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・庭野日敬氏が望む明るい社会づくり運動とは、 - 土地因縁のご供養 - [明るい社会づくり運動のポイント]

・庭野日敬氏が望む明るい社会づくり運動とは、 - 土地因縁のご供養 -

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私は、ご縁がありまして40年程前から居住地に関係する土地因縁のご供養をさせていただいています。

今回は、その中で現在の居住地の土地因縁のご供養の事をお話させていただきます。

実は、現在は山梨県甲斐市に住んでいますが、2024年3月末で甲府市に移転する予定をしています。

そこで、今までご供養をさせていただきました、現在の居住地の土地因縁のご供養をどのようにさせていただく事が良いのかを、ご相談させていただきました。

その結果、甲府市に移転後も担当教会さんでしていただく事となりました。(感謝です)

今回で8回目(8年目)になります。

私の引っ越し前の、今日(3月19日(火)13:30より)ご供養をしていただきました。

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今回は、加賀美虎光領主及びその一族の方々と、馬場・山縣氏の方々と一緒のご供養となります

加賀美虎光領主及びその一族の方々とは武田信虎の重臣。

武田信義(甲斐武田家の祖)の弟、加賀美遠光が甲斐国
(巨摩加賀美庄(現在の南アルプス市加賀美/若草町加賀美)に拠り加賀美氏を称したのにはじまる。
甲斐国においても加賀美氏の勢力は大きく、武田信虎が甲斐統一をはかるうえでも目の上のたんこぶとなっていた。

亨禄2年(1529年)、武田信虎(武田信玄の父)の勘気に触れ、武田信虎に夜襲をかけられ、抵抗むなしく一族が討死した。
(真田三代記 他より-注-1)

また武田家の重臣である
馬場伊豆守虎貞・山縣河内守虎清は、
このような信虎の悪逆を見るに忍びず大いに嘆き悲しみ、
両人心を合わせ57ヶ条の書付を以って信虎を諌めたが、
聞き入れてもらえずに一刀両断に切り捨てられた。

※この事等により、
 後に武田信虎は実子武田晴信(信玄)より幽閉される。
         (武田三代軍記 他より-注-2)


この方々は時の勢力の手により葬られた為に、充分な供養もされることなく、今日にまで放置された方々です。


およそ400名程の、数多くの方々のご供養になります。

例年と同じように、多くの方々に参加をしていただくことを、合わせてお願いさせていただきました。

先日、ご供養願を出させていただきましたので、それぞれの方々が、毎日の朝夕のご供養の中で、ご供養を待っている様子が伝わってきます。

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そんな折、毎年8月16日に韮崎市等が中心になり、花火大会と一緒に武田軍没将士供養会を行っている旨を知りました。

※武田軍没将士とは-
将校と兵士になりますので武田家の戦にかかわる人たち全てになります。

早速、韮崎市役所に問い合わせをさせていただき、資料を送っていただきました。

その内容を詳しく拝見させていただきますと、甲斐武田家の祖・武田信義(源信義)が平安時代末に累代の祈願所として再興した寺(願成寺)があり、その住職さんや地域住民の皆さんが中心になりご供養を上げているとの事でした。

その内容には、具体的な作法があり、古くから伝わっている作法のようでした。

また、その願成寺のご本尊が、私が先日、御宝前に置かせていただきました、阿弥陀如来様との事でした、のでちょっと驚きました。

このご供養の事は、おそらく地元の方々は知っていたのでしょうが、数年前に転居した私は耳にする事はありませんでした。

このようなご供養会を、韮崎市が中心になり地域住民と共に、実行委員会組織を作り行っている事は、とても素晴らしい事だと思います。

また、近隣の市町村に比べて、韮崎市の発展が著しい原因の一端が分かったような気がしました。


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土地因縁のご供養の素晴らしさは、こんな事だと思います。


小乗の考えではなく、大乗の考えに立つ事を、私は庭野日敬氏から教えていただいと思っています。

またその先に、明るい社会づくり運動があることを、教えていただいたと認識しています。



まだまだ、インフルエンザやコロナウイルス肺炎の影響が残ります。お身体を大切にお過ごしください。

※ ご質問、お問い合わせは佐藤まで
  090-8804-5593


注- 1 真田三代記
ー 国立国会図書館デジタルコレクション ー
 真田昌幸,真田幸村,真田幸泰(通称大助)の
真田家3代の興亡を主題とした講談。
幕末近くに成立した実録体小説をもとにしている。

注- 2 武田三代軍記
 ー 国立歴史民俗博物館 図書室 ー 
戦国の乱世に四隣を睥睨(へいげい)した
甲斐武田氏の信虎、信玄、勝頼のいわゆる
“武田三代”にまつわる合戦・軍略・逸話などの事績を
『甲陽軍鑑』とはまたひと味ちがった観点から、
詳細に記している。


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・庭野日敬師の御心をどこまで、ご存知でしょうか。 [インタネット講座「拓塾」]

・庭野日敬師の御心をどこまで、ご存知でしょうか。

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おはようございます。

数年前に思いがけない本を手にしました。

それは、私がいつも手を伸ばせば届く所に置いてある本でした。

十数年前に、地元の佼成会の古い幹部さんだった方が、私の家をわざわざ訪ねてこられ「佐藤さんは庭野先生(開祖様)の事を一生懸命にやっているようだから、私が持っている資料(本など)を差し上げるからもらってくれないか。」と言って下さいました。

私にすると一つでも多くの資料がいただける事が、どんなにありがたい事かは理解していましたので大変感謝していただきました。

その後から、現在でもとても大切にしております。

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その中に「立正佼成会における本尊勧請の経緯とその意義」(昭和43年3月5日発行)という本がございました。

黒表紙に銀色の表題になっており、副題に「本尊観の確立のために」となっています。

その本に書かれている事を、私はとても大切な事だと受け止めていますので、いつでもすぐに手を伸ばせば届く所に置いて時々に、書かれている事を確認していました。

そんな折、先日すぐ隣にある資料を取りだそうとしましたら、この本の存在がとても気になりましたので何気なく手に取り、パラパラと開くとある個所が目に留まりました。

今まで何度となく開いていましたが特に気にかける事無く読んでいた個所でした。

そこには次のように書かれています。

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~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

世界の現状をみる時、

宗教の果たすべき使命が

いかに大きいかということを痛感いたします。

科学エネルギーの利用といった

物質文明の高度の発達に比較して、

人間の人格の向上といった精神文化が

いかに遅れていることでしょう。

この両者のアンバランスの中に

現代人の危機があり、最大の問題があるのです。

現代人がその危機をのりこえるために、

精神文化の高揚が叫ばれ、

したがって、

人類の普遍的な指導理念がつよく要望されるようになります。

古来から、

東洋人は精神文化にすぐれ、

西洋人は物質文明にすぐれていると

いわれていましたが、

今こそ東洋人はその特質を生かして、

全人類の幸福のために貢献すべき時がきているのです。

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そのためには、

現代という時代がどういう時代であるのか、

また、未来はどうなるのかという点についても

正しく洞察して、

過去の思想や行動に反省を加え、

西洋人のすぐれている点や

長所特質についても、じゆうぶんに学ぶ必要があります。


とくに、広く西洋の諸宗教および

諸思想と東洋の諸宗教と諸思想との間に

(大いなる対話)をする必要があります。

その対話の積みかさねによって、

東洋思想と西洋思想との長所を備えた、

そして今までの東洋文明とか

西洋文明とかいう考え方や、

精神文化、物質文明という考え方より

もう一歩奥に進んだ、内容の高い、

普遍的な人類の指導理念を確立し、

それによって

新しい形の文化文明を築いていくことが

必要であると思います。

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そのために、

日本の宗教者に裸せられた役割は、

まことに大きなものがあります。

とくに中道の教えを説く(仏教)には、

あらゆる宗教および思想との対軒に欠くことのできない、

すぐれた理念を含んでいます。

ですから仏教徒には、

宗教者としての大きな使命があるといわねばなりません。

 (P91~P93)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


まさに、昭和44年4月27日 香川県高松市に於いて、「明るい社会づくり運動の第一声」で庭野日敬師の講演でお話いただきました事と同じ事を、ここでお話しているのです。

庭野日敬師が、「立正佼成会における本尊勧請の経緯とその意義」ここでおしゃっている事の先に「世界宗教者平和会議」や「明るい社会づくり運動」もあるのだと受け止めています。


庭野日敬師の心からの叫びだと受けとめました。

特に、立正佼成会さんにおける

大切な御本尊さんのお話の中で

この事が出て来ている事が、

とても意義深い事だと考えています。


庭野日敬師は、

たまたま気まぐれで「明るい社会づくり運動」を

始めた如くおしゃる方が多々いると聞いていますが、

実はそうではく

大切な御本尊さんとのご縁で、

スタートしたとても大切な活動である事が

ご理解いただける事と思い、

ご紹介する事としました。


庭野日敬氏の思いや願いを、

もっと深く探求されようとする方が

いらっしゃるようでしたら、

実際に手に取り拝読されると、

庭野日敬師の御心に触れる事が出来ると思います。


私達は、
亡き庭野日敬が残してくれた形式だけを尊ぶだけではなく、
もっと深く庭野日敬師の御心を理解する事が、
今 求められていると私は受けとめています。

その先に、何をすべきががはっきりと見えてくるはずです。

☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡

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・庭野日敬氏の明るい社会づくり運動への機縁 [明るい社会づくり運動のポイント]

・庭野日敬氏の明るい社会づくり運動への機縁

庭野日敬師が何故「明るい社会づくり運動を提唱されたのか」を、よく理解されているのか、そうでないのかで、その各々の明るい社会づくり運動の活動のあり方が必然的に変わって来ると考えています。

その為に、私達に課せられた課題は、「その事を後世の方々にお伝え出来るのか」が、問われていると自覚しています。

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庭野日敬師は、昭和55年4月の機関誌「佼成新聞」で以下の事を述べています。

~~~~~~~~~~~~

私がこの運動を提唱いたしましたのは昭和四十四年のこと。

国内的にはいわゆる、高度成長経済の真っただ中でありまして、心より金や物という風潮が全国にみなぎっておりました。

日蓮聖人のご遺文に説かれている末法の時代、つまり人びとが自分勝手な理屈を主張いたし、神仏を敬う念や倫理、遺徳がすたれて、穏やかならざる世の中になるという様相が、すでに表われていたのであります。

明るい社会づくり運動の提唱は、こうした心の荒廃に対して問題を提起するとともに、じつはもう一つ目的がございました。

それは、世界宗教者平和会議が生まれようとしていた当時、世界宗教者平和会議の理念と運動にふさわしい日本代表を選びたいと思ったことであります。

いわゆる宗教家だけではなく、この社会には陰徳を積んで世のため人のために、尽くしておられるかたが大勢いらっしゃる。

主義主張を超え、真に明るい社会をつくるため、真剣に取り組んでいるかたがたくさんおいででありましょう。

こういう素晴らしいかたがたにご登場いただき、英知を頂戴して世界平和のためにお役に立たせていただきたいと考えたわけでございます。

すなわち、明るい社会づくりと世界宗教者平和会議はその発想において、現代を正す両輪でございました。 

~~~~~~~~~~~~~~~

短い文章ですが、所々にとても大事な事をおしゃっている内容だと受け止めています。

簡単にポイントだけを確認させていただきますと、

1、日蓮聖人のご遺文に説かれている末法の時代、

つまり、穏やかならざる世の中になるという様相が、すでに表われていたのであります。


2、明るい社会づくり運動の提唱は、

  こうした心の荒廃に対して問題を提起するとともに、


3、世界宗教者平和会議の

   理念と運動にふさわしい日本代表を選びたいと思ったことであります。


4、主義主張を超え、真に明るい社会をつくるため、

  素晴らしいかたがたにご登場いただき、英知を頂戴して

  世界平和のためにお役に立たせていただきたいと考えたわけでございます。


5、すなわち、

  明るい社会づくりと世界宗教者平和会議は、その発想において、

  現代を正す両輪でございました。


庭野日敬師のお言葉は、いつも私達にとても分かりやすくお話をして下さいます。

でも、私達のような凡夫は、

ともするとその内容にとても大切な事をおしゃっていても、

耳ざわりの良い事だけに気を取られて、

本当に大切な内容を

キチンと心に受けとめる事が出来にくいようです。


出来ましたら、

上記の文章を暗記出来るように、

くり返し、くり返し読んでいく事により、

今まで気が付かない事に

気が付く事がありますので実行してみてください。


私は、これからの明るい社会づくり運動には、このような視点や感性を持ち合わせるリダーが必要不可欠だと思っています。


☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡
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・精神的な偏食-庭野日敬氏のお言葉 [庭野日敬師の言葉]

・精神的な偏食-庭野日敬氏のお言葉

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こんにちは[わーい(嬉しい顔)]

ずいぶんと寒さも和らいで、過ごしやすくなりましたが、体調に気を付けながら素敵な日にしていきましょう[るんるん]

~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~

庭野日敬のお言葉の中には、とても意味深いことが含まれてることが多々あります。

表面上の言葉だけではなく、

その奥底に含まれている事も加味して捉えると、

さらに、庭野日敬氏の素晴らしさが伝わって来ます。


世界の状況が不安定な時にこそ、

自身の信仰が試される時ではないでしょうか。


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開 祖 さ ま 随 感

      1968年(昭和43年)庭野 日敬 著 『開祖随感』 (佼成出版社) より


精神的な偏食



『法華経』の方便品(ほうべんぽん)には、

「真実の教えはただ一つであって、

二つも三つもあるわけではない。

ただ仏の智慧に到達するまでの手段として、

相手に応じていろいろな説き方の違いがあるが、

その説き方の違いも究極の真実に導くためなのである」と説かれています。


この世にはさまざまな宗教がありますが、

それぞれの違いは、

その時代、その社会を生きる人たちを

究極の真実の道に導くためのものだといえましょう。


それぞれの宗教が互いに違いを言い立てて対立し、

協力を拒むといったことがいかに無意味であるか、

この仏さまのお言葉をかみしめると、よく分かってきます。


信仰とは、帰依する対象を信じきって、それを貫き通すことです。


また、その心構えでなくては真の信仰とはいえません。


しかし、そこで一歩誤ると、

自分の教えの絶対性を主張して他を認めようとしない

排他独善の信仰に陥ってしまいます。


それは、言ってみれば精神的な偏食のためにやせ細り、

視野の狭い人間になってしまうようなものです。

くれぐれも注意しなければなりません。


^^^^^^^^^^^^^^^^^^

いかがでしょうか。


貴方(貴女)の心には、どのように響きましたか。


信仰とは、こころに響き(感受)がとても大切になります。


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タグ:庭野日敬
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・理屈より実践-庭野日敬氏のお言葉 [庭野日敬師の言葉]

・理屈より実践-庭野日敬氏のお言葉

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現代社会は、頭でっかちで足元がおぼつかない方が多いご時世と言われています。

例えば、インフルエンザ対策や新型コロナウイルス肺炎の再感染に付いても同じ事が言えると思います。

また、政治倫理審査会(政倫審)の様子を見ていても同じではないでしょうか、

今の状況は、前例のない出来事に遭遇をしています。

また、その先々の様子も不透明です。

そこで、一方向だけを眺めての判断は大きな間違いになりかねません。

でも、それらの事は差し置いて、自分の言いたいことだけを言う人の多い事。

建前や理論・理屈だけが先行してしまうのでしょうか。

こんな時に、庭野日敬氏はとても大切な事を、開祖随感で言っているページを見つけましたのでご紹介いたします。


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<開 祖 さ ま 随 感

      1980年(昭和55年)庭野 日敬 著 『開祖随感』 (佼成出版社) より

理屈より実践


浄土真宗の真溪涙骨師は「人生語録」にすばらしい言葉を遺されています。

「実践に理屈なし。

問うの無用、答うるの無用。

ただ『捧ぐる』の一事あるのみ」というのもその一つです。


なぜ善いことをしなければならないのかと問うのも無用、

功徳を積みたいからと答えるのも無用、

菩薩行には理屈は不要だというのです。


シンガポールで、第一回アジア宗教者平和会議が開催されたその会議のさなか、私たちはベトナムからボートで逃れ出る難民の救援に取り組みました。

雨期が迫っていて、放っておけば海の藻屑となるのが目に見えていたからです。

その宗教者の救援活動に対して、「ボートピーブルは体制からのはみだし者だから援助すべきではない」とか、「ボートピープルはベトナムの内政問題であって干渉すべきではない」と、国際通を自ら任じて講釈する人たちがいました。

しかし、そうした高邁な理論を振り回すよりも、

自分の目の前に救いを求め、懐に飛び込んでくる窮鳥がいたら、なんとしてもそれを救おうと力をふりしぼるのが人の道なのではないでしょうか。

宗教者の実践は、これあるのみです。


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いかがでしょうか。


今は、黙って、ジーっと、おとなしくしている時ではありません。


今まで、どうりの活動方式ではなく、

電話や、メールや、lineや、SNS、等を活用するのです。

どう、  何しているの、  大丈夫、


声を掛けて上げて下さい。

不安な時や、元気がない時の

何気ない、一言がとても勇気づけられるのです。

今は、黙って、ジーっと、おとなしくしている時ではありません。


お互い頑張りましょう。

☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡
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