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・人が信じ合える社会 - 庭野 日敬 著 『開祖随感』より [明るい社会づくり運動のポイント]

・人が信じ合える社会 - 庭野 日敬 著 『開祖随感』より

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庭野日敬氏の解く法華経は何故、どなたでも分かりやすく受けとる事ができるのでしょうか。

そんな事を考えた事がありますか、

私はこのように受けとめています。

例えば、スパゲッティを食べた方がその味や風味等を伝えようとすると、一度食べていると、その伝え方は具体的で、時として説得力があります。また、同じスパゲッティでも色々な種類があることを理解して伝える事が出来ます。

しかし、一度もスパゲッティを食べた事がない方が、書物を読んだり、他の人から聞いた事や、ご本人の憶測等で、スパゲッティの事を伝えようとすると、そのご本人がいくら頑張ったり努力しても、おのずと無理や不自然さが生じます。

法華経も同じではないでしょうか。

特に法華経は学だけの教えではありません。

昔から法華経行者と言われるように、行がとても重要になります。

とかく、現代社会は理論や理屈が先行しがちですが、頭でっかちになりがちですが、一度スパゲッティを食べてから、その味や風味を味わい・語って欲しいと思います。

すると、以下の庭野日敬氏のお気持ちがこころに響くと思いますが、いかがでしょうか。


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開 祖 さ ま 随 感

人が信じ合える社会

1969年(昭和44年)庭野 日敬 著 『開祖随感』(佼成出版社) より


先ごろ、十九歳の少年によって登校途中の子どもが殺害されるという事件がありました。

物を買うためのお金ほしさのためだったというのですが、

その少年にとって、子どもの命よりも物のほうが大事だったわけです。


いまの社会で人間の命の尊さが忘れられていることを痛感させられます。

殺された子どもがかわいそうなのはもちろん、

両親の嘆きはいかばかりかと心が痛みますが、

こうした殺人事件がきっかけで、

それぞれの家庭で「知らない人と口をきいてはいけませんよ。

物をくれるような大人についていってはいけませんよ」と、

子どもに人を疑うことを教える母親が増えるのではないかと、心配です。

そうして悲しむべき人間不信の社会が

どんどん広がっていくのを憂えずにはいられないのです。

この社会に仏法が行きわたっていれば、

みんなが人の命をもっと大切にするはずですし、

見知らぬ人をも信頼し、合掌し合える社会になるのです。

私たちは仏教徒として、

まだまだ人びとに仏さまの教えを説く努力が足りなかったのかもしれません。

私たちの説かざる罪を反省せずにいられません。 

 
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私は、庭野日敬氏の教えやお考えを謙虚にこころに止めて頑張って行かなくては思っています。


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