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・庭野日敬氏の考える平和と宗教者の反省 [明るい社会づくり運動のポイント]

・庭野日敬氏の考える平和と宗教者の反省

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ご存知でしょうか。

ここ十数年の間、庭野日敬氏の事を詳しく語られる事が少なくなっている事実を、

確かに、何かの式典や行事・印刷物などに、その流れで引用される事(断片的に)はありますが、それ以上の内容で語られる事が極端に少ないように受け止めています。

何故でしょうか。

それには、様々な要因が考えられますが、その中でも大きな要因は、庭野日敬氏の表面上の事だけを受け継いでいく事が安易だからではないでしょうか。

具体的に言いますと、
例えば、庭野日敬氏の説く教えの中で、真骨頂の一つと言われています「結び」ですが、十数年前から各地で衰退している旨が伝わって来ていました。その後、その事に何も手を入れる事が出来ずに、現在では庭野日敬氏の言う「結び」が出来る方が数人だけと言われています。

さらに、指導が出来る方となるとさらに限定されるのではないでしょうか。

冗談みたいなお話ですが「世間の常識」を結びとしているケースがあるようです。


それで、本当に良いのでしょうか。


私は、庭野日敬氏の言う「結び」とは真摯な・真剣な行為だと受け止めています。


また、この「結び」が出来るのか、否かが、

今後の行く末を左右するものだと受け止めています。


そんな「結び」の観点から以下の事を眺めて見ると、新たな視点が生まれます。


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庭野日敬氏の考える平和と宗教者の反省

     昭和40年3月号 機関紙-佼成より


釈尊は、すでに二千五百年の昔に、
今日の闘争時代の出現を予言され、それを救い、立て直すには
いかにすべきかを教えられております。

仏教におきましては、
大慈悲をもたれた久遠本仏と“一切衆生は吾が子である”と言われた
一切衆生とが、しっかりと縦の線で結ばれているうえに、
横においではすべてのものは仏性を持ち、
平等であり、相依相関のいわゆる諸法無我の関係で
結ばれていることをはっきりと説き明かされております。

この縦においても横においても、
実に端的に説き示された関係というものは、
過去においても、現代においても、
そして、未来においても通用するものであり、
これを認識するところに
平和への道が開かれることを教えております。

そして、この因縁所生をしっかり弁え、
正しい仏教精神を把握した菩薩道の実践こそ、
私どもの使命であることを示されております。

私どもが、大いに導き活動を展開し、
ひとりびとりを、
正しい宗教に目覚めしめることが、いかにたいせつであるか、
そして、その使命がいかに重大であるかを
よくわかっていただけたことと思います。(中略)


歴史が人間を動かすのではなく、

歴史をつくるものは人間です。


この世界の危機はどこから起こり、

この社会の転倒ぶりはどこに起因し、

この家庭の乱脈と青少年の非行化が

何を原因としているのかを反省してみるとき、

私どもは、宗教心を忘れた今日の思想と、

それによって生きる人々に活を入れ、

バックボーンを植え込むものは、

実に、私どもがひとりびとりの胸に

法の燈火をつけていくたゆみない努力以外にはない、

ということを知っていただきたいと思います。


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庭野日敬氏のお話は、

いつ拝読させていただいても単純にして明快、

とても分かりやすい内容です。


そこで、

家庭・社会・国家の平和境の実現の為に、

いつまでも、

現在の場所にとどまっていては、

いけないのではないでしょか。



庭野日敬氏の幅広い世界を理解し、

実践する事が大切ではないでしょうか。


その為の、スケジュールを

早急に立てる事が不可欠だと思います。




※ 私の背中を押す方の力に合わせて・・・・・・、





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