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・ご法のものさしー庭野日敬氏のお言葉 [明るい社会づくり運動のポイント]

・ご法のものさしー庭野日敬氏のお言葉

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おはようございます。

青森県の五所川原市と中泊町を結ぶ津軽鉄道で、冬の訪れを告げる「ストーブ列車」の運行が始まりました。

初冬の訪れは、北国から始まっています。

寒いと、身体も委縮して気分も沈みがちですが、体調に気を付けながら素敵な一日にしていきましょう。

庭野日敬氏の影響が、年々薄れていく現実を危惧している私です。その中で、危惧している点が一つや二つではなく何点もあります。皆さんは、いかがですか。

庭野日敬氏の影響が年々薄れていく現実に、もし何の違和感がないとすると、このブログをご覧になっている方自身に課題点があるように思っています。

何点もある違和感の中で、私が最も危惧している事は「法座」の衰退があると思います。佼成会さんの大きな特徴の一つに法座があります。その法座に世界に宗教指導者が注目していました。その法座には、法座主が要になりますが、法座主が出来る方がいない(少ない)現実があります。

わかりやすく言いますと法座が、ただの話し合いの場になっている(ただの相談の場になっている)。法座とは、そうではありません。法座主の心構えが出来ていないと、張りぼての法座になります。

具体的にお話させていただきますと、法座主は法華経の学だけではいけない。法華経の行が出来ていないと、庭野日敬氏の考えている法座にはなりえないのでは、と思っています。

そんな事を、こころに刻みながら以下の庭野日敬氏の「ご法のものさし」を拝読してください。


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開 祖 さ ま 随 感

ご法のものさし

1968年(昭和43年)庭野 日敬 著 『開祖随感』 (佼成出版社) より


法座にすわって人さまの話を聞くことで、それまで自分が正しいと思ってきたことを「なるほど、そういう考え方もあるのか」と反省させられ、教えられることが、しばしばあるはずです。

「いままでの自分は、独(ひと)りよがりの狭い考え方をしていたのだな」と反省させられ、それまでの自己流の小さなものさしを、ご法という大きなものさしで見直せるようになるわけです。また、人さまの苦労を知って、それまでの自分の甘い考えや生活態度を省みずにいられなくなります。

そうして自分を磨いていく場が法座なのです。人間というものは、とかく自分のそれまでの限られた経験だけで、なにもかも分かったつもりになり、自分は少しも間違ったことはしていない、と考えているものです。

独断と偏見に陥って、それに自分では気づけないことが多いわけです。織物でも、よい布を織るのにはタテ糸とヨコ糸をうまく織り合わせなくてはなりません。これまでの自分の経験をタテの糸とすれば、人さまの意見や知識をヨコの糸としてうまく織り合わせて、自分の知恵にしていただきたいのです。

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いかがでしょうか。

一人でも多くの方が、庭野日敬氏のお心に触れていただければと思います。

☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡

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・苦が救いの神-庭野日敬氏のお言葉 [庭野日敬師の言葉]

・苦が救いの神-庭野日敬氏のお言葉

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私の背中を押し続けている方がいます。

その方が、どなたなのか、どんな目的なのかも、私には知るすべもありません。時には、その方の思いと私の思いとが交錯する事がありますが、最終的には、その方の思うように進むことになります。

具体的な事を言いますと、例えば土地因縁ですが、生まれ育った土地の江戸時代からの仕置き場のご供養、また、現在居住地の武田信虎(武田信玄の父)に関係する土地因縁のご供養など、私の御宝前には600名あまりの土地因縁の方々の戒名が上がっています。

それらの方々は、誰にも看取られる事なく無残な最期で、この世のを離れざるを得なかった方です。

⇒ 武田信虎の関係する土地因縁のご供養の詳細

ですので、どなたに相談しても最初は鼻も引っかけてくれません。ですので、その事を根気よく・根気よく、粘り強くご理解を頂くことになります。

そんな時に、私のこころの支えになったのは、庭野日敬氏の教え(法華経)です。


法華経とは、ご存知の方(信者)がとても多いい経典ですが、その法華経を誰が説いても同じではありません。

誰が説いた法華経なのかがとても重要になります。

その違いを見分ける事が出来るのか、否かがその後の、法華経の精進のあり方のポイントになります。そんな意味でも、庭野日敬氏の教えはとても大切な事を説いています。

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開 祖 さ ま 随 感

      1988年(昭和63年)庭野 日敬 著 『開祖随感』 (佼成出版社) より


苦が救いの神


自分がご法で救われたときのことを思いだしてみてください。

あれもこれも自分の思いどおりにならない、と腹を立てていたのが、先輩に教えられて、相手の立場を考えてみるようになる。そして、思いどおりにならないのは自分の足りないところを教えてくれているのだ、という見方ができるようになったら、いつのまにか問題が解決していたといった体験を、みなさんがされているはずです。

この見方が信仰の原点です。

毎日の生活には、仕事上のストレスや家庭の不和などが、次々と起こります。嫌な相手とも出会わなくてはなりません。しかし、そういう事件や相手が、自分を真理のレールに乗せてくれるのだと法華経は教えているのですね。

自分の体験を通して、そのことはよく知っているはずなのに、私たちはすぐ自分中心の見方に戻って、苦を抱え込んでしまうわけです。

いまの自分の心を点検して、もし不平不満が多かったら信仰の原点を見失っているのです。

原点に戻りさえすれば、身のまわりに起こることのすべてを、心からの感謝で受け取れるようになってきます。

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「法華経は、糞を小金に変える教え」

私に一番最初に法華経を説いて下さった方は、「法華経は、糞を小金に変える教え」と説いて下さいました。

現在では、そんな事を言う方はいないと思いますが、法華経を端的に捉えています。その方の、経験からお話しくださった言葉だと受けとめて、今でも大切に胸に刻んでいます。


お互い頑張りましょう。


☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆
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・庭野日敬氏の目指した明るい社会づくり運動に今、不足している事とは、 [アクションプラン]

・庭野日敬氏の目指した明るい社会づくり運動に今、不足している事とは、

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私一人で出来る事は限られています。

でも、まず一人から始めないと何も始まらないです。

そんな思いから、私は立ち上がろうと模索し続けています。


只、一つだけ気がかりな事があります。


それは、私自身に色々な事を教えていただき、私自身の視野を大きくしていただき、育てていただきました、明るい社会づくり運動と全国拓塾の存在です。

私は今でも、その明るい社会づくり運動と全国拓塾に大変感謝しています。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

思い起こすと、

私が、母親の介護に専念する為に、

一切のボランティア活動と、

明るい社会づくり運動と全国拓塾から離れる決意をした時に、

たかが、私一人いなくなっても、

後の人たちが、庭野日敬氏の願いや思いをキチンと継承し、

明るい社会づくり運動がますます発展して行くものと、信じていました。


ですから、安心して母親の介護に10年あまり専念する事が出来ました。


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しかし、その後に私の耳に入って来る明るい社会づくり運動の風の便りは

あまり良いものではありませんでしたが、

まさか、今日の現状のような事になっているとは思いませんでした。

母親が他界し、

私自身の新たなボランティア活動を模索し始める時に、

明るい社会づくり運動の現状を調査させていただき、

庭野日敬氏の願いや思いが継承されていない現実を知るにつけ、

私にはその衝撃が大きかったです。


私の事を、色々と心配して下さる方々に相談すると、

「もう明るい社会づくり運動には関わり合わない方がいいですよ。

佐藤さんはもっと他のボランティア活動を、自身で始めた方がいいですよ。」と、

言って下さる方が殆どでした。


おそらく、明るい社会づくり運動の現状を知れば知るほど、

そのようなアドバイスになるような状況なのだと、受け止めました。


事実、私が活動を開始し始めてみると、

明るい社会づくり運動の現状を知っている人ほど、

明るい社会づくり運動にかかわろうとしない現実を痛切に感じる事になりました。



でも、このままで本当にいいのでしょか。

明るい社会づくり運動の課題点や改善点を前向きに論議し、

明るい社会づくり運動の歯車をキチンと噛みあわせて、

前進すべく軌道修正をするべきではないのでしょうか。


もう、いい加減に嫌なことから逃げ回る事はやめませんか。


庭野日敬氏は、「苦は、逃げ回る事により増大する」と、言っておられます。

苦は直視する事により消滅する方向が、明らかになるのではないでしょうか。


私は冒頭にお話しさせていただきましたように、

私自身に出来る事は、精一杯させていただきますが、一人で出来る事には限度があります。

是非、今の現実をただ黙って見ているだけではなく、声を上げる事はとても大事な事と思います。

また、皆さんの生の声を結集すべき時と私は思っていますので、

是非、皆様の力添えをよろしくお願いいたします。


その為に、己自身を磨く・鍛える・鍛練する。


☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡
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・庭野日敬師は明るい社会づくり運動において何を目指したのか。 [庭野日敬師の言葉]

・庭野日敬師は明るい社会づくり運動において何を目指したのか。

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明るい社会づくり運動において、庭野日敬師の発言されたお言葉を再度拝読させていただいています。

今、私達が考えている事や、これからの活動に誤りはないのか。また、庭野日敬師の思いや願いにかなっているのか、否か。再点検です。


先日、機関誌「佼成」(昭和53年11月号)に

掲載されている内容を拝読させていただき、とても奥深い事を述べていると感じましたので、是非、庭野日敬師の思いや願いを感じ取っていただきたいと願い以下にご紹介させていただきます。


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最近、いい言葉を学びました。

アメリカへ出かけた折、ホテルで読んだ山田無文老師のご本に、臨済の教えが出ておりました。

「無位の真人」いう言葉ですが、なるほど昧わいのある、いい言葉だと思いました。

だれもが自分は凡夫なんだ、と決めてかかっている世の中ですが、それを自分には何の位もないが、

われこそ真の人間なんだという自信に変えていったら、

それだけでも世の中は明るくなるはずです。


また、それを説くことによって、集まってきた人たちに参加を呼びかけていく場所をつくることができれば、第一段階の成功といっていいでしょう。


むろん、この運動を

立正佼成会のためにしようとする気持ちはありません。

第一、宗教協力といった言葉一つにしても、

ただ教団を大きくしたいというだけのことなら、無駄なことです。


協力し合うからには、他の宗派の人たちに向かって、

「あなたのところより、うちの教団のほうがいいからいらっしゃい」とは

言えるわけがありません。


明るい社会づくり運動も同じです。


ところで、「国民皆信仰」は、新宗達がめざす四つの柱のうちの一つですが、この目標を果たすためには、なんらかの形で、これが宗教者の生き方だという行ないも見ていただきたいし、話も開いていただきたい、と私はかねがね考えていました。


それに沿って提唱してきたのが、明社運動です。

また、そうしてお互いが相手を尊重し会って、仏性を拝みながら協力していけば、この世の中はたちまち極楽になると確信しています。(中略)


この世を極楽にするもしないも、心の置きどころ一つですから、集まってくる人びとが真の人間になれるか、なれないかによって、それが決まるのです。

    
機関誌「佼成」(昭和53年11月号)

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「私自身を含めて、あなたはいかがですか。」

お互い様に、

様々なご苦労があると思いますが

精進・努力して行きたいと思います。


☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡
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・世界宗教者平和会議と明るい社会づくり運動(1) [インタネット講座「拓塾」]

・世界宗教者平和会議と明るい社会づくり運動(1)

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おはようございます[ぴかぴか(新しい)]

今朝のお目覚めはいかがですか、

ここ数日は寒暖差が大きいようです。

気温の変化は体調に影響しますので、体調に気を付けながら、素敵な日にしていきましょう。

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前回のお話から、ご自身で資料を探したり、正確な情報を確認した方が、どのくらいいらっしゃるでしょうか。

私は、以下の立場を常に取っています。

インターネット講座 拓塾 -塾 是

「拓塾」は実践的理論追求の場であり、活動体である。単なる情報提供、教養を身につける場ではなく、自己改革(自分づくり)の場であり、社会改革(社会づくり)を実践的に促進する場である。

インターネット講座 拓塾 - 行動指針

一、自修自得   
自修自得を基本として切磋琢磨・自己改革をはかる。

一、先駆開拓   
   進取の気性・開拓精神・意欲を養ない、時代の先駆けとなる。

一、知行合一   
   知識は行動してはじめて意義がある。
   行動につながる学び方を身につける。


このブログをご覧いただいている皆さんが、本気になり、行動を起こさない限り何も変わりません。


是非、ご自身で出来る事でかまいませんのでアクションプランを考えてみて下さい。


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世界宗教者平和会議と明るい社会づくり運動


さて、今回は「世界宗教者平和会議と明るい社会づくり運動」についての庭野日敬師のお言葉を資料として提示させていただきます。

あえて、私の注釈は付けません。

出来る事であれば、一度だけお読みいただくのではなく、くり返し・くり返し読んでいただき、庭野日敬師のお心に触れていただければと願っています。


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~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

宗教団体も組織ができてしまいますと、「自分の教団の教えだけが正しい」と考え、排他独善になる傾向も見受けられます。

ところで、私は仏教徒であり、私どもの教団では『法華経』を所依の経典にしており、「さまざまな仏さまが因縁によって菩薩さまの名前で出現してくるが、そのもとをたどれば究極(本仏)は同じである」との立場をとっています。

こう考えますと、神道ともキリスト教とも協力し合うことは可能なわけです。

このことは、私が、昭和四十年にキリスト教の総本山ともいうべきバチカンの公会議にご招待を受けたときの、ローマ教皇パウロ六世猊下の言葉でもはっきりわかります。

猊下は「今後、宗教者同士が協力し合い平和に貢献すること以外、宗教者の進むべき道はない」と話されたのであります。                
                                       
 (S52・9・佼成新聞より)

私はパウロ六世にお会いするまでは、カトリックはけしからん、と悪口を言って歩いたのです。

なぜかといいますと、カトリックは二千年もの伝統をもち、世界宗教として絶大な影響力を世界の人びとに対してもっているのに、その大宗教が、他宗教に対してひじょうに排他的な態度をとっているとしか見えない。

愛と平和を説く宗教が、他の宗教に対して排他独善の態度をとっている限り、宗教は人類の平和のために何の役割も果たすことができない。

宗教の根本義は一つであり、神も仏も、生きとし生けるものの平安を願うことしかないはずだ。世界の平和を実現していくには、どうしても世界の宗教者が協力していかなければならない。

そのためには、世界の宗教界に最も大きな影響力をもつローマ教皇が、まず世界の宗教者と手をにぎろうという姿勢になってもらわなければならない

-そう痛切に感じていたのです。

その私の願いを全国を回って話して歩いたのです。

(中略)

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カトリックは世界中に布教網が行き渡っていますから、どこの国には、どんな宗教団体があって、どんな活動をしているか、というような世界各地の宗教の動きをことごとくキャッチしているのですから、私のことをご存じないはずがなかったわけです。

それを万事ご承知で、パウロ六世が私を百年に一度開かれるバチカン公会議に招待してくださったのです。

私のほうは、そんなこととまったく知らずにバチカンに行ったのですが、向こうでそれがわかって、「さすがカトリックの教皇さまだ、とえらく感心させられたのです。」

そこで、教皇さまにお目にかかってお話をうかがってみると、教皇さまが、こうおっしゃられたのです。

「キリスト教だけで人類を救おうなんておこがましい考えをもっていたのでは、世界平和実現の使命は果たせるものではありせん。キリスト教徒が仏教徒のために祈り、仏教徒がキリスト教徒のために祈るという宗教協力によってのみ、宗教者が人類に貢献していく道が開かれるのです」

その謙虚なお言葉をお聞きして、「これは素晴らしい宗教者だ、さすが二千年の歴史をもつカトリックの教皇さまだ」、と私は心の底から敬服させられたのです。

二千年来、代々の生き神さまと奉られ、異教の存在すら認めなかったカトリックの教皇が伝統の殻を打ち破って、キリスト教徒と仏教徒が手を携え合う宗教協力によって世界の人びとに平和を呼びかけていかなくてはならない、それ以外に宗教者が人類に貢献できる道はない、と慨悔をされたのですから、これは勇気のいることです。

その教皇さまのお言葉を聞いたとき私は、「こういうかたがいらっしゃるなら、世界宗教者平和会議は成功間違いない」と絶対の確信をもったのです。              

 (S53・3・月刊誌 躍進より)

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バチカン公会議から帰ってみますと、すでに日本ではカトリックとプロテスタントのかたがたが、すっかり仲よくなっておりました。

これからは一緒にやっていこう、という空気がみなぎっていました。

私はそれをみまして、リーダーが頭を切り替えることが、いかに大事なことか、リーダーの責任の重大さを思いました。

パウロ六世も、そのことをだれよりも深く感じ、まずみずから俄悔して、人びとに本当に幸せになってもらうためには、神さまのご守護のいただけるような状態にならなければならないとお悟りになり、

宗教協力を訴えられたのであろう、と私は拝察申し上げているわけであります。

いわば生き神さまとして、二千年の伝統をもつローマ教皇が、みずから一介の人間になって俄悔をされ、われわ凡夫の人間同士が仲よくならなければ、世の中が良くならない、

それができなければ、宗教者になった意味がないのだ、と立ち上がられたのであります。

私が自信をもって明るい社会づくり運動を提唱いたしましたのはこの教皇の影響があったからこそです。 
              (S52・8・速記録より)

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※私は、2~3回読んだ事は読んだとは見なしません。

それは、読んだのではなく見たのだと認識していますので、くり返し、くり返し読んでいく事により、今まで気が付かない事に、気が付く事がありますので、必ず実行してみてください。


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