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庭野日敬氏の提唱した明るい社会づくり運動の原点を探る [インタネット講座「拓塾」]

庭野日敬氏が
明るい社会づくり運動を提唱してから半世紀以上が経過しました。

その間に、何度かの大きな節目を向かえながら現在の活動のあり方に至っています。その間に、様々な方々のご協力やお力添えいただい来ましたお陰様で今日があるように思います。

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さて、世間の世の中の流れに目を転じますと、現在は「第五次産業革命」の時と言われていまして、世の中が今まで以上に目まぐるしく変化を繰り返して来ました。また、今後もさらに大きな変化を繰り返して行く時代の真っただ中に私たちは生活をしています。時には数年前の出来事は風化され忘れされてしまう事も多い時でもあります。

しかし、その時代の変化と共に
私たちの心のありようはどんなんでしょうか。

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最近の新聞やインターネット上で語られている出来事は、庭野日敬氏が明るい社会づくり運動を提唱した時より、世の中の心のありようはさらに荒廃しているように映っています。

また、明るい社会づくり運動の
活動状況はますます衰退の一途をたどっています。


それは、自分自身の問題として捉える方が非常に少なく、他人事と捉えている方が多い現実が一因しているようです。

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例えば、庭野日敬氏は法華経を基盤として明るい社会づくり運動を提唱していますので、法華経の研鑽を重ねていますと、その事がとてもよく理解する事が可能になります。しかし、その法華経の研鑽がルーズになって来ますと庭野日敬氏の提唱した思いや願い等の理解が難しくなって来ますので、己の利益や利害関係が中心になって来ます。すると、その方向性が次第にゆがめられてします現実が、過去の宗教の流れを見ると客観的に理解出来ます。

まさに、現在の明るい社会づくり運動の
姿を反映しているように私には映ります。


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今回は、そんな現在の明るい社会づくり運動のありようを点検する意味で、庭野日敬氏が明るい社会づくり運動を提唱した真意を探って見たいと思います。

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参考文献:明るい社会づくり運動 “行動と理論” 
      日本を支える大きなうねりに 佐藤秀裕著ヨリ
       著者:佐藤秀裕氏:長崎県出身。
          元 明るい社会づくり運動全国協議会 拓塾々長 

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7.運動提唱の真意(P54~57)

運動提唱意図の真意は何であったか

第一回世話人会を開く前日、昭和五二年一月二四日、初めて本運動の提唱者・庭野日敬氏と世話人との懇談会がもたれた。

この会談を開催するに至った経由は、これまで数回重ねてきた中央連絡会議での主な質疑の一つに提唱団体である、全国二〇〇余の教会会員が熱心なあまりか、布教活動の一環にみえるらしい。会則・運動方針では、地域住民、国民運動と謳っておきながら、どういうわけかということである。

このことの真意を、
提唱者としての庭野日敬氏に直接伺ってみることになって、
前述の世話人との会談が催けられることになったのである。

この時の、庭野氏の発言で、私の記憶に鮮明に残っている内容の一部がある。これからの提唱団体の立場と、明社運動の関りと指針を示す根本となるもので、これが今日まで活字となって現れてないので、印象をできるだけ正確にに記しておきたいと思う。

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提唱者の基本的見解

庭野氏の発言の主な要旨は次の通りであった。

「明るい社会づくり運動の始まりの基本は宗教の協力にあった。自分の教団を拡大していくことも大事であり、そうなるのも当然だが、今の時代は、国民的問題として精神的荒廃、心が忘れられている。人間の精神、心を直接扱っているのは、宗教者である。まず宗教教団、宗教者が一致協力して、宗派を超えて、この問題に対処すべきと思っている。

その意味で私は一教団の会長というより
一宗教者としての責務として、この本運動を提唱した。

従って、私が提唱したからと言って、具体的な運動の理念・方法はこうあるべきだとか、こうすべきなどと私が口を入れるとかえって、この連動を鋳型にはめるようなことになり、本来的な市民、地域住民運動に育っていかないと思う。

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運動の具体的な理念、活動の方策については、その地域の方々の英知を結集して、本来的な検討、研鑽していくべきと思う。人間として、正しいあり方、生き方を原点にすれば、宗旨、宗派、主義主張を超えて、一緒になって共に働けるはずである。その意味を含めて、誰もが入りやすい共通の土俵として 『明るい社会づくり運動』という言葉で提唱した。」

大体以上の主旨のことを述べ、自分の教団拡大のための手段として、考えていないことなどを強調された。

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しかし、この時の話は、地域運動リーダーに対しての話であって、立正佼成会会員に対しては、庭野日敬氏は明社運動にとりくむ姿勢・運動の理念については、仏教観に基づく、運動理念、姿勢をきちんと指導しているのである。

ここで私共がよく誤解するところであるが、「明るい社会づくり通勤の提唱者は庭野先生で、当然運動理念も庭野先生から出ている。従って指導も庭野先生からでている。という認識が、一部の人に働くところにある。


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この考えが地域住民参加の国民運動をめざすのか、一教団の社会運動なのか、という問題を生む原因となってくる。この点が全国各地域の明社組織と提唱団体各教会との問にちょっとした見解のちがいから、誤解を抱いているところもある。
せっかく善意でやったことか運動理念についての混同と明社組織の混同かマイナスの形てあらわれることのないようにしたい。

庭野氏の真意は、提唱団体の立場は基本的に黒子役に徹する事を望んでいる。
(P66ページ参照)

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提唱者・庭野日敬氏、初の登場 (P66ページ)

提唱者である庭野日敬氏は、仏教で説く縁起観に立って、本連動の提唱の意義を次のように述べた。

庭野氏が運動の意義と提唱の主旨を公的な場で話すのは初めてのことであるので、主催者側の私共も大変、関心をもって傾聴した。要旨は次のことであった。

「明るい社会づくりは、お互いに持ちつ持たれつの関係で、
世のため人のために、という考えから始まった。これが出発点。

世の中の物質は有限であるという時代状況の中で、何の尺度を持って、将来を予測するかということが、我々の気にするところである。

仏教で説くところの「縁起説」は、自他一体という形でものを考えていく。人との出合い、触れ合いの中で関係が生ずる。「善因善果」「悪因悪果」という法則である。

人との関係を最も大事にしていけばうまくいく。従って、有限の時代においては、自分だけ、自国だけの立場を守っていくことは、法則からみれば、悪因をつくることになる。


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こういう意味で、お互いに善縁を結ぶために、自分のでき得るだけのことを、社会のために尽くす。そこに善果が生れる。ここに明社運動を提唱した所以があるわけである。大衆の中に宗教家が素っ裸になって、まず、お手本を示すことが大事と思う。

そして、世間の人に愛され、信じられる教団になっていくためにも、宗派を越えて、いろいろな宗教の万々にも協力を願っている。

今はもう、推進されている方々の英知が結集されて、いろんな角度からの具体的な方法が生まれているようである。
今後とも、皆様の結集された英知に離れないで、協力をお誓い申し上げたい。」以上の主旨のことを語った。


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「大衆の中に宗教家が素っ裸になって、まずお手本を示すことが大事と思う」というところは、なかなか一教団の会長としては言えないことではないか。「本連動が布教の一環ではないか」という、疑念を思わせる内容は一言もないことに注目しておきたい。

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庭野日敬氏の真の思いや願いは、どなたでも理解し・具現化出来るものだと思います。

但し、先程も述べたように法華経の研鑽度合いがその方・その団体・その組織の利害関係が作用した時にその足取りを重くしてしまうようです。

そんな意味でも日々の研鑽を重ねて行きたいと考えています。

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