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・明るい社会づくり運動と真実顕現の時代へのターニングポイント [明るい社会づくり運動のポイント]

・明るい社会づくり運動と真実顕現の時代へのターニングポイント

平成2年4月23日‐全国総会-2.jpg

第11回 明るい社会づくり運動全国協議会の総会の挨拶にて(平成2年4月23日)


庭野日敬氏の宣言した真実顕現の時代(1958~1977)は、本尊は「久遠実成大恩教主釈迦牟尼世尊」であることを宣言することにより、今までの方針を大きく転換することになりました。そして、本尊「久遠実成大恩教主釈迦牟尼世尊」の勧請や、明るい社会づくり運動や世界宗教者平和会議の提唱や推進に導かれて行くことになりました。

今回は、庭野日敬氏にとって大きなターニングポイントとなった「真実顕現の時代へ」に付いて触れたいと思います。

【真実顕現の時代-その軌跡】

・1957年:脇祖遷化 享年67歳。

・1959年:全国教区制施行。10教区104支部となる。

・1960年:本仏釈尊像の胎内に「法華三部経」十巻の写経、
     「法華経の新しい解釈」全五巻、「結願文」を納める。

・1962年:立正佼成会の目的、会員としての修行目標を簡潔に示す「会員綱領」を制定。

・1963年:「核兵器禁止宗教者平和使節団」の副団長として欧米各国を歴訪。

・1964年:大聖堂に本尊「久遠実成大恩教主釈迦牟尼世尊」の入仏式を行う。
      同年:大聖堂落成式。

・1965年:第2バチカン公会議に日本の宗教界、仏教徒として初めて出席。
      パウロ6世と謁見。

・1969年:「明るい社会づくり四国地区推進大会」が高松市で開催。
      同年:日本宗教連盟(日宗連)理事長に就任し挨拶。

・1970年:「第1回世界宗教者平和会議(WCRPI)」が国立京都国際会館で開催。

・1972年:「世界宗教者平和会議(WCRP)」の日本委員会が発足。初代委員長に就任する。

・1976年:「ユニクェスト・シュバイツァー賞」受賞。
      毎年、人道支援や教育、国際貢献、文化など各分野で顕著な功績をたたえる賞

・1976年:「第1回アジア宗教者平和会議(ACRPI)」に出席のため、シンガポールへ。

・1978年:軍縮に関する国連の特別会議「第1回国連軍縮特別総会(SSDI)」に出席。
      WCRPの代表として、平和と軍縮の必要を訴える。

・1978年:財団法人「庭野平和財団」(現・公益財団法人庭野平和財団)を設立。

・1979年:宗教界のノーベル賞といわれる「テンプルトン賞」を受賞。

・1979年:朝日新聞の紙上(論壇)で、「一食を捧げる運動」の国民運動化を呼びかける。

(出典:立正佼成会デジタルアーカイブ https://archive.kosei-kai.or.jp/


庭野日敬氏の創設した立正佼成会は、今までの活動とは変わり真実顕現の時代によって対社会的意識をもつ活動が大きく展開される時期となりました。この真実顕現の時代において、庭野日敬氏は明るい社会づくり運動、世界宗教者平和会議という、今までの宗教界では類を見ない二大運動を提唱し、推進をしました。

また、本尊は「久遠実成大恩教主釈迦牟尼世尊」として、立正佼成会の設立と独自の教義の形成とともに、立正佼成会の救済理念と救済活動も拡大し、この時代以降、教団の社会活動は、個々の人の救済から社会・世界全体の救済へ大きく展開して行くことになりました。

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【本尊観・行法観の確立が不可欠である、】
庭野日敬氏の創設した立正佼成会の中で、真実顕現の時代への大きなポイントの一つには本尊観・行法観の確立にあると思います。活動を進めるにあたりこのことがとても大切で重要な事だと思っています。その上で、庭野日敬氏は以下の事を宣言しています。

「本会における本尊観・行法観は、個人の救済から出発して家庭・社会・国家・世界の救済へと拡大する、無限の可能性を秘めているのです。すでに本会において修行精進をされている会員の皆さまは、それぞれに救われて幸福な境涯にならせていただいていることと存じますが、自分個人の救われや家庭だけの幸福に満足しているようでは、真の救いではありません。私達には、普く社会へ国家・世界へと法華経を公宣流布する大使命があるのです。本会の目標は、はるか先です。求法の道程は無限です。それに向かって今まさしく、堂々たる大行進を開始したのです。」
(出典:本尊観の確立のために‐S43・3 発行)


私は以前に、庭野日敬氏と共に宗教者平和会議の開催のために尽力した元宗教者平和会議の事務局長をされた大島宏之氏(注①)から以下のことを伺ったことがあります。
「個々の救いは根本仏教で充分にまかなうことが出来ますが、より多くの人たちの救い(幸せ)を求めて行くためには、どうしても法華経の実践が不可欠になるんです。」

そのことを考える時、庭野日敬氏が法華経に不惜身命・広宣流布に邁進していった姿が浮かんできます。

この点が、どこまで多くの人たちが観念としてではなく、ご自身の身をもってご理解いただけるのか否かが、とても大切な点だと考えています。

【参考】
・【明社運動発足25周年を迎えて】庭野開祖に聞く
・庭野日敬氏の提唱した明るい社会づくり運動の原点(1)
・庭野日敬氏の明るい社会づくり運動の原点(2)

※ 大島宏之氏 プロフィール 注①
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昭和12年東京生まれ。宗教評論家。東洋大学東洋学研究所研究員、世界宗教者平和会議日本委員会事務次長、庭野平和財団平和研究会座長、明るい社会づくり運動全国協議会事務局長を歴任
・事務局長として、明るい社会づくり運動全国大会に皇室をお迎えする。
 第六回全国大会(皇太子殿下並びに妃殿下)/第七回全国大会(常盤宮殿下並びに妃殿下)
・著書:「この一冊で宗教がわかる」三笠書房 / 「宗教の事典」日本実業出版社 / 「宮沢賢治の宗教世界」北辰堂 / 「宗教と青年」自由国民社 / 他

【明るい社会づくり運動の本願とは、】
上記の事を踏まえて、庭野日敬氏の思いや願いを理解し・実践し・具現化して行く為に「明るい社会づくり運動読本」が作成されています。その中で以下の事が明確に述べられています。

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国内では立正佼成会によって推進されている大規模な社会運動として「明るい社会づくり運動」(省略、明社運動)がある。この運動は昭和44(1969)年に庭野日敬氏によって提唱された地域社会を中心とする市民運動である。地域社会の様々な問題に取り組むのはこの運動の主な活動である。例えば、各明社運動は地域の環境や公害問題を取り上げ、それに対して明社会員による清掃奉仕活動、環境美化運動などが行われている。しかし、明社運動の目標は社会問題の解決のみならず、地域住民との交流・コミュニケーションを図ることでもある。庭野日敬が明社運動を提唱した時期は、いわゆる高度成長経済期であった。庭野日敬氏がこの時期の社会状況また人間関係を「物質的に豊かな、精神的に貧しい」と見なした。
地域社会を中心とする運動を提唱する目的は、奉仕活動への参加を通じて住民同士とのコミュニケーションそして地域共同体やコミュニテイー生活の復活を目指すことであった。
(出典:明るい社会づくり運動読本 1966-10-16発行)


そして、庭野日敬氏は明るい社会づくり運動と世界宗教者平和会議を以下のように述べています。

【仏さまの本願に添いたてまつる活動であると、】
「今日、いわば因縁のつながりの薄い人々へも、どしどし仏道の救いの手を差し伸べていかなければならない時代である。立正佼成会が音頭を取って、“明るい社会づくり運動”を全国的に展開するお手伝いをしているのも、また、“世界宗教者平和会議”の仕事に熱心に協力しているのも、こうした歴史的必然性に基づくものであり、宗教的に表現すれば、“衆生のすべてを救わねばおかぬ”という仏さまの本願に添いたてまつるものである」
(出典:立正佼成会史 第1巻:362~363)


 この言葉の意味するものは、そんなに難しい事ではありませんので、スムーズに理解し実践出来る事だと思います。
 只、提婆達多(各々の欲得や名誉欲や建前欲)が、様々ないたずらをしている事実がある事を理解しておくことは、今後の活動を繰り返して行く上で不可欠な事かもしれません。

 ちょっとだけ具体的な事を言いますと、庭野日敬氏のこのような活動を快く思っていない方も少なからずいた現実があります。その言動を耳にすることが時折ありました。現在の状況は提婆達多(その様な方々)の影響があるのかな、と思う事が多々あります。

【明社運動による宗教協力活動もネットワークづくり活動であると、】
つまり、法座のように明社運動もその参加者に他人の問題や社会問題に対する関心を求めており、他者(他の住民たちや団体)との協力で問題解決に取り組むことは当運動のありかたである。そのゆえ、ネットワークづくりは明社運動の主な側面である。明社運動は、立正佼成会会員の奉仕活動を積極的に展開することだけではなく、地域の市民団体や住民とのネットワークによって運動を広げようとしている。
そして、明社は独自の活動を進めながら地域に密着している市民活動、地域祭などにも積極的に参加している。明社運動による宗教協力活動もネットワークづくり活動の一つである(宗教協力活動の事例としては、地域の神社や寺の祭への参加、他の仏教団体と協力して戦没者や戦争犠牲者、交通事故者の慰霊祭を開催し、宗教団体のリーダーとの交流などが挙げられる。)
(出典:明るい社会づくり運動の歩み 2001発行)


私は、常々言っている事ですが庭野日敬氏はご自身の思いや願い、またご本仏様の思いや願いを、ご自身が亡くなった後も受け継ぐ事が出来るように書物等にして残しておられます。
そこで、私たちが庭野日敬氏の残している書物等にしっかりと目を通して振り返る事が、今の私たちに求められていることだと思います。

その中で、「明社運動による宗教協力活動もネットワークづくり活動」と言っている点が大切だと思っています。

【明るい社会づくりを掲げる以上、単一団体ではありえない】

例えば、個々の奉仕活動や社会づくり活動等もとても尊い活動だと思いますが、一歩立ち止まって見ると個々の奉仕活動等だけでは「明るい社会づくりにはなり得ない」事が理解できると思います。
それは別の言い方に変えると点と点だけでは、それだけでは「明るい社会づくりにはなり得ない」のです。わかりやすく言いますと、只の奉仕活動や・只の社会づくり活動で終わってしまうことになりかねないのであります。(とても尊い活動だと思いますが、
 そのことを踏まえて考えてみると、明るい社会づくり運動とは奉仕活動や社会づくり活動や宗教協力活動も、点と点を結ぶ(繋ぐ)ネットワークづくり活動であると、言っている事が理解できることだと思います。

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よくよく考えてみますと、「明るい社会づくり」を掲げる以上、単一団体ではありえないことはどなたでも理解できる事であります。

その事は、以下の庭野日敬氏のお話の中にも出て来ることであります。

「立正佼成会が所依の経典としている法華経というものは、最高最尊の経典であると言われておりますが、それは他の一切経が劣るものであるとして無視せよ、という教えではないのです。それは一切経の根本義は一つであるという見地に立つものであり、諸経に説かれた仏さまの教えを真に生かすものであるというところに、法華経の価値があるのです。この法華経を理解すれば仏教にとどまらず、全宗教はその本質において一つであり、一つに帰するのがほんとうであるという確信に到達するはずです。」
(出典:庭野日敬法話選集 3 P115)


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この点からも、明るい社会づくり運動と世界宗教者平和会議が車の両輪だと、繰り返し述べている真意が理解できると思います。

【さらに普門示現へと、】
「真実顕現」の時代を経て昭和53(1978)年に「普門示現」の時代(1978-1997)が宣言された。普門の普は「あまねく」という意味であり、門は真理の門を意味する。この時代の教団目標としては社会のあらゆる人に信仰や救済の門を大きく開いて、真理に則った生き方に導くということがあげられた。
こうした目標は立正佼成会が従来の宗教の救い、つまり一人一人を導きによって会員とし、信仰によって救ってきた立場を大きく一歩前進させて、個人の救済にプラスして、社会そのものをトータルに救う方向を打ち出したことを意味するのである。」
(出典:立正佼成会史第1巻:P 349-350)


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【普門示現の意味するもの、】
「普門示現」の言葉は法華経の「観世音菩薩普門品第二十五」から読み出されたものである。観世音菩薩は、神通力を具え、あらゆる人々を平等に真理の門に引き入れるために、相手に応じて色々と姿を変える(普門示現)いう菩薩である。観世音菩薩普門品には観世音菩薩を念じ、その名を唱えれば、七難から救われることが述べられているが、庭野日敬氏は「「観世音菩薩を念ずる」というのは、観世音菩薩を思い浮かべるということでり、それは「観世音菩薩のようになりたい」というあこがれの表われです。」とし、観世音菩薩を指導者の理想、教団の社会参加や会員の信仰生活の手本として主張するのである。

この時代において、社会活動への参加が教団の最大の目標としてあげられ、前期に開始された明社運動、世界宗教者平和会議、宗教協力活動は本期において本格化していく。世界宗教者平和会議を中心に軍縮や核兵器の廃絶運動など、宗教協力を基盤とした平和活動が次々と展開される。地域明社の運動が活発となる一方、明社運動の全国レペルでの組織化が行われ、全国協議会が設立された。さらに、全国で「一食ユニセフ募金」、街頭募金、チャリティーバザーやコンサート等、様々な形でのユニセフ支援活動が展開していく。そして、80年代から立正佼成会は「アフリカヘ毛布をおくる運動」を推進している。各地域にある立正佼成会の教会は地域の人々に呼びかけて地域住民から毛布を収集し、外務省や国連を通じてアフリカの干ばつ被災国に送っている。
(出典:Rissho Kosei-kai 1999 ; 佼成新聞 2000年1月20日3-4 )


【法華経の一乗思想に導かれ、】
庭野日敬氏は、自身が創設した立正佼成会が法華経の一乗思想に導かれ、寛容と協力の立場から明るい社会づくり運動や世界宗教者平和会議などを通じて諸宗教協力活動、世界平和運動等に関わって来ました。

 その事は、庭野日敬氏が「法の真理」を法華経の一乗思想に求める教えまた教義に真摯に向き合って来たことに証ではないでしょうか

私は、庭野日敬氏の法華経に導かれて、その法華経に真摯に向き合い、法華経のごとく歩んでこられた、庭野日敬氏の歩みを振り返る時、己の襟を正さざるを得ません。


今後の、修行・精進をお誓いさせていただきます。


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