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・世界宗教者平和会議と明るい社会づくり運動(1) [インタネット講座「拓塾」]

・世界宗教者平和会議と明るい社会づくり運動(1)

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こんばんは[ぴかぴか(新しい)]

今日の体調はいかがですか、

ここ数日は寒暖差が大きいようです。

気温の変化は体調に影響しますので、体調に気を付けながら、素敵な日にしていきましょう。

~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~


前回のお話から、ご自身で資料を探したり、正確な情報を確認した方が、どのくらいいらっしゃるでしょうか。

私は、以下の立場を常に取っています。

インターネット講座 拓塾 -塾 是

「拓塾」は実践的理論追求の場であり、活動体である。単なる情報提供、教養を身につける場ではなく、自己改革(自分づくり)の場であり、社会改革(社会づくり)を実践的に促進する場である。

インターネット講座 拓塾 - 行動指針

一、自修自得   
自修自得を基本として切磋琢磨・自己改革をはかる。

一、先駆開拓   
   進取の気性・開拓精神・意欲を養ない、時代の先駆けとなる。

一、知行合一   
   知識は行動してはじめて意義がある。
   行動につながる学び方を身につける。


このブログをご覧いただいている皆さんが、本気になり、行動を起こさない限り何も変わりません。


是非、ご自身で出来る事でかまいませんのでアクションプランを考えてみて下さい。


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世界宗教者平和会議と明るい社会づくり運動


さて、今回は「世界宗教者平和会議と明るい社会づくり運動」についての庭野日敬師のお言葉を資料として提示させていただきます。

あえて、私の注釈は付けません。

出来る事であれば、一度だけお読みいただくのではなく、くり返し・くり返し読んでいただき、庭野日敬師のお心に触れていただければと願っています。


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~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

宗教団体も組織ができてしまいますと、「自分の教団の教えだけが正しい」と考え、排他独善になる傾向も見受けられます。

ところで、私は仏教徒であり、私どもの教団では『法華経』を所依の経典にしており、「さまざまな仏さまが因縁によって菩薩さまの名前で出現してくるが、そのもとをたどれば究極(本仏)は同じである」との立場をとっています。

こう考えますと、神道ともキリスト教とも協力し合うことは可能なわけです。

このことは、私が、昭和四十年にキリスト教の総本山ともいうべきバチカンの公会議にご招待を受けたときの、ローマ教皇パウロ六世猊下の言葉でもはっきりわかります。

猊下は「今後、宗教者同士が協力し合い平和に貢献すること以外、宗教者の進むべき道はない」と話されたのであります。                
                                       
 (S52・9・佼成新聞より)

私はパウロ六世にお会いするまでは、カトリックはけしからん、と悪口を言って歩いたのです。

なぜかといいますと、カトリックは二千年もの伝統をもち、世界宗教として絶大な影響力を世界の人びとに対してもっているのに、その大宗教が、他宗教に対してひじょうに排他的な態度をとっているとしか見えない。

愛と平和を説く宗教が、他の宗教に対して排他独善の態度をとっている限り、宗教は人類の平和のために何の役割も果たすことができない。

宗教の根本義は一つであり、神も仏も、生きとし生けるものの平安を願うことしかないはずだ。世界の平和を実現していくには、どうしても世界の宗教者が協力していかなければならない。

そのためには、世界の宗教界に最も大きな影響力をもつローマ教皇が、まず世界の宗教者と手をにぎろうという姿勢になってもらわなければならない

-そう痛切に感じていたのです。

その私の願いを全国を回って話して歩いたのです。

(中略)

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カトリックは世界中に布教網が行き渡っていますから、どこの国には、どんな宗教団体があって、どんな活動をしているか、というような世界各地の宗教の動きをことごとくキャッチしているのですから、私のことをご存じないはずがなかったわけです。

それを万事ご承知で、パウロ六世が私を百年に一度開かれるバチカン公会議に招待してくださったのです。

私のほうは、そんなこととまったく知らずにバチカンに行ったのですが、向こうでそれがわかって、「さすがカトリックの教皇さまだ、とえらく感心させられたのです。」

そこで、教皇さまにお目にかかってお話をうかがってみると、教皇さまが、こうおっしゃられたのです。

「キリスト教だけで人類を救おうなんておこがましい考えをもっていたのでは、世界平和実現の使命は果たせるものではありせん。キリスト教徒が仏教徒のために祈り、仏教徒がキリスト教徒のために祈るという宗教協力によってのみ、宗教者が人類に貢献していく道が開かれるのです」

その謙虚なお言葉をお聞きして、「これは素晴らしい宗教者だ、さすが二千年の歴史をもつカトリックの教皇さまだ」、と私は心の底から敬服させられたのです。

二千年来、代々の生き神さまと奉られ、異教の存在すら認めなかったカトリックの教皇が伝統の殻を打ち破って、キリスト教徒と仏教徒が手を携え合う宗教協力によって世界の人びとに平和を呼びかけていかなくてはならない、それ以外に宗教者が人類に貢献できる道はない、と慨悔をされたのですから、これは勇気のいることです。

その教皇さまのお言葉を聞いたとき私は、「こういうかたがいらっしゃるなら、世界宗教者平和会議は成功間違いない」と絶対の確信をもったのです。              

 (S53・3・月刊誌 躍進より)

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バチカン公会議から帰ってみますと、すでに日本ではカトリックとプロテスタントのかたがたが、すっかり仲よくなっておりました。

これからは一緒にやっていこう、という空気がみなぎっていました。

私はそれをみまして、リーダーが頭を切り替えることが、いかに大事なことか、リーダーの責任の重大さを思いました。

パウロ六世も、そのことをだれよりも深く感じ、まずみずから俄悔して、人びとに本当に幸せになってもらうためには、神さまのご守護のいただけるような状態にならなければならないとお悟りになり、

宗教協力を訴えられたのであろう、と私は拝察申し上げているわけであります。

いわば生き神さまとして、二千年の伝統をもつローマ教皇が、みずから一介の人間になって俄悔をされ、われわ凡夫の人間同士が仲よくならなければ、世の中が良くならない、

それができなければ、宗教者になった意味がないのだ、と立ち上がられたのであります。

私が自信をもって明るい社会づくり運動を提唱いたしましたのはこの教皇の影響があったからこそです。 
              (S52・8・速記録より)

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※私は、2~3回読んだ事は読んだとは見なしません。

それは、読んだのではなく見たのだと認識していますので、くり返し、くり返し読んでいく事により、今まで気が付かない事に、気が付く事がありますので、必ず実行してみてください。


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