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・仏教史から見る庭野日敬師が提唱された明るい社会づくり運動の取り組みとは、 [インタネット講座「拓塾」]

・仏教史から見る庭野日敬師が提唱された明るい社会づくり運動の取り組みとは、

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今日は鏡開きの日です。

「鏡開き」とは、毎年1月11日に、お供えしていた鏡餅を下ろして、無病息災を願って食べる行事のこと。お供え物に刃物を向けるのは縁起が悪いとして、包丁は使わず、木槌で叩いて割りますが、「割る」という言葉も縁起が悪いので「開く」という言葉が使われています。いつまでも大切にしていきたい伝統的な行事です。

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私は、庭野日敬師が明るい社会づくり運動を提唱され、多くの人達の支持いただき,今日までその活動がくり返し継続されている事は、日本の歴史の流れの中でどのような意味を持つのか、持たないのかを、検証する事はとても大切な事だと常々考えています。

佐藤秀裕氏の著書の中から、
そこで今回は、元明るい社会づくり運動全国拓塾長でありました、佐藤秀裕氏の著書の中に、とても大切な事を述べている文面がありましたのでご紹介致します。

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「個人」と「全体」の関係 - 理論的課題の克服


仏教学者の見解によると、現在、仏教は信仰として日本に定着しているが、これからの仏教の課題として、仏教と社会・国家の在り方は、どう説明されていかねばならないのか、哲学的検証が必要だと云われている。

「個人救済」の教えと言われる仏教が、社会とか「全体の救済」の理論として展開されていけるか、このような理論的課題が残されている事は、また多いなる楽しみもある。

この頃、私は明るい社会づくり運動は、立正成佼会にとっても大きな役割と使命があることを強調していた。大教団である立正佼成会は、すでに社会的に無視できない存在となり、同時に同会の社会的責任も大きくなってきている。

社会的矛盾や苦悩が、個人や家庭に及ぼす時代になっており、同会の活動もこれまでのように貪、病、争、といわれる個人・家庭の苦悩に応えていく、いわゆる「個人苦」の対応から「社会苦」に対処できる目を拡げていかねばならなくなっている。

個から社会の救済への転換
これからは、個人だけでなく、個人の集合からなる、社会という「全体」に対応することが要請される。従って、社会の動向に対しでき得る限り、あらゆる角度からの厳密な検討を加え、社会の諸現象の本質を把握していく努力が必要となる。

新しい社会建設に向けて
明るい社会づくり運動を通して、あらゆる立場、関係者の人間性にふれ、共通の意識で共同のテーマに取り組んでいく行動に、社会人の一人として託された責務があろう。

新しい社会建設に向けて、明るい社会づくり運動の推進力となっていくことが、これから特に宗教を奉ずる人の姿勢ではなかろうかと。


「明るい社会づくり運動 行動と理念」 日本を支える大きな蜒りに より 
               初版 昭和61年6月1日 (p29~30)
               著者 佐 藤 秀 裕
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仏教史から見る転換点
佐藤秀裕氏は当時の時代背景を含め、この明るい社会づくり運動の大きなターニングポイントを的確にとらえていると思います。

以前に記載させていただきますが、庭野日敬師の明るい社会づくりに対するお考えなどをかみ合わせると、とても意義深く大切な内容のお話です。

私は、これからの明るい社会づくり運動には、このような視点や感性を持ち合わせるリダーが必要不可欠だと思っています。


「前に、さらに前に前に・・・・・」

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