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精神的な偏食-庭野日敬氏のお言葉 [庭野日敬師の言葉]

庭野日敬のお言葉の中には、とても意味深いことが含まれてることが多々あります。

表面上の言葉だけではなく、

その奥底に含まれている事も加味して捉えると、

さらに、庭野日敬氏の素晴らしさが伝わって来ます。

新型コロナウイルス肺炎の影響で、

世界の状況が不安定な時にこそ、

自身の信仰が試される時ではないでしょうか。



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開 祖 さ ま 随 感

      1968年(昭和43年)庭野 日敬 著 『開祖随感』 (佼成出版社) より


精神的な偏食



『法華経』の方便品(ほうべんぽん)には、

「真実の教えはただ一つであって、

二つも三つもあるわけではない。

ただ仏の智慧に到達するまでの手段として、

相手に応じていろいろな説き方の違いがあるが、

その説き方の違いも究極の真実に導くためなのである」と説かれています。


この世にはさまざまな宗教がありますが、

それぞれの違いは、

その時代、その社会を生きる人たちを

究極の真実の道に導くためのものだといえましょう。


それぞれの宗教が互いに違いを言い立てて対立し、

協力を拒むといったことがいかに無意味であるか、

この仏さまのお言葉をかみしめると、よく分かってきます。


信仰とは、帰依する対象を信じきって、それを貫き通すことです。


また、その心構えでなくては真の信仰とはいえません。


しかし、そこで一歩誤ると、

自分の教えの絶対性を主張して他を認めようとしない

排他独善の信仰に陥ってしまいます。


それは、言ってみれば精神的な偏食のためにやせ細り、

視野の狭い人間になってしまうようなものです。

くれぐれも注意しなければなりません。


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いかがでしょうか。


貴方(貴女)の心には、どのように響きましたか。


信仰とは、こころに響き(感受)がとても大切になります。


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【自己紹介】
明るい社会づくり活動・全国拓塾卒
明るい社会づくり活動・全国拓塾運営委員に関わる

〇現在
非営利型一般社団法人マインドフルメイト:代表理事
マインドフルネス乃学校:校長
マインドフルネス総合研究所:理事
ナビィーサービスネットワーク:代表

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タグ:庭野日敬
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理屈より実践-庭野日敬氏のお言葉 [庭野日敬師の言葉]

現代社会は、頭でっかちで足元がおぼつかない方が多いご時世と言われています。

今回の、新型コロナウイルス肺炎の対策に付いても同じ事が言えると思います。

例えば、
政府の首脳陣・東京都や大阪府の知事等の
表情や、目の輝きや、声の張り等を観察していると、
そのご苦労の様子がとてもよく伝わります。


今の状況は、前例のない出来事に遭遇をしています。

また、その先々の様子も不透明です。


そこで、一方向だけを眺めての判断は大きな間違いになりかねません。

でも、それらの事は差し置いて、
自分の言いたいことだけを言う人の多い事。

建前や理論・理屈だけが先行してしまうのでしょうか。

こんな時に、庭野日敬氏はとても大切な事を
開祖随感で言っているページを見つけましたのでご紹介いたします。



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開 祖 さ ま 随 感

      1980年(昭和55年)庭野 日敬 著 『開祖随感』 (佼成出版社) より

理屈より実践


浄土真宗の真溪涙骨師は

「人生語録」にすばらしい言葉を遺されています。

「実践に理屈なし。

問うの無用、答うるの無用。

ただ『捧ぐる』の一事あるのみ」というのもその一つです。


なぜ善いことをしなければならないのかと問うのも無用、

功徳を積みたいからと答えるのも無用、

菩薩行には理屈は不要だというのです。


シンガポールで

第一回アジア宗教者平和会議が開催された

その会議のさなか、

私たちはベトナムから
ボートで逃れ出る難民の救援に取り組みました。

雨期が迫っていて、

放っておけば海の藻屑となるのが目に見えていたからです。

その宗教者の救援活動に対して、

「ボートピーブルは体制からのはみだし者だから援助すべきではない」とか、

「ボートピープルはベトナムの内政問題であって干渉すべきではない」と、

国際通を自ら任じて講釈する人たちがいました。

しかし、そうした高邁な理論を振り回すよりも、

自分の目の前に救いを求め、

懐に飛び込んでくる窮鳥がいたら、

なんとしてもそれを救おうと力をふりしぼるのが

人の道なのではないでしょうか。

宗教者の実践は、これあるのみです。


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いかがでしょうか。


緊急事態宣言が出されたからと言って、

今は、黙って、ジーっと、おとなしくしている時ではありません。


今まで、どうりの活動方式ではなく、

電話や、メールや、lineや、SNS、等を活用するのです。

どう、  何しているの、  大丈夫、


声を掛けて上げて下さい。

不安な時や、元気がない時の

何気ない、一言がとても勇気づけられるのです。

今は、黙って、ジーっと、おとなしくしている時ではありません。


お互い頑張りましょう。










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お釈迦さまへの直参-庭野日敬氏のお言葉 [庭野日敬師の言葉]

私は常々思う事ですが、師の教えを大切に伝えていく事がとても大事だと思っています。

何故、こんな事を言うかと言いますと、

人は、ともすると
自分を導いてくれた師や、教えを乗り越えて、
すぐれているのは自分自身であるとの錯覚に、
いつの間にか陥りやすい物だと受け止めています。

その点、庭野日敬氏は、
ご自身を法華経に導いてくれた師を
最後の最後まで大切にされてきました。

また、法華経に書かれている事をとても大切にし、
法華経よりは前に出る事はありませんでした。

その事は、
一見たやすい事のように思えるでしょうが、
とても大変な事だと思います。

それは、世間の宗教指導者の
姿や言動を拝見していますと良くわかります。

例えば、
式典などの時だけ表面上は取り繕うが、・・・・・・・。

とても残念に思っています。


法華経は、謙虚に、謙虚に、謙虚に、
行動は果敢に、
勇気を持って進む事が大事ではないでしょうか。

そこに、ご守護があるのだと思います。


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:::::::::::::::::::::::::


開 祖 さ ま 随 感

      1978年(昭和53年)庭野 日敬 著 『開祖随感』 (佼成出版社) より


お釈迦さまへの直参(じきさん)


なにごとも伝統を守り、

それを踏襲するのは大切なことですが、

それは宗教の場合も同じです。

ただ宗教は芸能などとは違い、

生きている人間を実際に救わなくてはなりません。


人は、その時代、その環境の中で生活しています。

その人たちを実際に救うのには、

その時代、その社会環境に応じた手段が必要です。


これまで大事に守られてきた教えであっても、

そのままでは、時の経過とともに

時代の人びとを教化する力が弱くなっている場合もあります。


宗教の宗は、時代を超え、所を超えて

不変なよりどころとなる根本の真理のことであり、

教は、その真理をその時代、その人に応じて説くことです。


この、時代に対応し、人に応じて説く大切さを

忘れてしまって、いたずらに人びとが

宗教から離れていくのを嘆くようなことがあってはなりません。


私が、お釈迦さまのみ心に直参する大切さを

いつも強調しているのも、そこなのです。


直参するとは直接教えを聞くことです。


常に自分のあり方を法に照らしてみて、

これでよいのかと問いかけ続けるのが、

お釈迦さまのお心に直参することです。

それによって教えが常に新しい教化力を保っていくのです。

:::::::::::::::::::::::::

いかがでしょうか。

常に、お釈迦さの声に耳を傾けているでしょうか。

お互い頑張りましょう。





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大事をなす人とは、- 庭野日敬師のお言葉 [庭野日敬師の言葉]

「どこまで馬鹿になりきれる事が出来るのか」が私自身の課題だと思っています。

それは、口先は綺麗な事を言っていても、

その内心は自身の思惑や損得ばかりを考えている方々を

たくさん見て来た事もあると思います。


様々なタイプの人達と触れ合う中で自然とそのように考えるようになりました。


また、逆に「私は自身の思惑や損得で動くのだ」と言っている方もいますが、

その人の方が正直で、嘘を言わない分いいかなとも思う時もあります。


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色々なタイプや考え方がありますが、

庭野日敬師は、以下の事をおしゃっていますが、あなたはどう思いますか。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

私はいつも、みなさんに「ばかになれ」とおすすめするのです。

もちろん「ばか」といっても、愚か者のことではありません。

現代人は、毎日、知識のシャワーを浴びているようなもので、

頭のよい人、利口な人ばかりが多くなっているようです。


頭がよすぎると、人の言うことがばからしくて聞けなくなります。


人の言うことを素直に信じることができなくなり、

なにごとも先を見通せるつもりで、

「そんなことは、とても不可能だ」と決めつけ、

初めから手をつけようとしない、といった生き方になりがちなのです。


それにひきかえ、利口ぶらない人は、

みんなが「できない」と決めてしまうことでも、

「これが正しい道ならば」とコツコツと手がけて、

ついに大事を成し遂げてしまうのです。


これが、私の言う「ばかになる」ことです。


初めのうちは、

「あんなことをやっても、むだなのに」と冷ややかに見ていた人たちが、

うならずにいられなくなってしまうわけです。

自ら志願してばかになりきる、その心のゆとりこそが大切なのです。   


庭野 日敬 著 『開祖随感』 (佼成出版社) より

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


あなたは、どのように思いますか。


前に、さらに前に前に・・・・・


☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆
庭野日敬氏の目指した明るい社会づくり運動のホームページはこちらです。
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個人主義と利己主義-庭野日敬氏のお言葉 [庭野日敬師の言葉]

新型コロナウイルス肺炎の影響で不自由な生活をお送りの事と思います。

油断しないで、
気持ちを引き締めてかからないといけない時です。

うがい・手洗いは当然ですが、
マスクの着用や外出の自粛など
さらに気を付けなくてはいけません。

そんな時期に
庭野日敬氏のお言葉を目にしましたので
掲載をさせていただきました。

もう45年程前の開祖随感の中で、
おしゃっている事ですが、
不思議と今でも当てはまる事が多いのではないでしょうか。

お互い頑張りましょう。


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開 祖 さ ま 随 感

      1975年(昭和50年)庭野 日敬 著 『開祖随感』 (佼成出版社) より

個人主義と利己主義

現代は個人主義の時代といわれます。

個人主義というと、

独善的で自分のことしか考えない主義のように考えられがちですが、

本当の個人主義は、

一人ひとりの人間の主体性を尊重し、

互いに他人に迷惑をかけないという考え方、生き方です。

ところが現在の日本の個人主義は、

他人に迷惑をかけてはならないといった配慮はまったくなく、

ただ自分さえよければいいという生き方を

個人主義と勘違いしている人が多いように思うのです。

他人や全体のことを考えない自分本位は、

個人主義ではなく、利己主義です。

利己主義というと、

自分の利益のためには人を蹴落(けお)としてもかまわないといった、

あこぎな生き方を考えますが、

それだけでなく、自分の幸せ、一家の幸せだけを考えて

人のことまで心配している暇(ひま)はない、

と考えるのもまた利己主義です。

うっかりすると私たちはすぐその利己主義に陥ってしまうのですが、

お釈迦さまは逆に、

自分の幸せを守りたかったら人さまの幸せを考えなさい、

と教えるのです。

不思議なことに、

それによって知らぬまに自分が幸せになってしまうのです。

教えどおり実践してみると必ずそれが分かります。


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いかがですか。

あなたには、どのように響きましたか。

私は、その響きが大切になると思います。

お互い様に頑張りましょう。


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庭野日敬の語る、明るい社会づくり運動のすぐれたリダーとは、 [庭野日敬師の言葉]

新型コロナウィルス肺炎の事も気がかりになりますが、次第に季節が春から夏の装いに変わりつつある今日この頃です。


皆様は、いかがお過ごしでしょうか。


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私は、明るい社会づくり運動とは、

烏合の衆であっていけないと考えています。

その為には、的確なリダーが不可欠になります。

庭野日敬氏は、

人を導くリーダーのすべてが心すべきこと、

として、以下の事をお話になっています。


::::::::::::::::::::::::::::::::


先に憂い後に楽しむ


後楽園というと、みなさんは野球場を思いだされると思いますが、

元は、水戸の殿さまによって造られた庭園の名前で、

中国の「先憂後楽」という古い言葉から、

そう名づけられたと聞いています。

「先憂後楽」とは、

国を治める者は民に先立って憂い、

民に後れて楽しまねばならぬ、という意味です。

民に後れて楽しむとは、

民が喜ぶのを見て自分の喜びとすることで、

為政者にとって大切な心構えです。

逆に言うと、

民に先んじて自分だけが楽しむような為政者であっては

失格ということになります。

為政者、政治家にかぎらず、

先憂後楽は、

人を導くリーダーのすべてが心すべきことでありましょう。

あの人、この人のことを、

自分のことより先に心配してあげる。

なんとしても幸せになってもらわなくてはならないと、

その道を教えてあげ、

その人が幸せになった姿を見て

「本当によかった」と心から喜ぶ。

そういう人になりたいものです。

それこそ、

仏さまのお慈悲の眼を持った人でありましょう。

1968年(昭和43年)

庭野 日敬 著 『開祖随感』 (佼成出版社) より

::::::::::::::::::::::::::::::::::::



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いかがでしょうか。

私自身も、

佼成会さんとご縁をいただき、

また、明るい社会づくり運動に携わるようになり、

様々な局面に遭遇する事がありましたが、

とても、大切な事であり、

自分自身にも戒めなくていけない事だと、

こころの常に留めておりますが、


あなたは、いかがだったでしょうか。


お互い様に、

自身の心に刻んで置きたい一言だと思います。



参考:烏合の衆とは
    読み方-うごうのしゅう
    意味- 烏合の衆とは、まとまりのない寄せ集めの集団のこと。

諸法実相と十如是についてー庭野日敬氏のお言葉 [庭野日敬師の言葉]

庭野日敬氏の説く法華経はとてもわかりやすい教えです。

只、その庭野日敬氏の説く法華経を
聞いてる方の機根によって聞こえて来る姿が変わって来ます。

例えば
スパゲッティは、どなたでもご存知のお料理ですが、
スパゲッティを食べたことが無い方に、
いくらスパゲッティの味を丁寧に説明をしても、
なかなか分かっていただく事は難しいです。

ところが、
黙って一口食べていただければ、
その味は、一目瞭然になります。

その様に、
庭野日敬氏の説く法華経を実践しない方には、
どうしても、雲をつかむようなお話になってしまいます。

また、スパゲッティの種類は一種類ではありません。
たくさんのスパゲッティの種類がある事が、瞬時に理解出来ます。

ですので、
庭野日敬氏の説く法華経は単純明快な教えになります。


特に最近では、
教団の代表者や教団関係であっても、
庭野日敬氏の説く法華経を実践しない、
出来ない方がいる事を、とても残念に思っています。


そこで大切な事は、
教団の代表者や教団関係の方、
さらに協会長さんや支部長さん、
また、
末端の会員さん等の役職は
庭野日敬氏の説く
法華経の世界では一切関係ありません。


末端の会員さんであっても、
法華経を実践する方には結果・現象が変わりますので
幸せな日々を送る事が出来ます。


教団の代表者や教団関係であっても、
法華経を実践しない方は結果・現象が変わりませんので、
いつまでも、闇の世界にとどまる事になります。



今日は、そんな観点で法華経の要の教えの一つになります、

諸法実相と十如是について、

以下のように述べている内容をご紹介いたします。



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:::::::::::::::::::::::::


 諸法実相と十如是について 

      
昭和51年4月号 機関紙 求道


東大の名誉教授で官本正尊というかたがいらっしゃいます。

印度哲学の大家で印度学仏教学会の理事長でもある立派なかたです。

今から二十年くらい前になるでしょうか、

私はその宮木先生に十如是の理(ことわり)についてお聞きしたことがあります。


そうしましたら、先生いわく

「庭野さん、そんなもの説いたって、

だれにもわかりゃしないよ。」と言われます。

そこで重ねてどうしてですか、とお閲きしますと、先生はこう言われました。

「たとえば、東大の生徒にいくら説いたって、

十如是なんてわかりやしない。

そんなものを説いて立正佼成会の信者はわかるのかい」。(中略)


そのように、頭のいい人を相手に、頭の秀でた印度哲学の大家が

いくら説いて聞かせてもわからないものも、

お導きをした人にはその十如是の縁起がすらすら説けるのです。


なぜかと言いますと、

それは仏の慈悲、仏の友情から出た体験をもっているからです。


この娑婆はみんなの集まり、集合体によって、成り立っています。


ひとりひとりが、たいせつな友達です。

人間同士がお互いに友情を持って

〃この人を幸せにしてあげたい〃と思えはこそ、法門を説いて、

自分の体験を話して導こうとするわけです。


ですから、

人を救うという活動をしていない人には、

十如是はわからないのです。


お経だけを一生懸命に読んで、

勉強しているだけという人には、

いくら印仏学会の理事長が説いてもわからない。


なのに、私どものような

落第生が人さまに向かって説かせていただくと、みんなわかる、

というのは不思議なことに思えますが、

それが仏さまの法力なのです。


お導きの功徳がそこにあるのです。

人さまに幸せになってもらうために、手をとってさしあげよう、と

一生懸命になってご法を実践している人が、

十如是の縁起を聞くと、

なるほど、ここはこうなのか、

そしてここはこうなっているのか、と

すぐにわかってしまう。


「この人のこういう現象の

是の如き相、是の如き性、是の如き体、力、作、困、縁は

こういうことなんだ。

この人の力はこういぅことで、

作はこのようであり、

それが原因となって、このような縁にふれ、

このような果報を受けているのだ」と、

そこまではっきりしてきます。



仏さまもそういうことを悟られて、

どのように教えたら人間の、

また物事の実態がよくわかるかを考えられて

十如是を説かれたのです。




ですからこれは、

お釈迦さまの説法の中でも、

最も大事な難しい教えだと言われております。




方便品にある

「諸仏世尊は、唯一大事の因縁を以ての故に世に出現したもう」

というお言葉も、

この十如是のことがわかると

はっきりしてきますし、

法華経のおおよその

構想までがつめてくるのであります。  
                       

^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^



いかがでしょうか。

この事は、近年衰退が危惧されてる

佼成会さんの法座や結びにも言える事です。


具体的に言いますと、

法座が成立しない、

結びを指導できる方がいない、少ない。


その危機感を果たして、

どの程度もっているのでしょうか。




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明るい社会づくり運動で庭野日敬氏が目指した事 [庭野日敬師の言葉]

私たちは日々慌ただしく過ごしています。

そんな繰り返しの中で、

考える事は、

つい目先の事になり、

その目先の事にとらわれていると大切な事から、

離れて行ってしまいやすくなります。


そんな時、

庭野日敬氏の言葉は私の心を引き寄せてくれます。


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庭野日敬氏が宗教活動として目指している方向と

明るい社会づくり運動で目指している方向が示されています。


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-人間の真の覚醒―


政治も宗教も、

つまるところは明るく住みよい社会の建設、

そして人類の平和をめざすためのもので、

その点においては変わるところはありません。

しかし、

政治は、きのう、きょう、あすといった比較的さし迫った日限の中で、

どちらかといえば力関係を中心にして動くものであるのに対して、

宗教は、過去、現在、未来という長い時間の中で、

個人の心の平和とともに理想の社会、平和な世界をめざします。

政治は社会の不正を正すことで社会浄化をめざし、

宗教は人びとの仏性(ぶっしょう)を磨きだすことで、

平和な世界を築くことをめざすものと言ってもいいかもしれません。

お釈迦さまが説かれた慈悲の教えを自分のものとして、

それを、

さらに多くの人びとに伝えていきたいという願いが

菩薩行なのですが、

「三千世界を知るも、なお自己を知らず」と言われるように、

人は、まわりの欠陥はよく見えても、

自分のこととなると何も見えていないものです。

政治も宗教も、

まず自らを正して、

それぞれの道で

人間を真に覚醒させていくことを忘れてはなりません。


1967年(昭和42年)庭野 日敬 著 『開祖随感』 (佼成出版社) より


:::::::::::::::::::::::::::::::::::::


いかがでしょうか。

あなたのこころには、

どのように響きましたか。



庭野日敬師のお考えや願い・思いが理解できるでしょうか!


あなたのお考えを、是非お聞かせ下さい。


あなたは、このままで本当に良いとお考えでしょうか。


あなたのお考えを、是非お聞かせ下さい。


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明るい社会づくり運動に不可欠な庭野日敬氏の言葉「仏さまの懐に抱かれる」とは [庭野日敬師の言葉]

明るい社会づくり運動に不可欠な庭野日敬氏の言葉「仏さまの懐に抱かれる」とはとは


自分の目の前に悩み苦しんでいる人いるならば、

その事を、そのままにしては行けない。(逃げてはいけない。)

自身に出来る事は、たいした事は出来ないかもしれないが ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 。

たとえ、小さな一歩かもしれないかもしれないが ・ ・ ・ ・ ・ 。

私達達自身が歩め始めないと、その道は始まらない。

明るい社会を築く為には!


庭野日敬師は、とても大切な事をおしゃっています。

あなたには、庭野日敬師のおしゃっている意図が理解出来ますか。


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~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

仏さまの懐に抱かれる

自分の目で見て、確かめられるものでなければ信じない、という人がいます。

しかし、それでは大事なものを見落としてしまいはしないでしょうか。

私たちがふだん聞いている音は、自分の耳に合ったごく一部の音にすぎず、

周波数がうんと高かったり低かったりすると、聞こえません。

自分の耳に聞こえる音が、すべてではないわけです。

それと同じで、この世界は私たちには感受できない広大な広がりをもっています。

仏さまのお姿は私たちの肉眼では見えませんが、

教えどおりに行じると、仏さまの存在がはっきりと見えてきて、

その大きな懐に抱かれている自分に気づかずにいられません。 

信仰をしている私のいちばんの幸せは、

仏さまがいつも一緒にいてくださるのを感じられることです。

その幸せを、私は最近、さらにしみじみと思わずにいられないのです。

ですから、

生きているうちは仏さまのみ心のままに生きてなすべきことをなし、

ご用が済めば仏さまのもとへ帰らせていただくのだ、と

私は心に決めています。

これほど安心な生き方はないと思うのです。

   
庭野 日敬 著 『開祖随感』 (佼成出版社) より


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


このお言葉が、

あなたのこころにどのように響きましたか。


そこがポイントのように思っています。




私なりに日々、精進を重ねて参ります。



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人間と人間の対話-庭野日敬氏のお言葉 [庭野日敬師の言葉]

法華経が尊いのは、法華経自体が尊いのではありません。

その法華経を説く人が尊いことが不可欠になります。

例えば、
庭野日敬氏のお話は、いつ耳にしても得心が行きます。

しかし、
別の庭野家の人たちのお話は、
いつ聞いても、何度聞いても、私のこころには響きません。


自分でも不思議だと思っていますが、正直な気持ちです。


新型コロナウイルス肺炎の事で、

世界中が混とんとしています。

でも、その中でも必死に頑張っている方々がいます。

政府関係者、都道府県関係者、医療関係者、介護関係、等々、


でも只、黙って身を潜めている事に

終始している佼成会(教団)さんの姿には、

とても、残念に思っています。


これで、本当に良いのでしょうか。




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開 祖 さ ま 随 感

      1986年(昭和61年)庭野 日敬 著 『開祖随感』 (佼成出版社) より

人間と人間の対話

いま宗教にいちばん問われているのは、

人間と人間の真の対話を可能にできるかどうか、

だといえましょう。


法座はその対話の場なのです。


どんな問題であっても、

話したいこと、

聞きたいことがある人がいたら、

その言い分をとことん聞いてあげて、

「なるほど」と心から納得してもらえるまで話してあげる。

それが法座です。


相手の言葉をひと言ふた言聞いただけで、

「あとは聞かなくたって分かっていますよ」といった

調子で決めつけてしまったのでは、

人間の対話は成立しません。


お釈迦さまは、

お弟子がどんな質問をしてきても、

「善哉、善哉」と、

ひと言でなく、ふた言も重ねておほめになって、

それから「善男子よ……」と、

じゅんじゅんと語りかけてくださいました。


ですから、

お釈迦さまにお会いできただけで、

どんな人もいっぺんに心が晴れわたってしまうのです。

すべての人が、

それぞれの尊厳さを具えた存在であることを

胸にしっかり刻みつけて、

相手を心から礼拝できなくては、

人間の対話は成り立ちません。






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