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仏法は無力か-庭野日敬氏のお言葉 [庭野日敬師の言葉]

庭野日敬氏の教えは、私の人生の大きな心の支えになっています。

長い人生には上り坂もあれば、下り坂もあります。

また、まさかと言う坂まであります。

そんな人生の折り目や節目の様々な出来事の中で、

迷う時や、戸惑う時、たじろぐ時など、

庭野日敬の説く教えを紐解きながら歩んで来ました。

そんな意味でも、

明日(5/4)の庭野日敬氏の御命日の式典は大切な時になります。


今回も、youtube配信がありました。


只、私自身は今日は大事な業務があり
先方に9時に出向かなくてはなりませんので、
その後に拝見をさせていただくつもりです。

もし、お時間がある方は、
お知り合いの方にその旨を伺ってみてください。

新型コロナウイルス肺炎の影響で
多くの皆さんが不安に思っている時だからこそ、
とても、大切な式典になります。



今日は庭野日敬氏の、
こんな言葉が私の胸の響きましたのでお知らせを致します。



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開 祖 さ ま 随 感

      1969年(昭和44年)庭野 日敬 著 『開祖随感』 (佼成出版社) より

仏 法 は 無 力 か


今日、仏教はすでに大衆を救う力を失ってしまった、

という人がいます。

これは、とんでもない間違いだと思うのです。

大衆を救う力が仏法になくなったのではありません。

しかし一方、仏法をしっかりと持ち、

日常の生活上に実践している人が

少なくなっていることも残念ながら認めざるを得ません。


たとえば交通事故は、

人が交通法規を守らないために起こるわけですが、

同じように、人も人の道を守らないがゆえに

苦しみや不幸に自ら突き当たってしまうわけです。


その人の道の根本義を示すのが仏法で、

その道をあゆめばみんなが幸せになれるのに、

多くの人がそれを知らずに不幸に陥っているのです。


ですから、

私たち仏教徒が人の道にのっとって生活し、

その姿を世の人びとに見てもらうことが、

まずもって大事です。


毎日の生活で法に示されたとおりに実践すると人は

どれほど幸せになれるか、

それを自らの姿で示せる人間になることが、

私たち仏教徒のつとめです。


仏法の縁に触れ、その教えを聞いても、それを守り、

実践することがなくては、自分の幸せもなく、

仏教徒としてのつとめも果たすことはできないのです。


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タグ:庭野日敬
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