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理屈より実践-庭野日敬氏のお言葉 [庭野日敬師の言葉]

現代社会は、頭でっかちで足元がおぼつかない方が多いご時世と言われています。

今回の、新型コロナウイルス肺炎の対策に付いても同じ事が言えると思います。

例えば、
政府の首脳陣・東京都や大阪府の知事等の
表情や、目の輝きや、声の張り等を観察していると、
そのご苦労の様子がとてもよく伝わります。


今の状況は、前例のない出来事に遭遇をしています。

また、その先々の様子も不透明です。


そこで、一方向だけを眺めての判断は大きな間違いになりかねません。

でも、それらの事は差し置いて、
自分の言いたいことだけを言う人の多い事。

建前や理論・理屈だけが先行してしまうのでしょうか。

こんな時に、庭野日敬氏はとても大切な事を
開祖随感で言っているページを見つけましたのでご紹介いたします。



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開 祖 さ ま 随 感

      1980年(昭和55年)庭野 日敬 著 『開祖随感』 (佼成出版社) より

理屈より実践


浄土真宗の真溪涙骨師は

「人生語録」にすばらしい言葉を遺されています。

「実践に理屈なし。

問うの無用、答うるの無用。

ただ『捧ぐる』の一事あるのみ」というのもその一つです。


なぜ善いことをしなければならないのかと問うのも無用、

功徳を積みたいからと答えるのも無用、

菩薩行には理屈は不要だというのです。


シンガポールで

第一回アジア宗教者平和会議が開催された

その会議のさなか、

私たちはベトナムから
ボートで逃れ出る難民の救援に取り組みました。

雨期が迫っていて、

放っておけば海の藻屑となるのが目に見えていたからです。

その宗教者の救援活動に対して、

「ボートピーブルは体制からのはみだし者だから援助すべきではない」とか、

「ボートピープルはベトナムの内政問題であって干渉すべきではない」と、

国際通を自ら任じて講釈する人たちがいました。

しかし、そうした高邁な理論を振り回すよりも、

自分の目の前に救いを求め、

懐に飛び込んでくる窮鳥がいたら、

なんとしてもそれを救おうと力をふりしぼるのが

人の道なのではないでしょうか。

宗教者の実践は、これあるのみです。


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いかがでしょうか。


緊急事態宣言が出されたからと言って、

今は、黙って、ジーっと、おとなしくしている時ではありません。


今まで、どうりの活動方式ではなく、

電話や、メールや、lineや、SNS、等を活用するのです。

どう、  何しているの、  大丈夫、


声を掛けて上げて下さい。

不安な時や、元気がない時の

何気ない、一言がとても勇気づけられるのです。

今は、黙って、ジーっと、おとなしくしている時ではありません。


お互い頑張りましょう。










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≪一念≫が≪三千≫を動かすのです。ー庭野日敬氏のお言葉 [庭野日敬師の言葉]

新型コロナウイルス肺炎の影響は世界的に見ますと、その勢いはまだまだ油断は出来ません。


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庭野日敬氏は、≪一念≫が≪三千≫を動かすのです。とおしゃっています。


どうゆう事かと言いますと、

私の一念(思い・想い)が、三千の世界をも動かす事、です。

具体的に言いますと、

私の、新型コロナウイルス肺炎の終息を願う一念(思い・想い)が、

三千の世界(世界中の人や物等)に影響を与えていきます。との事です。

ですから、
新型コロナウイルス肺炎の終息を願う一念が、
別の言い方をすると「祈り」になるのです。


例えば、個人のレベルで言いますと、
「病気が治って欲しい」「健康でくらしたい」
「幸せになって欲しい」と願う時、
私達は神仏に自然と手を合わせ願い、祈ります。
その思いが強ければ強い程、強く願い、強く祈ります。


その一念(祈り)は、

一人だけの一念(祈り)ではなく、

一教団の一念(祈り)ではなく

世界の津々浦々の一念(祈り)が不可欠になります。




たった一人の一念(祈り)も尊い事だと思いますが、

新型コロナウイルス肺炎に限っては、

より多くの一念(祈り)が大切になります。

ですから以下の事がどうしても不可欠になります。

      ↓

世界の宗教者へ緊急提案ー新型コロナウイルス肺炎が一刻でも早く終息するように祈りを捧げよう!



ローマ教皇、復活祭ミサで「世界の連帯」呼びかけ ネットで中継(4/13)Pope calls for "world solidarity" at Easter Mass Relay on the net(4/13)


ローマ教皇、疫病終息にゆかりの「奇跡の十字架」に祈り(3/17)
Pope prays for `` miracle cross '' related to end of plague (3/17)



世界中の人々の、

新型コロナウイルス肺炎が一刻でも早く終息するように祈りを捧げる事を、

今、世界中の宗教関係者に求められている事です。


こころ、静かに貴方のこころの声に耳を傾けて下さい。


こころ静かな状態で、あなたのこころに問いかけて下さい。




本当に、このままで良いのでしょうか。





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:::::::::::::::::::::::::


≪一念≫が≪三千≫を動かすのです。



昭和49年2月号 機関紙-佼成より



ほんとうの知恵に目覚めるとは、どういうことかと言いますと、

まず第一に、

≪人間はすべてもともと一体の存在である≫という心理を

ハッキリと悟ることです。


第二に、

≪すべての人間は

相依り(あいより)相助(あいたす)けて生きているのだ≫という

真実に目を開くことです。


第三に、

≪すべての争いは貪欲に基づいて起こるものである≫という

事実を深く見つめ、反省することであります。



この第一・第二・第三の教えは、すべて仏伝に示されているものです。

もちろん仏法はそれに尽きるものではなく、

広大無辺な法ではありますけれども、

この三つの教えだけでも、

この世を救い人間を幸せに導くに充分なものがあります。


だからこそ、

私どもは仏法の広宣流布に死に物狂いになっているのです。



会員の皆さんはほとんど在家の信仰者ですから、

それぞれの仕事に精出すのはたいせつなことです。


また、生活を楽しむこともあながち否定はしません。


しかし、そのなかにおいても、ひとりでも多くの人に

仏法を伝える努力だけは怠らないでいただきたいと思います。 


お互い死ぬときは、

お金も物も持っていくわけにまいりません。

しかし、最後の息をひきとる時

「私は仏法のためにできるかぎりの努力をした」という

満足感があったら、これほどの幸せがありましょうか。


そして、霊界において諸仏に諸菩薩に

「生前にどんな善いことをしたか」と尋ねられたとき、

「法華経を弘めるために微力を尽くしました」と

胸を張って答えられるとしたら、

これほどの喜びがありましょうか。



どうか皆さん、

この一事にだけは決定を新たにして下さい。


この一念が定まると、

それは外界のあらゆる事情に反映してくるのです。

それが環境を変えるのです。


≪一念≫が≪三千≫を動かすのです。


皆さんは、

どうやら自分の力を過小に見積もっておられるようですが、

そんなに卑下することは決してないのです。

久遠実成の本仏に生かされ、

その力を充分に受け取っている皆さんです。


本来は大神通力の持ち主であるはずです。

そういう自信を肚(はら)の底にすえて、

信仰の一念をもって

三千を動かしていただきたいのであります。


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世界中の人々が、

新型コロナウイルス肺炎が一刻でも早く終息するように祈りを捧げる事を、

今、世界中の宗教関係者に求められている事です。


こころ、静かに貴方のこころの声に耳を傾けて下さい。


こころ静かな状態で、あなたのこころに問いかけて下さい。




本当に、このままで良いのでしょうか。













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お釈迦さまが説かれた私達の歩むべき道について-庭野日敬のお言葉 [庭野日敬師の言葉]

庭野日敬氏の説く法華経の教えはとても素晴らしいです。


具体的に言いますと、とても分かりやすく説いて下さる事です。


さらには、行動や実践しやすい事です。


そんな事を踏まえて今回は、

庭野日敬の説く法華経を理論や理屈ではなく、

こころ穏やかに真心で味わってみたいと思います。



きっと、新たな発見があると思います。



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お釈迦さまが説かれた歩むべき道について


        1978年(昭和53年5月号)躍進




行動につながらない教学は無意味です。

実際に人間を救うことにつながらない宗教は、無さに等しいのです。

従地涌出品は、そのことを強く教えているのです。

経文には「この菩薩達は、もと姿婆世界の下の虚空に住していた」とあります。


ということは、

人間世界に生きていなから、そして立派な悟りと人格を持ちながら、

それを人間救済のために発動することがなかった・・・・・ということなのです。


つまり、行動につながらない悟りと、

他を救うということにかかわらない人格の持ち主だった、

というわけです。


それが、お釈迦さまの呼びかけに応じて、

いっせいに大地をくぐり抜けて出てきました。

この大地をくぐり抜けるということが、また大事なのです。


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現実の社会生活を体験し、

汚濁と苦悩の中にあえいでいる大衆の中に飛び込み、

その苦しみ、悩みにじかに触れなければ、

現実に人を救うことはできないということです。


観念論だけではだめで、

現実に即さなければ人間は救えないということです。

現実に即するということは、

結局は、行動するということになります。


地涌の菩薩達の指導役である四大菩薩に、

上行 ・ 無辺行 ・ 浄行 ・ 安立行と、

すべて「行」 という名がつけられています。

ということは、つまり、

地涌の菩薩とは行動する菩薩だということなのです。

行動しない菩薩というものはあり得ないわけですけれども、

それが特に強調され、

行動の権化ともいうべき存在が地涌の菩薩なのです。



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そうした点から見ますと、

今度(註・昭和53年5月)の青年部員の行動(註・「青年の日・統一行動」)は、

地涌の菩薩の片鱗をのぞかせた立派なものでした。

清掃奉仕・献血・交通安全キャンペーン・交通遺児のための募金・

独居老人の慰問等々、時代のニーズに応えたすばらしい菩薩行です。

そういった行動を通じて

「青年達は、地涌の菩薩の自覚を

おぼろげながらつかむことができた」ということですが、

それは当然のことなのです。

もともと本質的に地涌の菩薩なのですから・・・・・・・。


本人達は、まだ自覚していなくても、

立正佼成会の青年部の皆さんは、そうした自覚を持つぺく、

必然的な宿命を持ってこの世に生まれてきているのです。


生まれ変わり、死に変わりした過去世において、

仏法に触れ、道を究めることを志願し、その修行を続けてきた、

いわゆる歴劫修行(りゃこうしゅぎょう)の道程にある人達です。

それが、しかるべき因縁をもってこの世に生れ、

佼成会に入会されたのです。




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と言うと、現代の科学教育を受けた人の中には

絵空事のように思う人があるかもしれませんが、

これは事実なのです。



事実それがなければ、

お釈迦さまが、

いろいろな経典で輪廻転生や歴劫修行を説かれるはずはありません。

あのような大覚者はチャンとそのことを見とおしておられたのです。

仏さまの超能力である六道の中に「宿命通」というのかあります。

前の世のことを知る能力です。

そうした能力を持っておられればこそ、

法華経の中でも何十か所かにおいて、

ご自身やお弟子達の過去世のことをお説きになっておられるのです。


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たとえば、

譬喩品には、「舎利弗、我昔汝をして仏道を志願せしめき」とおおせられ、

化城諭品では、大通智勝仏時代の十六王子のことを述べられ、

「第十六は我釈迦牟尼仏なり」とお話しになっています。

提婆達多品では、

大法を教えた仙人が提婆で、仙人の召硬として仕えた国王が、

ご自分であったことを明らかにされ、

常不軽菩薩品では、

「爾の時の常不軽菩薩は荳に異人ならんや、則ち我が是れなり」と

おおせられています。


このような「人間は死んでもまた他の生命に生まれ変わる(転生輪廻)

「転生しながら人格完成(作仏)へ の修行を続ける(歴劫修行)」という

事実を前提としてこそ、

舎利弟を初めとする多くのお弟子達に、

汝はこれこれの時代に生まれ変わり、

これこれの仏に仕えて修行したのち、

仏の悟りを得るであろとって・・・・・と

保証された「授記」が成り立つのです。



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人間は今、現実の形態はどうであれ、

その根底においては、

人格完成という聖なる目的のために生きるのです。

生まれ変わり、死に変わり、修行の旅を続けるのです。


人は、すべてこの本願をもって、この世に生まれてきているのです。


ところが、

さまざまな環境に影響されて次第に汚れをかぶってしまい、

その自分を次第に見失っていきます。

ですから、地涌の菩薩たらんと志願するということは、

この汚れを洗い清め、

純粋な無垢清浄な自己の本性に戻ること、

と言ってもいいでしょう。



それを現代に生きる人々の生き方に即して言うならば、

これまでの既成概念に毒されて、

宗教の違い、人種の違い、国の違いなどで

人々を区別して見るのではなく、

この世のあらゆる人々の

本性、宗教の役割の本質をしっかりと

見とおしていける人となることであり、

そうした人こそ地涌の菩薩たり得る人と言っていいと思うのです。


そういう力によって

初めて明るい社会づくり、平和世界の建設が進められていくのです。




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タグ:庭野日敬
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今こそ、常不軽菩薩の礼拝行で-庭野日敬氏のお言葉 [庭野日敬師の言葉]

私は、庭野日敬氏の著書を
拝読させていただく時に心で読ませていただきます。

どういった事かと言いますと、
理論・理屈だけ理解しようとすると、どうしても無理が生じるからです。

私の母が生前にこんな事を言っていました。

「佼成会さんの人は、
   新聞や機関誌に書いてある事と
      やっている事が違うので戸惑う事がある。」

私の母は全く耳が聞こえない状態でしたので、
佼成会さんの教えは文字でしか理解する事が出来ませんでした。

ですので、新聞や機関誌に書いてある事がすべてです。

しかし、実際は新聞や機関誌に書いてある事と
現実の活動で行われている事に食い違いが生じている事に、
戸惑いを感じていたのだと思います。


どうゆう事かといますと、

法華経の教えの中にはどうしても理論や理屈だけでは、

解決がつかない事が多々出て来ます。


すると「そんな事むり」とか
「そんな事いったって」になってしまい
空理空論に終わってしまいがちになります。


ところが、
法華経をこころ(心眼)で拝読させていただくと、
不思議と気持ちがストーンを落ちます。

そこが、理解出来るのか、否かが、大切な分かれ道になると思います。

そんな現実の中でも、
私の母は庭野日敬氏の教えを大切に持ち続けていた
お陰様で、今の私がいるのだと思います。

そんな母に感謝しております。


さて、新型コロナウイルス肺炎の感染の影響で世の中が大混乱している中で、

今こそ、

常不軽菩薩の礼拝行が最も大切になるのではないでしょうか。


常不軽菩薩の礼拝行はすでにご存知だと思います。

常不軽菩薩の礼拝行について考える時に、
己の身を隠し、何もせずにジッーとしている事は、
庭野日敬氏の教えや、法華経の観点から考えると
私は、相応しくないと考えています。

もう一度、庭野日敬氏の説く常不軽菩薩の礼拝行について

再確認させていただくと共に、

常不軽菩薩の実践行を再点検していきたいと考えて、

庭野日敬氏の著書の瀉瓶無遺の中から

常不軽菩薩の礼拝行についてご紹介いたします。



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  瀉瓶無遺 

        佼成出版社 発行:1993.11  P255~256

常不軽菩薩の礼拝行


常不軽菩薩の礼拝行でいちばん大切なのは、

まず相手の仏性を信じきる事です。

それがなくては、相手の胸に響かないのです。

人びとを仏道に引き入れる菩薩の行は、

まず、人びととの縁をもつことから始まります。


そして菩薩は、

人をひきつける四つの美点、四つの手だてをもたなくては、

ならないと示されています。

それが前にもふれました菩瞳の四摂法といわれるものです。


繰り返しますが、

まず第一に菩薩たるものは布施の心をもたなくてはなりません。

真理について教えてあげたり、

財を施したりする行為でこれが布施摂です。


そして二番めに、

思いやりのこもったやさしい言葉をかけることです。

これが愛語摂です。


三番めは、自分の毎日の生き方をとおして、

「信仰すると、あんなに大らかな気持ちになれるのか」と

周囲の人びとを感化してしまうことでこれが利行摂です。


そして四番めとして、柏手と同じ立場に立てること。

たとえは秋の収穫で忙しいときなら、

いっしょに田んぼに入って稲を刈るのを 手伝って

心を通い合をていくというような行為、

あるいはまた、家族が悲しみにくれる葬儀を

親身になって手伝ってあげるといった行為でこれが同事摂です。


こうして、人の心と心が本当に触れ合い、

人の苦しみに共感できるになってこそ、

真の礼拝行といえると思うのです。



瀉瓶無遺 佼成出版社 発行:1993.11
瓶の水を一滴も残さず次の瓶に移すように、立正佼成会の教えを次の世代に伝えたいという願いが、書名『瀉瓶無遺(しゃびょうむい)』にこめられています。仏教徒として、佼成会員として守り伝えるべき信仰の核心について、信仰者の毎日の行の一つひとつについて、具体的に説き示されています。


常不軽菩薩とは:法華経・常不軽菩薩品に説かれる菩薩で、釈尊の前世の姿であったとされる。
常不軽菩薩は自身が誹謗され迫害されても、他人を迫害するどころか、仏法に対する怨敵などと誹謗し返さなかった。この常不軽菩薩の精神や言動は、宗派を問わず教理を越えて、仏教徒としての原理的な行動・言動の規範としてよく紹介引用される。常不軽菩薩 - Wikipedia

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新型コロナウイルス肺炎の感染の影響で世の中が大混乱しています。

その中で、喘ぎ・苦しみ・悩んでいる方々が、

貴方には見えますか。

その悩み・苦しみを感じるとる事が出来ますか。

今こそ、常不軽菩薩の礼拝行について

庭野日敬氏の思いや願いを再確認していきたいと思います。





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仏さまの願いに合わせる-庭野日敬のお言葉 [庭野日敬師の言葉]

新型コロナウイルス肺炎の影響で世界中の人々が辛く苦しい日々を過ごしています。


そんな方々の、

悩みや苦しみを理解しする事が出来るのか、否かが、

今の宗教者に求められている事です。


何故か、


そこが理解出来ていないと

法華経を理解する事は難しく、

只の空理論・空理屈に終わってしまいます。


さらに、その先には進めないのではないでしょうか。


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【参考に】

観音菩薩は観音というお名前の菩薩ということです。

    観音とは「音を観る」とあります。

仏教では「見聞一致(けんもんいっち)」という言葉がありますように

「見る」のと「聞く」のは同じだと教えられています。

ですから、「音を観る」と「音を聞く」とは同じです。

音とは、人々の苦しみの声のことで、人々の苦しみの声を聞いて、

救いを与えて下さる菩薩なので観音菩薩といわれます。

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例えば、今の貴方の状態を理解せずに、

建前だけを言われれも困惑するだけになると思います。

それと同じ事ではないでしょうか。


そんな事を踏まえて、

庭野日敬のお言葉は、

とても厳しいく、

とても温かい慈悲に満ちた

お言葉だと受け止めています。


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開 祖 さ ま 随 感

      1989年(昭和64年)庭野 日敬 著 『開祖随感』 (佼成出版社) より


仏さまの願いに合わせる



一生懸命に信仰しているのに、

どうしてこんな苦しい目に逢わなくてはならないんだろう、

と恨めしく思うことが、だれにもあるのではないでしょうか。


この世は苦の娑婆忍土ですから、

嫌なこと、思いどおりにならないことにぶつからないわけにはいきません。



しかし、そういう苦しいことにぶつかったとき、

私は「これは、仏さまがきっと大きな功徳をくださろうとしているのだ」と

考えることにしているのです。


すると力がわいてきて、苦が苦でなくなるのです。



道元禅師は「この生死は、すなわち仏の御いのちなり」と教えておられます。


私たちが自分の健康、商売繁盛、家内安全を神仏にお願いするのは、

よく考えてみると、

こちらの願望に仏さまを従わせようとすることにもなりかねません。


そうではなく、

逆に仏さまの願いに自分を合わせていくのが信仰です。


この苦しみで、

仏さまは何を教えてくださろうとしているのだろうかと

思いを凝らしていくと、

仏さまが私たちを目覚めさせようと

心をくだいてくださっているのが、

はっきりと身に感じられてきます。

そのときにパッと新しい世界が開けてくるのです。


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あなたのこころには、

どのように響いたでしょうか。

その響きがとても大事な事ではないでしょうか。


素敵な一日になりますように、








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奉仕できる喜び-庭野日敬氏のお言葉 [庭野日敬師の言葉]

庭野日敬氏のお言葉は、いつ拝読させていただきましても新鮮に心に響きます。

新型コロナウイルス肺炎の事で騒がしい日々ですが、

自身の心を点検する事もとても大事な事だと思います。




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開 祖 さ ま 随 感

      1967年(昭和42年)庭野 日敬 著 『開祖随感』 (佼成出版社) より


奉仕できる喜び


人はふつう、

自分が人に奉仕するのはあまり好きではなく、

人から奉仕してもらうほうがうれしいように思っています。


しかし、それは心のほんの表面上のことで、

心の深いところでは、

人はむしろ人に奉仕することを欲しているものです。


どんなことでもいい、

実際に人さまのために尽くして、

それで相手の人に喜んでもらえると、それがよく分かるのです。


「なんで、子どものことで
 こんな苦労をしなければならないんだろう」

愚痴をこぼしていた親でも、

子どもが一人前になって巣立ってしまうと、

空虚な思いに陥ってしまいます。


世話をしてあげる人がだれもいなくなると、

「ああ楽々した」という思いよりも、

虚脱感に襲われてしまうのです。


さらに、体が不自由になって、

だれにも、なにもしてあげられず、

ただ周囲からしてもらうだけの身になってしまったら、

どんなに寂しい思いになるかしれません。


そう考えてみると、

自分が人さまに役立てることが、

どんなにうれしいことか分かってきます。

それが人間の本当の生き甲斐なのです。


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いかがでしょうか

大切な事は、自身の足元ではないでしょうか。

「自分だけが幸せになれば良い」と言う考え方から

「一歩踏み出勇気が 今、求められる」います。

多くの方が不安な日々を送っています。

身近な知人や友人に、

出来るだけ多く声を掛けて上げて下さい。


「どうしているの!」


「大丈夫!」


声を掛けもらえるだけで元気になります。

勇気が出て来ます。


その事が菩薩行になります。


黙っていては菩薩ではありません。



その時に支えになるのが「法華経」になります。

庭野日敬氏の真の勇気は「法華経」に支えられていました。

ですので、

身命を惜しまず邁進して来れたのではないでしょうか。


「法華経」とは、

個人の救いではなく

菩薩の実践を説いた教えになります。


お互い様に頑張りましょう。



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成仏の条件 - 庭野日敬氏のお言葉 [庭野日敬師の言葉]

庭野 日敬のお言葉はいつも心に響きます。

それは、いつも私たちの心を見透かされているかのように感じます。

いま、新型コロナウイルス肺炎の事で、

連日、テレビや新聞,インターネット,SNS等で

様々な出来事が報道されていますので、

どうしても私たちのこころは浮足立ってしまいがちです。

でも、一歩踏みどどまって

冷静に、ご自身の足元を見渡してみる事はとても大切な事です。


そんな意味でも、

今の貴重な時間を大切にしていきたいと思っています。



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開 祖 さ ま 随 感

      1968年(昭和43年)庭野 日敬 著 『開祖随感』 (佼成出版社) より

成 仏 の 条 件


お釈迦さまは、「生まれによって聖職者となるのではない。

行為によって聖職者となる」というお言葉で、

人間の尊さは、

その人自身の行為によって決まると教えられました。

お金持ちの家に生まれ、立派な学歴を持っていても、

過ちを犯し、それを恥じることのない人もいます。

それに比べ、貧しい家に生まれても、毎日コツコツと働いて、

人さまのために役立つ苦労を惜しまない人もいます。

どちらがすぐれた人か、言うまでもありません。

人が集まれば、そこに組織というものが必要になり、

その組織を運営するために、いろいろな役職が設けられます。

会社ならば、社長、部長、課長、社員と、立場は分かれますが、

社長は社長の仕事を、

部長は部長の仕事を、

社員は社員の仕事を成し遂げる。

それが組織全体に貢献することであり、その尊さに上下の違いはありません。

その働きによって自分を高めていくのが、

そのまま成仏の道といってもいいのです。

役職や立場の高低によって、悟りの度合いが違うわけではありません。

与えられた役を

どれだけ果たすことができたかということが問題なのです。


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タグ:庭野日敬氏
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人間と人間の対話-庭野日敬氏のお言葉 [庭野日敬師の言葉]

法華経が尊いのは、法華経自体が尊いのではありません。

その法華経を説く人が尊いことが不可欠になります。

例えば、
庭野日敬氏のお話は、いつ耳にしても得心が行きます。

しかし、
別の庭野家の人たちのお話は、
いつ聞いても、何度聞いても、私のこころには響きません。


自分でも不思議だと思っていますが、正直な気持ちです。


新型コロナウイルス肺炎の事で、

世界中が混とんとしています。

でも、その中でも必死に頑張っている方々がいます。

政府関係者、都道府県関係者、医療関係者、介護関係、等々、


でも只、黙って身を潜めている事に

終始している佼成会(教団)さんの姿には、

とても、残念に思っています。


これで、本当に良いのでしょうか。




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開 祖 さ ま 随 感

      1986年(昭和61年)庭野 日敬 著 『開祖随感』 (佼成出版社) より

人間と人間の対話

いま宗教にいちばん問われているのは、

人間と人間の真の対話を可能にできるかどうか、

だといえましょう。


法座はその対話の場なのです。


どんな問題であっても、

話したいこと、

聞きたいことがある人がいたら、

その言い分をとことん聞いてあげて、

「なるほど」と心から納得してもらえるまで話してあげる。

それが法座です。


相手の言葉をひと言ふた言聞いただけで、

「あとは聞かなくたって分かっていますよ」といった

調子で決めつけてしまったのでは、

人間の対話は成立しません。


お釈迦さまは、

お弟子がどんな質問をしてきても、

「善哉、善哉」と、

ひと言でなく、ふた言も重ねておほめになって、

それから「善男子よ……」と、

じゅんじゅんと語りかけてくださいました。


ですから、

お釈迦さまにお会いできただけで、

どんな人もいっぺんに心が晴れわたってしまうのです。

すべての人が、

それぞれの尊厳さを具えた存在であることを

胸にしっかり刻みつけて、

相手を心から礼拝できなくては、

人間の対話は成り立ちません。






タグ:庭野日敬
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明るい社会づくり運動に不可欠な「仏さまの懐に抱かれる、」とは [庭野日敬師の言葉]

明るい社会づくり運動に不可欠な「仏さまの懐に抱かれる、」とは


自分の目の前に悩み苦しんでいる人いるならば、

その事を、そのままにしては行けない。(逃げてはいけない。)

自身に出来る事は、たいした事は出来ないかもしれないが ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 。

たとえ、小さな一歩かもしれないかもしれないが ・ ・ ・ ・ ・ 。

私達達自身が歩め始めないと、その道は始まらない。

明るい社会を築く為には!


庭野日敬師は、とても大切な事をおしゃっています。

あなたには、庭野日敬師のおしゃっている意図が理解出来ますか。


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~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

仏さまの懐に抱かれる

自分の目で見て、確かめられるものでなければ信じない、という人がいます。

しかし、それでは大事なものを見落としてしまいはしないでしょうか。

私たちがふだん聞いている音は、自分の耳に合ったごく一部の音にすぎず、

周波数がうんと高かったり低かったりすると、聞こえません。

自分の耳に聞こえる音が、すべてではないわけです。

それと同じで、この世界は私たちには感受できない広大な広がりをもっています。

仏さまのお姿は私たちの肉眼では見えませんが、

教えどおりに行じると、仏さまの存在がはっきりと見えてきて、

その大きな懐に抱かれている自分に気づかずにいられません。 

信仰をしている私のいちばんの幸せは、

仏さまがいつも一緒にいてくださるのを感じられることです。

その幸せを、私は最近、さらにしみじみと思わずにいられないのです。

ですから、

生きているうちは仏さまのみ心のままに生きてなすべきことをなし、

ご用が済めば仏さまのもとへ帰らせていただくのだ、と

私は心に決めています。

これほど安心な生き方はないと思うのです。

   
庭野 日敬 著 『開祖随感』 (佼成出版社) より


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


このお言葉が、

あなたのこころにどのように響きましたか。


そこがポイントのように思っています。




私なりに日々、精進を重ねて参ります。



☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆
庭野日敬氏の目指した明るい社会づくり運動のホームページ
              http://www.meisha.me/
☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆

無言の手本-庭野日敬氏のお言葉 [庭野日敬師の言葉]

現代社会はストレス社会とも言われています。

別な言い方をしますと、
様々な事が、思うようなならない社会ともいえると思います。

特に、今回の新型コロナウイルス肺炎の影響で
先々の事に不安を抱えている方が多い現実だと思います。

私達は、聖人聖者ではありません。

現在の社会の荒波に揉まれながら、
また、時にはその波に翻弄されながら生きている凡人です。

そんな時に軽はずみに「大丈夫だよ」と言われても、
そのままに受け取る事は、なかなか難しいのが現状ではないでしょうか。

ところが、
庭野日敬氏のお言葉は私のこころに深い感銘を与えてくれます。

また、私の心のまなざしをパッと開かせていただけます。


庭野日敬氏のお言葉が
皆様のこころには、どのように響きますか。



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開 祖 さ ま 随 感

      1972年(昭和47年)庭野 日敬 著 『開祖随感』 (佼成出版社) より


無 言 の 手 本


私の祖父は畑仕事で忙しいときも、

村で病気などで苦しんでいる人がいると、

その助けに飛び回ったものです。


もちろん無料奉仕です。


その祖父の姿を見て、

私は子どもなりに疑問を持ったことがありました。

私の家はとりわけ裕福だったわけではありませんから、

家のことをほったらかして人のことにかまけていていいものか、

と思ったのです。


ところが病気やけがを治してもらった人たちが、

田畑の仕事が一段落すると畑で穫れた作物を持ってお礼にくるのです。


そのうれしそうな姿を見て、

私もだんだんに人さまのためになるということはなんと気持ちがよいものか、

と心に植えつけられていったように思うのです。


世の中にはいろいろな喜びがありますが、

とりわけ人さまに尽くす喜びが最高であることを実際に学ぶ機会は、

少ないのではないでしょうか。


とりわけ、いまの子どもたちは、

そうした機会に恵まれていないと思うのです。

そういう意味で私はあらためて祖父に感謝せずにいられないのですが、

どんな時代であっても、

親は口先だけでなく身をもって

子どもにお手本を示すことが大事だと思うのです。


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私は、そのこころの響きがとても大切な事だと思っています。


新型コロナウイルス肺炎の影響は、まだまだ続いて行くと思われます。


お互い頑張りましょう。




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苦が救いの神-庭野日敬氏のお言葉 [庭野日敬師の言葉]

私の背中を押し続けている方がいます。

その方が、どなたなのか、

どんな目的なのかも、私には知るすべもありません。

時には、その方の思いと私の思いとが交錯する事がありますが、

最終的には、
その方の思うように進むことになります。


具体的な事を言いますと、

例えば土地因縁ですが、

生まれ育った土地の江戸時代からの仕置き場のご供養、

また、現在居住地の

武田信虎(武田信玄の父)に関係する土地因縁のご供養など、

私の御宝前には600名あまりの土地因縁の方々の戒名が上がっています。

それらの方々は、誰にも看取られる事なく

無残な最期で、この世のを離れざるを得なかった方です。


⇒ 武田信虎の関係する土地因縁のご供養の詳細


ですので、どなたに相談しても最初は鼻も引っかけてくれません。


ですので、その事を根気よく・

根気よく、粘り強くご理解を頂くことになります。


そんな時に、

私のこころの支えになったのは、庭野日敬氏の教え(法華経)です。


法華経とは、ご存知の方(信者)がとても多いい経典ですが、

その法華経を誰が説いても同じではありません。


そこで、誰が説いた法華経なのかがとても重要になります。


その違いを見分ける事が出来るのか、否かが

その後の、法華経の精進のあり方のポイントになります。


そんな意味でも、

庭野日敬氏の教えはとても大切な事を説いています。



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:::::::::::::::::::::::::


開 祖 さ ま 随 感

      1988年(昭和63年)庭野 日敬 著 『開祖随感』 (佼成出版社) より



苦が救いの神


自分がご法で救われたときのことを思いだしてみてください。

あれもこれも自分の思いどおりにならない、と腹を立てていたのが、

先輩に教えられて、相手の立場を考えてみるようになる。

そして、思いどおりにならないのは

自分の足りないところを教えてくれているのだ、

という見方ができるようになったら、

いつのまにか問題が解決していたといった体験を、

みなさんがされているはずです。


この見方が信仰の原点です。


毎日の生活には、

仕事上のストレスや家庭の不和などが、次々と起こります。

嫌な相手とも出会わなくてはなりません。

しかし、そういう事件や相手が、

自分を真理のレールに乗せてくれるのだと法華経は教えているのですね。

自分の体験を通して、

そのことはよく知っているはずなのに、

私たちはすぐ自分中心の見方に戻って、

苦を抱え込んでしまうわけです。



いまの自分の心を点検して、

もし不平不満が多かったら、信仰の原点を見失っているのです。


原点に戻りさえすれば、

身のまわりに起こることのすべてを、

心からの感謝で受け取れるようになってきます。


:::::::::::::::::::::::::


この事を、私に一番最初に法華経を説いて下さった方は、

「法華経は、糞を小金に変える教え」と説いて下さいました。

現在では、そんな事を言う方はいないと思いますが、


法華経を端的に捉えています。


その方の、経験からお話しくださった言葉だと

受けとめて、今でも大切に胸に刻んでいます。




お互い頑張りましょう。






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精神的な偏食-庭野日敬氏のお言葉 [庭野日敬師の言葉]

庭野日敬のお言葉の中には、とても意味深いことが含まれてることが多々あります。

表面上の言葉だけではなく、

その奥底に含まれている事も加味して捉えると、

さらに、庭野日敬氏の素晴らしさが伝わって来ます。

新型コロナウイルス肺炎の影響で、

世界の状況が不安定な時にこそ、

自身の信仰が試される時ではないでしょうか。



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開 祖 さ ま 随 感

      1968年(昭和43年)庭野 日敬 著 『開祖随感』 (佼成出版社) より


精神的な偏食



『法華経』の方便品(ほうべんぽん)には、

「真実の教えはただ一つであって、

二つも三つもあるわけではない。

ただ仏の智慧に到達するまでの手段として、

相手に応じていろいろな説き方の違いがあるが、

その説き方の違いも究極の真実に導くためなのである」と説かれています。


この世にはさまざまな宗教がありますが、

それぞれの違いは、

その時代、その社会を生きる人たちを

究極の真実の道に導くためのものだといえましょう。


それぞれの宗教が互いに違いを言い立てて対立し、

協力を拒むといったことがいかに無意味であるか、

この仏さまのお言葉をかみしめると、よく分かってきます。


信仰とは、帰依する対象を信じきって、それを貫き通すことです。


また、その心構えでなくては真の信仰とはいえません。


しかし、そこで一歩誤ると、

自分の教えの絶対性を主張して他を認めようとしない

排他独善の信仰に陥ってしまいます。


それは、言ってみれば精神的な偏食のためにやせ細り、

視野の狭い人間になってしまうようなものです。

くれぐれも注意しなければなりません。


^^^^^^^^^^^^^^^^^^

いかがでしょうか。


貴方(貴女)の心には、どのように響きましたか。


信仰とは、こころに響き(感受)がとても大切になります。










タグ:庭野日敬
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宗教に対する誤解一 庭野日敬のお言葉 [庭野日敬師の言葉]

庭野日敬氏の著書を拝読させていただきますと、常に一本の筋がしっかりと通っていて、とても気持ちよく拝読させていただきます。


しかし、他の庭野家の人達や

教団関係の方のお話や印刷物は、なかなかそうは行きません。


解せない内容であったり、時には嫌悪感を感じる事さえあります。


自分で不思議だと思っています。

こんな私が変なのか、と思う時もあります。

何が違うのだろうか、と

思う事がありますが自分でも良く分かりません。


ただ一点、思い当たる事と言いますと、

法華経に取り組む姿勢が違うのでは、と思っています。


具体的に言いますと、

庭野日敬氏は法華経に命を掛けて取り組んで来た方です。


法華経の真髄は、

そんな過程をくぐり抜けてこないと理解出来ない事が多いのです。


ところが、法華経をあまく捉えて(法華経の研鑽が甘いと)

表紙上の体裁だけに捉われている事になり、

法華経の真髄には触れる事が出来ません。


その結果が、人々の救済や人助けではなく、

教団組織や信者さんたちを管理する事に重きを置く

組織に変貌していくのではと懸念しています。


庭野日敬氏は、一教団の枠を超えて

世の中の人々の幸せとは何なのか、

どうする事が人々の幸せに繋がるのかを考え、

己の身をもって実践をされました。


そんな、庭野日敬氏の思いや願いの一端に触れてみたいと思います。


こころを静めながら庭野日敬氏の思いを味わってみましょう。


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開 祖 さ ま 随 感

      1973年(昭和48年)庭野 日敬 著 『開祖随感』 (佼成出版社) より


「人間の道」の教育


現代に宗教は必要ないと極論する人がいます。

そういう人は、宗教をごく狭く解釈しているのだと思うのです。

自分の人生が順調にいっているとき、

人は「すべてのことは自分の力で解決できる。信仰など必要ない」と考えます。

ところが深刻な問題にぶつかると、

こんどは藁をもつかむ思いで呪術的な迷信にすがり、

それで自分が願うような結果が得られないと、

「宗教などまやかしだ」と否定してしまうのです。


どちらも宗教に対する誤解です。


人はだれしも心の深いところで、

いかに生きるべきか、

何を目的として生きるのが正しいかと、

人間の真実の道を求めています。


その希求が、すでに宗教なのです


何か特別の儀式とか、祈祷だけが宗教信仰ではありません。


その人間の道が、最高の人格である仏と、

この世界の万物をあらしめている真理の法と、

互いに磨き合う人びとのつどいである

僧の三宝に帰依することによって、

すべての人のものになると仏教は教えるのです。


国をつくるのは人間であり、人間をつくるのは教育です。


その教育で「真の宗教とは何か」を教えることが、

なによりも大切だと思うのです。 

:::::::::::::::::::::::::


いかがでしょうか。


何か、こころに響く事があったでしょか。


こころとは響き合う事がとても大事になります。


その響きを大切にしながら日々の精進を積み重ね行きましょう。





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人のあるべき道-庭野日敬氏のお言葉の [庭野日敬師の言葉]

庭野日敬氏の説く法華経は単純明快でとてもわかりやすいです。

只、その庭野日敬の説く教えを受け取る私達の心のありようがポイントです。

そこで、今回は「人のあるべき道」について

とても分かりやすい具体的に事例に基づいてお話していきます。



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「庭野日敬師の提唱された明るい社会づくり運動は失敗に終わった。」

と、私にお話してくれたのは全国協議会N事務局長さんでした。


数年前に、中野区にあります全国協議会の事務局を訪れた時の事です。


そして、「各都道府県の協議会を順次解散していただく為に準備を進めている。」との事。


私は自身の耳を疑いました。


「そんな馬鹿な事はないはずです。」
「資料を見ればそんな事はないはずです。」
「以前の資料を見せていただけませんか。」
と言うと、

N事務局長は、「以前の資料は引っ越しの時に破棄してしまいましたので、ここにはもうありません。」との事でした。


何度も、何度も、何度も、同じような質問をしました。


しかし、事務長さんは同じ事を繰り返すばかりでした。「結論はすでに出ている。」


「そんな・・・・・・・・・・・。」

「馬鹿な・・・・・・・・・・・。」



その帰りに開祖記念館を訪れましたが、世界宗教者平和会議の展示はありましたが、明るい社会づくり運動の展示はありませんでした。


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そこで、まず、
私の地元の山梨の状況を調査して見ると、以下の状況でした。

当時の、山梨県明るい社会づくり活動協議会の会長さんは、県知事をなさっていた天野建氏(故人)でした。

天野建氏(故人)は県知事をなさる前から、明るい社会づくり運動にはとても熱心で、協力的に参加をなさる方でしたが、県知事になられてからは公務にお忙しい為に時間の間をぬって参加していただいていました。

そして、県知事を退任されてから、明るい社会づくり運動に参加する事を、とても楽しみにしていたと側近の方から伺いました。

しかし、突然に届いた一通の封書。
「山梨県明るい社会づくり運動協議会・会長の解任」との内容通知が届いたようです。

その事にとても驚いた天野建氏(故人)は「どうなっているのか。」と状況の説明を求めたとの事でした。


おそらく、天野建氏(故人)には事前に何の説明も、同意も、相談も、何も求めずに、いわば「蚊帳の外」の状態で、明るい社会づくり運動の解体作業が進められたようです。

後日談ですが、
当時の山梨県の明るい社会づくり運動の、気心の知れたお仲間達の集まりの席で天野建氏(故人)は、山梨の明るい社会づくり運動の解体劇をとてもとても残念がっていたとの事でした。

「せめて、山梨県協議会の明るい社会づくり運動の解散式をやって終わりにしたかった」とお話されていたようです。



また、神奈川県協議会の明るい社会づくり運動においては、
N事務局長さんが、横浜に訪れ、神奈川県の明るい社会づくり運動の解体を懇願していたようです。

当時の神奈川県連の事務局長さんからのお話しですが、
神奈川県協議会の明るい社会づくり運動は、解体をせざるを得ない状況のお話だったようです。
当時の、神奈川県協議会の明るい社会づくり運動の会長さんはクリスチャンの方でしたが、とてもとても残念で悔しがっていたようです。


このような状態は、全国の都道府県全てではなく、
ある種のリストに基づいて行われたようですので、現在でも、都道府県協議会が活動を行っている地域もありますので、何らかの意図に基づいて、都道府県協議会の解体作業が行われたようです。

また、他の地域では、別の意図をもった都道府県協議会が立ち上がっているようです。

一方では、都道府県協議会を解体に追い込み、また他方では都道府県協議会の設立を行っているようです。


このような状態の、明るい社会づくり運動ではとても支持は出来ないと判断され、その後に何も言わずに、明るい社会づくり運動から距離を置く方が増えて行きました。



私の友人知人の中でも、明るい社会づくり運動から離れて行った方が多い現実があります。


特に、山梨県協議会と神奈川県協議会は、明るい社会づくり運動の模範的な先進県でしたので・・・・・・、

このようなお話は、庭野日敬氏の心情をご存じの方からすると、とても信じ難いお話です。


また、あってはならない事です。


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法華経をどこで受け止めているのでしょうか。


この事は、法華経を信受している庭野日敬氏のお弟子さん達のする事とは、とても思えません。


今後、明るい社会づくりを進めて行く為には、より多くの賛同者やご協力をいただかない事には始まりません。

明るい社会づくりを考える時、まった逆の事をしているのではないでしょうか。

明るい社会づくりは、一団体では出来るものではない事は多くの方が承知している事です。

ですから、より多くの方々から賛同してもらえる活動体にならなくてはいけません。

自分たちの好きかってな自己満足の活動では、多くの方の賛同はいただけない事は小学生でもわかる事です。


私は思います。

明るい社会づくり運動は、庭野日敬氏の「明るい社会を、皆で築きましょう。」との、並々ならぬ情熱と行動力、また、各界の多くの賛同者の方々のご支援やご協力と、長い長い時間を掛けてここまで築き上げて来たのもです。

ごく一部の人達の意見や考えで、庭野日敬氏の願いや思いとは別の方向へ持っていく事は断じて許してはならないと思います。

特に、明るい社会づくり運動にご協力いただいた方々に対して、その行為や思いを裏切るような事は、断じてあってはならないと考えます。


もし、「庭野日敬師の提唱した明るい社会づくり運動が失敗に終わった。」と、するならば、それは、どなたが、「庭野日敬師の提唱した明るい社会づくり運動が失敗に終わらせる。」との、シナリオを描かかない限りあり得ないと、私は思っています。


その後、当時の担当者は教団の役員になっています。また、全国協議会N事務局長さんは昇進しています。


私は、知っています。

誰が指示をして、誰が実行したか。

また、その事を容認したのは誰か。

でも、その事はあえて言いません。


あなたは、この事実を平気で見過ごして行きますか。


法華経は因果応報を説いています。


いままで、
骨身を惜しんで頑張って来た方々を、
後ろからバッサリと
切り捨てるような事をしてしまった事の因果とは、
どのようになって行くのでしょうか。



庭野日敬氏は、法華経を基に活動を繰り返して来た方です。

その法華経には、

この事をどのように説いているのかを理解しているのでしょうか。


法華経を、理解出来る方にははっきりとわかる事です。


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庭野日敬師は、
昭和45年の『開祖随感』の中で次の事をおしゃっています。




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開 祖 さ ま 随 感

      1970年(昭和45年)庭野 日敬 著 『開祖随感』 (佼成出版社) より


人のあるべき道


昨今は、たとえどんなことをしても、

それが法律に触れさえしなければいいのだと、

ずいぶんあくどいことをしたり、

人をだましてなんとも思わない人が多くなってきたように思えます。

しかも、「法律に触れる罪を犯せば悪人だが、

自分はそんなことはしていない」と、

少しも恥じるところがない人もいるのです。

善悪のけじめが、

いかに低い次元に落ちてしまったか、嘆かされます。

一方では、

人が月にまで行けるほどの高度な技術を開発しながら、

現代の社会は人間の心の開発を

なおざりにしすぎたのではないでしょうか。

月に到達するには軌道に乗らなくてはならないように、

人の心もまた軌道に乗らなくては、

理想の境地に到達できません。

お釈迦さまは

その人間がのっとるべき心の軌道を教えてくださったのです。

無軌道な生き方を自由であるかのように

錯覚している現代社会にあって、

私たちは法律を超えた高い次元での

人のあるべき道を示していかなくてはならないのです。

よほどの決意で取り組まなくてはなりません。


^^^^^^^^^^^^^^^^


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また、庭野日敬師は、
昭和四十四年の「躍進」で次の事をおしゃっています。


~~~~~~~~~~~~~~


いまの世の中に一番求められているのは、

「人間の自尊心、個人の主体性、社会的責任に訴えかけてエネルギーを引き出し、

個人の努力が社会全体の進歩に寄与するような活動を促す、

精神の復興連動のリーダーである」

「明るい社会はだれかがつくってくれるというものではない、

気のついた人、目覚めた人がまず立ち上がって行動を開始し、

他の人々にも根気よく呼びかけていかなければならない」

「より良き未来に向かって進んでいると信じられる時には、

人は山をも動かしますし、

反対にもし希望がもてなければ、人は沈潜し腐敗する」



もう40年近くの前のお話ですが、

現在にあてはめても違和感のないお話だと思いませんか。


また、以下の事も述べています。

~~~~~~~~~~~~~~

「山田恵諦貌下が常におっしゃっていた

『よいことは長く続く。よくないことでないと長続きしない』ということです。

法華経というのは二もなく三もなく『一仏乗』なんです。

仏さまの願いというものは、すべての人を仏の境地へ導き、

本当の幸せにしてあげたいという一事につきるんです。

『草木国土悉皆成仏』という言葉がありますように

人間はむろん、草も木も水も士もすべて仏になれるんです。」



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そして、

「そういうことです。

いわば、明るい社会づくりの大導師は仏さまなんですよ。」

とおしゃっています。



【結び】



庭野日敬氏の説く「人のあるべき道」に付いて

具体的な事例に基づいてお話をさせていただきましたが

ご理解いただく事は出来たいでしょうか。



こころ静かに考えて下さい。


多くの方を裏切って来た事を、

こころからお詫びし、

改心する事が庭野日敬氏の願いではありませんか、


また、その事が御仏様の願いだと思います。



その為にも、真摯な対応をする事が不可欠になります。



こらからの時代に担う方々の為にも、

この汚点を払拭する事を切に願っています。



庭野日敬師の提唱した
明るい社会づくり運動を失敗に終わらせる事など
私には、断じて考えられません。



私の今年のキャッチフレーズは、「前に、さらに前に前に・・・・・」


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宗教者の使命について-庭野日敬のお言葉  Religious mission- Mr Nikkyo Niwano's words [庭野日敬師の言葉]

庭野日敬氏は、生前にご自身のお考えを多くの書物に残しています。
Mr Nikkyo Niwano leaves his thoughts in many books before he was alive.


その事は、後々の世代の人たちには、
That is, for later generations of people,

動かすことの出来ない事実として
As a fact that cannot be moved

受け継がれて行くものだと受け止めています。
We take it as something that will be inherited.

例えば、受け継ぐ方が歪曲してとしても、
For example, even if the inherited person is distorted,

著作物は偽る事は出来ません。
You cannot falsify a copyrighted work.

今日は、
With today's

そんな庭野日敬氏の平和への思いと共に
With such thought of peace by Mr Nikkyo Niwano

宗教者の使命について、
Regarding the mission of religious people,

こころ静かに考えて見たいと思います。
I want to think quietly and see.


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:::::::::::::::::::::::::


宗教者の使命について
Religious mission


    1972年(昭和47年5月号)平和への道より


いつも、私が申しますように、
As I always say,

宗教者の使命は、人と人との間の隔壁を取り除く、
The mission of religious people is to remove the barriers between people,

いや取り除くだけではなく、そこに橋をかけるということです。
Not only to remove it, but to bridge it.

もっと大きく言いますと、
To put it more broadly,

国と国との間に存在する壁を取り除くことが、
Removing the barriers that exist between countries

今や宗教者の一大使命となっています。
It is now a major mission of religious people.


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この表現は、
This expression is

いかにもオバーなものに聞こえるかもしれません。
It may sound overwhelming.

政治・外交、特に国連をもってしてもなかなかできない、
Politics and diplomacy, especially with the United Nations,

国と国との間の隔壁を取り除き、あまつさえ、
The partition between countries was removed, and even pine

理解と協力の橋をかけるなどということは、
To build a bridge between understanding and cooperation,

宗教者として、まことに僭越な言い方かもしれません。
As a religion, it may be a very prejudicial way of saying

しかし、宗教者であればこそ、それが可能だ、と私は思うのです。
But I think it is possible if you are a religious person.


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皆さんは、
everyone is,

スペインの宣教師フランシスコ・ザビエルの
Spanish missionary Mr Francisco Xavier

名まえを、よくご存じのことと思います。
I think you know the name well.

ザビェルは四百年以上も前に、
Mr Xavier was more than 400 years old,

キリスト教を伝えるために初めて日本へ渡来しています。
I came to Japan for the first time to convey Christianity.

もともと富裕な名門の家に生まれたザビエルは、
Originally born in a wealthy prestigious house, Mr Xavier

宣教師になろうという気持ちは毛頭持っていなかったそうですが、
It seems that he didn't have the desire to become a missionary,

青年時代に、パリ大学でイエズス会の創設者
Founder of the Society of Jesus at the University of Paris during his youth

イグナティウス・ロヨラ(スぺインの宗教家)に教化され、
Ignite by Mr Ignatius Loyola (Spain religion),

強い宗教的覚醒を促されたのが、
The strong religious awakening prompted me to

宗教に身を投じる始まりだったと言うことです。
It was the beginning of the religion.


そのザビエルが心中に誓ったことは、
What Mr Xavier swore in his heart

スぺイン、ポルトガルが海外築きつつある政治的帝国を、
Spain, the political empire Portugal is building abroad,

精神的国王に転じさせなければならない、
I have to turn into a spiritual king,

ということだったと言います。
It was that.


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このような大きな目的を懐いて、
Remembering such a big purpose

ザビエルは三十歳のときにリスボンを出発し、
Mr Xavier left Lisbon at the age of thirty,

インドで布教をした後、鹿児島に上陸したときは、
After landing in Kagoshima after evangelizing in India,

すでに四十三歳になっていたと言うことです。
It means that he was already 43 years old.


上陸以来半日にして
Half a day since landing

カタコトの日本語を話すようになったと言うのですから、
He says that he started to speak Katakoto Japanese,

たいへんな努力家だったのでしょう。
He must have been a very hard worker.

汚れた衣服に素足、夜になれは一枚のゴザの上に眠り、
Dirty clothes, bare feet, and sleeping at night sleep on a piece of goza,

食べなれない粗末な食事にさえ
Even a poor meal that you can't eat

感謝するという生活だったといいます。
It is said that he was grateful for his life.

そのような不便な生活のなかで、
In such an inconvenient life,

ザビエルは数多くの人をキリスト教徒にしておりますが、
Mr Xavier makes many Christians

わずかの問に、ザ.ヒエルの髪は白くなってしまったと
Just a few questions, the hair of The Hiel has turned white.

言うのですから大した苦労だったと察しられます。
It seems that it was a lot of trouble because I was saying that.


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さて、ザビエルについて、
Now, about Xavier,

私が、わざわざ紹介したのはほかでもありません。
I haven't introduced anything else.

ザビエルが、東洋征服の食指を伸はそうとしていた
Mr Xavier is trying to reach out to the East

スペイン国王に、日本を攻撃することはやめるべきである、
Attacking Japan on the King of Spain should be stopped,

という進言をしたという一事です。
It is one thing that I made a recommendation.

その理由として、ザビエルは、
The reason is that Mr Xavier

日本人がいかなる艦隊も恐れないこと、
That the Japanese are not afraid of any fleet,

武器を手に入れることに熱中している点からしても、
Even from the point of being enthusiastic about getting a weapon,

日本人がスペイン人を皆殺しにする可能性があること、などを挙げ、
The fact that the Japanese may kill all Spanish people,

日本征服のために出航することを
To set sail to conquer Japan

断念するように意見を述べているのです。
They are giving their opinions to give up.

言うなれば、飛ぶ烏を落とす勢いであった
If you say, it was the momentum to drop the flying crows

スペイン国王に向かって進言しているのです。
He is advising the King of Spain.

その結果、とにもかくにも、当時の混乱していた
As a result, I was confused at the time

戦国時代の日本に、
In Japan during the Warring States period,

外敵侵入の危険をもたらさなかったという点を、
The fact that it did not pose a risk of invading foreign enemies,

高く評価したいものです。
I would like to appreciate it.


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これは、京都大学の市村真一教授の
This is from Professor Mr Shinichi Ichimura of Kyoto University

『現代をどうとらえるか』という著書で拝見したものですが、
I saw it in the book "How to view the present age",

同教授は、
Said the professor

ザビエルについて書かれた動機についても、
Regarding the motivation written about Mr Xavier,

次のように言っておられます。
He says as follows.

「今、この聖徒の物語を長々と書いたのはほかでもない。
"Now is the only one who has written this story of Saints in length.

宗教の力の根本は、
The root of the power of religion is

実に、この人の魂を揺り動かし、
Indeed, it shakes the soul of this person,

一波万波を呼んでいく感応の力であることを
That it is a responsive force that calls for a surge of currents

知ってもらいたいからである」 と。
I want you to know it."


それがまた、私が、ここに、
That is also where I am

その文事を引用させていただいた最大の理由でもあるのです。
This is also the main reason why I quoted the text.



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さて、皆さん、四百年前には、
Well, everyone, 400 years ago,

ザビエルひとりの進言が、
Mr Xavier's only advice

よくスペイン国王の心を揺り動かすことができたかもしれません。
It may well have been able to shake the heart of the Spanish King.

しかし、今日における国と国とのかかわり合いは、
However, the relationship between countries today is

はるかに密接で、複雑になっています。
It's much closer and more complex.

また、ひとりの国王の心を動かすだけでは、
Also, just moving the heart of one king,

どうにもならないほどの政治機構に変質しています。
It has been transformed into a political structure that is beyond control.

このような現代において、
In this modern age,

宗教者は、とくに一国、一民族だけに通用するような
Religious people, in particular, are only applicable to one country and one race.

偏狭な変を説いていてはならないのです。
Don't preach the narrow odds.


世界中の宗教者が、
Religious people around the world

互いに力を合わせて全人類的な愛を説く、
Working together to preach the love of all humanity,

これこそが宗教者の説くべき愛であり、
This is the love that religious people should preach,

慈悲でなければならないと思います。
I think it must be mercy.


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このような観点に立って、
From this perspective,

世界の宗教界をながめたとき、
When looking at the world religious world,

その姿は、決して、
Its appearance is never

私の満足できるものではありません。
t's not my satisfaction.

個々それぞれに愛と慈悲を熱心に語りはしていましても、
Even though we were enthusiastically speaking about love and compassion to each individual,

各宗教の間に偏見と排他の壁があったことは事実です。
It is true that there were prejudice and exclusion barriers between each religion.


平和は、たんなるかけ声やスローガンであってはなりません。
Peace should not be the only call or slogan.


まず、宗教と宗教の間の壁を打ち破らなければならない。
First, the wall between religions must be broken.

そして語り合いの中で理解し合わねばならない。
And we have to understand each other in the conversation.

理解し合えば、必ず友情と協力の橋ができるに違いない。
If we understand each other, we can surely build a bridge of friendship and cooperation.

だからこそ偏見と排他と誤解の壁を取り除くために、
That is why in order to remove the barriers of prejudice, exclusion and misunderstanding,

宗教者は、同じ一つのテーブルにつかなくてはならない。
Religious people must be on the same table.


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言葉にしてみれば簡単なことですが、
It's easy in words,

つまり、これが京都会議(第一回世界宗教者平和会議)に対する、
In other words, this is for the Kyoto Conference (1st World Religious Peace Conference),

私の根本の発想であったのです。
It was my basic idea.


このことをしないで、どうして世界中の宗教者が、
If you don't do this, why are religious people around the world

現代のザビエルとして力を発揮し、
Demonstrate the power as modern Mr Xavier,

平和を招来することができるでしょうか。
Can you bring peace?



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:::::::::::::::::::::::::


いかがでしたか。
How was it.

庭野日敬氏の思いや願いが、
The thoughts and wishes of Mr Nikkyo Niwano

また、おこころが伝わりましたら幸いです。
Also, I would be pleased if you could convey your heart.



次の一歩は、
The next step is

私達が踏み出す事が求められている事です。
That is what we need to take.











タグ:庭野日敬
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仏法は無力か-庭野日敬氏のお言葉 [庭野日敬師の言葉]

庭野日敬氏の教えは、私の人生の大きな心の支えになっています。

長い人生には上り坂もあれば、下り坂もあります。

また、まさかと言う坂まであります。

そんな人生の折り目や節目の様々な出来事の中で、

迷う時や、戸惑う時、たじろぐ時など、

庭野日敬の説く教えを紐解きながら歩んで来ました。

そんな意味でも、

明日(5/4)の庭野日敬氏の御命日の式典は大切な時になります。


今回も、youtube配信がありました。


只、私自身は今日は大事な業務があり
先方に9時に出向かなくてはなりませんので、
その後に拝見をさせていただくつもりです。

もし、お時間がある方は、
お知り合いの方にその旨を伺ってみてください。

新型コロナウイルス肺炎の影響で
多くの皆さんが不安に思っている時だからこそ、
とても、大切な式典になります。



今日は庭野日敬氏の、
こんな言葉が私の胸の響きましたのでお知らせを致します。



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開 祖 さ ま 随 感

      1969年(昭和44年)庭野 日敬 著 『開祖随感』 (佼成出版社) より

仏 法 は 無 力 か


今日、仏教はすでに大衆を救う力を失ってしまった、

という人がいます。

これは、とんでもない間違いだと思うのです。

大衆を救う力が仏法になくなったのではありません。

しかし一方、仏法をしっかりと持ち、

日常の生活上に実践している人が

少なくなっていることも残念ながら認めざるを得ません。


たとえば交通事故は、

人が交通法規を守らないために起こるわけですが、

同じように、人も人の道を守らないがゆえに

苦しみや不幸に自ら突き当たってしまうわけです。


その人の道の根本義を示すのが仏法で、

その道をあゆめばみんなが幸せになれるのに、

多くの人がそれを知らずに不幸に陥っているのです。


ですから、

私たち仏教徒が人の道にのっとって生活し、

その姿を世の人びとに見てもらうことが、

まずもって大事です。


毎日の生活で法に示されたとおりに実践すると人は

どれほど幸せになれるか、

それを自らの姿で示せる人間になることが、

私たち仏教徒のつとめです。


仏法の縁に触れ、その教えを聞いても、それを守り、

実践することがなくては、自分の幸せもなく、

仏教徒としてのつとめも果たすことはできないのです。


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タグ:庭野日敬
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大事をなす人とは、- 庭野日敬師のお言葉 [庭野日敬師の言葉]

「どこまで馬鹿になりきれる事が出来るのか」が私自身の課題だと思っています。

それは、口先は綺麗な事を言っていても、

その内心は自身の思惑や損得ばかりを考えている方々を

たくさん見て来た事もあると思います。


様々なタイプの人達と触れ合う中で自然とそのように考えるようになりました。


また、逆に「私は自身の思惑や損得で動くのだ」と言っている方もいますが、

その人の方が正直で、嘘を言わない分いいかなとも思う時もあります。


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色々なタイプや考え方がありますが、

庭野日敬師は、以下の事をおしゃっていますが、あなたはどう思いますか。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

私はいつも、みなさんに「ばかになれ」とおすすめするのです。

もちろん「ばか」といっても、愚か者のことではありません。

現代人は、毎日、知識のシャワーを浴びているようなもので、

頭のよい人、利口な人ばかりが多くなっているようです。


頭がよすぎると、人の言うことがばからしくて聞けなくなります。


人の言うことを素直に信じることができなくなり、

なにごとも先を見通せるつもりで、

「そんなことは、とても不可能だ」と決めつけ、

初めから手をつけようとしない、といった生き方になりがちなのです。


それにひきかえ、利口ぶらない人は、

みんなが「できない」と決めてしまうことでも、

「これが正しい道ならば」とコツコツと手がけて、

ついに大事を成し遂げてしまうのです。


これが、私の言う「ばかになる」ことです。


初めのうちは、

「あんなことをやっても、むだなのに」と冷ややかに見ていた人たちが、

うならずにいられなくなってしまうわけです。

自ら志願してばかになりきる、その心のゆとりこそが大切なのです。   


庭野 日敬 著 『開祖随感』 (佼成出版社) より

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


あなたは、どのように思いますか。


前に、さらに前に前に・・・・・


☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆
庭野日敬氏の目指した明るい社会づくり運動のホームページはこちらです。
                     http://www.meisha.me/
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足るを知る者は富むー開祖様のお言葉 [庭野日敬師の言葉]

佼成会さんから、昨年の5月1日9時からの大聖堂でのご供養と続いての国富理事長からのあいさつの動画配信の連絡といただきました。

新型コロナウイルス肺炎の発生から、
ご本部や各地の教会の閉鎖の連絡だけで、
私達信者には、音信不通の状態が長い間続いていましたので、
とても楽しみに拝見をさせていただきました。

久しぶりに拝見するご本部でのご供養、
また、国富理事長からのごあいさつがとても良かったと思います。

国富理事長さんのお父様は、
明るい社会づくり活動の拓塾にも、とても熱心に参加をされた方です。
今回の事も、きっと喜んでいると思います。

本当にありがとうございました。


ただ、この映像を何人の方が見る事が出来たのかと言いますと、
ちょっと残念に思っています。

一人でも多くの方に、
ご覧いただけるようにしていただけると、
全国の信者さんの多くが方が喜ぶと思います。

おそらく、その為には
多くのご苦労があると思いますが、
何卒、よろしくお願いいたします。



新型コロナウイルス肺炎の影響で
不安を抱えている方が多い昨今ですが
開祖様はこんな言葉を残しています。

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開 祖 さ ま 随 感

      1973年(昭和48年)庭野 日敬 著 『開祖随感』 (佼成出版社) より


足るを知る者は富む


子どもが五千円のお年玉をもらったら、大喜びします。

ところが、次の年も同じ五千円では、それほど喜びません。

こんどは一万円でなければ驚かない。

その次の年になると、一万円では「なあんだ」という顔で、

二万円もらって、やっとにっこりする。


中学生くらいの子どもでもそうなのですが、

大人となると、なおさらです。


一つの欲が満たされると、

また次の欲が出て、

それが満たされないと不満になってしまうわけです。


これではどこまでも不満は尽きず、

一生、不平不満のうちに終わってしまうことになりかねません。


こんな寂しいことはありません。


十分の収入がある地位にいながら、

それでも満足できずに収賄(しゅうわい)で捕まってしまう人がいます。


立派な家に住んでいても、

家族が不満だらけでいがみ合っている家もあります。

それに比べて、

アパート暮らしのつましい家計の中で一家が仲むつまじくいたわり合い、

いつも笑顔で暮らしている家庭を、私はたくさん実際に見ています。


どちらが幸せでしょうか。

老子(ろうし)の言葉に「足ることを知る者は富む」とあります。

よくよくかみしめたいものです。


^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

お互い様に、頑張りましょう。




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庭野日敬の語る、明るい社会づくり運動のすぐれたリダーとは、 [庭野日敬師の言葉]

新型コロナウィルス肺炎が猛威をふるっている中ですが、次第に季節が冬の装いに変わりつつある今日この頃です。


皆様は、いかがお過ごしでしょうか。


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私は、明るい社会づくり運動とは、

烏合の衆であっていけないと考えています。

その為には、的確なリダーが不可欠になります。

庭野日敬氏は、

人を導くリーダーのすべてが心すべきこと、

として、以下の事をお話になっています。


::::::::::::::::::::::::::::::::


先に憂い後に楽しむ


後楽園というと、みなさんは野球場を思いだされると思いますが、

元は、水戸の殿さまによって造られた庭園の名前で、

中国の「先憂後楽」という古い言葉から、

そう名づけられたと聞いています。

「先憂後楽」とは、

国を治める者は民に先立って憂い、

民に後れて楽しまねばならぬ、という意味です。

民に後れて楽しむとは、

民が喜ぶのを見て自分の喜びとすることで、

為政者にとって大切な心構えです。

逆に言うと、

民に先んじて自分だけが楽しむような為政者であっては

失格ということになります。

為政者、政治家にかぎらず、

先憂後楽は、

人を導くリーダーのすべてが心すべきことでありましょう。

あの人、この人のことを、

自分のことより先に心配してあげる。

なんとしても幸せになってもらわなくてはならないと、

その道を教えてあげ、

その人が幸せになった姿を見て

「本当によかった」と心から喜ぶ。

そういう人になりたいものです。

それこそ、

仏さまのお慈悲の眼を持った人でありましょう。

1968年(昭和43年)

庭野 日敬 著 『開祖随感』 (佼成出版社) より

::::::::::::::::::::::::::::::::::::



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いかがでしょうか。

私自身も、

佼成会さんとご縁をいただき、

また、明るい社会づくり運動に携わるようになり、

様々な局面に遭遇する事がありましたが、

とても、大切な事であり、

自分自身にも戒めなくていけない事だと、

こころの常に留めておりますが、


あなたは、いかがだったでしょうか。


お互い様に、

自身の心に刻んで置きたい一言だと思います。



参考:烏合の衆とは
    読み方-うごうのしゅう
    意味- 烏合の衆とは、まとまりのない寄せ集めの集団のこと。

諸法実相と十如是についてー庭野日敬氏のお言葉 [庭野日敬師の言葉]

庭野日敬氏の説く法華経はとてもわかりやすい教えです。

只、その庭野日敬氏の説く法華経を
聞いてる方の機根によって聞こえて来る姿が変わって来ます。

例えば
スパゲッティは、どなたでもご存知のお料理ですが、
スパゲッティを食べたことが無い方に、
いくらスパゲッティの味を丁寧に説明をしても、
なかなか分かっていただく事は難しいです。

ところが、
黙って一口食べていただければ、
その味は、一目瞭然になります。

その様に、
庭野日敬氏の説く法華経を実践しない方には、
どうしても、雲をつかむようなお話になってしまいます。

また、スパゲッティの種類は一種類ではありません。
たくさんのスパゲッティの種類がある事が、瞬時に理解出来ます。

ですので、
庭野日敬氏の説く法華経は単純明快な教えになります。


特に最近では、
教団の代表者や教団関係であっても、
庭野日敬氏の説く法華経を実践しない、
出来ない方がいる事を、とても残念に思っています。


そこで大切な事は、
教団の代表者や教団関係の方、
さらに協会長さんや支部長さん、
また、
末端の会員さん等の役職は
庭野日敬氏の説く
法華経の世界では一切関係ありません。


末端の会員さんであっても、
法華経を実践する方には結果・現象が変わりますので
幸せな日々を送る事が出来ます。


教団の代表者や教団関係であっても、
法華経を実践しない方は結果・現象が変わりませんので、
いつまでも、闇の世界にとどまる事になります。



今日は、そんな観点で法華経の要の教えの一つになります、

諸法実相と十如是について、

以下のように述べている内容をご紹介いたします。



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:::::::::::::::::::::::::


 諸法実相と十如是について 

      
昭和51年4月号 機関紙 求道


東大の名誉教授で官本正尊というかたがいらっしゃいます。

印度哲学の大家で印度学仏教学会の理事長でもある立派なかたです。

今から二十年くらい前になるでしょうか、

私はその宮木先生に十如是の理(ことわり)についてお聞きしたことがあります。


そうしましたら、先生いわく

「庭野さん、そんなもの説いたって、

だれにもわかりゃしないよ。」と言われます。

そこで重ねてどうしてですか、とお閲きしますと、先生はこう言われました。

「たとえば、東大の生徒にいくら説いたって、

十如是なんてわかりやしない。

そんなものを説いて立正佼成会の信者はわかるのかい」。(中略)


そのように、頭のいい人を相手に、頭の秀でた印度哲学の大家が

いくら説いて聞かせてもわからないものも、

お導きをした人にはその十如是の縁起がすらすら説けるのです。


なぜかと言いますと、

それは仏の慈悲、仏の友情から出た体験をもっているからです。


この娑婆はみんなの集まり、集合体によって、成り立っています。


ひとりひとりが、たいせつな友達です。

人間同士がお互いに友情を持って

〃この人を幸せにしてあげたい〃と思えはこそ、法門を説いて、

自分の体験を話して導こうとするわけです。


ですから、

人を救うという活動をしていない人には、

十如是はわからないのです。


お経だけを一生懸命に読んで、

勉強しているだけという人には、

いくら印仏学会の理事長が説いてもわからない。


なのに、私どものような

落第生が人さまに向かって説かせていただくと、みんなわかる、

というのは不思議なことに思えますが、

それが仏さまの法力なのです。


お導きの功徳がそこにあるのです。

人さまに幸せになってもらうために、手をとってさしあげよう、と

一生懸命になってご法を実践している人が、

十如是の縁起を聞くと、

なるほど、ここはこうなのか、

そしてここはこうなっているのか、と

すぐにわかってしまう。


「この人のこういう現象の

是の如き相、是の如き性、是の如き体、力、作、困、縁は

こういうことなんだ。

この人の力はこういぅことで、

作はこのようであり、

それが原因となって、このような縁にふれ、

このような果報を受けているのだ」と、

そこまではっきりしてきます。



仏さまもそういうことを悟られて、

どのように教えたら人間の、

また物事の実態がよくわかるかを考えられて

十如是を説かれたのです。




ですからこれは、

お釈迦さまの説法の中でも、

最も大事な難しい教えだと言われております。




方便品にある

「諸仏世尊は、唯一大事の因縁を以ての故に世に出現したもう」

というお言葉も、

この十如是のことがわかると

はっきりしてきますし、

法華経のおおよその

構想までがつめてくるのであります。  
                       

^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^



いかがでしょうか。

この事は、近年衰退が危惧されてる

佼成会さんの法座や結びにも言える事です。


具体的に言いますと、

法座が成立しない、

結びを指導できる方がいない、少ない。


その危機感を果たして、

どの程度もっているのでしょうか。




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お気付き事がありましたらご連絡を下さい。

佐藤福男


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