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・普遍にして不変なるもの ー 庭野日敬氏の言葉 [明るい社会づくり運動のポイント]

・普遍にして不変なるもの ー 庭野日敬氏の言葉

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こんばんは[ぴかぴか(新しい)]

今日もお疲れさまでした。

春らしい陽気になっていますが、インフルエンザもコロナも、落ち着いてはいないようです。体調に気を付けながらお過ごし下さい。

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この世の成り立ちと言うのは、私たちの好むと好まざるとに関わる、常にパワーバランスで成り立っています。その事は、ともするとパワー(権力・財力・立場 等)がある人(組織・政党 等)の行う事や言っていることが正しいと受け取られる事が多々あります。

その事は、皆さんの身の回りを見渡せばすぐに理解できる、世の中ではないでしょうか。

例えば、現在の佼成会さんのあり方や、明るい社会づくり運営のあり方にも言えると思います。

さかのぼれば、お釈迦さまの教えがご在世の間はあれほどに、出家・在家を問わずに浸透していたのにも関わず、長い年月の間には衰退していく経緯があります。その後、数百年後に強く信受している弟子たちの結集によりお釈迦さまの教えが蘇って来ると言う事実があります。

その事を思うときに、庭野日敬氏の願いや思いが薄れていく現実に触れる時に、とても危惧しています。

そんな時に、庭野日敬氏のお考えに触れる事がありました。

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開 祖 さ ま 随 感

1968年(昭和43年)庭野 日敬 著 『開祖随感』 (佼成出版社) より


普遍にして不変なるもの

「私は悪いことなどしていないから、信仰などする必要はない」と言う人がいます。この場合、悪いことをしていないというのは、自分は法律を犯すようなことはしていない、という意味でしょう。

法律や道徳を守ることは、この社会で生活する人間として当然のことですが、法律や道徳だけをもって善悪の基準とするわけにはいかない、と思うのです。なぜならば、法律はそれぞれの国によって異なりますし、道徳もまた、その時代、時代によって変わっていきます。

このように、時により所によって変わるものは、絶対の価値基準となりえないのです。時と所を超えて、人類全体の価値基準となりうるもの、普遍にして不変なる絶対の真理(法)を鏡として、それに己を照らしていくのが信仰です。

信仰は、ただ法律に触れる行為、道徳に反する行為の贖罪のためにするものではなく、より積極的に、世のため人のために役立つよき実践へと人びとを導くものです。それによってこそ自分が高まっていけるわけです。一人ひとりの向上なくして真の幸福、人類全体の平和は招来されないのです。 
 
 
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庭野日敬氏は、こんな観点で何事にも真摯に取り組んできた方です。

ところが、現在の佼成会さんのあり方や、明るい社会づくり運営のありようはいかがでしょうか。

こころ静かに、振り返ってみることも大切なことだと思います。


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