明るい社会づくり運動の庭野日敬師の本当の願いとは! [インタネット講座「拓塾」]
以前、庭野日敬師から
こんな事を教えていただいた事を思い出します。
物事が成就するのには、
「天の利・時の利・人の利」が揃わないと、
なかなか物事が成就しない事を。
ですので、私は、
それぞれの方々がお互いの目標に向かって、
精一杯の努力が、出来たのか・
否かを問う事が大切だと思っています。
そして、お任せをして
依頼をすべきところはお願いをし、
自身ですべきところはキッチリと、
精一杯の努力をする事が大切です。
すると、
「物事の結果は、後から付いてくる物だ。」と考えています。
もし、私達のしようとしている事が本当に大切な事で、
「天の利・時の利・人の利」が揃わないとすると、
時を待つゆとりも、とても大切なポイントであります。
ところで、
明るい社会づくり運動について、
庭野日敬師は以下の事をおしゃっています。
あなたには、
どこまでの事が理解出来ますか。
またどこまで実践出来ますか。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
最近、いい言葉を学びました。
アメリカへ出かけた折、
ホテルで読んだ山田無文老師のご本に、
臨済の教えが出ておりました。
「無位の真人」いう言葉ですが、
なるほど昧わいのある、
いい言葉だと思いました。
だれもが自分は凡夫なんだ、
と決めてかかっている世の中ですが、
それを自分には何の位もないが、
われこそ真の人間なんだという自信に変えていったら、
それだけでも世の中は明るくなるはずです。
また、それを説くことによって、
集まってきた人たちに、
参加を呼びかけていく場所をつくることができれば、
第一段階の成功といっていいでしょう。
むろん、
この運動を立正佼成会のために
しようとする気持ちはありません。
第一、宗教協力といった言葉一つにしても、
ただ教団を大きくしたいというだけのことなら、
無駄なことです。
協力し合うからには、
他の宗派の人たちに向かって、
「あなたのところより、
うちの教団のほうがいいから
いらっしゃい」とは言えるわけがありません。
明るい社会づくり運動も同じです。
ところで、「国民皆信仰」は、
新宗達がめざす四つの柱のうちの
一つですがこの目標を果たすためには、
、
なんらかの形で、
これが宗教者の生き方だという行ないも見ていただきたいし、
話も聞いていただきたい、
と私はかねがね考えていました。
それに沿って
提唱してきたのが、明社運動です。
また、そうしてお互いが相手を尊重し合って、
仏性を拝みながら協力していけば、
この世の中はたちまち極楽になると確信しています。
(中略)
この世を極楽にするもしないも、
心の置きどころ一つですから、
集まってくる人びとが
真の人間になれるか、
なれないかによって、
それが決まるのです。
(昭和53年・11付・機関誌「佼成」)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆
庭野日敬氏の目指した明るい社会づくり運動のホームページ
http://www.meisha.me/
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こんな事を教えていただいた事を思い出します。
物事が成就するのには、
「天の利・時の利・人の利」が揃わないと、
なかなか物事が成就しない事を。
ですので、私は、
それぞれの方々がお互いの目標に向かって、
精一杯の努力が、出来たのか・
否かを問う事が大切だと思っています。
そして、お任せをして
依頼をすべきところはお願いをし、
自身ですべきところはキッチリと、
精一杯の努力をする事が大切です。
すると、
「物事の結果は、後から付いてくる物だ。」と考えています。
もし、私達のしようとしている事が本当に大切な事で、
「天の利・時の利・人の利」が揃わないとすると、
時を待つゆとりも、とても大切なポイントであります。
ところで、
明るい社会づくり運動について、
庭野日敬師は以下の事をおしゃっています。
あなたには、
どこまでの事が理解出来ますか。
またどこまで実践出来ますか。

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最近、いい言葉を学びました。
アメリカへ出かけた折、
ホテルで読んだ山田無文老師のご本に、
臨済の教えが出ておりました。
「無位の真人」いう言葉ですが、
なるほど昧わいのある、
いい言葉だと思いました。
だれもが自分は凡夫なんだ、
と決めてかかっている世の中ですが、
それを自分には何の位もないが、
われこそ真の人間なんだという自信に変えていったら、
それだけでも世の中は明るくなるはずです。
また、それを説くことによって、
集まってきた人たちに、
参加を呼びかけていく場所をつくることができれば、
第一段階の成功といっていいでしょう。
むろん、
この運動を立正佼成会のために
しようとする気持ちはありません。
第一、宗教協力といった言葉一つにしても、
ただ教団を大きくしたいというだけのことなら、
無駄なことです。
協力し合うからには、
他の宗派の人たちに向かって、
「あなたのところより、
うちの教団のほうがいいから
いらっしゃい」とは言えるわけがありません。
明るい社会づくり運動も同じです。
ところで、「国民皆信仰」は、
新宗達がめざす四つの柱のうちの
一つですがこの目標を果たすためには、
、
なんらかの形で、
これが宗教者の生き方だという行ないも見ていただきたいし、
話も聞いていただきたい、
と私はかねがね考えていました。
それに沿って
提唱してきたのが、明社運動です。
また、そうしてお互いが相手を尊重し合って、
仏性を拝みながら協力していけば、
この世の中はたちまち極楽になると確信しています。
(中略)
この世を極楽にするもしないも、
心の置きどころ一つですから、
集まってくる人びとが
真の人間になれるか、
なれないかによって、
それが決まるのです。
(昭和53年・11付・機関誌「佼成」)
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庭野日敬氏の目指した明るい社会づくり運動のホームページ
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