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・庭野日敬師の思いや願いの理解度に温度差があるようです。 [明るい社会づくり運動のポイント]

・庭野日敬師の思いや願いの理解度に温度差があるようです。


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私は、明るい社会づくり運動のさらなる飛躍の為には、提唱者・庭野日敬師が何を思い、何をしようとしたのかを検証し、さらなる行動を起こす事が必要不可欠だと思っています。

明るい社会づくり運動の原点が理解できる時には、その方向性は自然とはっきりしてくると思っています。

庭野日敬師は、仏教的精神(思いやりの心・感謝の心・奉仕の心)を一宗教団体の枠を超えて、明るい社会づくり運動を通じて広めようとなさったのだと理解しています。

そして、その為に庭野日敬師は黒子に徹して「花を譲り、実を採る」と言っておられたと、側近の方から伺っています。

その庭野日敬師が提唱された明るい社会づくり運動に、各界の方々が共鳴し賛同され、立ちあがったのだと思います。

でも残念ながら、その方向性につきましても、現在ではその理解度に温度差があるようです。

また、明るい社会づくり運動のあり方は、その時々の時代の変化に伴って変化すべき事があっても良いと思います、逆に変化してはいけない事もあるのではないでしょうか。

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明るい社会づくりは一人では出来ません。
(一つの団体でも出来ません。)

でも、一人から活動を始めなくてはいけないと考えます。

そして広く同じ志を持つ多くの仲達が、活動エリアを超えて、コミニュケーションを取り合い、縦糸・横糸のネットワークを組んで行く事が、今後の活動の飛躍の為には不可欠だと考えます。


あなたは、どうようにお考えですか。


私は、前会長をなされていました井深大氏に、お会いさせていただきました時に、以下の事を強くおしゃっていた事を心に刻んでいます。

「人まねはいけないよ、オリジナルティーをもって、他の人のやっていない事をしなくてはいけない。」と、

その後、その言葉を心に置き様々な出来事を眺めていますと、井深大氏におしゃっていただいた意味が、新らためて理解出来ます。

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そして、そんな観点で庭野日敬師の提唱されましたを明るい社会づくり運運動眺めてみますと、井深大氏がおしゃっている「人まねではない。オリジナルティーある素敵な活動」だと思います。

日本の歴史が始まって以来、このような活動を始めた人はいたでしょうか。

また、世界の歴史を紐解いてみも、おそらくいないはずだと思います。


庭野日敬師は、日本や世界に存在していた宗教の壁や枠組みを乗り越えて、新たな世界を築きました。

それが、すでにご存じの世界宗教者平和会議です。

庭野日敬師は、世界宗教者平和会議の為に世界を奔走し乗り越えて来た枠組みの壁を、日本国内においては、各地を奔走し政治や地域の枠を乗り越えて、様々な方々のご支持をいただき「明るい社会づくり運運動」を立ち上げたのだと思います。

私は、この庭野日敬師の提唱された「明るい社会づくり運動」を、他の活動体と同じに考える事は、「明るい社会づくり運動」の歴史的意義を深く思う時、認識不足だと思わざると得ません。

是非、あなたの声を聞かせて下さい。

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