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作仏への感涙-庭野日敬氏のお言葉 [庭野日敬師の言葉]

新型コロナウイルス肺炎の影響で不安定な日々をお過ごしの事と思います。


そんな中で、自分個人や組織だけの幸せを考える時には根本仏教で充分だと言われています。

〇根本仏教とは (四諦・八正道・三法印 等)


では何故、法華経が必要でしょうか。


〇法華経とは菩薩様が仏になる為の道を示した教え、です。

 その事が菩薩行と言われています。

 何故、こんな事を言うかと言いますと、

 自身が(組織が)幸せになる為であれば法華経は必要ありません。

 菩薩行とは、

 自身の事を犠牲にしながら、

 世の中の為、人様の為に努力する事です。



 ですから、その功徳が甚大なのです。



 その事が法華経には説かれています。


 その先に、仏様の働きや手助けなどの働きが見えてくるのです。


そんな事を庭野日敬は、

開祖随感の中でこんな言い方をしながら、私達に伝えて下さっています。




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開 祖 さ ま 随 感

      1994年(令和6年)庭野 日敬 著 『開祖随感』 (佼成出版社) より


作仏への感涙


「日蓮はなかねどもなみだひまなし」というご聖人のお言葉があります。

その日蓮聖人の涙は、

法華経に遇うことができて必ず成仏できることを保証された

わが身のありがたさに打ち震える涙なのです。



このお言葉は、

佐渡に流されて再び生きて帰れるかどうか分からない

日々の中で著わされた『諸法実相鈔』の中のお言葉です。

その流罪の地の生活は、

刑場の近くに建てられた、わずか畳二畳分の、壁はくずれ落ち、

雪が降り積もって消えることがないというお堂での毎日でした。

しかし、日蓮聖人はその流罪の大難さえも、

法華経を身に体して

読ませてもらえるお手配と受け止められているのです。


この経に「如来の全身います」とあります。



本当の感激をもって法華経を読むと、

仏さまが目の前で一語一語、

私たちに語りかけてくださるお声が聞こえてきます。


欲得にとらわれ、

毀誉褒貶(きよほうへん)に振り回されて

些細なことで一喜一憂していた人生観がガラリと変わってしまいます。



人間として生を享けることができた喜びに、

じっとしていられなくなってくるのです。

この大歓喜を生じてこそ人は作仏(さぶつ)できるのです。


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貴方はいかがでしょうか。



お互い様に精進を重ねましょう。





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