人間と人間の対話-庭野日敬氏のお言葉 [庭野日敬師の言葉]
人間と人間の対話-庭野日敬氏のお言葉

法華経が尊いのは、法華経自体が尊いのではありません。
その法華経を説く人が尊いことが不可欠になります。
例えば、庭野日敬氏のお話はいつ耳にしても得心が行きます。
しかし、別の庭野家の人たちのお話は、いつ聞いても、何度聞いても、私のこころには響きません。
自分でも不思議だと思っていますが、正直な気持ちです。
例えば、お金持ちのご苦労は貧乏な人にはわかりません。また、貧乏な人のご苦労はお金持ちにはわかりません。ちょっとさみしい例えですが、そんな時だと思います。
以下のお話も、法座の大切さが忘れられている昨今ですが、心に沁みるお話だと思います。

^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
開 祖 さ ま 随 感
1986年(昭和61年)庭野 日敬 著 『開祖随感』 (佼成出版社) より
人間と人間の対話
いま宗教にいちばん問われているのは、
人間と人間の真の対話を可能にできるかどうか、
だといえましょう。
法座はその対話の場なのです。
どんな問題であっても、
話したいこと、
聞きたいことがある人がいたら、
その言い分をとことん聞いてあげて、
「なるほど」と心から納得してもらえるまで話してあげる。
それが法座です。
相手の言葉をひと言ふた言聞いただけで、
「あとは聞かなくたって分かっていますよ」といった
調子で決めつけてしまったのでは、
人間の対話は成立しません。
お釈迦さまは、
お弟子がどんな質問をしてきても、
「善哉、善哉」と、
ひと言でなく、ふた言も重ねておほめになって、
それから「善男子よ……」と、
じゅんじゅんと語りかけてくださいました。
ですから、お釈迦さまにお会いできただけで、
どんな人もいっぺんに心が晴れわたってしまうのです。
すべての人が、
それぞれの尊厳さを具えた存在であることを
胸にしっかり刻みつけて、
相手を心から礼拝できなくては、人間の対話は成り立ちません。
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いかがでしょうか。
あなたのこころに、どのように響きましたか、
そこが、ポイントだと思います。
☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡

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法華経が尊いのは、法華経自体が尊いのではありません。
その法華経を説く人が尊いことが不可欠になります。
例えば、庭野日敬氏のお話はいつ耳にしても得心が行きます。
しかし、別の庭野家の人たちのお話は、いつ聞いても、何度聞いても、私のこころには響きません。
自分でも不思議だと思っていますが、正直な気持ちです。
例えば、お金持ちのご苦労は貧乏な人にはわかりません。また、貧乏な人のご苦労はお金持ちにはわかりません。ちょっとさみしい例えですが、そんな時だと思います。
以下のお話も、法座の大切さが忘れられている昨今ですが、心に沁みるお話だと思います。

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開 祖 さ ま 随 感
1986年(昭和61年)庭野 日敬 著 『開祖随感』 (佼成出版社) より
人間と人間の対話
いま宗教にいちばん問われているのは、
人間と人間の真の対話を可能にできるかどうか、
だといえましょう。
法座はその対話の場なのです。
どんな問題であっても、
話したいこと、
聞きたいことがある人がいたら、
その言い分をとことん聞いてあげて、
「なるほど」と心から納得してもらえるまで話してあげる。
それが法座です。
相手の言葉をひと言ふた言聞いただけで、
「あとは聞かなくたって分かっていますよ」といった
調子で決めつけてしまったのでは、
人間の対話は成立しません。
お釈迦さまは、
お弟子がどんな質問をしてきても、
「善哉、善哉」と、
ひと言でなく、ふた言も重ねておほめになって、
それから「善男子よ……」と、
じゅんじゅんと語りかけてくださいました。
ですから、お釈迦さまにお会いできただけで、
どんな人もいっぺんに心が晴れわたってしまうのです。
すべての人が、
それぞれの尊厳さを具えた存在であることを
胸にしっかり刻みつけて、
相手を心から礼拝できなくては、人間の対話は成り立ちません。
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あなたのこころに、どのように響きましたか、
そこが、ポイントだと思います。
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