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庭野日敬師の思いや願いとは - 平 和 の 種 ま き [明るい社会づくり運動のポイント]

先日、庭野日敬師の著書を読ませていただく時間が取れましたので、「開祖隋感」を読ませていただきました。

そこで、印象に残った文章がありましたので紹介させていただきます。


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平 和 の 種 ま き


心の中で平和を願っているだけでは、いつまでたっても平和は実現しません。

それは、たとえば種を納屋にしまっておいたのでは芽が出るはずがないのと同じです。

種は畑にまいてこそ芽を出し、それに水をやり、肥料を施すことで、花を咲かせ、実をみのらせます。

平和も、その願いを一つ一つの行動にして積み上げていかなくてはならないのです。

ところが、そんな努力もしょせんはむだなことと、初めからあきらめている人がいるのです。

人間の闘争本能は永遠に変わるものではなく、人類の歴史は戦争の歴史であり、それはこれからも果てしなく続くのだと、暗い面だけを見ているのです。

そういう人に出会うと、私はナイチンゲールを思いだすのです。

クリミア戦争で多くの看護婦を率いて傷ついた兵士を敵味方の別なく助け、クリミアの天使と呼ばれたナイチンゲールの献身が、スイスの医師アンリ・ジュナンを動かして国際赤十字が誕生しました。

私たち志を同じくする世界の宗教者が力を合わせて平和のための世界会議を開くのも、まったく同じ精神です。

お互いに出会い、対話を重ねることによって平和の種が芽を出し、多くの共鳴者を集めて大樹に育っていくのです。

                        1971年 庭野 日敬 著 『開祖随感』より

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上記の内容は、宗教者平和会議の事を述べていますが、以前から明るい社会づくり運動と宗教者平和会議は車の両輪と言われています。

そのような事を考える時、明るい社会づくり運動にも同様の事が言えるのではないでしょうか。


口先だけではなく、形式だけではなく。本気で明るい社会を作ろうと願い、行動出来る、私たち志を同じくする人々がお互いに出会い、対話を重ねることによって平和の種が芽を出し、多くの共鳴者を集めて大樹に育っていくのです。


その為に、小さな小さな勇気ある第一歩を踏み出す事が大きなポイントになると、私は考えています。

私の今年のキャッチフレーズは、「前に、さらに前に前に・・・・・」


☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡

庭野日敬氏の目指した明るい社会づくり運動のホームページはこちらです。

                     http://www.meisha.me/

☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡










末 法 を 救 う-庭野日敬のお言葉 [明るい社会づくり運動のポイント]

庭野日敬氏の教えに初めて出会ったのは38年以上も前の事です。

旧ご本部の広間で、
庭野日敬氏の教えを説いて頂いた時の記憶は、今でも鮮明によみがえって来ます。

この教えが世の中に広まったら、
どんなんにか素晴らしい世の中になるだろうと・・・・・・・、
胸の高まりを覚えました。

しかし、その後の活動の中で、
何度となく、その思いを打ち砕かれる事に遭遇する事になりました。

特に、残念な事は外からの圧力や反発ではなく、
佼成会さんの中からの反発が意外なところに潜んでいる事です。

また、このブログを始めた当初(2009年)は、
明るい社会づくり運動の事に懸念をしていたことが、
現在では、立正佼成会さんの内部までも蝕んでいる事です。

さらに、その事に気づいていない点は、
本当に残念としか言いようがありません。



そんな時代を末法と言うのでしょうか。



庭野日敬氏は、

そんな事にも警鐘を鳴らしているのでは、と

私には思えてなりません。


そんな姿は、貴方のはどのように映るでしょうか。



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開 祖 さ ま 随 感

      1989年(昭和64年)庭野 日敬 著 『開祖随感』 (佼成出版社) より


末 法 を 救 う


このまま世界中で化石燃料を使い続けると、

炭酸ガスが地球を覆って温度が上がり、

南極の氷山が解けだして陸地のかなりの部分が水没してしまう、

と警告が発せられています。


裏付けのある予測で、

世界の指導者がこぞってそれを訴え始めました。



末法というと、

法がまったく絶えた真っ暗闇の時代を考えがちですが、

法は厳然として存在しているのに、

人びとが法からどんどん離れてしまうのが末法の時代です。



物があふれ、

はなやかに繁栄しているようにみえるいまの社会も、

豊かさや便利さを飽くことなく追い続けると、

どんどん法からはずれ、破滅の道をたどりかねません。



法華経には、

燃えさかる家の中で、その火に気づかずに

遊びほうけている子どもたちの話が出てきます。




その子どもたちに仏さまは、

「外には、すばらしい車があるぞ」と呼びかけて

大火から救いだされます。



幸せを求めているつもりで、

自分がどこへ向かっているか気づかずにいる現代人も,

“火宅の子”と言えましょう。


その人たちへの呼びかけは、

物の豊かさや便利さを上回る真の豊かさ、

本当の喜びを知ってもらうことです。


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いかがでしょうか。


私は、庭野日敬氏の思いや願いの原点に戻る事を提案しています。


例えば、

庭野日敬氏の教えは「切れば血の出る教え」と言われています。

簡単に言いますと、結果・現象が出る教えと言う事です。

今では、そんな事を言う方はほとんどいません。


逆に、そんな事を言うと変人扱いです。


庭野日敬氏の教えの真髄は変わっていません。

それを受け継ぐ方々の怠慢ではないかと受け止めています。


何故か、


庭野日敬氏の教えの真髄ではなく、

その表面上を取り作っている方が楽だから、と受け止めています。


そんな事も、末法の時代のなせる業ではないでしょうか。


でも、

私は、庭野日敬氏の思いや願いの原点に戻る事を提案しています。



新型コロナウイルス肺炎の影響で、
何かと、不自由な生活をお送りの事を思いますが、
くれぐれも、お身体を大切にお過ごしください。




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故・飯坂良明氏の真骨頂のさわり [インタネット講座「拓塾」]

佐藤秀裕氏の著書の中に、
故・飯坂良明氏の明るい社会づくり運動に対するお考えが、
掲載されていましたので以下のご紹介させていただきます。

飯坂先生は、
明るい社会づくり運動に長年かかわり合いを持っていただき、
全国拓塾にも何度もおいでいただきお考えを伺った事が、
昨日のように思い出されます。
また東京都の明るい社会づくり運動の
会長の役職を長年にわたってされていました。

是非、故飯坂良明氏の
心意気を感じて取って下さい。


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飯坂理論の真骨頂のさわり

 
「『地の塩、世の光』いうことばがあります。
明社運動に連なる一人一人は、実は塩の役割りをしなきゃいかん。
塩というのは溶けて見えなくなって、
塩味だけは失わなくって社会に味をつける。

そして社会の腐敗をふせいでおる。これが塩の効能です。

われわれ自身があらわれなくてもいい、社会の中に溶けて、
みずからの形や色はなくっても、
それでも社会に味をつけ、
社会の腐敗を防ぐという運動でなければいかん。

 
それからまた、
この明社の運動は光で「『地の塩、世の光』」というのは、
有名な聖書の言葉です。

『地の塩である。世の光である。』

光であるということは、
社会の良心として、ともしびを輝かせということであります。
いつもはっきりした良心のともしびを掲げていますと、
それに照らされて悪いことができなくなるような社会になります。
その意味で、明社運動というのは『地の塩であり、世の光』であります。

『あなた方の光を人々の前に輝かし、そして人々があなた方のよい行いを見て、
天にいますあなた方の父をあがめるようにしなさとあります。』

あなた方のよい行いを見て、あなた方を通して、もっと永遠なるもの、
もっと偉大なものを差し示すところの差し示す塩にならなきゃいかんのです。

われわれがあがめられるのではない。

われわれの行いを通して、より大きなもの、より偉大なもの、
より究極的な価値に人々が目を向けるようになる。
まさにそうしたところに、
私は明社運動の意義があるのではないかと思うわけです。


今日の世界は専門家だけでもだめです。

お医者さんだけ集まっても、
人間の命ということの究極的な意味はわかりません。
技術家だけが集まってもだめです。
いまの世界こそ、聖も俗も、政治家も実業家も、
すべてが協力しなければ、
本当の人間のあり方がわからない時代です。

ですから、人間に仕えるということ、
人間を大切にするという基礎の上に、
あらゆる分野の人たちが協力しなければ、
本当の意味での社会はできてこない。
明社運動はまさに、それ推進しているわけであります。

宗教と政治の混合はいけませんけれども、
正しい協力、人間に仕えるという意味での協力は、
大いにすべきだと思います。
政治家が人間に仕えると言うのが本旨です。
だから、協力出来ないはずがないんです。
利用し合うんじゃなくて協力し合うという、
そうした体制が打ち出されていかなければいけません。

こうして私たちが、
充実した人生を求めていかなければいかんと思います。


「明るい社会づくり運動 行動と理念」 日本を支える大きな蜒りに より 
               初版 昭和61年6月1日 (p39~41)
               著者 佐 藤 秀 裕
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||| 飯坂良明氏プロフィール(聖学院ホームページより)

1926(大正15)年3月30日富山県滑川市中町生まれ。
1948(昭和23)年、東京大学法学部政治学科卒業。
1951(昭和26)年、同大学法学部大学院特別研究生修了。
1952(昭和27)年、学習院大学助教授となり、教授を経て
1995(平成7)年、同大学の名誉教授となる。
聖学院大学では95年(平成7)年より総合研究所教授を務め、
同大学大学院教授、以後、聖学院大学学長(2000年4月~)、大学院長、
総合研究所副所長(1999年4月~)を務める。

専門は政治学・政治思想。

世界宗教者平和会議(WCRP)日本委員会評議員、
平和研究所所長、
アジア宗教者平和会議(ACRP)名誉事務総長、
日本クリスチャン・アカデミー常務理事、
現代における宗教の役割研究会常任理事。

著書・翻訳は
「権力への抵抗」(教文館)、
「現代社会を見る目」(NHKブックス)、
「政治学」(学陽書房)、
「宗教と現代」(玉川大学出版)、
「新約聖書に学ぶ」(世界思想社)、
ジョナサン・ローチ「表現の自由を脅かすもの」(角川書店)、
ラスキ「近代国家における自由」(岩波文庫)、
フロム「ユダヤ教の人間観」(河出書房新社)
をはじめ、他に著書・論文多数。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

あなたは、どのようにお感じになりましたか。

大切な事は、一歩を踏み出す事ではないでしょうか。

あなたの、

その一歩が現代社会にとっては大きな大きな一歩だと私は考えています。


飯坂良明氏のご冥福を心よりお祈り申し上げます。



私の今年のキャッチフレーズも、「前に、さらに前に前に・・・・・」

☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆
庭野日敬氏の目指した明るい社会づくり運動のホームページ
              http://www.meisha.me/
☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆

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