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≪一念≫が≪三千≫を動かすのです。ー庭野日敬氏のお言葉 [庭野日敬師の言葉]

新型コロナウイルス肺炎の影響は世界的に見ますと、その勢いはまだまだ油断は出来ません。


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庭野日敬氏は、≪一念≫が≪三千≫を動かすのです。とおしゃっています。


どうゆう事かと言いますと、

私の一念(思い・想い)が、三千の世界をも動かす事、です。

具体的に言いますと、

私の、新型コロナウイルス肺炎の終息を願う一念(思い・想い)が、

三千の世界(世界中の人や物等)に影響を与えていきます。との事です。

ですから、
新型コロナウイルス肺炎の終息を願う一念が、
別の言い方をすると「祈り」になるのです。


例えば、個人のレベルで言いますと、
「病気が治って欲しい」「健康でくらしたい」
「幸せになって欲しい」と願う時、
私達は神仏に自然と手を合わせ願い、祈ります。
その思いが強ければ強い程、強く願い、強く祈ります。


その一念(祈り)は、

一人だけの一念(祈り)ではなく、

一教団の一念(祈り)ではなく

世界の津々浦々の一念(祈り)が不可欠になります。




たった一人の一念(祈り)も尊い事だと思いますが、

新型コロナウイルス肺炎に限っては、

より多くの一念(祈り)が大切になります。

ですから以下の事がどうしても不可欠になります。

      ↓

世界の宗教者へ緊急提案ー新型コロナウイルス肺炎が一刻でも早く終息するように祈りを捧げよう!



ローマ教皇、復活祭ミサで「世界の連帯」呼びかけ ネットで中継(4/13)Pope calls for "world solidarity" at Easter Mass Relay on the net(4/13)


ローマ教皇、疫病終息にゆかりの「奇跡の十字架」に祈り(3/17)
Pope prays for `` miracle cross '' related to end of plague (3/17)



世界中の人々の、

新型コロナウイルス肺炎が一刻でも早く終息するように祈りを捧げる事を、

今、世界中の宗教関係者に求められている事です。


こころ、静かに貴方のこころの声に耳を傾けて下さい。


こころ静かな状態で、あなたのこころに問いかけて下さい。




本当に、このままで良いのでしょうか。





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≪一念≫が≪三千≫を動かすのです。



昭和49年2月号 機関紙-佼成より



ほんとうの知恵に目覚めるとは、どういうことかと言いますと、

まず第一に、

≪人間はすべてもともと一体の存在である≫という心理を

ハッキリと悟ることです。


第二に、

≪すべての人間は

相依り(あいより)相助(あいたす)けて生きているのだ≫という

真実に目を開くことです。


第三に、

≪すべての争いは貪欲に基づいて起こるものである≫という

事実を深く見つめ、反省することであります。



この第一・第二・第三の教えは、すべて仏伝に示されているものです。

もちろん仏法はそれに尽きるものではなく、

広大無辺な法ではありますけれども、

この三つの教えだけでも、

この世を救い人間を幸せに導くに充分なものがあります。


だからこそ、

私どもは仏法の広宣流布に死に物狂いになっているのです。



会員の皆さんはほとんど在家の信仰者ですから、

それぞれの仕事に精出すのはたいせつなことです。


また、生活を楽しむこともあながち否定はしません。


しかし、そのなかにおいても、ひとりでも多くの人に

仏法を伝える努力だけは怠らないでいただきたいと思います。 


お互い死ぬときは、

お金も物も持っていくわけにまいりません。

しかし、最後の息をひきとる時

「私は仏法のためにできるかぎりの努力をした」という

満足感があったら、これほどの幸せがありましょうか。


そして、霊界において諸仏に諸菩薩に

「生前にどんな善いことをしたか」と尋ねられたとき、

「法華経を弘めるために微力を尽くしました」と

胸を張って答えられるとしたら、

これほどの喜びがありましょうか。



どうか皆さん、

この一事にだけは決定を新たにして下さい。


この一念が定まると、

それは外界のあらゆる事情に反映してくるのです。

それが環境を変えるのです。


≪一念≫が≪三千≫を動かすのです。


皆さんは、

どうやら自分の力を過小に見積もっておられるようですが、

そんなに卑下することは決してないのです。

久遠実成の本仏に生かされ、

その力を充分に受け取っている皆さんです。


本来は大神通力の持ち主であるはずです。

そういう自信を肚(はら)の底にすえて、

信仰の一念をもって

三千を動かしていただきたいのであります。


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世界中の人々が、

新型コロナウイルス肺炎が一刻でも早く終息するように祈りを捧げる事を、

今、世界中の宗教関係者に求められている事です。


こころ、静かに貴方のこころの声に耳を傾けて下さい。


こころ静かな状態で、あなたのこころに問いかけて下さい。




本当に、このままで良いのでしょうか。













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お釈迦さまが説かれた私達の歩むべき道について-庭野日敬のお言葉 [庭野日敬師の言葉]

庭野日敬氏の説く法華経の教えはとても素晴らしいです。


具体的に言いますと、とても分かりやすく説いて下さる事です。


さらには、行動や実践しやすい事です。


そんな事を踏まえて今回は、

庭野日敬の説く法華経を理論や理屈ではなく、

こころ穏やかに真心で味わってみたいと思います。



きっと、新たな発見があると思います。



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お釈迦さまが説かれた歩むべき道について


        1978年(昭和53年5月号)躍進




行動につながらない教学は無意味です。

実際に人間を救うことにつながらない宗教は、無さに等しいのです。

従地涌出品は、そのことを強く教えているのです。

経文には「この菩薩達は、もと姿婆世界の下の虚空に住していた」とあります。


ということは、

人間世界に生きていなから、そして立派な悟りと人格を持ちながら、

それを人間救済のために発動することがなかった・・・・・ということなのです。


つまり、行動につながらない悟りと、

他を救うということにかかわらない人格の持ち主だった、

というわけです。


それが、お釈迦さまの呼びかけに応じて、

いっせいに大地をくぐり抜けて出てきました。

この大地をくぐり抜けるということが、また大事なのです。


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現実の社会生活を体験し、

汚濁と苦悩の中にあえいでいる大衆の中に飛び込み、

その苦しみ、悩みにじかに触れなければ、

現実に人を救うことはできないということです。


観念論だけではだめで、

現実に即さなければ人間は救えないということです。

現実に即するということは、

結局は、行動するということになります。


地涌の菩薩達の指導役である四大菩薩に、

上行 ・ 無辺行 ・ 浄行 ・ 安立行と、

すべて「行」 という名がつけられています。

ということは、つまり、

地涌の菩薩とは行動する菩薩だということなのです。

行動しない菩薩というものはあり得ないわけですけれども、

それが特に強調され、

行動の権化ともいうべき存在が地涌の菩薩なのです。



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そうした点から見ますと、

今度(註・昭和53年5月)の青年部員の行動(註・「青年の日・統一行動」)は、

地涌の菩薩の片鱗をのぞかせた立派なものでした。

清掃奉仕・献血・交通安全キャンペーン・交通遺児のための募金・

独居老人の慰問等々、時代のニーズに応えたすばらしい菩薩行です。

そういった行動を通じて

「青年達は、地涌の菩薩の自覚を

おぼろげながらつかむことができた」ということですが、

それは当然のことなのです。

もともと本質的に地涌の菩薩なのですから・・・・・・・。


本人達は、まだ自覚していなくても、

立正佼成会の青年部の皆さんは、そうした自覚を持つぺく、

必然的な宿命を持ってこの世に生まれてきているのです。


生まれ変わり、死に変わりした過去世において、

仏法に触れ、道を究めることを志願し、その修行を続けてきた、

いわゆる歴劫修行(りゃこうしゅぎょう)の道程にある人達です。

それが、しかるべき因縁をもってこの世に生れ、

佼成会に入会されたのです。




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と言うと、現代の科学教育を受けた人の中には

絵空事のように思う人があるかもしれませんが、

これは事実なのです。



事実それがなければ、

お釈迦さまが、

いろいろな経典で輪廻転生や歴劫修行を説かれるはずはありません。

あのような大覚者はチャンとそのことを見とおしておられたのです。

仏さまの超能力である六道の中に「宿命通」というのかあります。

前の世のことを知る能力です。

そうした能力を持っておられればこそ、

法華経の中でも何十か所かにおいて、

ご自身やお弟子達の過去世のことをお説きになっておられるのです。


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たとえば、

譬喩品には、「舎利弗、我昔汝をして仏道を志願せしめき」とおおせられ、

化城諭品では、大通智勝仏時代の十六王子のことを述べられ、

「第十六は我釈迦牟尼仏なり」とお話しになっています。

提婆達多品では、

大法を教えた仙人が提婆で、仙人の召硬として仕えた国王が、

ご自分であったことを明らかにされ、

常不軽菩薩品では、

「爾の時の常不軽菩薩は荳に異人ならんや、則ち我が是れなり」と

おおせられています。


このような「人間は死んでもまた他の生命に生まれ変わる(転生輪廻)

「転生しながら人格完成(作仏)へ の修行を続ける(歴劫修行)」という

事実を前提としてこそ、

舎利弟を初めとする多くのお弟子達に、

汝はこれこれの時代に生まれ変わり、

これこれの仏に仕えて修行したのち、

仏の悟りを得るであろとって・・・・・と

保証された「授記」が成り立つのです。



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人間は今、現実の形態はどうであれ、

その根底においては、

人格完成という聖なる目的のために生きるのです。

生まれ変わり、死に変わり、修行の旅を続けるのです。


人は、すべてこの本願をもって、この世に生まれてきているのです。


ところが、

さまざまな環境に影響されて次第に汚れをかぶってしまい、

その自分を次第に見失っていきます。

ですから、地涌の菩薩たらんと志願するということは、

この汚れを洗い清め、

純粋な無垢清浄な自己の本性に戻ること、

と言ってもいいでしょう。



それを現代に生きる人々の生き方に即して言うならば、

これまでの既成概念に毒されて、

宗教の違い、人種の違い、国の違いなどで

人々を区別して見るのではなく、

この世のあらゆる人々の

本性、宗教の役割の本質をしっかりと

見とおしていける人となることであり、

そうした人こそ地涌の菩薩たり得る人と言っていいと思うのです。


そういう力によって

初めて明るい社会づくり、平和世界の建設が進められていくのです。




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タグ:庭野日敬
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今こそ、常不軽菩薩の礼拝行で-庭野日敬氏のお言葉 [庭野日敬師の言葉]

私は、庭野日敬氏の著書を
拝読させていただく時に心で読ませていただきます。

どういった事かと言いますと、
理論・理屈だけ理解しようとすると、どうしても無理が生じるからです。

私の母が生前にこんな事を言っていました。

「佼成会さんの人は、
   新聞や機関誌に書いてある事と
      やっている事が違うので戸惑う事がある。」

私の母は全く耳が聞こえない状態でしたので、
佼成会さんの教えは文字でしか理解する事が出来ませんでした。

ですので、新聞や機関誌に書いてある事がすべてです。

しかし、実際は新聞や機関誌に書いてある事と
現実の活動で行われている事に食い違いが生じている事に、
戸惑いを感じていたのだと思います。


どうゆう事かといますと、

法華経の教えの中にはどうしても理論や理屈だけでは、

解決がつかない事が多々出て来ます。


すると「そんな事むり」とか
「そんな事いったって」になってしまい
空理空論に終わってしまいがちになります。


ところが、
法華経をこころ(心眼)で拝読させていただくと、
不思議と気持ちがストーンを落ちます。

そこが、理解出来るのか、否かが、大切な分かれ道になると思います。

そんな現実の中でも、
私の母は庭野日敬氏の教えを大切に持ち続けていた
お陰様で、今の私がいるのだと思います。

そんな母に感謝しております。


さて、新型コロナウイルス肺炎の感染の影響で世の中が大混乱している中で、

今こそ、

常不軽菩薩の礼拝行が最も大切になるのではないでしょうか。


常不軽菩薩の礼拝行はすでにご存知だと思います。

常不軽菩薩の礼拝行について考える時に、
己の身を隠し、何もせずにジッーとしている事は、
庭野日敬氏の教えや、法華経の観点から考えると
私は、相応しくないと考えています。

もう一度、庭野日敬氏の説く常不軽菩薩の礼拝行について

再確認させていただくと共に、

常不軽菩薩の実践行を再点検していきたいと考えて、

庭野日敬氏の著書の瀉瓶無遺の中から

常不軽菩薩の礼拝行についてご紹介いたします。



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  瀉瓶無遺 

        佼成出版社 発行:1993.11  P255~256

常不軽菩薩の礼拝行


常不軽菩薩の礼拝行でいちばん大切なのは、

まず相手の仏性を信じきる事です。

それがなくては、相手の胸に響かないのです。

人びとを仏道に引き入れる菩薩の行は、

まず、人びととの縁をもつことから始まります。


そして菩薩は、

人をひきつける四つの美点、四つの手だてをもたなくては、

ならないと示されています。

それが前にもふれました菩瞳の四摂法といわれるものです。


繰り返しますが、

まず第一に菩薩たるものは布施の心をもたなくてはなりません。

真理について教えてあげたり、

財を施したりする行為でこれが布施摂です。


そして二番めに、

思いやりのこもったやさしい言葉をかけることです。

これが愛語摂です。


三番めは、自分の毎日の生き方をとおして、

「信仰すると、あんなに大らかな気持ちになれるのか」と

周囲の人びとを感化してしまうことでこれが利行摂です。


そして四番めとして、柏手と同じ立場に立てること。

たとえは秋の収穫で忙しいときなら、

いっしょに田んぼに入って稲を刈るのを 手伝って

心を通い合をていくというような行為、

あるいはまた、家族が悲しみにくれる葬儀を

親身になって手伝ってあげるといった行為でこれが同事摂です。


こうして、人の心と心が本当に触れ合い、

人の苦しみに共感できるになってこそ、

真の礼拝行といえると思うのです。



瀉瓶無遺 佼成出版社 発行:1993.11
瓶の水を一滴も残さず次の瓶に移すように、立正佼成会の教えを次の世代に伝えたいという願いが、書名『瀉瓶無遺(しゃびょうむい)』にこめられています。仏教徒として、佼成会員として守り伝えるべき信仰の核心について、信仰者の毎日の行の一つひとつについて、具体的に説き示されています。


常不軽菩薩とは:法華経・常不軽菩薩品に説かれる菩薩で、釈尊の前世の姿であったとされる。
常不軽菩薩は自身が誹謗され迫害されても、他人を迫害するどころか、仏法に対する怨敵などと誹謗し返さなかった。この常不軽菩薩の精神や言動は、宗派を問わず教理を越えて、仏教徒としての原理的な行動・言動の規範としてよく紹介引用される。常不軽菩薩 - Wikipedia

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新型コロナウイルス肺炎の感染の影響で世の中が大混乱しています。

その中で、喘ぎ・苦しみ・悩んでいる方々が、

貴方には見えますか。

その悩み・苦しみを感じるとる事が出来ますか。

今こそ、常不軽菩薩の礼拝行について

庭野日敬氏の思いや願いを再確認していきたいと思います。





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