」]

・時代の証言者よりー明るい社会づくり運動の庭野日敬師の真意とは、


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おはようございます。

昨日は、6434人が亡くなった阪神・淡路大震災の発生から27年を迎えた。地震が起きた時刻の午前5時46分には各地で追悼行事が始まり、多くの人が祈りを捧げました。

また、今年の元旦に発生した能登半島地震の全容も、まだまた明らかにならない状況にこころを痛めています。

~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~


提唱者(庭野日敬師)の位置づけ
現在の、明るい社会づくり運動のあり方について私が聞いている所では、提唱者(庭野日敬師)の真意や願いを表面に出さない傾向があるようです。


その事は、立正佼成会さんの現会長さんのお考えなのか、ご本部の役員さんの意向なのか、それ以外のどなたかの意向なのか分かりませんが、そのような事があるようです。

それで本当によいのでしょうか。

ただ、それらの事を、庭野日敬師の著作物やお話になっている事の中で、「どのようにすべきなのかを」再確認させていただくと、その答えは一目瞭然のようです。

世の人々の中には様々な考えの方々がいますので、
自身のエゴとか色メガネを通して物事をとらえがちです。それらの方々には、なかなか本来の姿がご理解いただけない事も、残念ながら事実ではないでしょうか。

私なりに考える事の中に、現在の立正佼成会さんの中には、庭野日敬師のお考えや意向をご承知の方が多いと思っています。

それらの方々は、そのような現在の状況をどのように考えているのかが、私は不思議でなりません。

この明るい社会づくり運動が全国各地で立ち上がる当時に、以下の事が話題になった経緯がありますが、皆さんはご存じでしょうか。

もし、ご存じないようであれば
是非とも心に置いていただきたい事であります。


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明るい社会づくり運動 行動と理念

著 前明るく社会づくり運動拓塾長 佐藤秀裕


運動は自然発生ではおこらない。

中央連絡会議、第二回目の会議(昭和51年1月)で「本運動の提唱者は、立正佼成会会長、庭野日敬氏とする」ということが承認された。

今更、わざわざという考える方もあるが、これは大切な点だと思う。

大衆運動だから自然発生的に盛りあがったということではない。

誰かがきっかけを創ったり、与えることにより、火が付けられ、起きてくるものである。きっかけが不明確のまま、市民運動で誰彼、関係なく自発的、自主的に参加していたら、自然と大きくなった。だから特別、提唱者とか提案者などいない、という事はあり得ない。全ての運動が自然発生的に、発展拡大していくものならば、世の中はもっと住みよい、平和な社会はできていることであったろう。よいことは自分の手柄とし、失敗、悪いことは他人事とする風潮なる故、運動のおこり、きっかけを明確にする必要もある

一教団の会長でなく一宗教者の責務として提唱

 もう一つ、「本運動の提唱者は立正佼成会会長、庭野日敬氏とする」というところから誤解が生じていることがある。一般的通念は、庭野日敬氏イコール立正佼成会と写っているのだから、立正佼成会の社会運動、もしくは、立正佼成会の活動の一環が明社運動ということに写る。中央連絡会議の当初の頃、いつも話題になっていたのが、「明社運動は立正佼成会の布教活動の一環なのか」ということである。前にも書いておいたが、あまり毎度のことなので、中央連絡会議世話人と提唱者である庭野日敬氏との懇談会をとりもったことがある。
                         (昭和51年1月)

この時、庭野氏は
二時間に亘る話の中で印象的なことを語った。

庭野氏は、「現在の世の中を暗くしている原因は、エゴイズムである。エゴは対立を生む。宗教々団も、自分の宗教こそが唯一絶対なもの、という姿勢は教団エゴであり、宗教対立を生む。

これからの教団は宗教協力、協調を求めていくべきである。

私が明るい社会づくり運動を提唱したのも、自分の教団を大きくするという目的でしたものでなく、
現代の日本の社会は精神的荒廃、人間性の欠如は進んでいる。

このような社会状況を、宗教がただ自教団のことだけを考えている時ではない。

人間の精神、心を説く宗教者、宗教々団がまず、この社会的課題に教団のワクを超えて一致協力して、この事態に当っていこうということでまず宗教協力という目的で進めてきたが、だんだん一般の協力者が現れてきた。

私自身、一教団の会長というより、
一宗教の責務ということで、この運動を提唱した。

利己主義の強い社会の中で、人に奉仕する心を育てる。

善意の心を呼びおこす運動として本運動を考えている。

従って、提唱はしたが、みんなで力を出し合って進めることが基本。

もし私が、運動理念とか運動の方策はこうあるべき、などと細かいところまで口ばしを入れたら、この運動を鋳型にはめこんでしまうことになり、市民参加の運動となっていかないだろう。

具体的な運動理念とか方策は、地域のリーダーの方々が英智を集めて進めてほしい。

佼成会は『縁の下の力もちという立場で協力する』という意味のことを語った。」

提唱者自身が、このように話してあることは大事な点で、自分は指導者として明社運動に関わるものではない、ということを自己表明したものと受けとれる。

明るい社会づくり運動の提唱者であると同時に、理念的指導者だと写ることを、庭野氏自身が大変気を使っていることがわかる。


提唱者の真意を正直に受け入れよう

時々、大会などで「来賓あいさつ」で、誤解を生じるような事があるが、これは庭野氏自身、迷惑なことだろう。

提唱者が指導者ということであれば、この運動を国民運動とか地域住民運動として根づかせていけないだろうと、本人が忠告している位なのである。

だから私は、あえて庭野日敬氏、本人が日頃言ったり、書物に書いていることを、正直に理解して、行動すれば良いと思っている。

気をつかいすぎて、かえって提唱の真意を曲解することにならないようにしたい。

全国の代表者会議でも承認され、庭野日敬氏自身も「指導者でない、提唱者である」ということを言っているのであるから、その通りに私共は受けとり行動してゆけば良いのである。

確かに、「庭野日敬氏は提唱者であると同時に指導者である」という立場に位置づけて進める運動であってもおかしくはない。

それはそれで、今の形態の運動より、より発展していたかもしれない。

しかし現実には、その方針はスタートからとっていないのである。

提唱者は、指導者でない規則ですすめてきており13年間経っているのである。

本人の了解をとって庭野日敬氏を理念上においての指導者であると位置づければ、それも可能だったかもしれない。提唱者の位置づけも運動の分岐点となった。

但し、庭野日敬氏は立正佼成会会員に対しては、明社運動に対するかかわり方を仏教的観点から運動主旨・理念はきちんと指導している。

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いかがだったでしょうか。

あなたは、今後どのように受け止めてどのように行動しますか。

今、その事が問われているように思います。


☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡

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・庭野日敬師が提唱した明るい社会づくり運動がなぜ必要なのか、 [インタネット講座「拓塾」]

・庭野日敬師が提唱した明るい社会づくり運動がなぜ必要なのか、

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こんばんは[ぴかぴか(新しい)]

三が日も終わりました。今日から仕事始めの方も多いと思います。寒暖差が大きい時期ですので体調に気を付けながら頑張って下さい。


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庭野日敬師の著書を何度か、拝読させていただいています。

その度、庭野日敬師の著作物は、凡夫である私達に実に丁寧にわかりやく、お話して下さっている事に、いつもながら敬服しながら読ませていただいています。今回は、「仏教のいのち 法華経」を拝読させていただき、以下の箇所が特に眼にとまりましたのでご紹介させていただきます。特に、難しい事をおしゃっている訳ではありませんが、明るい社会づくり運動にとっては、とても大切な事を述べていると思います。

あなたの心には、どのように響くでしょうか。その響きを感じて見てください。

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個人は社会とつながっている

仏教のいのち法華経(P46~49)著者:庭野日敬 より


ところで、個人の心の善し悪し・高さ低さ・美しさ醜さは、外部とぜんぜん関係のない事がらでしょうか。理屈は抜きにして、あなた自身の家庭や、交友関係や、職場など、身近な世界の問題として考えてごらんなさい。
あなたの両親や兄弟姉妹の心の暖かさ・冷たさが、あなたにとっては全く無関係な事がらですか。あなたの上司・同僚・友人などの、心の美しさ・醜さが、あなたとぜんぜん没交渉の事がらですか。もちろん、答はノーでありましょう。

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今、わたしとこの紙面で交わした問答によって、あなたは、いつもはあまり意識していなかった、身近の人たちの心のあり方と、自分自身の人生とのつながりを、ハッキリ意識されたこととおもいます。

それならば、そういった意識を、もう少し広く世間へ広げていってごらんなさい。

たとえば、あなたの家の隣近所の人たちの気だて、あなたが買物をする店の主人や店員の精神、あなたが乗るバスや電車の運転手の心がけ、そういったものが、あなたの人生となんらかかわりがないかどうか。
もっと大きくいえば、地方目治体の役人・議員や、国の政治をつかさどる首相・各省大臣や、国会議員などの魂のありようが、あなたの人生となんらのつながりがないかどうか。
さらに考えを広げれば、会ったこともない他国の人びと、たとえば毛沢東、コスイギソ、ニクソン、ドゴールという人たちの精神の方向が、あなたの運命と全くかかわりがないかどうか。

答えは、自明のことでしょう。

この世に生きとし生けるものは、どこかで必ずつながりをもっているのです。ぜんぜん他と孤立して存在しているものは、ひとつもありません。

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この道理を、仏法では〈諸法無我〉というのですが、とにかくこの道理に目ざめてみれば、自分ひとりだけが心のしあわせを得ても、ほんとうに幸福にはなりえないのだということが、はっきりわかってくるはずです。

早い話が、あなたが今の瞬間においては幸福感を味わっていることができても、さまざまな天災や人災は遠慮なく空から、海から、川から讐てきますし、一歩外へ出れば交通戦争の修羅のちまたです。

犯罪者は、いつ、どこであなたの生命・財産をねらってくるかわかったものではありません。

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最大の脅威は、核戦争です。

万一これが始まれば、あなたの今の幸福などは木っ端微塵に吹き飛ばされてしまいます。そこで、あなた自身・あなたの家族・あなたの子孫が、ほんとうに幸福になるためには、どうしても社会全体・世界全体を変えなければならないのです。
それも、政治のやり方や社会の体制をどう変えてみたところで、その効果はほんの表面的なことにすぎず、人間の心を根本から改めないかぎり、ほんとうの救いに達することはできません。

たとえば、老人保護施設の完備している欧米諸国の老人が必ずしも幸福ではなく、どちらかといえば家族の庇護に任せられている日本の老人のほうが幸福である事実が、その片りんを物語っているのです。

仏教のいのち法華経(P46~49) より

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~~~~~~~~~~~~~


いかがでしたか。

歳月の経過と共に、庭野日敬氏の思いや願いが軽んじられる、現在の明るい社会づくり運動ですが、私は、とても大切な事だと受け止めています。

あなたは、どのようにお感じになりましたか。

「日々 新たに」

お互い様に、様々なご苦労があると思いますが、精進・努力して行きたいと思います。

☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡

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・庭野日敬氏の明るい社会づくり運動への機縁(2) [インタネット講座「拓塾」]

・庭野日敬氏の明るい社会づくり運動への機縁(2)

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インターネット講座「拓塾」を始めてから、さらにたくさんの方々にこのブログを読んでいただけるようになりました。

ご覧いただいている皆さんのブラウザーの反対側いる私ですが、さたくさん方が、本当に真剣にお読みいただいている事が、不思議と、こちら側に伝わってくる気がしていますので、感謝をさせていただきつつ、気持ちを引き締めている現状です。

 また余談ですが、以前からあった事ですが、インターネット講座「拓塾」を始めてからは特に、どなたかは分かりませんが、私の後ろにいらっしゃる方の働きが強くなった気がしています。

「さらに、守られている。」そんな気がしています。

前回の書き込みをしました直後から、私の頭の中に「末法についての説明をしたらどうか。」との、思いが何度かよぎってきています。

このインターネット講座 拓塾の行動指針のなかで、「自修自得」を唱っていますのでご覧いただいている方々が、「自身で深く探求する意欲が無ければ、何事もなさん」との、立場に立っていますので、

私のお話する事の中で、<不明確な点や疑問点があれば、ご自身で究明し深く探求する事を希望します。

しかし、私の後ろにいらっしゃる方々がさらに、「末法についての説明をしたらどうか。」との要望が強いように感じますので、庭野日敬師がご自身の著書の中で以下の事を述べていますので、以下に、ご紹介させていただきます。

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~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

新釈 法華三部経 8巻  (P306~311)より

お釈迦さまは、ご自分が入滅されてからあとの時代を予見なさって、五つの五百歳に分けておられます。すなわち、《大集経》というお経のなかで、つぎのようにお説きになっておられるのです。

(我が滅後五百年の中に於て諸の比丘衆、猶我が法に於て解脱堅固なり。後の五百年に我が正法の禅定三昧住することを得て堅固なり。後の五百年には読誦多聞堅固なり。後の五百年には我が法の中に於て闘諍言訟し白法穏没し損減すること堅固なり)

これをわかりやすいように表にしますと、つぎのようになります。


第一五百歳 - 解脱堅固時  (正法)

第二五百歳 - 禅定堅固時  (正法)

第三五百歳 - 多聞堅固時  (像法)

第四五百歳 - 多造塔寺堅固時(像法)

第五五百歳 - 閥諍堅固時  (末法)             


   (P306 )

この五五百歳のうち、解脱堅固時)と(禅定堅固時)を合わせた千年を、正法といいます。仏陀の教法が正しく行なわれている時代というわけです。

つぎの(多聞堅固時)と(多造塔寺堅固時)を合わせた千年を、像法といいます。像だけが正法のときに似ている時代です。(P311 ~P312)

その五百年も過ぎてしまうと、もはや形式的な宗教さえおおむね無視されてしまう時代になるというのです。

仏教そのものについていえば、(我が法の中に於て閥諍言訟し白法隠没し損滅すること堅固なり)で、宗派争い(閥諍)が盛んになり、それも、言論闘争から政治闘争・法廷闘争(言訟)にまで発展し、ゴタゴタが絶えないわけです。

そして、正しい法(白法)はどこにいったかわからぬようになってしまうのです。

しかし、仏法はけっしてなくなってしまうのではありません。かくれ、見失われてしまうだけであります。

(隠)もかくれるという意味ですが、

(没)もかくれるとか沈むという意味のことばです。

なくなるという意味に使われることもありますが、しかしその場合でも、ぜんぜん無に帰してしまうのでなく、見えないところへかくれてしまうという意味をもっているのです。


これは、こまかい語意のせんさくのようですが、けっしてそうではなく、ひじょうに重大な意義をもっているのです。なぜならば、白法(仏法)が(ぜんぜんなくなってしまう)というのと、(かくれて見えなくなってしまう)というのでは、天地ほどの差があるからです。


いや、無と有のちがいですから、天地の差とも比較はできますまい。


ともあれ、仏法はけっしてなくなることはないのです(白法消滅)でなく(白法隠没)となっているところに、よくよく注目しなければならないのです。

さて、聞潜堅固というのは、たんに仏教および仏教界だけについていってあるのではなく、ひろく世相全般についての予言でもあるわけです。

その時代になりますと、人びとはまったく利己的になり、自分の利益・自分一家の利益の団体の利益・自分の国の利益・自分の属する階級の利益等々ばかりを追求するために、たがいの利害が情実し、つねにいがみあうようになります。我と我のつのつきあいです。


言論闘争・政治闘争・法廷闘争は日常のこととなり、人心はたいへん険悪な、トゲトゲしいものになります。いや、それですむうちはまだいいのですが、ついには血を流すような不祥事が起こり、またそれが国際的なものであれば、ついに人間どうLが殺しあう戦争にまで発展してしまうのです。

ちょうど、現代がその時代に当たりましょう。

(P306~P311 )

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

私は、庭野日敬師は法華経の真意を体得され、その事に基ずいて行動されていた。と、理解しています。

しかるに、「日蓮聖人のご遺文に説かれている末法の時代、つまり人びとが自分勝手な理屈を主張いたし、神仏を敬う念や倫理、遺徳がすたれて、穏やかならざる世の中になるという様相が、すでに表われていたのであります。

[明るい社会づくり運動の提唱は、こうした心の荒廃に対して問題を提起するとともに、・・・・・・」になっていると理解しています。

「末法」という言葉に、必要以上にとらわれる事はないと思いますが、やはり、私は、これからの明るい社会づくり運動には、このような視点や感性を持ち合わせるリダーが必要不可欠だと思っています。


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・庭野日敬氏が考える、明るい社会づくり運動に不可欠な事とは、 [インタネット講座「拓塾」]

・庭野日敬氏が考える、明るい社会づくり運動に不可欠な事とは、

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私は常々思う事に中に、「どこまで馬鹿になりきれる事が出来るのか」が私自身の課題だと思っています。

それは、口先は綺麗な事を言っていても、その内心は自身の思惑や損得ばかりを考えている方々をたくさん見て来た事もあると思います。様々なタイプの人達と触れ合う中で自然とそのように考えるようになりました。


また、逆に「私は自身の思惑や損得で動くのだ」と言っている方もいますが、その人の方が正直で嘘を言わない分いいかなとも思う時もあります。

色々なタイプや考え方がありますが、庭野日敬 師は、以下の事をおしゃっていますが、あなたはどう思いますか。

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~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

どこまで馬鹿になりきれる事が出来るのか

私はいつも、みなさんに「ばかになれ」とおすすめするのです。

もちろん「ばか」といっても、愚か者のことではありません。

現代人は、毎日、知識のシャワーを浴びているようなもので、

頭のよい人、利口な人ばかりが多くなっているようです。


頭がよすぎると、

人の言うことがばからしくて聞けなくなります。


人の言うことを素直に信じることができなくなり、

なにごとも先を見通せるつもりで、

「そんなことは、とても不可能だ」と決めつけ、

初めから手をつけようとしない、

といった生き方になりがちなのです。


それにひきかえ、利口ぶらない人は、

みんなが「できない」と決めてしまうことでも、

「これが正しい道ならば」とコツコツと手がけて、

ついに大事を成し遂げてしまうのです。


これが、私の言う「ばかになる」ことです。


初めのうちは、

「あんなことをやっても、

むだなのに」と冷ややかに見ていた人たちが、

うならずにいられなくなってしまうわけです。


自ら志願してばかになりきる、

その心のゆとりこそが大切なのです。   


庭野 日敬 著 『開祖随感』 (佼成出版社) より


~~~~~~~~~~~~~~~

あなたの心には、どのように響きましたか。

その響きが、あるのか・ないのかが、とっても大切になります。


私の今年のキャッチフレーズは、「前に、さらに前に前に・・・・・」


☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡

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・庭野日敬師の願いや思いを正しく受け継いでいこう! [インタネット講座「拓塾」]

・庭野日敬師の願いや思いを正しく受け継いでいこう!



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おはようございます。

寒暖差の大きい今日この頃ですが、お目覚めはいかがですか、

中には、気分か芳しくない方もいると思います。そんな時は、無理をせずに体調に合わせながらお過ごし下さい。

そして今生きている事に感謝して、素敵な一週間にしていきましょう!

数年前の夏頃だったと思いますが、こんな事がありました。


庭野日敬師の勉強会があるというで参加させていただきました。

地元の勉強会でしたので、あまり大きな期待をせずに、少しでも得る事があればと思い足を運びました。
そこで出されていた資料は、講師さんのお話によりますと庭野日敬師の書かれた資料との事でした。
勉強会の内容は当然、事前に用意された資料に添った内容で進められ、終了致しました。
どなたも、何の違和感もなく終わった庭野日敬師の勉強会でした。

しかし、私は庭野日敬師の著書を何度も読み返していますので、庭野日敬師の独特の言い回しがある事を理解していますので、資料を読み始めるとすぐに「この資料は庭野日敬師が書かれたものではない」と理解しました。

今回の講師さんのお気持ちは理解出来ますが、私達は、真摯な姿勢で臨む事はとても大切な事だと思っています。

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明るい社会づくり運動でも同様だと思っています。


庭野日敬師の明るい社会づくり運動に対するお考えを私達はもっともっと探究し、勉強すべきです。

また、庭野日敬師のお考えをもっともっと大切にすべきです。

各自のお一人お一人のそれぞれの願いや思いも、とても大切ですが、明るい社会づくり運動においては庭野日敬師のお考えを、願いや思いを基本に置くべきと思います。その事を理解し、咀嚼した上での活動は、とても意義深い事になるはずだと考えます。

明るい社会づくり運動の中には、庭野日敬師の奥深い理念と、奥深い行動哲学が脈々と生きつづけている事を知っていただきたいと願っています。

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明るい社会づくり運動において、

庭野日敬師のお考え、願いや思いを出来るだけ正確に後世に伝えて行く、

大切な役目・役割が私達にあると考えています。

その為にも、明るい社会づくり運動の後継者育成が急務です。


☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡

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