・明るい社会づくり運動を提唱した、庭野日敬師の心情を思うと・・・・・・。 [明るい社会づくり運動のポイント]
「庭野日敬師の提唱された明るい社会づくり運動は失敗に終わった。」と、
私に、お話してくれたのはN事務局長さんでした。
私は十数年前、明るい社会づくり運動の状況を教えていただく為に、東京の事務所を訪ねました。そこで、私の応対に出てくだった当時のN事務局長さんが、私にお話して下さいました。
そして、「各都道府県の協議会を順次解散していただく為に準備を進めている。」との事。
私は自身の耳を疑いました。
しかし、事務長さんは同じ事を繰り返すばかりでした。「結論はすでに出ている。」
「そんな馬鹿な事はないはずです。資料を見ればそんな事はないはずです。以前の資料を見せていただけませんか。」と言うと、N事務局長は「以前の資料は引っ越しの時に、破棄してしまいましたので、ここにはもうありません。」との事でした。
「そんな・・・・・・。馬鹿な・・・・・・・・。」

まず、私の地元の山梨の状況を調査して見ると、以下の状況でした。
当時の、山梨県協議会の会長さんは県知事をなさっていた天野建氏(故人)でした。
天野建氏(故人)は県知事をなさる前から、明るい社会づくり運動にはとても熱心で協力的に参加をなさる方でしたが、県知事になられてからは公務にお忙しい為に、時間の間をぬって参加したいただいていました。
そして、県知事をおりてからは明るい社会づくり運動に参加する事を、とても楽しみにしていたと、側近の方から伺いました。しかし、突然に届いた一通の封書、「山梨県明るい社会づくり運動協議会・会長の解任」との内容通知が届いたようです。その事にとても驚いた天野建氏(故人)は「どうなっているのか。」と状況の説明を求めたとの事でした。
おそらく、天野建氏(故人)には事前に何の説明も、同意も、相談も、何も求めずに、いわば「蚊帳の外」の状態で、明るい社会づくり運動の解体作業が進められたようです。
後日談ですが、当時の山梨県の明るい社会づくり運動の気心の知れたお仲間達の集まりの席で、天野建氏(故人)は、山梨の明るい社会づくり運動の解体劇をとてもとても残念がっていたとの事でした。せめて、山梨県協議会の明るい社会づくり運動の解散式をやって、終わりにしたかったとお話されていたようです。
また、神奈川県協議会の明るい社会づくり運動においては、
N事務局長さんが、横浜に訪れ、神奈川県の明るい社会づくり運動の解体を懇願していたようです。当時の神奈川県連の事務局長さんからのお話しですが、その時のお話は神奈川県協議会の明るい社会づくり運動は解体をせざるを得ない状況のお話だったようです。当時の、神奈川県協議会の明るい社会づくり運動の会長さんはクリスチャンでしたが、とてもとても残念で悔しがっていたようです。
このような状態は、全国の都道府県全てではなく、
ある種のリストに基づいて行われたようですので、現在でも、都道府県協議会が活動を行っている地域もありますので、何らかの意図に基づいて、都道府県協議会の解体作業が行われたようです。
また、他の地域では、別の意図をもった都道府県協議会が立ち上がっているようです。一方では、都道府県協議会を解体に追い込み、また他方では都道府県協議会の設立を行っているようです。
このような状態の、明るい社会づくり運動ではとても支持は出来ないと判断され、
何も言わずに、明るい社会づくり運動から距離を置く方が増えて行きました。
誠に残念ですが、
私の友人知人の中でも明るい社会づくり運動から離れて行く人達が多い現実です。
特に、山梨県協議会と神奈川県協議会は明るい社会づくり運動の模範的な先進県でしたので、このようなお話は、庭野日敬氏の心情をご存じの方からすると、とても信じ難いお話です。
また、あってはならないお話だと思います。

法華経を信受している
庭野日敬氏のお弟子さん達のする事とは、とても思えません。
今後、明るい社会づくりを進めて行く為には、より多くの賛同者やご協力をいただかない事には始まりません。その事を考える時、まった逆の事をしているのではないでしょうか。
明るい社会づくりは、一団体では出来るものではない事は多くの方が承知している事です。ですから、より多くの方々から賛同してもらえる活動体にならなくてはいけません。自分たちの好きかってな自己満足の活動では、多くの方の賛同はいただけない事は小学生でもわかる事です。
私は思います。
明るい社会づくり運動は、庭野日敬氏の「明るい社会を、皆で築きましょう。」との、並々ならぬ情熱と行動力、また、各界の多くの賛同者の方々のご支援やご協力と、長い長い時間を掛けてここまで築き上げて来たのもです。ごく一部の人達の意見や考えで、庭野日敬氏の願いや思いとは別の方向へ持っていく事は断じて許してはならないと思います。特に、明るい社会づくり運動にご協力いただいた方々に対して、その行為や思いを裏切るような事は、断じてあってはならないと考えます。
もし、「庭野日敬師の提唱した明るい社会づくり運動が失敗に終わった。」と、するならば、
それは、どなたが、「庭野日敬師の提唱した明るい社会づくり運動が失敗に終わらせる。」との、シナリオを描かかない限りあり得ないと、私は思っています。
私は、知っています。
誰が指示をして、誰が実行したか。
また、その事を容認したのは誰か。
でも、その事はあえて言いません。
あなたは、この事実を平気で見過ごして行きますか。
仏教は因果応報を説いています。
いままで、骨身を惜しんで頑張って来た方々を、後ろからバッサリと切り捨てるような事をしてしまった事の因果とは、どのようになって行くのでしょうか。
庭野日敬氏は、法華経を基に活動を繰り返して来た方です。その法華経には、この事をどのように説いているのかを理解しているのでしょうか。

↓ クリック
明るい社会づくり運動は、これで本当に良いのでしょうか!
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
庭野日敬師は、
昭和四十四年の「躍進」で次の事をおしゃっています。
「いまの世の中に一番求められているのは、
人間の自尊心、個人の主体性、社会的責任に訴えかけてエネルギーを引き出し、
個人の努力が社会全体の進歩に寄与するような活動を促す、
精神の復興連動のリーダーである」
「明るい社会はだれかがつくってくれるというものではない
、
気のついた人、目覚めた人がまず立ち上がって行動を開始し、
他の人々にも根気よく呼びかけていかなければならない」
「より良き未来に向かって進んでいると信じられる時には、
人は山をも動かしますし、
反対にもし希望がもてなければ、人は沈潜し腐敗する」
もう40年近くの前のお話ですが、
現在にあてはめても違和感のないお話だと思いませんか。
また、以下の事も述べています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「山田恵諦貌下が常におっしゃっていた
『よいことは長く続く。よくないことでないと長続きしない』ということです。
法華経というのは二もなく三もなく『一仏乗』なんです。
仏さまの願いというものは、すべての人を仏の境地へ導き、
本当の幸せにしてあげたいという一事につきるんです。
『草木国土悉皆成仏』という言葉がありますように
人間はむろん、草も木も水も士もすべて仏になれるんです。」

そして、
「そういうことです。
いわば、明るい社会づくりの大導師は仏さまなんですよ。」
とおしゃっています。
庭野日敬師の提唱した明るい社会づくり運動を
失敗に終わらせる事など断じて、考えられません。
お互い様に、様々なご苦労があると思いますが
精進・努力して行きたいと思います。
☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡

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そして、「各都道府県の協議会を順次解散していただく為に準備を進めている。」との事。
私は自身の耳を疑いました。
しかし、事務長さんは同じ事を繰り返すばかりでした。「結論はすでに出ている。」
「そんな馬鹿な事はないはずです。資料を見ればそんな事はないはずです。以前の資料を見せていただけませんか。」と言うと、N事務局長は「以前の資料は引っ越しの時に、破棄してしまいましたので、ここにはもうありません。」との事でした。
「そんな・・・・・・。馬鹿な・・・・・・・・。」

まず、私の地元の山梨の状況を調査して見ると、以下の状況でした。
当時の、山梨県協議会の会長さんは県知事をなさっていた天野建氏(故人)でした。
天野建氏(故人)は県知事をなさる前から、明るい社会づくり運動にはとても熱心で協力的に参加をなさる方でしたが、県知事になられてからは公務にお忙しい為に、時間の間をぬって参加したいただいていました。
そして、県知事をおりてからは明るい社会づくり運動に参加する事を、とても楽しみにしていたと、側近の方から伺いました。しかし、突然に届いた一通の封書、「山梨県明るい社会づくり運動協議会・会長の解任」との内容通知が届いたようです。その事にとても驚いた天野建氏(故人)は「どうなっているのか。」と状況の説明を求めたとの事でした。
おそらく、天野建氏(故人)には事前に何の説明も、同意も、相談も、何も求めずに、いわば「蚊帳の外」の状態で、明るい社会づくり運動の解体作業が進められたようです。
後日談ですが、当時の山梨県の明るい社会づくり運動の気心の知れたお仲間達の集まりの席で、天野建氏(故人)は、山梨の明るい社会づくり運動の解体劇をとてもとても残念がっていたとの事でした。せめて、山梨県協議会の明るい社会づくり運動の解散式をやって、終わりにしたかったとお話されていたようです。
また、神奈川県協議会の明るい社会づくり運動においては、
N事務局長さんが、横浜に訪れ、神奈川県の明るい社会づくり運動の解体を懇願していたようです。当時の神奈川県連の事務局長さんからのお話しですが、その時のお話は神奈川県協議会の明るい社会づくり運動は解体をせざるを得ない状況のお話だったようです。当時の、神奈川県協議会の明るい社会づくり運動の会長さんはクリスチャンでしたが、とてもとても残念で悔しがっていたようです。
このような状態は、全国の都道府県全てではなく、
ある種のリストに基づいて行われたようですので、現在でも、都道府県協議会が活動を行っている地域もありますので、何らかの意図に基づいて、都道府県協議会の解体作業が行われたようです。
また、他の地域では、別の意図をもった都道府県協議会が立ち上がっているようです。一方では、都道府県協議会を解体に追い込み、また他方では都道府県協議会の設立を行っているようです。
このような状態の、明るい社会づくり運動ではとても支持は出来ないと判断され、
何も言わずに、明るい社会づくり運動から距離を置く方が増えて行きました。
誠に残念ですが、
私の友人知人の中でも明るい社会づくり運動から離れて行く人達が多い現実です。
特に、山梨県協議会と神奈川県協議会は明るい社会づくり運動の模範的な先進県でしたので、このようなお話は、庭野日敬氏の心情をご存じの方からすると、とても信じ難いお話です。
また、あってはならないお話だと思います。

法華経を信受している
庭野日敬氏のお弟子さん達のする事とは、とても思えません。
今後、明るい社会づくりを進めて行く為には、より多くの賛同者やご協力をいただかない事には始まりません。その事を考える時、まった逆の事をしているのではないでしょうか。
明るい社会づくりは、一団体では出来るものではない事は多くの方が承知している事です。ですから、より多くの方々から賛同してもらえる活動体にならなくてはいけません。自分たちの好きかってな自己満足の活動では、多くの方の賛同はいただけない事は小学生でもわかる事です。
私は思います。
明るい社会づくり運動は、庭野日敬氏の「明るい社会を、皆で築きましょう。」との、並々ならぬ情熱と行動力、また、各界の多くの賛同者の方々のご支援やご協力と、長い長い時間を掛けてここまで築き上げて来たのもです。ごく一部の人達の意見や考えで、庭野日敬氏の願いや思いとは別の方向へ持っていく事は断じて許してはならないと思います。特に、明るい社会づくり運動にご協力いただいた方々に対して、その行為や思いを裏切るような事は、断じてあってはならないと考えます。
もし、「庭野日敬師の提唱した明るい社会づくり運動が失敗に終わった。」と、するならば、
それは、どなたが、「庭野日敬師の提唱した明るい社会づくり運動が失敗に終わらせる。」との、シナリオを描かかない限りあり得ないと、私は思っています。
私は、知っています。
誰が指示をして、誰が実行したか。
また、その事を容認したのは誰か。
でも、その事はあえて言いません。
あなたは、この事実を平気で見過ごして行きますか。
仏教は因果応報を説いています。
いままで、骨身を惜しんで頑張って来た方々を、後ろからバッサリと切り捨てるような事をしてしまった事の因果とは、どのようになって行くのでしょうか。
庭野日敬氏は、法華経を基に活動を繰り返して来た方です。その法華経には、この事をどのように説いているのかを理解しているのでしょうか。

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庭野日敬師は、
昭和四十四年の「躍進」で次の事をおしゃっています。
「いまの世の中に一番求められているのは、
人間の自尊心、個人の主体性、社会的責任に訴えかけてエネルギーを引き出し、
個人の努力が社会全体の進歩に寄与するような活動を促す、
精神の復興連動のリーダーである」
「明るい社会はだれかがつくってくれるというものではない
、
気のついた人、目覚めた人がまず立ち上がって行動を開始し、
他の人々にも根気よく呼びかけていかなければならない」
「より良き未来に向かって進んでいると信じられる時には、
人は山をも動かしますし、
反対にもし希望がもてなければ、人は沈潜し腐敗する」
もう40年近くの前のお話ですが、
現在にあてはめても違和感のないお話だと思いませんか。
また、以下の事も述べています。
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「山田恵諦貌下が常におっしゃっていた
『よいことは長く続く。よくないことでないと長続きしない』ということです。
法華経というのは二もなく三もなく『一仏乗』なんです。
仏さまの願いというものは、すべての人を仏の境地へ導き、
本当の幸せにしてあげたいという一事につきるんです。
『草木国土悉皆成仏』という言葉がありますように
人間はむろん、草も木も水も士もすべて仏になれるんです。」

そして、
「そういうことです。
いわば、明るい社会づくりの大導師は仏さまなんですよ。」
とおしゃっています。
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・庭野日敬氏の思いや願いを正しく理解しましょう。 [明るい社会づくり運動のポイント]
・庭野日敬氏の思いや願いを正しく理解しましょう。

庭野日敬氏より提唱されて来ました、明るい社会づくり運動は50年以上の経過しました。
今こそ、明るい社会づくり運動のさらなる飛躍の為に、新たな活動のスタートをすべき時期に来ているのではないかと私は考えます。
特に、現在の社会情勢を知るにしたがって、犯罪率の増加、家庭の崩壊、いじめ 等、目に余る情景があまりにも多すぎます。またこのような状況は、年々悪くなる事はあっても、なかなか良くはならない現実があります。
この事を思った時に、私は明るい社会づくり運動の必要性が高まって来ていると思うのです。
今こそ、「みんなで力を合わせて明るい社会づくりを推進しましょう」と、言う事がとても大切な時期だと思います。

庭野日敬氏の思いや・願いとは、
明るい社会づくり運動のさらなる飛躍の為には、提唱者・庭野日敬氏が何を思い、何をしようとしたのかを検証し、さらなる行動を起こす事が必要不可欠だと思っています。
明るい社会づくり運動の原点が理解できる時には、その方向性は自然とはっきりしてくると思っています。
庭野日敬氏は、仏教的精神(思いやり心・感謝の心・奉仕の心)を一宗教団体の枠を超えて明るい社会づくり運動を通じて広めようとなさったのだと理解しています。
そして、その為に庭野日敬氏は、「黒子に徹して、花を譲り、実を採る」と言っておられたと、側近の方から伺っています。
その庭野日敬氏が提唱された明るい社会づくり運動に、各界の方々が共鳴し賛同され立ちあがったのだと思います。

でも残念ながら、
現在ではその理解度に温度差があるようです。
明るい社会づくり運動の方向性につきましても、その時々の時代の変化に伴って、変化すべき事があっても良いと思いますが、逆に変化してはいけない事もあっても良いのではないでしょうか。
明るい社会づくりは一人では出来ません。
でも、一人から活動を始めなくてはいけないと考えます。
そして広く同じ志を持つ多くの仲達が、活動エリヤを超えて、コミニュケーションを取り合い、縦糸・横糸のネットワークを組んで行く事が、今後の活動の飛躍の為には不可欠だと考えます。
私は、その目的の為にこのホームページを立ち上げました。
☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆
庭野日敬氏の目指した明るい社会づくり運動のホームページ
http://www.meisha.me/
☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆
明るい社会づくり運動を提唱された庭野日敬氏の、真の願いや思いを、正しく伝える事が最も重要だと考えました。
そして正しく庭野日敬氏の真の願いや思いを、理解していただく為に、その事について書かれている正確な情報を探しました。
誰かに聞いたとか、
そのように言っていたとかではなく。
正式な場でお話された事や、ご自身の著書に書かれた事が、間違いない事だと考え、ホームページに掲載させていただきました。
お読みいただく方には是非、庭野日敬氏の提唱された、明るい社会づくり運動の真の願いや思いを正しく、ご理解いただきたいと念願する次第です。
私は、思いやりのある・感謝の心や奉仕の心があふれる社会が広がったら、今よりもっと明るい社会が出来ると考えています。
庭野日敬氏は、こらから行く道を知らずして行くのではなく、その道を知り、その上で歩む事が大事だとおしゃっていました。
私達は、明るい社会づくりの道を知り、その道をひたすら歩み続ける事が、今最も大事な事だと考えます。

庭野日敬氏は、その道をすでにお示しくださっていると、私は理解していますので、今は亡き庭野日敬氏の明るい社会づくり運動に対する願いや意志を少しでも継承出来ればと考えています。
また、このような私の考えをご理解いただき、今後のこの場をより充実した内容にして行きたいと考えていますので、ご賛同・ご協力・ご意見・ご批判等をいただければ幸いです。

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庭野日敬氏より提唱されて来ました、明るい社会づくり運動は50年以上の経過しました。
今こそ、明るい社会づくり運動のさらなる飛躍の為に、新たな活動のスタートをすべき時期に来ているのではないかと私は考えます。
特に、現在の社会情勢を知るにしたがって、犯罪率の増加、家庭の崩壊、いじめ 等、目に余る情景があまりにも多すぎます。またこのような状況は、年々悪くなる事はあっても、なかなか良くはならない現実があります。
この事を思った時に、私は明るい社会づくり運動の必要性が高まって来ていると思うのです。
今こそ、「みんなで力を合わせて明るい社会づくりを推進しましょう」と、言う事がとても大切な時期だと思います。

庭野日敬氏の思いや・願いとは、
明るい社会づくり運動のさらなる飛躍の為には、提唱者・庭野日敬氏が何を思い、何をしようとしたのかを検証し、さらなる行動を起こす事が必要不可欠だと思っています。
明るい社会づくり運動の原点が理解できる時には、その方向性は自然とはっきりしてくると思っています。
庭野日敬氏は、仏教的精神(思いやり心・感謝の心・奉仕の心)を一宗教団体の枠を超えて明るい社会づくり運動を通じて広めようとなさったのだと理解しています。
そして、その為に庭野日敬氏は、「黒子に徹して、花を譲り、実を採る」と言っておられたと、側近の方から伺っています。
その庭野日敬氏が提唱された明るい社会づくり運動に、各界の方々が共鳴し賛同され立ちあがったのだと思います。

でも残念ながら、
現在ではその理解度に温度差があるようです。
明るい社会づくり運動の方向性につきましても、その時々の時代の変化に伴って、変化すべき事があっても良いと思いますが、逆に変化してはいけない事もあっても良いのではないでしょうか。
明るい社会づくりは一人では出来ません。
でも、一人から活動を始めなくてはいけないと考えます。
そして広く同じ志を持つ多くの仲達が、活動エリヤを超えて、コミニュケーションを取り合い、縦糸・横糸のネットワークを組んで行く事が、今後の活動の飛躍の為には不可欠だと考えます。
私は、その目的の為にこのホームページを立ち上げました。
☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆
庭野日敬氏の目指した明るい社会づくり運動のホームページ
http://www.meisha.me/
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明るい社会づくり運動を提唱された庭野日敬氏の、真の願いや思いを、正しく伝える事が最も重要だと考えました。
そして正しく庭野日敬氏の真の願いや思いを、理解していただく為に、その事について書かれている正確な情報を探しました。
誰かに聞いたとか、
そのように言っていたとかではなく。
正式な場でお話された事や、ご自身の著書に書かれた事が、間違いない事だと考え、ホームページに掲載させていただきました。
お読みいただく方には是非、庭野日敬氏の提唱された、明るい社会づくり運動の真の願いや思いを正しく、ご理解いただきたいと念願する次第です。
私は、思いやりのある・感謝の心や奉仕の心があふれる社会が広がったら、今よりもっと明るい社会が出来ると考えています。
庭野日敬氏は、こらから行く道を知らずして行くのではなく、その道を知り、その上で歩む事が大事だとおしゃっていました。
私達は、明るい社会づくりの道を知り、その道をひたすら歩み続ける事が、今最も大事な事だと考えます。

庭野日敬氏は、その道をすでにお示しくださっていると、私は理解していますので、今は亡き庭野日敬氏の明るい社会づくり運動に対する願いや意志を少しでも継承出来ればと考えています。
また、このような私の考えをご理解いただき、今後のこの場をより充実した内容にして行きたいと考えていますので、ご賛同・ご協力・ご意見・ご批判等をいただければ幸いです。

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・ご法のものさしー庭野日敬氏のお言葉 [明るい社会づくり運動のポイント]
・ご法のものさしー庭野日敬氏のお言葉

おはようございます。
青森県の五所川原市と中泊町を結ぶ津軽鉄道で、冬の訪れを告げる「ストーブ列車」の運行が始まりました。
初冬の訪れは、北国から始まっています。
寒いと、身体も委縮して気分も沈みがちですが、体調に気を付けながら素敵な一日にしていきましょう。
庭野日敬氏の影響が、年々薄れていく現実を危惧している私です。その中で、危惧している点が一つや二つではなく何点もあります。皆さんは、いかがですか。
庭野日敬氏の影響が年々薄れていく現実に、もし何の違和感がないとすると、このブログをご覧になっている方自身に課題点があるように思っています。
何点もある違和感の中で、私が最も危惧している事は「法座」の衰退があると思います。佼成会さんの大きな特徴の一つに法座があります。その法座に世界に宗教指導者が注目していました。その法座には、法座主が要になりますが、法座主が出来る方がいない(少ない)現実があります。
わかりやすく言いますと法座が、ただの話し合いの場になっている(ただの相談の場になっている)。法座とは、そうではありません。法座主の心構えが出来ていないと、張りぼての法座になります。
具体的にお話させていただきますと、法座主は法華経の学だけではいけない。法華経の行が出来ていないと、庭野日敬氏の考えている法座にはなりえないのでは、と思っています。
そんな事を、こころに刻みながら以下の庭野日敬氏の「ご法のものさし」を拝読してください。

開 祖 さ ま 随 感
ご法のものさし
法座にすわって人さまの話を聞くことで、それまで自分が正しいと思ってきたことを「なるほど、そういう考え方もあるのか」と反省させられ、教えられることが、しばしばあるはずです。
「いままでの自分は、独(ひと)りよがりの狭い考え方をしていたのだな」と反省させられ、それまでの自己流の小さなものさしを、ご法という大きなものさしで見直せるようになるわけです。また、人さまの苦労を知って、それまでの自分の甘い考えや生活態度を省みずにいられなくなります。
そうして自分を磨いていく場が法座なのです。人間というものは、とかく自分のそれまでの限られた経験だけで、なにもかも分かったつもりになり、自分は少しも間違ったことはしていない、と考えているものです。
独断と偏見に陥って、それに自分では気づけないことが多いわけです。織物でも、よい布を織るのにはタテ糸とヨコ糸をうまく織り合わせなくてはなりません。これまでの自分の経験をタテの糸とすれば、人さまの意見や知識をヨコの糸としてうまく織り合わせて、自分の知恵にしていただきたいのです。
いかがでしょうか。
一人でも多くの方が、庭野日敬氏のお心に触れていただければと思います。
☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡

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おはようございます。
青森県の五所川原市と中泊町を結ぶ津軽鉄道で、冬の訪れを告げる「ストーブ列車」の運行が始まりました。
初冬の訪れは、北国から始まっています。
寒いと、身体も委縮して気分も沈みがちですが、体調に気を付けながら素敵な一日にしていきましょう。
庭野日敬氏の影響が、年々薄れていく現実を危惧している私です。その中で、危惧している点が一つや二つではなく何点もあります。皆さんは、いかがですか。
庭野日敬氏の影響が年々薄れていく現実に、もし何の違和感がないとすると、このブログをご覧になっている方自身に課題点があるように思っています。
何点もある違和感の中で、私が最も危惧している事は「法座」の衰退があると思います。佼成会さんの大きな特徴の一つに法座があります。その法座に世界に宗教指導者が注目していました。その法座には、法座主が要になりますが、法座主が出来る方がいない(少ない)現実があります。
わかりやすく言いますと法座が、ただの話し合いの場になっている(ただの相談の場になっている)。法座とは、そうではありません。法座主の心構えが出来ていないと、張りぼての法座になります。
具体的にお話させていただきますと、法座主は法華経の学だけではいけない。法華経の行が出来ていないと、庭野日敬氏の考えている法座にはなりえないのでは、と思っています。
そんな事を、こころに刻みながら以下の庭野日敬氏の「ご法のものさし」を拝読してください。

~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~
開 祖 さ ま 随 感
ご法のものさし
1968年(昭和43年)庭野 日敬 著 『開祖随感』 (佼成出版社) より
法座にすわって人さまの話を聞くことで、それまで自分が正しいと思ってきたことを「なるほど、そういう考え方もあるのか」と反省させられ、教えられることが、しばしばあるはずです。
「いままでの自分は、独(ひと)りよがりの狭い考え方をしていたのだな」と反省させられ、それまでの自己流の小さなものさしを、ご法という大きなものさしで見直せるようになるわけです。また、人さまの苦労を知って、それまでの自分の甘い考えや生活態度を省みずにいられなくなります。
そうして自分を磨いていく場が法座なのです。人間というものは、とかく自分のそれまでの限られた経験だけで、なにもかも分かったつもりになり、自分は少しも間違ったことはしていない、と考えているものです。
独断と偏見に陥って、それに自分では気づけないことが多いわけです。織物でも、よい布を織るのにはタテ糸とヨコ糸をうまく織り合わせなくてはなりません。これまでの自分の経験をタテの糸とすれば、人さまの意見や知識をヨコの糸としてうまく織り合わせて、自分の知恵にしていただきたいのです。
~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~
いかがでしょうか。
一人でも多くの方が、庭野日敬氏のお心に触れていただければと思います。
☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡

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・庭野日敬氏の明るい社会づくり運動への機縁 [明るい社会づくり運動のポイント]
・庭野日敬氏の明るい社会づくり運動への機縁
庭野日敬師が何故「明るい社会づくり運動を提唱されたのか」を、よく理解されているのか、そうでないのかで、その各々の明るい社会づくり運動の活動のあり方が必然的に変わって来ると考えています。
その為に、私達に課せられた課題は、「その事を後世の方々にお伝え出来るのか」が、問われていると自覚しています。

庭野日敬師は、昭和55年4月の機関誌「佼成新聞」で以下の事を述べています。
~~~~~~~~~~~~
私がこの運動を提唱いたしましたのは昭和四十四年のこと。
国内的にはいわゆる、高度成長経済の真っただ中でありまして、心より金や物という風潮が全国にみなぎっておりました。
日蓮聖人のご遺文に説かれている末法の時代、つまり人びとが自分勝手な理屈を主張いたし、神仏を敬う念や倫理、遺徳がすたれて、穏やかならざる世の中になるという様相が、すでに表われていたのであります。
明るい社会づくり運動の提唱は、こうした心の荒廃に対して問題を提起するとともに、じつはもう一つ目的がございました。
それは、世界宗教者平和会議が生まれようとしていた当時、世界宗教者平和会議の理念と運動にふさわしい日本代表を選びたいと思ったことであります。
いわゆる宗教家だけではなく、この社会には陰徳を積んで世のため人のために、尽くしておられるかたが大勢いらっしゃる。
主義主張を超え、真に明るい社会をつくるため、真剣に取り組んでいるかたがたくさんおいででありましょう。
こういう素晴らしいかたがたにご登場いただき、英知を頂戴して世界平和のためにお役に立たせていただきたいと考えたわけでございます。
すなわち、明るい社会づくりと世界宗教者平和会議はその発想において、現代を正す両輪でございました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
短い文章ですが、所々にとても大事な事をおしゃっている内容だと受け止めています。
簡単にポイントだけを確認させていただきますと、
1、日蓮聖人のご遺文に説かれている末法の時代、
つまり、穏やかならざる世の中になるという様相が、すでに表われていたのであります。
2、明るい社会づくり運動の提唱は、
こうした心の荒廃に対して問題を提起するとともに、
3、世界宗教者平和会議の
理念と運動にふさわしい日本代表を選びたいと思ったことであります。
4、主義主張を超え、真に明るい社会をつくるため、
素晴らしいかたがたにご登場いただき、英知を頂戴して
世界平和のためにお役に立たせていただきたいと考えたわけでございます。
5、すなわち、
明るい社会づくりと世界宗教者平和会議は、その発想において、
現代を正す両輪でございました。
庭野日敬師のお言葉は、いつも私達にとても分かりやすくお話をして下さいます。
でも、私達のような凡夫は、
ともするとその内容にとても大切な事をおしゃっていても、
耳ざわりの良い事だけに気を取られて、
本当に大切な内容を
キチンと心に受けとめる事が出来にくいようです。
出来ましたら、
上記の文章を暗記出来るように、
くり返し、くり返し読んでいく事により、
今まで気が付かない事に
気が付く事がありますので実行してみてください。
私は、これからの明るい社会づくり運動には、このような視点や感性を持ち合わせるリダーが必要不可欠だと思っています。
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庭野日敬師が何故「明るい社会づくり運動を提唱されたのか」を、よく理解されているのか、そうでないのかで、その各々の明るい社会づくり運動の活動のあり方が必然的に変わって来ると考えています。
その為に、私達に課せられた課題は、「その事を後世の方々にお伝え出来るのか」が、問われていると自覚しています。

庭野日敬師は、昭和55年4月の機関誌「佼成新聞」で以下の事を述べています。
~~~~~~~~~~~~
私がこの運動を提唱いたしましたのは昭和四十四年のこと。
国内的にはいわゆる、高度成長経済の真っただ中でありまして、心より金や物という風潮が全国にみなぎっておりました。
日蓮聖人のご遺文に説かれている末法の時代、つまり人びとが自分勝手な理屈を主張いたし、神仏を敬う念や倫理、遺徳がすたれて、穏やかならざる世の中になるという様相が、すでに表われていたのであります。
明るい社会づくり運動の提唱は、こうした心の荒廃に対して問題を提起するとともに、じつはもう一つ目的がございました。
それは、世界宗教者平和会議が生まれようとしていた当時、世界宗教者平和会議の理念と運動にふさわしい日本代表を選びたいと思ったことであります。
いわゆる宗教家だけではなく、この社会には陰徳を積んで世のため人のために、尽くしておられるかたが大勢いらっしゃる。
主義主張を超え、真に明るい社会をつくるため、真剣に取り組んでいるかたがたくさんおいででありましょう。
こういう素晴らしいかたがたにご登場いただき、英知を頂戴して世界平和のためにお役に立たせていただきたいと考えたわけでございます。
すなわち、明るい社会づくりと世界宗教者平和会議はその発想において、現代を正す両輪でございました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
短い文章ですが、所々にとても大事な事をおしゃっている内容だと受け止めています。
簡単にポイントだけを確認させていただきますと、
1、日蓮聖人のご遺文に説かれている末法の時代、
つまり、穏やかならざる世の中になるという様相が、すでに表われていたのであります。
2、明るい社会づくり運動の提唱は、
こうした心の荒廃に対して問題を提起するとともに、
3、世界宗教者平和会議の
理念と運動にふさわしい日本代表を選びたいと思ったことであります。
4、主義主張を超え、真に明るい社会をつくるため、
素晴らしいかたがたにご登場いただき、英知を頂戴して
世界平和のためにお役に立たせていただきたいと考えたわけでございます。
5、すなわち、
明るい社会づくりと世界宗教者平和会議は、その発想において、
現代を正す両輪でございました。
庭野日敬師のお言葉は、いつも私達にとても分かりやすくお話をして下さいます。
でも、私達のような凡夫は、
ともするとその内容にとても大切な事をおしゃっていても、
耳ざわりの良い事だけに気を取られて、
本当に大切な内容を
キチンと心に受けとめる事が出来にくいようです。
出来ましたら、
上記の文章を暗記出来るように、
くり返し、くり返し読んでいく事により、
今まで気が付かない事に
気が付く事がありますので実行してみてください。
私は、これからの明るい社会づくり運動には、このような視点や感性を持ち合わせるリダーが必要不可欠だと思っています。
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・人間の真の覚醒-庭野日敬氏のお言葉 [明るい社会づくり運動のポイント]
・人間の真の覚醒-庭野日敬氏のお言葉

私は、お蕎麦が好きでが、
色々なお店によって味や風味が違うのが、面白く・楽しみでのれんをくぐります。時には、ちょっぴり残念な事もあります。また、期待以上の時もあり、そんな事がひと味加えてくれます。
先日、きのこ蕎麦と言うのを出していただきました。お蕎麦は、もりそばが二口・三口しかなく、温かいつゆに、刻みきのこがたっぷり入っていました。一瞬戸惑いましたが、食べて見るとお蕎麦ときのこがベストマッチで、とても美味しかったです。また、色々なかわり蕎麦があるもんだ、思いなからのれんをくぐり帰って来ました。
どんな事でも、おなじだと思いますが、どれぞれの個性や特徴を生かし合うことが大切だと思います。そんな意味でも、明るい社会づくり活動にも言える事だと思います。

^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
人間の真の覚醒
政治も宗教も、つまるところは明るく住みよい社会の建設、そして人類の平和をめざすためのもので、その点においては変わるところはありません。
しかし、政治は、きのう、きょう、あすといった比較的さし迫った日限の中で、どちらかといえば力関係を中心にして動くものであるのに対して、宗教は、過去、現在、未来という長い時間の中で、個人の心の平和とともに理想の社会、平和な世界をめざします。
政治は社会の不正を正すことで社会浄化をめざし、宗教は人びとの仏性(ぶっしょう)を磨きだすことで、平和な世界を築くことをめざすものと言ってもいいかもしれません。
お釈迦さまが説かれた慈悲の教えを自分のものとして、それを、さらに多くの人びとに伝えていきたいという願いが菩薩行なのですが、「三千世界を知るも、なお自己を知らず」と言われるように、人は、まわりの欠陥はよく見えても、自分のこととなると何も見えていないものです。政治も宗教も、まず自らを正して、それぞれの道で人間を真に覚醒させていくことを忘れてはなりません。
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
とても、大切な事を言ってと思っています。庭野日敬氏の話す事は、とても分かりやすく丁寧に大切な事を説いています。
私たちは、その事をあやふやに聞いてはいけないと思います。
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私は、お蕎麦が好きでが、
色々なお店によって味や風味が違うのが、面白く・楽しみでのれんをくぐります。時には、ちょっぴり残念な事もあります。また、期待以上の時もあり、そんな事がひと味加えてくれます。
先日、きのこ蕎麦と言うのを出していただきました。お蕎麦は、もりそばが二口・三口しかなく、温かいつゆに、刻みきのこがたっぷり入っていました。一瞬戸惑いましたが、食べて見るとお蕎麦ときのこがベストマッチで、とても美味しかったです。また、色々なかわり蕎麦があるもんだ、思いなからのれんをくぐり帰って来ました。
どんな事でも、おなじだと思いますが、どれぞれの個性や特徴を生かし合うことが大切だと思います。そんな意味でも、明るい社会づくり活動にも言える事だと思います。

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開 祖 さ ま 随 感
人間の真の覚醒
政治も宗教も、つまるところは明るく住みよい社会の建設、そして人類の平和をめざすためのもので、その点においては変わるところはありません。
しかし、政治は、きのう、きょう、あすといった比較的さし迫った日限の中で、どちらかといえば力関係を中心にして動くものであるのに対して、宗教は、過去、現在、未来という長い時間の中で、個人の心の平和とともに理想の社会、平和な世界をめざします。
政治は社会の不正を正すことで社会浄化をめざし、宗教は人びとの仏性(ぶっしょう)を磨きだすことで、平和な世界を築くことをめざすものと言ってもいいかもしれません。
お釈迦さまが説かれた慈悲の教えを自分のものとして、それを、さらに多くの人びとに伝えていきたいという願いが菩薩行なのですが、「三千世界を知るも、なお自己を知らず」と言われるように、人は、まわりの欠陥はよく見えても、自分のこととなると何も見えていないものです。政治も宗教も、まず自らを正して、それぞれの道で人間を真に覚醒させていくことを忘れてはなりません。
庭野 日敬 著 『開祖随感』1967年(昭和42年)(佼成出版社) より
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とても、大切な事を言ってと思っています。庭野日敬氏の話す事は、とても分かりやすく丁寧に大切な事を説いています。
私たちは、その事をあやふやに聞いてはいけないと思います。
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・つま先立ちは続かない ー 庭野日敬のお言葉 [明るい社会づくり運動のポイント]
・つま先立ちは続かない ー 庭野日敬のお言葉

ここ数日は寒さが厳しくなって来ました。また、寒暖差が大きい日々になっていますが、いかがお過ごしでしょうか。
どんなに厳しい状況化にあっても、自分自身を見失う事なく、自分を取り戻してくれる存在はとても貴重で大切なものです。
また庭野日敬氏のお言葉も、私たちの生きざまを点検・確認させてくれる大切な存在だと思います。
そんな中から、今日もご紹介させていただきました。

^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
つま先立ちは続かない
なにごとによらず自信を持つことは大事なのですが、それが、うっかりすると慢心、驕慢になりかねません。
自信とはその字が示すように、自らを信じることです。
しかし、ただ自分の力や才能を信じて人に誇示したり、自分の誇りを傷つけられたくないばかりに、いつも肩をいからせている姿は、人から見るといかにも滑稽に映ります。
それどころか、いつも他人を意識して「ばかにされまい」としている姿は、お気の毒というしかありません。人は、いつまでもつま先立ちを続けているわけにはいきませんから、どこかで破綻をきたしてしまいます。
本当の自信とは、どんなに小さな自分であろうとも、いつも仏さまの教えのとおりに行じようと懸命につとめ、仏さまのお慈悲のみ手に包まれ、見守っていただいている自分を信じることです。
自分の身の丈のままでいいのです。常にご法という鏡に自分を映して自分を省みることを忘れなければ、人は卑屈になることもなく、また肩ひじ張った無理な自信過剰に陥ることもありません。
1968年(昭和43年)
庭野 日敬 著 『開祖随感』 (佼成出版社) より
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

庭野日敬氏のお話になることは、難しい事は言っていません。それは、どなたにもわかりやすく理解しやすい言葉でお話をしています。
しかし、それを読んでいる・聞いている私たちのありようはいかがでしょうか。
別の言い方をすると、私たちの我見や偏見がその内容を難しく、かつ複雑にしているのだと思います。その具体的な例えが、現在の明るい社会づくり運動の活動であり、現在の立正佼成さんのありようではないかと思います。
ご法(法華経)に即した活動の在り方は、そんなに難しいことではありません。ただその為には、そのご法(法華経)をきちんと理解し、身につける事が最優先になると思います。庭野日敬氏は行学二道を説いています、学もとても大切ですが、行はさらに大切になります。行なくして学は、仏を作って魂を入れないことになりますので、「張りぼての法華経」になりかねません。その事は是非とも避けたいものです。
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ここ数日は寒さが厳しくなって来ました。また、寒暖差が大きい日々になっていますが、いかがお過ごしでしょうか。
どんなに厳しい状況化にあっても、自分自身を見失う事なく、自分を取り戻してくれる存在はとても貴重で大切なものです。
また庭野日敬氏のお言葉も、私たちの生きざまを点検・確認させてくれる大切な存在だと思います。
そんな中から、今日もご紹介させていただきました。

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つま先立ちは続かない
なにごとによらず自信を持つことは大事なのですが、それが、うっかりすると慢心、驕慢になりかねません。
自信とはその字が示すように、自らを信じることです。
しかし、ただ自分の力や才能を信じて人に誇示したり、自分の誇りを傷つけられたくないばかりに、いつも肩をいからせている姿は、人から見るといかにも滑稽に映ります。
それどころか、いつも他人を意識して「ばかにされまい」としている姿は、お気の毒というしかありません。人は、いつまでもつま先立ちを続けているわけにはいきませんから、どこかで破綻をきたしてしまいます。
本当の自信とは、どんなに小さな自分であろうとも、いつも仏さまの教えのとおりに行じようと懸命につとめ、仏さまのお慈悲のみ手に包まれ、見守っていただいている自分を信じることです。
自分の身の丈のままでいいのです。常にご法という鏡に自分を映して自分を省みることを忘れなければ、人は卑屈になることもなく、また肩ひじ張った無理な自信過剰に陥ることもありません。
1968年(昭和43年)
庭野 日敬 著 『開祖随感』 (佼成出版社) より
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庭野日敬氏のお話になることは、難しい事は言っていません。それは、どなたにもわかりやすく理解しやすい言葉でお話をしています。
しかし、それを読んでいる・聞いている私たちのありようはいかがでしょうか。
別の言い方をすると、私たちの我見や偏見がその内容を難しく、かつ複雑にしているのだと思います。その具体的な例えが、現在の明るい社会づくり運動の活動であり、現在の立正佼成さんのありようではないかと思います。
ご法(法華経)に即した活動の在り方は、そんなに難しいことではありません。ただその為には、そのご法(法華経)をきちんと理解し、身につける事が最優先になると思います。庭野日敬氏は行学二道を説いています、学もとても大切ですが、行はさらに大切になります。行なくして学は、仏を作って魂を入れないことになりますので、「張りぼての法華経」になりかねません。その事は是非とも避けたいものです。
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・普遍にして不変なるもの ー 庭野日敬氏の言葉 [明るい社会づくり運動のポイント]
・普遍にして不変なるもの ー 庭野日敬氏の言葉

この世の成り立ちと言うのは、私たちの好むと好まざるとに関わる、常にパワーバランスで成り立っています。その事は、ともするとパワー(権力・財力・立場 等)がある人(組織・政党 等)の行う事や言っていることが正しいと受け取られる事が多々あります。
その事は、皆さんの身の回りを見渡せばすぐに理解できる、世の中ではないでしょうか。
例えば、現在の佼成会さんのあり方や、明るい社会づくり運営のあり方にも言えると思います。
さかのぼれば、お釈迦さまの教えがご在世の間はあれほどに、出家・在家を問わずに浸透していたのにも関わず、長い年月の間には衰退していく経緯があります。その後、数百年後に強く信受している弟子たちの結集によりお釈迦さまの教えが蘇って来ると言う事実があります。
その事を思うときに、庭野日敬氏の願いや思いが薄れていく現実に触れる時に、とても危惧しています。
そんな時に、庭野日敬氏のお考えに触れる事がありました。
開 祖 さ ま 随 感
普遍にして不変なるもの
「私は悪いことなどしていないから、信仰などする必要はない」と言う人がいます。この場合、悪いことをしていないというのは、自分は法律を犯すようなことはしていない、という意味でしょう。
法律や道徳を守ることは、この社会で生活する人間として当然のことですが、法律や道徳だけをもって善悪の基準とするわけにはいかない、と思うのです。なぜならば、法律はそれぞれの国によって異なりますし、道徳もまた、その時代、時代によって変わっていきます。
このように、時により所によって変わるものは、絶対の価値基準となりえないのです。時と所を超えて、人類全体の価値基準となりうるもの、普遍にして不変なる絶対の真理(法)を鏡として、それに己を照らしていくのが信仰です。
信仰は、ただ法律に触れる行為、道徳に反する行為の贖罪のためにするものではなく、より積極的に、世のため人のために役立つよき実践へと人びとを導くものです。それによってこそ自分が高まっていけるわけです。一人ひとりの向上なくして真の幸福、人類全体の平和は招来されないのです。
庭野日敬氏は、こんな観点で何事にも真摯に取り組んできた方です。
ところが、現在の佼成会さんのあり方や、明るい社会づくり運営のありようはいかがでしょうか。
こころ静かに、振り返ってみることも大切なことだと思います。
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この世の成り立ちと言うのは、私たちの好むと好まざるとに関わる、常にパワーバランスで成り立っています。その事は、ともするとパワー(権力・財力・立場 等)がある人(組織・政党 等)の行う事や言っていることが正しいと受け取られる事が多々あります。
その事は、皆さんの身の回りを見渡せばすぐに理解できる、世の中ではないでしょうか。
例えば、現在の佼成会さんのあり方や、明るい社会づくり運営のあり方にも言えると思います。
さかのぼれば、お釈迦さまの教えがご在世の間はあれほどに、出家・在家を問わずに浸透していたのにも関わず、長い年月の間には衰退していく経緯があります。その後、数百年後に強く信受している弟子たちの結集によりお釈迦さまの教えが蘇って来ると言う事実があります。
その事を思うときに、庭野日敬氏の願いや思いが薄れていく現実に触れる時に、とても危惧しています。
そんな時に、庭野日敬氏のお考えに触れる事がありました。

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開 祖 さ ま 随 感
1968年(昭和43年)庭野 日敬 著 『開祖随感』 (佼成出版社) より
普遍にして不変なるもの
「私は悪いことなどしていないから、信仰などする必要はない」と言う人がいます。この場合、悪いことをしていないというのは、自分は法律を犯すようなことはしていない、という意味でしょう。
法律や道徳を守ることは、この社会で生活する人間として当然のことですが、法律や道徳だけをもって善悪の基準とするわけにはいかない、と思うのです。なぜならば、法律はそれぞれの国によって異なりますし、道徳もまた、その時代、時代によって変わっていきます。
このように、時により所によって変わるものは、絶対の価値基準となりえないのです。時と所を超えて、人類全体の価値基準となりうるもの、普遍にして不変なる絶対の真理(法)を鏡として、それに己を照らしていくのが信仰です。
信仰は、ただ法律に触れる行為、道徳に反する行為の贖罪のためにするものではなく、より積極的に、世のため人のために役立つよき実践へと人びとを導くものです。それによってこそ自分が高まっていけるわけです。一人ひとりの向上なくして真の幸福、人類全体の平和は招来されないのです。
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庭野日敬氏は、こんな観点で何事にも真摯に取り組んできた方です。
ところが、現在の佼成会さんのあり方や、明るい社会づくり運営のありようはいかがでしょうか。
こころ静かに、振り返ってみることも大切なことだと思います。
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・明るい社会づくり運動の手法の明確化が不可欠になります! [明るい社会づくり運動のポイント]
・明るい社会づくり運動の手法の明確化が不可欠になります!

こんにちは![[わーい(嬉しい顔)]](https://blog.ss-blog.jp/_images_e/140.gif)
気温が変わる時期は、体調を崩しやすいと思いますので、気を付けながらお過ごし下さい。
わかりやすい手法を提示する
明るい社会づくり運動のさらなる飛躍のためには、より多くの人達にとって、理解・参加(賛同)しやすい手法を提示する必要があるように思います。
例えば、畑を耕すのに鍬を使い、草を刈るのに鎌を使うように、また、山登りの時に登山靴を履き、登山用の装備をするように、この明るい社会づくり運動は、どのようなも目的を持って、またどのような手法(手段)を持って、その目的(明るい社会づくり)に対応しようとしているのかを、明らかにして、より多くの人達に理解していただく必要があるように思います。
烏合の衆であってはいけない
その為には、どのような姿が望ましいのか将来像を描き、キチンと中期・長期の計画を立て、次世代への引継ぎをして行く道筋を立てて置く事は大切なポイントだと思います。
庭野日敬氏の提唱した明るい社会づくり運動には、奥深い理念と展望のある活動です。
※うごうのしゅう【烏合の衆】烏の群れのように統一も規律もなく寄り集まった群衆)

そのベースにあるのが法華経です。
只、その事(法華経)が理解出来ないと、庭野日敬氏の提唱した明るい社会づくり運動の、奥深い理念と展望が見えてこないのでは、と思います。
また、前井深大会長は、
明るい社会づくり運動に参加をするのには、それぞれの信仰や信念みたいな物を、突き抜けた先にある物が大切だ、と言っていました。
ちょっと難しい言い方になりますが、それは逆に捉えると、それぞれの信仰や信念みたいな物にしがみ付いていてはいけない。
そこを、突き抜ける事が不可欠になると、言っているのだと思います。
あなたは突き抜ける事が出来ますか。
今の、明るい社会づくり運動にはその事が問われているように思いますが、あなたはどのように思いますか。
☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆

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気温が変わる時期は、体調を崩しやすいと思いますので、気を付けながらお過ごし下さい。
わかりやすい手法を提示する
明るい社会づくり運動のさらなる飛躍のためには、より多くの人達にとって、理解・参加(賛同)しやすい手法を提示する必要があるように思います。
例えば、畑を耕すのに鍬を使い、草を刈るのに鎌を使うように、また、山登りの時に登山靴を履き、登山用の装備をするように、この明るい社会づくり運動は、どのようなも目的を持って、またどのような手法(手段)を持って、その目的(明るい社会づくり)に対応しようとしているのかを、明らかにして、より多くの人達に理解していただく必要があるように思います。
烏合の衆であってはいけない
その為には、どのような姿が望ましいのか将来像を描き、キチンと中期・長期の計画を立て、次世代への引継ぎをして行く道筋を立てて置く事は大切なポイントだと思います。
庭野日敬氏の提唱した明るい社会づくり運動には、奥深い理念と展望のある活動です。
※うごうのしゅう【烏合の衆】烏の群れのように統一も規律もなく寄り集まった群衆)

そのベースにあるのが法華経です。
只、その事(法華経)が理解出来ないと、庭野日敬氏の提唱した明るい社会づくり運動の、奥深い理念と展望が見えてこないのでは、と思います。
また、前井深大会長は、
明るい社会づくり運動に参加をするのには、それぞれの信仰や信念みたいな物を、突き抜けた先にある物が大切だ、と言っていました。
ちょっと難しい言い方になりますが、それは逆に捉えると、それぞれの信仰や信念みたいな物にしがみ付いていてはいけない。
そこを、突き抜ける事が不可欠になると、言っているのだと思います。
あなたは突き抜ける事が出来ますか。
今の、明るい社会づくり運動にはその事が問われているように思いますが、あなたはどのように思いますか。
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・庭野日敬師の思いや願いの理解度に温度差があるようです。 [明るい社会づくり運動のポイント]
・庭野日敬師の思いや願いの理解度に温度差があるようです。

私は、明るい社会づくり運動のさらなる飛躍の為には、提唱者・庭野日敬師が何を思い、何をしようとしたのかを検証し、さらなる行動を起こす事が必要不可欠だと思っています。
明るい社会づくり運動の原点が理解できる時には、その方向性は自然とはっきりしてくると思っています。

庭野日敬師は、仏教的精神(思いやりの心・感謝の心・奉仕の心)を一宗教団体の枠を超えて、明るい社会づくり運動を通じて広めようとなさったのだと理解しています。
そして、その為に庭野日敬師は黒子に徹して「花を譲り、実を採る」と言っておられたと、側近の方から伺っています。
その庭野日敬師が提唱された明るい社会づくり運動に、各界の方々が共鳴し賛同され、立ちあがったのだと思います。
でも残念ながら、その方向性につきましても、現在ではその理解度に温度差があるようです。
また、明るい社会づくり運動のあり方は、その時々の時代の変化に伴って変化すべき事があっても良いと思います、逆に変化してはいけない事もあるのではないでしょうか。

明るい社会づくりは一人では出来ません。
(一つの団体でも出来ません。)
でも、一人から活動を始めなくてはいけないと考えます。
そして広く同じ志を持つ多くの仲達が、活動エリアを超えて、コミニュケーションを取り合い、縦糸・横糸のネットワークを組んで行く事が、今後の活動の飛躍の為には不可欠だと考えます。
あなたは、どうようにお考えですか。
私は、前会長をなされていました井深大氏に、お会いさせていただきました時に、以下の事を強くおしゃっていた事を心に刻んでいます。
「人まねはいけないよ、
「オリジナルティーをもって、他の人のやっていない事をしなくてはいけない。」と、
その後、その言葉を心に置き様々な出来事を眺めていますと、井深大氏におしゃっていただいた意味が、新らためて理解出来ます。

そして、そんな観点で庭野日敬師の提唱されましたを明るい社会づくり運運動眺めてみますと、井深大氏がおしゃっている「人まねではない。オリジナルティーある素敵な活動」だと思います。
日本の歴史が始まって以来、このような活動を始めた人はいたでしょうか。
また、世界の歴史を紐解いてみも、おそらくいないはずだと思います。
庭野日敬師は、日本や世界に存在していた宗教の壁や枠組みを乗り越えて、新たな世界を築きました。
それが、すでにご存じの世界宗教者平和会議です。
庭野日敬師は、世界宗教者平和会議の為に世界を奔走し乗り越えて来た枠組みの壁を、日本国内においては、各地を奔走し政治や地域の枠を乗り越えて、様々な方々のご支持をいただき「明るい社会づくり運運動」を立ち上げたのだと思います。
私は、この庭野日敬師の提唱された「明るい社会づくり運運動」を、他の活動体と同じに考える事は、「明るい社会づくり運運動」の歴史的意義を深く思う時、認識不足だと思わざると得ません。
是非、あなたの声を聞かせて下さい。

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私は、明るい社会づくり運動のさらなる飛躍の為には、提唱者・庭野日敬師が何を思い、何をしようとしたのかを検証し、さらなる行動を起こす事が必要不可欠だと思っています。
明るい社会づくり運動の原点が理解できる時には、その方向性は自然とはっきりしてくると思っています。

庭野日敬師は、仏教的精神(思いやりの心・感謝の心・奉仕の心)を一宗教団体の枠を超えて、明るい社会づくり運動を通じて広めようとなさったのだと理解しています。
そして、その為に庭野日敬師は黒子に徹して「花を譲り、実を採る」と言っておられたと、側近の方から伺っています。
その庭野日敬師が提唱された明るい社会づくり運動に、各界の方々が共鳴し賛同され、立ちあがったのだと思います。
でも残念ながら、その方向性につきましても、現在ではその理解度に温度差があるようです。
また、明るい社会づくり運動のあり方は、その時々の時代の変化に伴って変化すべき事があっても良いと思います、逆に変化してはいけない事もあるのではないでしょうか。

明るい社会づくりは一人では出来ません。
(一つの団体でも出来ません。)
でも、一人から活動を始めなくてはいけないと考えます。
そして広く同じ志を持つ多くの仲達が、活動エリアを超えて、コミニュケーションを取り合い、縦糸・横糸のネットワークを組んで行く事が、今後の活動の飛躍の為には不可欠だと考えます。
あなたは、どうようにお考えですか。
私は、前会長をなされていました井深大氏に、お会いさせていただきました時に、以下の事を強くおしゃっていた事を心に刻んでいます。
「人まねはいけないよ、
「オリジナルティーをもって、他の人のやっていない事をしなくてはいけない。」と、
その後、その言葉を心に置き様々な出来事を眺めていますと、井深大氏におしゃっていただいた意味が、新らためて理解出来ます。

そして、そんな観点で庭野日敬師の提唱されましたを明るい社会づくり運運動眺めてみますと、井深大氏がおしゃっている「人まねではない。オリジナルティーある素敵な活動」だと思います。
日本の歴史が始まって以来、このような活動を始めた人はいたでしょうか。
また、世界の歴史を紐解いてみも、おそらくいないはずだと思います。
庭野日敬師は、日本や世界に存在していた宗教の壁や枠組みを乗り越えて、新たな世界を築きました。
それが、すでにご存じの世界宗教者平和会議です。
庭野日敬師は、世界宗教者平和会議の為に世界を奔走し乗り越えて来た枠組みの壁を、日本国内においては、各地を奔走し政治や地域の枠を乗り越えて、様々な方々のご支持をいただき「明るい社会づくり運運動」を立ち上げたのだと思います。
私は、この庭野日敬師の提唱された「明るい社会づくり運運動」を、他の活動体と同じに考える事は、「明るい社会づくり運運動」の歴史的意義を深く思う時、認識不足だと思わざると得ません。
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・庭野日敬氏の教えには何か秘密があるらしい、 [明るい社会づくり運動のポイント]
・庭野日敬氏の教えには何か秘密があるらしい、

法華経は難信難解(なんしんなんげ)の経典といわれています。ところが、庭野日敬の説く法華経はとてもわかりやすいです。
何故だか、わかりますか。
庭野日敬氏もそうですが、釈尊も同じことを考えていたと思います。
それは、どういう事かと言いますと、「どうしたら、私たちに理解してもらえるだろうか。」と、ご自身のこころを砕いて私達に、わかりやすくお話をして下さっているからです。
でも、私たちは、そんな親心を考える術を持たずに過ごしているのです。
以下に、ご紹介させていただきます、「十如是の法門」についても、頭の中だけで考えようとすると、とても難しい法門になります。
しかし、自分たちの足元に照らし合わせていくと、とても、理解しやすい内容になります。
庭野日敬氏の素晴らしさに中には、
法華経を私たちにわかりやすく、法華経を実践しやすく、法華経を単純明快に説いて下さっている事があります。
以下の「十如是の法門」についても、こころを静めて、こころを穏やかにして、味わってください。
きっと、今までに気付かない事や、新たな発見が、きっとあるはずです。

:::::::::::::::::::::::::
諸法の実相を究尽(くじん)したまえり
昭和51年4月号 機関紙 求道より
仏さまは方便品に、「諸法の実相を究尽(くじん)したまえり」すべてのものの本質を見極められたと、説かれています。
ここで言うすべてのものとは、地球上のことはむろん、人間の運命のことなども含めて、あらゆるものの真実の姿を見極められたということであります。
十如是について立正佼成会の会員は、ひとりひとりいろいろな体験をしてきていますが、私達のそばにいつもおいでになる仏さまの魂を、どんなかたちで認識するか、そこを考えなくてはいけません。
因縁因果の道理とはどういうことなのかを説いて人を導いたところ、柏手が心を変えたとたんに病気が治り、奥さんは主人にかわいがられるようになったとか、困っていた子どもの寝小便が止まり、悩んでいた主人の浮気も止まってしまった、などのさまざまな功徳があるわけです。
ところがなぜそうなるのか、どこにどういうからくりがあるのか、その原理がなかなかわからないものです。
そのために立正佼成会の教えには、何か秘密があるらしいと考えている人も、世の中にはいるようです。
しかし、十如是の法門を聞くと、それがわかってきます。
一番目の〃如是相〃にしても、私達は人に会うと真っ先にその人の相に目がいきます。「見聞蝕知 皆菩提に近づく」とお経文にありますように、なんと言っても見るのが一番早い。
そして〃相〃のあるところには、必ず〃性〃がある。
アメリカの第十六代リンカーソ大統領が「人間は四十になったら、自分の顔に責任を持たなくてはいけない」と言っていますが、やはり如是相についてリンカーン大統領は大統領なりの体験をされていたからに違いないと思います。
〃相〃にはその〃相〃にふさわしい人間の〃性〃があり、〃性〃があるところには〃体〃があり、また〃体〃があるところには〃力〃があるわけです。
そして〃力〃のあるところには〃作(作用)〃があります。
〃力〃だけあってこの作用かなければ行動として現われません。
これをたとえて言えは、昨夜テレビを見ておりましたところ、ボクシングの輪島功一選手が韓国の柳選手に勝ちました。以前、ひどい負け方をしただけに、「チャンピオンのくせになんということだ、どうしてあんなに下手な負け方をしたんだ」と、実は残念に思っていましたが、今回は実に見事な勝ちっぶりでした。
一度負けた相手には同じ手では二度と負けないと、去年の六月から大和魂をふるい立たせて一生懸命に精進してとうとう昨夜は問題にしないで勝ちました。
勝利をモノにしたその原動力は如是作です。〃力〃 の作用です。柏手も同じことをやっているのですけれども、輪島選手は向こうのパンチよりも、早くストレートをくり出していきます。それがパッと当たりますと、向こうの動きが鈍る。その鈍ったところへすかさず反対側から攻め立てていく。
それは如是作であると同時に、如是因と如是縁にも関係しています。
〃因〃の一つには、元チャンピオンだったということがあげられますし、努力すればもういっぺん返り咲ける可能性があるということは〃緑〃と言えると想います。
そうやって、一つの闘いを例にして考えてみてもみんなあてはまっているわけです。
十如是は、
相、性、体、力、作、因、緑、果、報、本末究竟等という十の如是についての教えです。
是の如きの相、是の如き性、是の如き体、是の如き力、作、因、縁、果、報という順序になっていくのですが、〃報〃とは全体の報いを指します。
そして、最後の〃本末究覚等〃と言うことは、最初に見た〃相〃も今その人が受けている〃報い〃も、始めから終わりまで煎じっめてみれば一つだと言うことです。
一つなんだけれども見方を変えていくと、ちょっと見た顔つき〃相〃の奥には〃性〃があり、さらにその奥には〃体、力、作、因、縁、果、報〃があるというように、ひとりの人間が持っているものを十に分けて説明し、ところどころをきちんと区分されるのであります。
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いかがでしょうか。
大切な事は、この「十如是の法門」が理解出来たところで終わりではありません。貴方ご自身が「十如是の法門」をどのように活用しながら、世の人たちの為に、生かしていくかになります。
そんな観点で、今の世界の状況を眺めて下さい。
貴方には、どんな事が見えますか。
貴方のこころには、どんな光景が写っていますか。
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法華経は難信難解(なんしんなんげ)の経典といわれています。ところが、庭野日敬の説く法華経はとてもわかりやすいです。
何故だか、わかりますか。
庭野日敬氏もそうですが、釈尊も同じことを考えていたと思います。
それは、どういう事かと言いますと、「どうしたら、私たちに理解してもらえるだろうか。」と、ご自身のこころを砕いて私達に、わかりやすくお話をして下さっているからです。
でも、私たちは、そんな親心を考える術を持たずに過ごしているのです。
以下に、ご紹介させていただきます、「十如是の法門」についても、頭の中だけで考えようとすると、とても難しい法門になります。
しかし、自分たちの足元に照らし合わせていくと、とても、理解しやすい内容になります。
庭野日敬氏の素晴らしさに中には、
法華経を私たちにわかりやすく、法華経を実践しやすく、法華経を単純明快に説いて下さっている事があります。
以下の「十如是の法門」についても、こころを静めて、こころを穏やかにして、味わってください。
きっと、今までに気付かない事や、新たな発見が、きっとあるはずです。

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諸法の実相を究尽(くじん)したまえり
昭和51年4月号 機関紙 求道より
仏さまは方便品に、「諸法の実相を究尽(くじん)したまえり」すべてのものの本質を見極められたと、説かれています。
ここで言うすべてのものとは、地球上のことはむろん、人間の運命のことなども含めて、あらゆるものの真実の姿を見極められたということであります。
十如是について立正佼成会の会員は、ひとりひとりいろいろな体験をしてきていますが、私達のそばにいつもおいでになる仏さまの魂を、どんなかたちで認識するか、そこを考えなくてはいけません。
因縁因果の道理とはどういうことなのかを説いて人を導いたところ、柏手が心を変えたとたんに病気が治り、奥さんは主人にかわいがられるようになったとか、困っていた子どもの寝小便が止まり、悩んでいた主人の浮気も止まってしまった、などのさまざまな功徳があるわけです。
ところがなぜそうなるのか、どこにどういうからくりがあるのか、その原理がなかなかわからないものです。
そのために立正佼成会の教えには、何か秘密があるらしいと考えている人も、世の中にはいるようです。
しかし、十如是の法門を聞くと、それがわかってきます。
一番目の〃如是相〃にしても、私達は人に会うと真っ先にその人の相に目がいきます。「見聞蝕知 皆菩提に近づく」とお経文にありますように、なんと言っても見るのが一番早い。
そして〃相〃のあるところには、必ず〃性〃がある。
アメリカの第十六代リンカーソ大統領が「人間は四十になったら、自分の顔に責任を持たなくてはいけない」と言っていますが、やはり如是相についてリンカーン大統領は大統領なりの体験をされていたからに違いないと思います。
〃相〃にはその〃相〃にふさわしい人間の〃性〃があり、〃性〃があるところには〃体〃があり、また〃体〃があるところには〃力〃があるわけです。
そして〃力〃のあるところには〃作(作用)〃があります。
〃力〃だけあってこの作用かなければ行動として現われません。
これをたとえて言えは、昨夜テレビを見ておりましたところ、ボクシングの輪島功一選手が韓国の柳選手に勝ちました。以前、ひどい負け方をしただけに、「チャンピオンのくせになんということだ、どうしてあんなに下手な負け方をしたんだ」と、実は残念に思っていましたが、今回は実に見事な勝ちっぶりでした。
一度負けた相手には同じ手では二度と負けないと、去年の六月から大和魂をふるい立たせて一生懸命に精進してとうとう昨夜は問題にしないで勝ちました。
勝利をモノにしたその原動力は如是作です。〃力〃 の作用です。柏手も同じことをやっているのですけれども、輪島選手は向こうのパンチよりも、早くストレートをくり出していきます。それがパッと当たりますと、向こうの動きが鈍る。その鈍ったところへすかさず反対側から攻め立てていく。
それは如是作であると同時に、如是因と如是縁にも関係しています。
〃因〃の一つには、元チャンピオンだったということがあげられますし、努力すればもういっぺん返り咲ける可能性があるということは〃緑〃と言えると想います。
そうやって、一つの闘いを例にして考えてみてもみんなあてはまっているわけです。
十如是は、
相、性、体、力、作、因、緑、果、報、本末究竟等という十の如是についての教えです。
是の如きの相、是の如き性、是の如き体、是の如き力、作、因、縁、果、報という順序になっていくのですが、〃報〃とは全体の報いを指します。
そして、最後の〃本末究覚等〃と言うことは、最初に見た〃相〃も今その人が受けている〃報い〃も、始めから終わりまで煎じっめてみれば一つだと言うことです。
一つなんだけれども見方を変えていくと、ちょっと見た顔つき〃相〃の奥には〃性〃があり、さらにその奥には〃体、力、作、因、縁、果、報〃があるというように、ひとりの人間が持っているものを十に分けて説明し、ところどころをきちんと区分されるのであります。
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いかがでしょうか。
大切な事は、この「十如是の法門」が理解出来たところで終わりではありません。貴方ご自身が「十如是の法門」をどのように活用しながら、世の人たちの為に、生かしていくかになります。
そんな観点で、今の世界の状況を眺めて下さい。
貴方には、どんな事が見えますか。
貴方のこころには、どんな光景が写っていますか。
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