・末 法 を 救 う-庭野日敬のお言葉 [明るい社会づくり運動のポイント]
・末 法 を 救 う-庭野日敬のお言葉

先日、日光中禅寺湖に行って来ました。すでに日光戦場ヶ原は晩秋の装いになっていました。
昨日は、八ヶ岳の麓を訪れましたがちょうど見ごろの紅葉になっています。
紅葉前線はこれから次第に南下をしていきます。
季節の移ろいは、私たちの思いや考えとは別次元で変化を繰り返して行きます。
また、目を転じるとウクライナやガザの戦争は目に余る惨事です。
私たちは、ただこのまま指をくわえてみているだけで本当に良いのでしょうか。
~~~~~~~~~
庭野日敬氏の教えに初めて出会ったのは38年以上も前の事です。
旧ご本部の広間で、庭野日敬氏の教えを説いて頂いた時の記憶は、今でも鮮明によみがえって来ます。
この教えが世の中に広まったら、どんなんにか素晴らしい世の中になるだろう
と・・・・・・・、胸の高まりを覚えました。
しかし、その後の活動の中で、何度となく、その思いを打ち砕かれる事に遭遇する事になりました。
特に、残念な事は外からの圧力や反発ではなく、佼成会さんの中からの反発が意外なところに潜んでいる事です。
また、このブログを始めた当初(2009年)は、明るい社会づくり運動の事に懸念をしていたことが、現在では、立正佼成会さんの内部までも蝕んでいる事です。
さらに、その事に気づいていない点は、本当に残念としか言いようがありません。
そんな時代を末法と言うのでしょうか。
庭野日敬氏は、そんな事にも警鐘を鳴らしているのでは、と私には思えてなりません。
そんな姿は、貴方のはどのように映るでしょうか。

^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
開 祖 さ ま 随 感
1989年(昭和64年)庭野 日敬 著 『開祖随感』 (佼成出版社) より
末 法 を 救 う
このまま世界中で化石燃料を使い続けると、炭酸ガスが地球を覆って温度が上がり、南極の氷山が解けだして陸地のかなりの部分が水没してしまう、と警告が発せられています。
裏付けのある予測で、世界の指導者がこぞってそれを訴え始めました。
末法というと、法がまったく絶えた真っ暗闇の時代を考えがちですが、法は厳然として存在しているのに、人びとが法からどんどん離れてしまうのが末法の時代です。
物があふれ、はなやかに繁栄しているようにみえるいまの社会も、豊かさや便利さを飽くことなく追い続けると、どんどん法からはずれ、破滅の道をたどりかねません。
法華経には、燃えさかる家の中で、その火に気づかずに遊びほうけている子どもたちの話が出てきます。
その子どもたちに仏さまは、「外には、すばらしい車があるぞ」と呼びかけて大火から救いだされます。幸せを求めているつもりで、自分がどこへ向かっているか気づかずにいる現代人も,“火宅の子”と言えましょう。
その人たちへの呼びかけは、物の豊かさや便利さを上回る真の豊かさ、本当の喜びを知ってもらうことです。
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
いかがでしょうか。
私は、庭野日敬氏の思いや願いの原点に戻る事を提案しています。
例えば、庭野日敬氏の教えは「切れば血の出る教え」と言われています。
簡単に言いますと、結果・現象が出る教えと言う事です。
今では、そんな事を言う方はほとんどいません。
逆に、そんな事を言うと変人扱いです。
庭野日敬氏の教えの真髄は変わっていません。
それを受け継ぐ方々の怠慢ではないかと受け止めています。
何故か、
庭野日敬氏の教えの真髄ではなく、
その表面上を取り作っている方が楽だから、と受け止めています。
そんな事も、末法の時代のなせる業ではないでしょうか。
でも、
私は、庭野日敬氏の思いや願いの原点に戻る事を提案しています。
☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡

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先日、日光中禅寺湖に行って来ました。すでに日光戦場ヶ原は晩秋の装いになっていました。
昨日は、八ヶ岳の麓を訪れましたがちょうど見ごろの紅葉になっています。
紅葉前線はこれから次第に南下をしていきます。
季節の移ろいは、私たちの思いや考えとは別次元で変化を繰り返して行きます。
また、目を転じるとウクライナやガザの戦争は目に余る惨事です。
私たちは、ただこのまま指をくわえてみているだけで本当に良いのでしょうか。
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庭野日敬氏の教えに初めて出会ったのは38年以上も前の事です。
旧ご本部の広間で、庭野日敬氏の教えを説いて頂いた時の記憶は、今でも鮮明によみがえって来ます。
この教えが世の中に広まったら、どんなんにか素晴らしい世の中になるだろう
と・・・・・・・、胸の高まりを覚えました。
しかし、その後の活動の中で、何度となく、その思いを打ち砕かれる事に遭遇する事になりました。
特に、残念な事は外からの圧力や反発ではなく、佼成会さんの中からの反発が意外なところに潜んでいる事です。
また、このブログを始めた当初(2009年)は、明るい社会づくり運動の事に懸念をしていたことが、現在では、立正佼成会さんの内部までも蝕んでいる事です。
さらに、その事に気づいていない点は、本当に残念としか言いようがありません。
そんな時代を末法と言うのでしょうか。
庭野日敬氏は、そんな事にも警鐘を鳴らしているのでは、と私には思えてなりません。
そんな姿は、貴方のはどのように映るでしょうか。

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開 祖 さ ま 随 感
1989年(昭和64年)庭野 日敬 著 『開祖随感』 (佼成出版社) より
末 法 を 救 う
このまま世界中で化石燃料を使い続けると、炭酸ガスが地球を覆って温度が上がり、南極の氷山が解けだして陸地のかなりの部分が水没してしまう、と警告が発せられています。
裏付けのある予測で、世界の指導者がこぞってそれを訴え始めました。
末法というと、法がまったく絶えた真っ暗闇の時代を考えがちですが、法は厳然として存在しているのに、人びとが法からどんどん離れてしまうのが末法の時代です。
物があふれ、はなやかに繁栄しているようにみえるいまの社会も、豊かさや便利さを飽くことなく追い続けると、どんどん法からはずれ、破滅の道をたどりかねません。
法華経には、燃えさかる家の中で、その火に気づかずに遊びほうけている子どもたちの話が出てきます。
その子どもたちに仏さまは、「外には、すばらしい車があるぞ」と呼びかけて大火から救いだされます。幸せを求めているつもりで、自分がどこへ向かっているか気づかずにいる現代人も,“火宅の子”と言えましょう。
その人たちへの呼びかけは、物の豊かさや便利さを上回る真の豊かさ、本当の喜びを知ってもらうことです。
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いかがでしょうか。
私は、庭野日敬氏の思いや願いの原点に戻る事を提案しています。
例えば、庭野日敬氏の教えは「切れば血の出る教え」と言われています。
簡単に言いますと、結果・現象が出る教えと言う事です。
今では、そんな事を言う方はほとんどいません。
逆に、そんな事を言うと変人扱いです。
庭野日敬氏の教えの真髄は変わっていません。
それを受け継ぐ方々の怠慢ではないかと受け止めています。
何故か、
庭野日敬氏の教えの真髄ではなく、
その表面上を取り作っている方が楽だから、と受け止めています。
そんな事も、末法の時代のなせる業ではないでしょうか。
でも、
私は、庭野日敬氏の思いや願いの原点に戻る事を提案しています。
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タグ:庭野日敬 明るい社会づくり運動
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