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・普遍にして不変なるもの ー 庭野日敬氏の言葉 [明るい社会づくり運動のポイント]

・普遍にして不変なるもの ー 庭野日敬氏の言葉

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この世の成り立ちと言うのは、私たちの好むと好まざるとに関わる、常にパワーバランスで成り立っています。その事は、ともするとパワー(権力・財力・立場 等)がある人(組織・政党 等)の行う事や言っていることが正しいと受け取られる事が多々あります。

その事は、皆さんの身の回りを見渡せばすぐに理解できる、世の中ではないでしょうか。

例えば、現在の佼成会さんのあり方や、明るい社会づくり運営のあり方にも言えると思います。

さかのぼれば、お釈迦さまの教えがご在世の間はあれほどに、出家・在家を問わずに浸透していたのにも関わず、長い年月の間には衰退していく経緯があります。その後、数百年後に強く信受している弟子たちの結集によりお釈迦さまの教えが蘇って来ると言う事実があります。

その事を思うときに、庭野日敬氏の願いや思いが薄れていく現実に触れる時に、とても危惧しています。

そんな時に、庭野日敬氏のお考えに触れる事がありました。

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開 祖 さ ま 随 感

1968年(昭和43年)庭野 日敬 著 『開祖随感』 (佼成出版社) より


普遍にして不変なるもの

「私は悪いことなどしていないから、信仰などする必要はない」と言う人がいます。この場合、悪いことをしていないというのは、自分は法律を犯すようなことはしていない、という意味でしょう。

法律や道徳を守ることは、この社会で生活する人間として当然のことですが、法律や道徳だけをもって善悪の基準とするわけにはいかない、と思うのです。なぜならば、法律はそれぞれの国によって異なりますし、道徳もまた、その時代、時代によって変わっていきます。

このように、時により所によって変わるものは、絶対の価値基準となりえないのです。時と所を超えて、人類全体の価値基準となりうるもの、普遍にして不変なる絶対の真理(法)を鏡として、それに己を照らしていくのが信仰です。

信仰は、ただ法律に触れる行為、道徳に反する行為の贖罪のためにするものではなく、より積極的に、世のため人のために役立つよき実践へと人びとを導くものです。それによってこそ自分が高まっていけるわけです。一人ひとりの向上なくして真の幸福、人類全体の平和は招来されないのです。 
 
 
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庭野日敬氏は、こんな観点で何事にも真摯に取り組んできた方です。

ところが、現在の佼成会さんのあり方や、明るい社会づくり運営のありようはいかがでしょうか。

こころ静かに、振り返ってみることも大切なことだと思います。


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・奉仕できる喜び-庭野日敬氏のお言葉 [庭野日敬師の言葉]

・奉仕できる喜び-庭野日敬氏のお言葉

おはようございます[ぴかぴか(新しい)]

お目覚めはいかがですか、

雨の朝になりました。ちょっと強めにふっています!

足元に気を付けないといけませんね。

晴れもまたよし、雨もまたよし、

季節の変化を感じながら、素敵な一日にしていきましょう。

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庭野日敬氏のお言葉は、いつ拝読させていただきましても新鮮に心に響きます。

インフルエンザや、コロナウイルス肺炎の事で不安が残る日々ですが、自身の心を点検する事もとても大事な事だと思います。

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開 祖 さ ま 随 感

      1967年(昭和42年)庭野 日敬 著 『開祖随感』 (佼成出版社) より


奉仕できる喜び


人はふつう、自分が人に奉仕するのはあまり好きではなく、人から奉仕してもらうほうがうれしいように思っています。しかし、それは心のほんの表面上のことで、心の深いところでは、人はむしろ人に奉仕することを欲しているものです。

どんなことでもいい、実際に人さまのために尽くして、それで相手の人に喜んでもらえると、それがよく分かるのです。「なんで、子どものことで、こんな苦労をしなければならないんだろう」と愚痴をこぼしていた親でも、子どもが一人前になって巣立ってしまうと、空虚な思いに陥ってしまいます。

世話をしてあげる人がだれもいなくなると、「ああ楽々した」という思いよりも、虚脱感に襲われてしまうのです。さらに、体が不自由になって、だれにも、なにもしてあげられず、ただ周囲からしてもらうだけの身になってしまったら、どんなに寂しい思いになるかしれません。

そう考えてみると、自分が人さまに役立てることが、どんなにうれしいことか分かってきます。

それが人間の本当の生き甲斐なのです。


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いかがでしょうか

大切な事は、自身の足元ではないでしょうか。「自分だけが幸せになれば良い」と言う考え方から「一歩踏み出勇気が 今、求められる」います。

多くの方が不安な日々を送っています。

身近な知人や友人に、出来るだけ多く声を掛けて上げて下さい。

「どうしているの!」


「大丈夫!」


声を掛けもらえるだけで元気になります。


勇気が出て来ます。


その事が菩薩行になります。


黙っていては菩薩ではありません。



その時に支えになるのが「法華経」になります。

庭野日敬氏の真の勇気は「法華経」に支えられていました。

ですので、

身命を惜しまず邁進して来れたのではないでしょうか。


「法華経」とは、

個人の救いではなく

菩薩の実践を説いた教えになります。


お互い様に頑張りましょう。



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・庭野日敬氏の思いや願いを正しく理解しましょう。 [明るい社会づくり運動のポイント]

・庭野日敬氏の思いや願いを正しく理解しましょう。

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庭野日敬氏より提唱されて来ました、明るい社会づくり運動は50年以上の経過しました。

今こそ、明るい社会づくり運動のさらなる飛躍の為に、新たな活動のスタートをすべき時期に来ているのではないかと私は考えます。

特に、現在の社会情勢を知るにしたがって、犯罪率の増加、家庭の崩壊、いじめ 等、目に余る情景があまりにも多すぎます。またこのような状況は、年々悪くなる事はあっても、なかなか良くはならない現実があります。

この事を思った時に、私は明るい社会づくり運動の必要性が高まって来ていると思うのです。

今こそ、「みんなで力を合わせて明るい社会づくりを推進しましょう」と、言う事がとても大切な時期だと思います。


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庭野日敬氏の思いや・願いとは、

明るい社会づくり運動のさらなる飛躍の為には、提唱者・庭野日敬氏が何を思い、何をしようとしたのかを検証し、さらなる行動を起こす事が必要不可欠だと思っています。

明るい社会づくり運動の原点が理解できる時には、その方向性は自然とはっきりしてくると思っています。

庭野日敬氏は、仏教的精神(思いやり心・感謝の心・奉仕の心)を一宗教団体の枠を超えて明るい社会づくり運動を通じて広めようとなさったのだと理解しています。

そして、その為に庭野日敬氏は、「黒子に徹して、花を譲り、実を採る」と言っておられたと、側近の方から伺っています。

その庭野日敬氏が提唱された明るい社会づくり運動に、各界の方々が共鳴し賛同され立ちあがったのだと思います。

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でも残念ながら、

現在ではその理解度に温度差があるようです。

明るい社会づくり運動の方向性につきましても、その時々の時代の変化に伴って、変化すべき事があっても良いと思いますが、逆に変化してはいけない事もあっても良いのではないでしょうか。

明るい社会づくりは一人では出来ません。

でも、一人から活動を始めなくてはいけないと考えます。

そして広く同じ志を持つ多くの仲達が、活動エリヤを超えて、コミニュケーションを取り合い、縦糸・横糸のネットワークを組んで行く事が、今後の活動の飛躍の為には不可欠だと考えます。

私は、その目的の為にこのホームページを立ち上げました。

☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆
庭野日敬氏の目指した明るい社会づくり運動のホームページ
                     http://www.meisha.me/
☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆

明るい社会づくり運動を提唱された庭野日敬氏の、真の願いや思いを、正しく伝える事が最も重要だと考えました。

そして正しく庭野日敬氏の真の願いや思いを、理解していただく為に、その事について書かれている正確な情報を探しました。

誰かに聞いたとか、

そのように言っていたとかではなく。

正式な場でお話された事や、ご自身の著書に書かれた事が、間違いない事だと考え、ホームページに掲載させていただきました。

お読みいただく方には是非、庭野日敬氏の提唱された、明るい社会づくり運動の真の願いや思いを正しく、ご理解いただきたいと念願する次第です。


私は、思いやりのある・感謝の心や奉仕の心があふれる社会が広がったら、今よりもっと明るい社会が出来ると考えています。

庭野日敬氏は、こらから行く道を知らずして行くのではなく、その道を知り、その上で歩む事が大事だとおしゃっていました。

私達は、明るい社会づくりの道を知り、その道をひたすら歩み続ける事が、今最も大事な事だと考えます。

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庭野日敬氏は、その道をすでにお示しくださっていると、私は理解していますので、今は亡き庭野日敬氏の明るい社会づくり運動に対する願いや意志を少しでも継承出来ればと考えています。


また、このような私の考えをご理解いただき、今後のこの場をより充実した内容にして行きたいと考えていますので、ご賛同・ご協力・ご意見・ご批判等をいただければ幸いです。


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・作仏への感涙-庭野日敬氏のお言葉 [庭野日敬師の言葉]

・作仏への感涙-庭野日敬氏のお言葉

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ストレス社会の影響や、コロナウイルス肺炎やインフルエンザの影響で不安定な日々をお過ごしの事と思います。そんな中で、自分個人や組織だけの幸せを考える時に、根本仏教で充分だと言われています。

〇根本仏教とは(四諦・八正道・三法印 等)、

では何故、法華経が必要でしょうか。

〇法華経とは菩薩様が仏になる為の道を示した教え、です。

 その事が菩薩行と言われています。

何故、こんな事を言うかと言いますと、自身が(組織が)幸せになる為であれば法華経は必要ありません。菩薩行とは、自身の事を犠牲にしながら、世の中の為、人様の為に努力する事です。

すから、その功徳が甚大なのです。

その事が法華経には説かれています。その先に、仏様の働きや手助けなどの働きが見えてくるのです。そんな事を庭野日敬は、開祖随感の中でこんな言い方をしながら、私達に伝えて下さっています。

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開 祖 さ ま 随 感

      1994年(令和6年)庭野 日敬 著 『開祖随感』 (佼成出版社) より

作仏への感涙

「日蓮はなかねどもなみだひまなし」というご聖人のお言葉があります。

その日蓮聖人の涙は、法華経に遇うことができて必ず成仏できることを保証されたわが身のありがたさに打ち震える涙なのです。

このお言葉は、佐渡に流されて再び生きて帰れるかどうか分からない、日々の中で著わされた『諸法実相鈔』の中のお言葉です。その流罪の地の生活は、刑場の近くに建てられた、わずか畳二畳分の、壁はくずれ落ち、雪が降り積もって消えることがないというお堂での毎日でした。

しかし、日蓮聖人はその流罪の大難さえも、法華経を身に体して読ませてもらえるお手配と受け止められているのです。この経に「如来の全身います」とあります。

本当の感激をもって法華経を読むと、仏さまが目の前で一語一語、私たちに語りかけてくださるお声が聞こえてきます。

欲得にとらわれ、毀誉褒貶(きよほうへん)に振り回されて、些細なことで一喜一憂していた人生観がガラリと変わってしまいます。

人間として生を享けることができた喜びに、じっとしていられなくなってくるのです。

この大歓喜を生じてこそ人は作仏(さぶつ)できるのです。

貴方はいかがでしょうか。

☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡
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タグ:庭野日敬
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・明るい社会づくりに不可欠な二つのお手本 [明るい社会づくり運動のポイント]

・明るい社会づくりに不可欠な二つのお手本

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こんにちは[ぴかぴか(新しい)]

ずいぶんと過ごしやすくなりましたが、いかがお過ごしでしょうか。

庭野日敬師は、開祖隋感で私達に、大切な二つのお手本として以下の事をおしゃっています。

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仏教の教えの根本は縁起、

仏教の教えの根本は縁起、つまり縁によってすべてが起こるという教えです。

縁とは出会いのことで、その出会いを、よいほうに転じられるかどうかが、私たちの修行だといってもいいでしょう。そのためのお手本が、どんな嫌なことにぶつかり、嫌な人に会っても、それを自分を本物にしてくれるお師匠さんと受け取る「提婆達多品」の教えであり、そして、いまかりにどんな姿をしていようと、この人も必ず仏になる人だと、すべての人を拝む「常不軽菩薩」の礼拝行です。

日蓮聖人は、「仏種」という言葉をよくお使いになられました。私たちはみんな、仏になる種を与えられているのですが、それに水を与え、陽に当ててやらなくては、芽を出し、成長し、花を咲かせることはできません。

この二つのお手本を、事にぶつかるたびに思いだして、それを善い縁と受け止め、また、自分も人さまの善い縁になっていこうと心がけることで、だんだん信仰者として本物になっていくのです。

平成6年 『開祖随感』 庭野 日敬 著 より

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庭野日敬師は、ご自身の信仰体験からお話になっている事だと思いますが、私は、明るい社会づくり運動にも当てはまる事だと思っています。明るい社会づくり運動の推進者として、本物になって行く事が、求められているように思います。<

あなたは、どのように思いますか。


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