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諸法実相と十如是についてー庭野日敬氏のお言葉 [庭野日敬師の言葉]

庭野日敬氏の説く法華経はとてもわかりやすい教えです。

只、その庭野日敬氏の説く法華経を
聞いてる方の機根によって聞こえて来る姿が変わって来ます。

例えば
スパゲッティは、どなたでもご存知のお料理ですが、
スパゲッティを食べたことが無い方に、
いくらスパゲッティの味を丁寧に説明をしても、
なかなか分かっていただく事は難しいです。

ところが、
黙って一口食べていただければ、
その味は、一目瞭然になります。

その様に、
庭野日敬氏の説く法華経を実践しない方には、
どうしても、雲をつかむようなお話になってしまいます。

また、スパゲッティの種類は一種類ではありません。
たくさんのスパゲッティの種類がある事が、瞬時に理解出来ます。

ですので、
庭野日敬氏の説く法華経は単純明快な教えになります。


特に最近では、
教団の代表者や教団関係であっても、
庭野日敬氏の説く法華経を実践しない、
出来ない方がいる事を、とても残念に思っています。


そこで大切な事は、
教団の代表者や教団関係の方、
さらに協会長さんや支部長さん、
また、
末端の会員さん等の役職は
庭野日敬氏の説く
法華経の世界では一切関係ありません。


末端の会員さんであっても、
法華経を実践する方には結果・現象が変わりますので
幸せな日々を送る事が出来ます。


教団の代表者や教団関係であっても、
法華経を実践しない方は結果・現象が変わりませんので、
いつまでも、闇の世界にとどまる事になります。



今日は、そんな観点で法華経の要の教えの一つになります、

諸法実相と十如是について、

以下のように述べている内容をご紹介いたします。



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:::::::::::::::::::::::::


 諸法実相と十如是について 

      
昭和51年4月号 機関紙 求道


東大の名誉教授で官本正尊というかたがいらっしゃいます。

印度哲学の大家で印度学仏教学会の理事長でもある立派なかたです。

今から二十年くらい前になるでしょうか、

私はその宮木先生に十如是の理(ことわり)についてお聞きしたことがあります。


そうしましたら、先生いわく

「庭野さん、そんなもの説いたって、

だれにもわかりゃしないよ。」と言われます。

そこで重ねてどうしてですか、とお閲きしますと、先生はこう言われました。

「たとえば、東大の生徒にいくら説いたって、

十如是なんてわかりやしない。

そんなものを説いて立正佼成会の信者はわかるのかい」。(中略)


そのように、頭のいい人を相手に、頭の秀でた印度哲学の大家が

いくら説いて聞かせてもわからないものも、

お導きをした人にはその十如是の縁起がすらすら説けるのです。


なぜかと言いますと、

それは仏の慈悲、仏の友情から出た体験をもっているからです。


この娑婆はみんなの集まり、集合体によって、成り立っています。


ひとりひとりが、たいせつな友達です。

人間同士がお互いに友情を持って

〃この人を幸せにしてあげたい〃と思えはこそ、法門を説いて、

自分の体験を話して導こうとするわけです。


ですから、

人を救うという活動をしていない人には、

十如是はわからないのです。


お経だけを一生懸命に読んで、

勉強しているだけという人には、

いくら印仏学会の理事長が説いてもわからない。


なのに、私どものような

落第生が人さまに向かって説かせていただくと、みんなわかる、

というのは不思議なことに思えますが、

それが仏さまの法力なのです。


お導きの功徳がそこにあるのです。

人さまに幸せになってもらうために、手をとってさしあげよう、と

一生懸命になってご法を実践している人が、

十如是の縁起を聞くと、

なるほど、ここはこうなのか、

そしてここはこうなっているのか、と

すぐにわかってしまう。


「この人のこういう現象の

是の如き相、是の如き性、是の如き体、力、作、困、縁は

こういうことなんだ。

この人の力はこういぅことで、

作はこのようであり、

それが原因となって、このような縁にふれ、

このような果報を受けているのだ」と、

そこまではっきりしてきます。



仏さまもそういうことを悟られて、

どのように教えたら人間の、

また物事の実態がよくわかるかを考えられて

十如是を説かれたのです。




ですからこれは、

お釈迦さまの説法の中でも、

最も大事な難しい教えだと言われております。




方便品にある

「諸仏世尊は、唯一大事の因縁を以ての故に世に出現したもう」

というお言葉も、

この十如是のことがわかると

はっきりしてきますし、

法華経のおおよその

構想までがつめてくるのであります。  
                       

^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^



いかがでしょうか。

この事は、近年衰退が危惧されてる

佼成会さんの法座や結びにも言える事です。

具体的に言いますと、

法座が成立しない、

結びを指導できる方がいない、少ない。


その危機感を果たして、

どの程度もっているのでしょうか。




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羅針盤となる教えの大切さ、瀉瓶無遺より-庭野日敬氏のお言葉 [庭野日敬師の言葉]

新型コロナウイルス肺炎の影響が広がる頃より、私の背中を押し続ける方がいます。

その方が、どこのどなたなのか、私には知る術がありません。

その事について、私自身にも葛藤がありますが、

その方に導かれる事によりこのブログを綴っています。


庭野日敬氏は、

法華経を、私達凡夫にも、とても分かりやすく伝えています。

また、後々の世の人たちの為に膨大な書物を残しています。


その、どの書物を手にしても庭野日敬氏の真心が伝わって来ます。



その中で、

新型コロナウイルス肺炎の影響が広がる現在の状況を、

只、只、見守る事だけしか出来ない教団を、

とても、悲しく・寂しく思っています。



5/24 新型コロナ死者34万人超す、世界各地で被害拡大続く
New Corona dead more than 340,000 | Damage continues to spread around the world




世の中は、いつまでも同じ状態ではいません。

諸行無常、時の流れは日々前に進んで行きます。


時代の最先端を歩むのではなく、

時代の流れに沿って歩む事が必須になります。



今、何をすべきか。

今、何が出来るのか。

模索しつつ、可能な活動を始める時ではないでしょうか。




私の背中を押し続ける方からは、そんな声が伝わって来ます。



今日は、そんな中から瀉瓶無遺に綴られている一説をご紹介いたします。



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 瀉瓶無遺 

        佼成出版社 発行:1993.11  P128~129


羅針盤となる教えの大切さ

  

地球をはじめとして星にもそれぞれ軌道があるように、

人間にも人間として守るべき

倫理規範というか歩むべき道があります。


もしも、

この世に基準となるべき物差しや秤がなかったならは、

私たちは社会生活をスムー ズに営むことはできません。


とかく人は、

実現できない大きな目標を単なる理想論にすぎない、

といって片つけてしまいがちですが、

理想があればこそ、

それをめざして歩くことができ、

また自分の足りなさを省みることができるのです。


とくに大乗仏教では、

到達するということよりも、

それに向かって歩きつづけること自体(精進)を、

尊く、大切なものとしております。



私たちは星に行くことはできませんが、

夜空に星が輝いていればこそ

暗夜の旅路を迷みずに歩けるのです。


人がこの世に生きるためには、羅針盤となる教えが必要です。


そういう意味で

人間としての理想像である仏さまを

恭敬(くぎょう)する大切さがあるわけです。


その理想像に比べて自分かいかに未熟であり、

足りないだらけであるかを知ることができます。


からこそ、

人から「謙虚になりなさい」と言われなくても、

おのずから謙虚になれるのだと思うのです。


仏教学者の中村元先生が、

「愚かなる者も自分は愚かであると知っていれば、それは賢者である。

愚者でありながら、

しかも自分は賢者であると思う者こそ愚者と言うべきである。」という

『法句経』に一部を紹介しておられました。


私は足りない人間だと謙虚さを忘れないことこそ、

そして真正直であること、

それが人間成長に欠かせない要件だと私は思うのです。



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いかがでしょうか。

このブログは、

多くの教団関係者の方々も見ている事と思っています。


只、黙って指導部からの指示に従っていれば良いのではありません。


自らが、自らの、信念に従って

法華経に書かれている事を行動に移さなくては、

お釈迦様や庭野日敬氏や法華経を裏切る事になります。


法華経とは、だれかに言われたから始めるのは初心者の歩む道です。


いつまでも、初心者であってはならない。


法華経とは、菩薩の発心の教えとも言われています。〖注-1〗
      自ら、行動を起こす事を説いています。
      自ら、行動を起こす事により共鳴者が現れます。
      この事が法輪を転ずる事に繋がっていきます。

仏飯をいただくものとして、〖注-2〗
恥ずべき事が無いように行動すべきと考えています。







〖注-1〗発心とは、
(仏語。 悟りを得ようとする心を起こすこと。 菩提心 (ぼだいしん) を起こすこと。 仏門に入ること。)参考-菩薩の発心について-大谷大学のページ

〖注-2〗仏飯をいただくもの
(仏様の事をして生計を立てている人。例-僧侶・宗教や教団等の関係者)


瀉瓶無遺 佼成出版社 発行:1993.11
瓶の水を一滴も残さず次の瓶に移すように、立正佼成会の教えを次の世代に伝えたいという願いが、書名『瀉瓶無遺(しゃびょうむい)』にこめられています。仏教徒として、佼成会員として守り伝えるべき信仰の核心について、信仰者の毎日の行の一つひとつについて、具体的に説き示されています。


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希望があれば疲れない-庭野日敬氏のお言葉 [明るい社会づくり運動のポイント]

新型コロナウイルス肺炎の影響が広がっていく中で、リダーの果たすべき役割は大きいです。

己の身を案じ、
ジッと閉じ込めっている姿は、
法華経を行ずるリダーに相応しくありません。

法華経を紐解いて見ると、
困難な中で法華経を説いていく大切さや、
そんな法華経行者を、
諸菩薩、諸天善神が守護する事を請願している事が
説かれています。

そんな事は、
只の空理空論だと言ってしまえばそれまででしょうが、
それでは、法華経を行じているとは言えません。

庭野日敬氏は、
法華経は学だけで良いとは一言も言っていません。

行(実践する事)と 学(学ぶ事)の二つの道を説いています。

法華経とは、この二つの道が出来ていなと、
体得(自分の物にする)する事が出来ないように出来ています。


ですので、己の身を案じ、
ジッと閉じ込めっている姿は、
法華経を行ずるリダーに相応しくありません。

となる事を、ご理解できますでしょうか。


新型コロナウイルス肺炎の影響が広がっていく中で、
リダーの果たすべき役割の中で、とても大切な事を、
庭野日敬氏は化城諭品を引用して、以下の事を言っています。


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開 祖 さ ま 随 感

      1992年(平成 2年)庭野 日敬 著 『開祖随感』 (佼成出版社) より


希望があれば疲れない


『法華経』の「化城諭品」には、

宝の山に向かう隊商のリーダーが、

疲れきったメンバーの行く手に幻の城を浮かび上がらせて、

みんなの気力を奮い立たせる物語が出てきます。


これは、みんなに希望を抱かせる手段だともいえましょう。


「前途は厳しいんだぞ。こんなことでどうする」と

叱咤ばかりしていたのでは、

だれもついてこなくなってしまいます。


リーダーといえども、

これからのすべてのことについて

百パーセントの確信を持っているわけではありません。


しかし、

「こっちへ進もう。必ず未来は拓けるのだ」と

言いきるその迫力が大事なのです。


行く手に苦しいことが待っていることもあります。


将来のために、

あえて不利なことを甘受しなくてはならないこともあります。


ときには、

回り道をしなければならないこともあります。


しかし、

希望を持って自分の意志で歩き始めると、

勇気を持ってそれに耐え、

それを受け入れ、

乗り越えていくことができるのです。



「希望があれば疲れない。

希望を持って生きる人は老いることがない」

という言葉があります。


:::::::::::::::::::::::::


いかがでしょうか。

あなたのこころには、どのように響いたでしょうか。

新型コロナウイルス肺炎の影響が広がっている時、

今、こそ法華経が必要な時です。



お互い頑張りましょう。





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