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・法の光を発して‐庭野日敬氏のお言葉 [庭野日敬師の言葉]

・法の光を発して‐庭野日敬氏のお言葉

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おはようございます。

寒さはありますが、爽やか日差しがそそぐ過ごしやすい日が続いています。

こんな日が続くと気持ちも上向きになりますね。

~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~


さて、とても残念なことですが、庭野日敬氏の考えや願いを理解する事が難しい方が多くなっている現実があります。それは、それぞれの置かれた立場や都合だけが優先してしまっている時代だからではないでしょうか。

例えば、最も身近にいる親族でさえ、その立場や都合だけが優先されている現実を危惧しています。

そんな時代を末法と言うのでしょうか。

世界中の方々が不安の中にいる現実を、他人事のように思わずに、自らの言葉で「法の光を発して」欲しいと願っております。

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開 祖 さ ま 随 感

1968年(昭和43年)庭野 日敬 著 『開祖随感』 (佼成出版社) より



法の光を発して


仏法のありがたさを知りながら、それを自分の胸の中だけにしまっておくのでは、懐中電灯を自分の懐の中だけで光らせているようなものです。

懐中電灯は、自分の足元を照らすだけでなく、暗闇で道を失っている人の足元を照らし、道を踏み外さないようにしてあげてこそ真価が発揮されます。

それが菩薩の生き方にほかなりません。

私たちが毎日、朝夕に読誦している『経典』の開経偈には、「無上甚深微妙の法は、百千万劫にも遭遇したてまつること難し。我今見聞し受持することを得たり」とあります。

そして『経典』の終わりの普回向で、「願わくは此の功徳を以て 普く一切に及ぼし我等と衆生と皆共に仏道を成ぜん」と唱えます。

百千万劫という年月をかけても遇うことが難しい至高の仏法に遇い得た私たちは、それを「あまねく一切の人びとに及ぼす」ために“選ばれた人”なのです。

その役割を仏さまに託されているのです。

人びとの足元を照らしてあげるのには、まずわが身を法の光で輝かさなくてはなりません。

それが自行です。

自ら光を発する者となってこそ、<

多くの人びとに法の光に浴してもらうことができます。


それが化他行です。   


^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

世界中の人々の不安が払拭され、

平和な幸せな時が訪れますように、

貴方に出来る活動を一歩踏み出してください。

必ず、共鳴する方が現れます。

その様に法華経には説かれています。

その事は、

理論や理屈ではなく貴方自身が実感する事です。

法華経を会得するとは、その様な事になります。

共に頑張しましょう。

☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡
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タグ:庭野日敬
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・お釈迦さまへの直参-庭野日敬氏のお言葉 [庭野日敬師の言葉]

・お釈迦さまへの直参-庭野日敬氏のお言葉

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こんにちは。。[ほっとした顔]

疲れが重なって来ますと、身体が疲れていてもなかなか寝つかれないものです。

なんか、同じような夢をぐるぐる[台風]見ていたような気がしています。(内容はよく覚えていません)でも、ぐっすり眠れたようです。

日頃、慌ただしく過ごしていますと、どうしても、こころもからだもカサ付いて来ます。

今の世の中では、一人では生きて行くことは出来ないと思っています。そこで、可能な範囲でより多くの方を支えながら、また、逆に支えてもらいながら、生きて行くのだと思います。

その為にも、庭野日敬氏の教えや・お釈迦さまの教えは不可欠になります。

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私は常々思う事ですが、師の教えを大切に伝えていく事がとても大事だと思っています。

何故、こんな事を言うかと言いますと、人は、ともすると自分を導いてくれた師や、教えを乗り越えて、すぐれているのは自分自身であるとの錯覚に、いつの間にか陥りやすい物だと受け止めています。

その点、庭野日敬氏は、ご自身を法華経に導いてくれた師を最後の最後まで大切にされてきました。

また、法華経に書かれている事をとても大切にし、法華経よりは前に出る事はありませんでした。その事は、一見たやすい事のように思えるでしょうが、とても大変な事だと思います。

それは、世間の宗教指導者の姿や言動を拝見していますと良くわかります。例えば、式典などの時だけ表面上は取り繕うが、・・・・・・・。

とても残念に思っています。

法華経は、謙虚に、謙虚に、謙虚に、

行動は果敢に、

勇気を持って進む事が大事ではないでしょうか。

そこに、ご守護があるのだと思います。

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:::::::::::::::::


開 祖 さ ま 随 感

      1978年(昭和53年)庭野 日敬 著 『開祖随感』 (佼成出版社) より


お釈迦さまへの直参(じきさん)


なにごとも伝統を守り、それを踏襲するのは大切なことですが、それは宗教の場合も同じです。

ただ宗教は芸能などとは違い、生きている人間を実際に救わなくてはなりません。人は、その時代、その環境の中で生活しています。その人たちを実際に救うのには、その時代、その社会環境に応じた手段が必要です。

これまで大事に守られてきた教えであっても、そのままでは、時の経過とともに時代の人びとを教化する力が弱くなっている場合もあります。

宗教の宗は、時代を超え、所を超えて、不変なよりどころとなる根本の真理のことであり、教は、その真理をその時代、その人に応じて説くことです。

この、時代に対応し、人に応じて説く大切さを忘れてしまって、いたずらに人びとが宗教から離れていくのを嘆くようなことがあってはなりません。

私が、お釈迦さまのみ心に直参する大切さをいつも強調しているのも、そこなのです。

直参するとは直接教えを聞くことです。

常に自分のあり方を法に照らしてみて、これでよいのかと問いかけ続けるのが、お釈迦さまのお心に直参することです。

それによって教えが常に新しい教化力を保っていくのです。

:::::::::::::::::::::::::

いかがでしょうか。

常に、お釈迦さの声に耳を傾けているでしょうか。

お互い頑張りましょう。

☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡
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・精神的な偏食-庭野日敬氏のお言葉 [庭野日敬師の言葉]

・精神的な偏食-庭野日敬氏のお言葉

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こんにちは[わーい(嬉しい顔)]

ずいぶんと寒さも和らいで、過ごしやすくなりましたが、体調に気を付けながら素敵な日にしていきましょう[るんるん]

~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~

庭野日敬のお言葉の中には、とても意味深いことが含まれてることが多々あります。

表面上の言葉だけではなく、

その奥底に含まれている事も加味して捉えると、

さらに、庭野日敬氏の素晴らしさが伝わって来ます。


世界の状況が不安定な時にこそ、

自身の信仰が試される時ではないでしょうか。


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開 祖 さ ま 随 感

      1968年(昭和43年)庭野 日敬 著 『開祖随感』 (佼成出版社) より


精神的な偏食



『法華経』の方便品(ほうべんぽん)には、

「真実の教えはただ一つであって、

二つも三つもあるわけではない。

ただ仏の智慧に到達するまでの手段として、

相手に応じていろいろな説き方の違いがあるが、

その説き方の違いも究極の真実に導くためなのである」と説かれています。


この世にはさまざまな宗教がありますが、

それぞれの違いは、

その時代、その社会を生きる人たちを

究極の真実の道に導くためのものだといえましょう。


それぞれの宗教が互いに違いを言い立てて対立し、

協力を拒むといったことがいかに無意味であるか、

この仏さまのお言葉をかみしめると、よく分かってきます。


信仰とは、帰依する対象を信じきって、それを貫き通すことです。


また、その心構えでなくては真の信仰とはいえません。


しかし、そこで一歩誤ると、

自分の教えの絶対性を主張して他を認めようとしない

排他独善の信仰に陥ってしまいます。


それは、言ってみれば精神的な偏食のためにやせ細り、

視野の狭い人間になってしまうようなものです。

くれぐれも注意しなければなりません。


^^^^^^^^^^^^^^^^^^

いかがでしょうか。


貴方(貴女)の心には、どのように響きましたか。


信仰とは、こころに響き(感受)がとても大切になります。


☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡

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・理屈より実践-庭野日敬氏のお言葉 [庭野日敬師の言葉]

・理屈より実践-庭野日敬氏のお言葉

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現代社会は、頭でっかちで足元がおぼつかない方が多いご時世と言われています。

例えば、インフルエンザ対策や新型コロナウイルス肺炎の再感染に付いても同じ事が言えると思います。

また、政治倫理審査会(政倫審)の様子を見ていても同じではないでしょうか、

今の状況は、前例のない出来事に遭遇をしています。

また、その先々の様子も不透明です。

そこで、一方向だけを眺めての判断は大きな間違いになりかねません。

でも、それらの事は差し置いて、自分の言いたいことだけを言う人の多い事。

建前や理論・理屈だけが先行してしまうのでしょうか。

こんな時に、庭野日敬氏はとても大切な事を、開祖随感で言っているページを見つけましたのでご紹介いたします。


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<開 祖 さ ま 随 感

      1980年(昭和55年)庭野 日敬 著 『開祖随感』 (佼成出版社) より

理屈より実践


浄土真宗の真溪涙骨師は「人生語録」にすばらしい言葉を遺されています。

「実践に理屈なし。

問うの無用、答うるの無用。

ただ『捧ぐる』の一事あるのみ」というのもその一つです。


なぜ善いことをしなければならないのかと問うのも無用、

功徳を積みたいからと答えるのも無用、

菩薩行には理屈は不要だというのです。


シンガポールで、第一回アジア宗教者平和会議が開催されたその会議のさなか、私たちはベトナムからボートで逃れ出る難民の救援に取り組みました。

雨期が迫っていて、放っておけば海の藻屑となるのが目に見えていたからです。

その宗教者の救援活動に対して、「ボートピーブルは体制からのはみだし者だから援助すべきではない」とか、「ボートピープルはベトナムの内政問題であって干渉すべきではない」と、国際通を自ら任じて講釈する人たちがいました。

しかし、そうした高邁な理論を振り回すよりも、

自分の目の前に救いを求め、懐に飛び込んでくる窮鳥がいたら、なんとしてもそれを救おうと力をふりしぼるのが人の道なのではないでしょうか。

宗教者の実践は、これあるのみです。


^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

いかがでしょうか。


今は、黙って、ジーっと、おとなしくしている時ではありません。


今まで、どうりの活動方式ではなく、

電話や、メールや、lineや、SNS、等を活用するのです。

どう、  何しているの、  大丈夫、


声を掛けて上げて下さい。

不安な時や、元気がない時の

何気ない、一言がとても勇気づけられるのです。

今は、黙って、ジーっと、おとなしくしている時ではありません。


お互い頑張りましょう。

☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡
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・奉仕できる喜び-庭野日敬氏のお言葉 [庭野日敬師の言葉]

・奉仕できる喜び-庭野日敬氏のお言葉

こんにちは、[ぴかぴか(新しい)]

体調はいかがですか、

雨の一日になりました。

晴れもまたよし、雨もまたよし、

季節の変化を感じながら、素敵な一日にしていきましょう。

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庭野日敬氏のお言葉は、いつ拝読させていただきましても新鮮に心に響きます。

インフルエンザや、コロナウイルス肺炎の事で不安が残る日々ですが、自身の心を点検する事もとても大事な事だと思います。

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開 祖 さ ま 随 感

      1967年(昭和42年)庭野 日敬 著 『開祖随感』 (佼成出版社) より


奉仕できる喜び


人はふつう、自分が人に奉仕するのはあまり好きではなく、人から奉仕してもらうほうがうれしいように思っています。しかし、それは心のほんの表面上のことで、心の深いところでは、人はむしろ人に奉仕することを欲しているものです。

どんなことでもいい、実際に人さまのために尽くして、それで相手の人に喜んでもらえると、それがよく分かるのです。「なんで、子どものことで、こんな苦労をしなければならないんだろう」と愚痴をこぼしていた親でも、子どもが一人前になって巣立ってしまうと、空虚な思いに陥ってしまいます。

世話をしてあげる人がだれもいなくなると、「ああ楽々した」という思いよりも、虚脱感に襲われてしまうのです。さらに、体が不自由になって、だれにも、なにもしてあげられず、ただ周囲からしてもらうだけの身になってしまったら、どんなに寂しい思いになるかしれません。

そう考えてみると、自分が人さまに役立てることが、どんなにうれしいことか分かってきます。

それが人間の本当の生き甲斐なのです。


^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

いかがでしょうか

大切な事は、自身の足元ではないでしょうか。「自分だけが幸せになれば良い」と言う考え方から「一歩踏み出勇気が 今、求められる」います。

多くの方が不安な日々を送っています。

身近な知人や友人に、出来るだけ多く声を掛けて上げて下さい。

「どうしているの!」


「大丈夫!」


声を掛けもらえるだけで元気になります。


勇気が出て来ます。


その事が菩薩行になります。


黙っていては菩薩ではありません。



その時に支えになるのが「法華経」になります。

庭野日敬氏の真の勇気は「法華経」に支えられていました。

ですので、

身命を惜しまず邁進して来れたのではないでしょうか。


「法華経」とは、

個人の救いではなく

菩薩の実践を説いた教えになります。


お互い様に頑張りましょう。



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・大事をなす人とは、- 庭野日敬師のお言葉 [庭野日敬師の言葉]

・大事をなす人とは、- 庭野日敬師のお言葉

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おはようございます[ぴかぴか(新しい)]

お目覚めはいかがですか、

季節の移り変わりは早いものです。つい先日まで突き刺さるような寒さでしたが、ずいぶんと寒さも和らいで来ました。只、寒暖差の大きい今日この頃です。

体調に気を付けながら、素敵な一日にしていきましょう。

~ ~ ~ ~ ~ ~ ~

「どこまで馬鹿になりきれる事が出来るのか」が私自身の課題だと思っています。

それは、口先は綺麗な事を言っていても、その内心は自身の思惑や損得ばかりを考えている方々をたくさん見て来た事もあると思います。

様々なタイプの人達と触れ合う中で自然とそのように考えるようになりました。

また、逆に「私は自身の思惑や損得で動くのだ」と言っている方もいますが、その人の方が正直で、嘘を言わない分いいかなとも思う時もあります。

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色々なタイプや考え方がありますが、庭野日敬師は、以下の事をおしゃっていますが、あなたはどう思いますか。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

私はいつも、みなさんに「ばかになれ」とおすすめするのです。

もちろん「ばか」といっても、愚か者のことではありません。

現代人は、毎日、知識のシャワーを浴びているようなもので、

頭のよい人、利口な人ばかりが多くなっているようです。


頭がよすぎると、人の言うことがばからしくて聞けなくなります。


人の言うことを素直に信じることができなくなり、

なにごとも先を見通せるつもりで、

「そんなことは、とても不可能だ」と決めつけ、

初めから手をつけようとしない、といった生き方になりがちなのです。


それにひきかえ、利口ぶらない人は、

みんなが「できない」と決めてしまうことでも、

「これが正しい道ならば」とコツコツと手がけて、

ついに大事を成し遂げてしまうのです。


これが、私の言う「ばかになる」ことです。


初めのうちは、

「あんなことをやっても、むだなのに」と冷ややかに見ていた人たちが、

うならずにいられなくなってしまうわけです。

自ら志願してばかになりきる、その心のゆとりこそが大切なのです。   


庭野 日敬 著 『開祖随感』 (佼成出版社) より

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


あなたは、どのように思いますか。



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・明るい社会づくり運動で庭野日敬氏が目指した事とは、 [庭野日敬師の言葉]

・明るい社会づくり運動で庭野日敬氏が目指した事とは、

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こんばんは。

今日は桃の節句、ひな祭りです。


肌寒いですが爽やかな日になりました。

こんな日は、つい無理をしがちです。

無理をしてしまうと必ず反動が来ます、体調悪化が起きます。

そんな事にも気を付けながら、素敵な日にしていきましょう!

~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~


私たちは日々慌ただしく過ごしています。

そんな繰り返しの中で、考える事は、つい目先の事になり、その目先の事にとらわれていると大切な事から、離れて行ってしまいやすくなります。


そんな時、庭野日敬氏の言葉は私の心を引き寄せてくれます。

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庭野日敬氏が宗教活動として目指している方向と、明るい社会づくり運動で目指している方向が示されています。


:::::::::::::::::::::::::::::::::



-人間の真の覚醒―


政治も宗教も、つまるところは明るく住みよい社会の建設、

そして人類の平和をめざすためのもので、その点においては変わるところはありません。


しかし、政治は、きのう、きょう、あすといった比較的さし迫った日限の中で、どちらかといえば力関係を中心にして動くものであるのに対して、宗教は、過去、現在、未来という長い時間の中で、個人の心の平和とともに理想の社会、平和な世界をめざします。

政治は社会の不正を正すことで社会浄化をめざし、宗教は人びとの仏性(ぶっしょう)を磨きだすことで、平和な世界を築くことをめざすものと言ってもいいかもしれません。

お釈迦さまが説かれた慈悲の教えを自分のものとして、それを、さらに多くの人びとに伝えていきたいという願いが菩薩行なのですが、三千世界を知るも、なお自己を知らず」と言われるように、人は、まわりの欠陥はよく見えても、自分のこととなると何も見えていないものです。

政治も宗教も、まず自らを正して、それぞれの道で人間を真に覚醒させていくことを忘れてはなりません。


1967年(昭和42年)庭野 日敬 著 『開祖随感』 (佼成出版社) より


:::::::::::::::::::::::::::::::::::::


いかがでしょうか。

あなたのこころには、どのように響きましたか。



庭野日敬師のお考えや願い・思いが理解できるでしょうか!


あなたのお考えを、是非お聞かせ下さい。


あなたは、このままで本当に良いとお考えでしょうか。


あなたのお考えを、是非お聞かせ下さい。


☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡

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・庭野日敬師の提唱した明るい社会づくり運動を進める上でとても大切な事 [庭野日敬師の言葉]

・庭野日敬師の提唱した明るい社会づくり運動を進める上でとても大切な事

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庭野日敬師は、開祖隋感で私達が明るい社会づくり運動を進める上で、とても大切な事として以下の事をおしゃっています。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

精神的な偏食


庭野 日敬 著 『開祖随感』1968年(昭和43年)(佼成出版社) より


『法華経』の「方便品(ほうべんぽん)」には、「真実の教えはただ一つであって、二つも三つもあるわけではない。

ただ仏の智慧に到達するまでの手段として、相手に応じていろいろな説き方の違いがあるが、その説き方の違いも究極の真実に導くためなのである」と説かれています。

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この世にはさまざまな宗教がありますが、それぞれの違いは、その時代、その社会を生きる人たちを究極の真実の道に導くためのものだといえましょう。

それぞれの宗教が互いに違いを言い立てて対立し、協力を拒むといったことがいかに無意味であるか、この仏さまのお言葉をかみしめると、よく分かってきます。

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信仰とは、帰依する対象を信じきってそれを貫き通すことです。

また、その心構えでなくては真の信仰とはいえません。

しかし、そこで一歩誤ると、自分の教えの絶対性を主張して他を認めようとしない排他独善の信仰に陥ってしまいます。

それは、言ってみれば精神的な偏食のためにやせ細り、視野の狭い人間になってしまうようなものです。

くれぐれも注意しなければなりません。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

庭野日敬師は、ご自身の信仰体験からお話になっている事だと思いますが、

私は、明るい社会づくり運動にも当てはまる事だと思っています。


明るい社会づくり運動の推進者として、本物になって行く事が、求められているように思います。


あなたのこころは、どのように感じる事が出来ましたか。


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・明るい社会をつくる為には! ー 庭野日敬師は何と言っているのだろうか、 [庭野日敬師の言葉]

・明るい社会をつくる為には! ー 庭野日敬師は何と言っているのだろうか、

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おはようございます[ぴかぴか(新しい)]

今朝のお目覚めはいかがですか、

昨日は強風が吹いた一日でしたがいかがでしたか。

今日も、強風の影響が残るようです。

また、肌寒くなるようです。

衣類で寒さ対応を調整しながら

素敵な日にしていきましょう



明るい社会をつくる為には!

庭野日敬師は「開祖隋感」の中で次のように言っています。


~~~~~~~~~~~~~

世の中の争いのもとは、

誤解、恐怖、嫉妬の三つが原因だといわれます。

そこから怨念が生まれてきて、

それが原因で、さまざまな争いが起こります。


国と国の紛争も、

民族や人種間のいざこざも、そうです。


また、身近な職場や家庭でのトラブルも一緒です。  



私たちの心は、

ときには仏さまのような清らかな心になるかと思うと、

また、ムクムクと煩悩の心が起こってきてしまいます。


京都の清水寺貫主(かんす)の大西良慶師は、

「欲も中に入れ、愚痴も中に入れ、善も中に入れて、

ほどよう和え物にするのが和なん」と言われていました。


平和は、

争いを避けて静かにそっとしていれば

自然にやってくるというものではありません。


さまざまな矛盾や対立を含みながらも、

そこにバランスを保たせていく、

そのたゆみない努力によって

初めて平和が維持されていくのです。  


それは、回り続ける独楽に似ているともいえましょう。

その回転する力が衰えたら、

独楽は倒れてしまいます。

回り続けること、それが精進です。

~~~~~~~~~~~~~~~~~


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庭野日敬師がお話しているように、

明るい社会づくり運動を推進しようとする時に、

争いを避けて静かにそっとしていれば

自然にやってくるというものではないと思います。


さまざま考え方や、

色々な矛盾や対立を含みながらも、

そこにバランスを保たせていく。

そのたゆみない努力によって、

初めて明るい社会づくり運動の

真骨頂が出てくるのだと思います。



いかがでしょうか。

☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡
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・庭野日敬氏の言葉-ご縁をかみしめる [庭野日敬師の言葉]

・庭野日敬氏の言葉-ご縁をかみしめる

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こんにちは[ぴかぴか(新しい)]

私の所では冷たい雪が降っていますが、いかがお過ごしでしょうか。

時の過ぎるのは早いもので2月も下旬にかかって来ました。

まだまだコロナの状況も、インフルエンザの感染も油断出来ない状況だと思います。

そんな時に、こころの支えになるのが庭野日敬の説く法華経ではないでしょうか。

庭野日敬の説く法華経では、強く打てば、強く帰って来ますが、弱く打てば、弱く帰って来ると教えていただいています。貴方は法華経を、どのように打ち・どのように響かせますか。

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わが身を振り返って見ると、私たち達は、様々な人たちにお世話になり、また、色々なかかわりを持ちつつ、今日を向かえる事が出来ます。そんな事を思いつつ、庭野日敬氏の言葉を思い出しましたのでご紹介します。


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- ご縁をかみしめる -

1968年(昭和43年)庭野 日敬 著 『開祖随感』 (佼成出版社) より


私は、恩師の新井助信先生との出会いによって、法華経に導かれて目を見開かされ、そして妙佼先生という、またとない修行の友に磨かれて、今日の幸せに導いていただきました。

それにさらに、佼成会というサンガのみなさんに助けていただいて今日を迎えさせていただいているわけです。

その私と同じように、みなさんもまた、さまざまなご縁によって今日があるわけで、その縁のありがたさをもういちど振り返り、かみしめていただきたいと思うのです。

自分をこの世に生みだしてくださった両親、この法に遇いえたその縁をつくってくださった導きの親御さん、そして、どんな人も幸せに導く法をお説きくださった教主釈尊の大恩……

考えていくと、自分がどれほどの大恩によって生かされ、支えられ、導かれているか思い知らずにいられません。

ふだん、つい忘れがちな過去をあらためて検証し直して、自分が受けた恩をかみしめる瞑想修行がありますが、一年の終わりを迎えて、一日、じっくりと自分を振り返ってみたいものです。

そこから真の自他一体感がわき起こって、さらに新たな精進の決意が湧いてくるのです。

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いかがでしょうか。あなたにどのように響いたかが、大切になります。漠然と過ぎ去っていく毎日ですが、時には、心静かに「ご縁をかみしめる」事が出来たら素敵な日々になると思います。

☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆

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