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・奉仕できる喜び-庭野日敬氏のお言葉 [庭野日敬師の言葉]

・奉仕できる喜び-庭野日敬氏のお言葉

こんにちは、[ぴかぴか(新しい)]

体調はいかがですか、

雨の一日になりました。

晴れもまたよし、雨もまたよし、

季節の変化を感じながら、素敵な一日にしていきましょう。

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庭野日敬氏のお言葉は、いつ拝読させていただきましても新鮮に心に響きます。

インフルエンザや、コロナウイルス肺炎の事で不安が残る日々ですが、自身の心を点検する事もとても大事な事だと思います。

^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

開 祖 さ ま 随 感

      1967年(昭和42年)庭野 日敬 著 『開祖随感』 (佼成出版社) より


奉仕できる喜び


人はふつう、自分が人に奉仕するのはあまり好きではなく、人から奉仕してもらうほうがうれしいように思っています。しかし、それは心のほんの表面上のことで、心の深いところでは、人はむしろ人に奉仕することを欲しているものです。

どんなことでもいい、実際に人さまのために尽くして、それで相手の人に喜んでもらえると、それがよく分かるのです。「なんで、子どものことで、こんな苦労をしなければならないんだろう」と愚痴をこぼしていた親でも、子どもが一人前になって巣立ってしまうと、空虚な思いに陥ってしまいます。

世話をしてあげる人がだれもいなくなると、「ああ楽々した」という思いよりも、虚脱感に襲われてしまうのです。さらに、体が不自由になって、だれにも、なにもしてあげられず、ただ周囲からしてもらうだけの身になってしまったら、どんなに寂しい思いになるかしれません。

そう考えてみると、自分が人さまに役立てることが、どんなにうれしいことか分かってきます。

それが人間の本当の生き甲斐なのです。


^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

いかがでしょうか

大切な事は、自身の足元ではないでしょうか。「自分だけが幸せになれば良い」と言う考え方から「一歩踏み出勇気が 今、求められる」います。

多くの方が不安な日々を送っています。

身近な知人や友人に、出来るだけ多く声を掛けて上げて下さい。

「どうしているの!」


「大丈夫!」


声を掛けもらえるだけで元気になります。


勇気が出て来ます。


その事が菩薩行になります。


黙っていては菩薩ではありません。



その時に支えになるのが「法華経」になります。

庭野日敬氏の真の勇気は「法華経」に支えられていました。

ですので、

身命を惜しまず邁進して来れたのではないでしょうか。


「法華経」とは、

個人の救いではなく

菩薩の実践を説いた教えになります。


お互い様に頑張りましょう。



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・大事をなす人とは、- 庭野日敬師のお言葉 [庭野日敬師の言葉]

・大事をなす人とは、- 庭野日敬師のお言葉

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おはようございます[ぴかぴか(新しい)]

お目覚めはいかがですか、

季節の移り変わりは早いものです。つい先日まで突き刺さるような寒さでしたが、ずいぶんと寒さも和らいで来ました。只、寒暖差の大きい今日この頃です。

体調に気を付けながら、素敵な一日にしていきましょう。

~ ~ ~ ~ ~ ~ ~

「どこまで馬鹿になりきれる事が出来るのか」が私自身の課題だと思っています。

それは、口先は綺麗な事を言っていても、その内心は自身の思惑や損得ばかりを考えている方々をたくさん見て来た事もあると思います。

様々なタイプの人達と触れ合う中で自然とそのように考えるようになりました。

また、逆に「私は自身の思惑や損得で動くのだ」と言っている方もいますが、その人の方が正直で、嘘を言わない分いいかなとも思う時もあります。

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色々なタイプや考え方がありますが、庭野日敬師は、以下の事をおしゃっていますが、あなたはどう思いますか。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

私はいつも、みなさんに「ばかになれ」とおすすめするのです。

もちろん「ばか」といっても、愚か者のことではありません。

現代人は、毎日、知識のシャワーを浴びているようなもので、

頭のよい人、利口な人ばかりが多くなっているようです。


頭がよすぎると、人の言うことがばからしくて聞けなくなります。


人の言うことを素直に信じることができなくなり、

なにごとも先を見通せるつもりで、

「そんなことは、とても不可能だ」と決めつけ、

初めから手をつけようとしない、といった生き方になりがちなのです。


それにひきかえ、利口ぶらない人は、

みんなが「できない」と決めてしまうことでも、

「これが正しい道ならば」とコツコツと手がけて、

ついに大事を成し遂げてしまうのです。


これが、私の言う「ばかになる」ことです。


初めのうちは、

「あんなことをやっても、むだなのに」と冷ややかに見ていた人たちが、

うならずにいられなくなってしまうわけです。

自ら志願してばかになりきる、その心のゆとりこそが大切なのです。   


庭野 日敬 著 『開祖随感』 (佼成出版社) より

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


あなたは、どのように思いますか。



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・明るい社会づくり運動で庭野日敬氏が目指した事とは、 [庭野日敬師の言葉]

・明るい社会づくり運動で庭野日敬氏が目指した事とは、

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こんばんは。

今日は桃の節句、ひな祭りです。


肌寒いですが爽やかな日になりました。

こんな日は、つい無理をしがちです。

無理をしてしまうと必ず反動が来ます、体調悪化が起きます。

そんな事にも気を付けながら、素敵な日にしていきましょう!

~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~


私たちは日々慌ただしく過ごしています。

そんな繰り返しの中で、考える事は、つい目先の事になり、その目先の事にとらわれていると大切な事から、離れて行ってしまいやすくなります。


そんな時、庭野日敬氏の言葉は私の心を引き寄せてくれます。

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庭野日敬氏が宗教活動として目指している方向と、明るい社会づくり運動で目指している方向が示されています。


:::::::::::::::::::::::::::::::::



-人間の真の覚醒―


政治も宗教も、つまるところは明るく住みよい社会の建設、

そして人類の平和をめざすためのもので、その点においては変わるところはありません。


しかし、政治は、きのう、きょう、あすといった比較的さし迫った日限の中で、どちらかといえば力関係を中心にして動くものであるのに対して、宗教は、過去、現在、未来という長い時間の中で、個人の心の平和とともに理想の社会、平和な世界をめざします。

政治は社会の不正を正すことで社会浄化をめざし、宗教は人びとの仏性(ぶっしょう)を磨きだすことで、平和な世界を築くことをめざすものと言ってもいいかもしれません。

お釈迦さまが説かれた慈悲の教えを自分のものとして、それを、さらに多くの人びとに伝えていきたいという願いが菩薩行なのですが、三千世界を知るも、なお自己を知らず」と言われるように、人は、まわりの欠陥はよく見えても、自分のこととなると何も見えていないものです。

政治も宗教も、まず自らを正して、それぞれの道で人間を真に覚醒させていくことを忘れてはなりません。


1967年(昭和42年)庭野 日敬 著 『開祖随感』 (佼成出版社) より


:::::::::::::::::::::::::::::::::::::


いかがでしょうか。

あなたのこころには、どのように響きましたか。



庭野日敬師のお考えや願い・思いが理解できるでしょうか!


あなたのお考えを、是非お聞かせ下さい。


あなたは、このままで本当に良いとお考えでしょうか。


あなたのお考えを、是非お聞かせ下さい。


☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡

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・庭野日敬師の提唱した明るい社会づくり運動を進める上でとても大切な事 [庭野日敬師の言葉]

・庭野日敬師の提唱した明るい社会づくり運動を進める上でとても大切な事

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庭野日敬師は、開祖隋感で私達が明るい社会づくり運動を進める上で、とても大切な事として以下の事をおしゃっています。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

精神的な偏食


庭野 日敬 著 『開祖随感』1968年(昭和43年)(佼成出版社) より


『法華経』の「方便品(ほうべんぽん)」には、「真実の教えはただ一つであって、二つも三つもあるわけではない。

ただ仏の智慧に到達するまでの手段として、相手に応じていろいろな説き方の違いがあるが、その説き方の違いも究極の真実に導くためなのである」と説かれています。

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この世にはさまざまな宗教がありますが、それぞれの違いは、その時代、その社会を生きる人たちを究極の真実の道に導くためのものだといえましょう。

それぞれの宗教が互いに違いを言い立てて対立し、協力を拒むといったことがいかに無意味であるか、この仏さまのお言葉をかみしめると、よく分かってきます。

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信仰とは、帰依する対象を信じきってそれを貫き通すことです。

また、その心構えでなくては真の信仰とはいえません。

しかし、そこで一歩誤ると、自分の教えの絶対性を主張して他を認めようとしない排他独善の信仰に陥ってしまいます。

それは、言ってみれば精神的な偏食のためにやせ細り、視野の狭い人間になってしまうようなものです。

くれぐれも注意しなければなりません。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

庭野日敬師は、ご自身の信仰体験からお話になっている事だと思いますが、

私は、明るい社会づくり運動にも当てはまる事だと思っています。


明るい社会づくり運動の推進者として、本物になって行く事が、求められているように思います。


あなたのこころは、どのように感じる事が出来ましたか。


☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡
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・明るい社会をつくる為には! ー 庭野日敬師は何と言っているのだろうか、 [庭野日敬師の言葉]

・明るい社会をつくる為には! ー 庭野日敬師は何と言っているのだろうか、

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おはようございます[ぴかぴか(新しい)]

今朝のお目覚めはいかがですか、

昨日は強風が吹いた一日でしたがいかがでしたか。

今日も、強風の影響が残るようです。

また、肌寒くなるようです。

衣類で寒さ対応を調整しながら

素敵な日にしていきましょう



明るい社会をつくる為には!

庭野日敬師は「開祖隋感」の中で次のように言っています。


~~~~~~~~~~~~~

世の中の争いのもとは、

誤解、恐怖、嫉妬の三つが原因だといわれます。

そこから怨念が生まれてきて、

それが原因で、さまざまな争いが起こります。


国と国の紛争も、

民族や人種間のいざこざも、そうです。


また、身近な職場や家庭でのトラブルも一緒です。  



私たちの心は、

ときには仏さまのような清らかな心になるかと思うと、

また、ムクムクと煩悩の心が起こってきてしまいます。


京都の清水寺貫主(かんす)の大西良慶師は、

「欲も中に入れ、愚痴も中に入れ、善も中に入れて、

ほどよう和え物にするのが和なん」と言われていました。


平和は、

争いを避けて静かにそっとしていれば

自然にやってくるというものではありません。


さまざまな矛盾や対立を含みながらも、

そこにバランスを保たせていく、

そのたゆみない努力によって

初めて平和が維持されていくのです。  


それは、回り続ける独楽に似ているともいえましょう。

その回転する力が衰えたら、

独楽は倒れてしまいます。

回り続けること、それが精進です。

~~~~~~~~~~~~~~~~~


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庭野日敬師がお話しているように、

明るい社会づくり運動を推進しようとする時に、

争いを避けて静かにそっとしていれば

自然にやってくるというものではないと思います。


さまざま考え方や、

色々な矛盾や対立を含みながらも、

そこにバランスを保たせていく。

そのたゆみない努力によって、

初めて明るい社会づくり運動の

真骨頂が出てくるのだと思います。



いかがでしょうか。

☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡
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・庭野日敬氏の言葉-ご縁をかみしめる [庭野日敬師の言葉]

・庭野日敬氏の言葉-ご縁をかみしめる

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こんにちは[ぴかぴか(新しい)]

私の所では冷たい雪が降っていますが、いかがお過ごしでしょうか。

時の過ぎるのは早いもので2月も下旬にかかって来ました。

まだまだコロナの状況も、インフルエンザの感染も油断出来ない状況だと思います。

そんな時に、こころの支えになるのが庭野日敬の説く法華経ではないでしょうか。

庭野日敬の説く法華経では、強く打てば、強く帰って来ますが、弱く打てば、弱く帰って来ると教えていただいています。貴方は法華経を、どのように打ち・どのように響かせますか。

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わが身を振り返って見ると、私たち達は、様々な人たちにお世話になり、また、色々なかかわりを持ちつつ、今日を向かえる事が出来ます。そんな事を思いつつ、庭野日敬氏の言葉を思い出しましたのでご紹介します。


::::::::::::::::::::::::


- ご縁をかみしめる -

1968年(昭和43年)庭野 日敬 著 『開祖随感』 (佼成出版社) より


私は、恩師の新井助信先生との出会いによって、法華経に導かれて目を見開かされ、そして妙佼先生という、またとない修行の友に磨かれて、今日の幸せに導いていただきました。

それにさらに、佼成会というサンガのみなさんに助けていただいて今日を迎えさせていただいているわけです。

その私と同じように、みなさんもまた、さまざまなご縁によって今日があるわけで、その縁のありがたさをもういちど振り返り、かみしめていただきたいと思うのです。

自分をこの世に生みだしてくださった両親、この法に遇いえたその縁をつくってくださった導きの親御さん、そして、どんな人も幸せに導く法をお説きくださった教主釈尊の大恩……

考えていくと、自分がどれほどの大恩によって生かされ、支えられ、導かれているか思い知らずにいられません。

ふだん、つい忘れがちな過去をあらためて検証し直して、自分が受けた恩をかみしめる瞑想修行がありますが、一年の終わりを迎えて、一日、じっくりと自分を振り返ってみたいものです。

そこから真の自他一体感がわき起こって、さらに新たな精進の決意が湧いてくるのです。

::::::::::::::::::::

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いかがでしょうか。あなたにどのように響いたかが、大切になります。漠然と過ぎ去っていく毎日ですが、時には、心静かに「ご縁をかみしめる」事が出来たら素敵な日々になると思います。

☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆

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・人間と人間の対話-庭野日敬氏のお言葉 [庭野日敬師の言葉]

・人間と人間の対話-庭野日敬氏のお言葉

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法華経が尊いのは、法華経自体が尊いのではありません。

その法華経を説く人が尊いことが不可欠になります。

例えば、庭野日敬氏のお話はいつ耳にしても得心が行きます。

しかし、他の庭野家の人達や、他の人たちが説く法華経は何故か

何度聞いても、私のこころには響きません。


自分でも不思議だと思っていますが、正直な気持ちです。


例えば、お金持ちのご苦労は貧乏な人にはわかりません。

また、貧乏な人のご苦労はお金持ちにはわかりません。

ちょっとさみしい例えですが、そんな時だと思います。


以下のお話も、法座の大切さが忘れられている昨今ですが、心に沁みるお話だと思います。


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^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

開 祖 さ ま 随 感

      1986年(昭和61年)庭野 日敬 著 『開祖随感』 (佼成出版社) より

人間と人間の対話

いま宗教にいちばん問われているのは、

人間と人間の真の対話を可能にできるかどうか、

だといえましょう。


法座はその対話の場なのです。


どんな問題であっても、

話したいこと、

聞きたいことがある人がいたら、

その言い分をとことん聞いてあげて、

「なるほど」と心から納得してもらえるまで話してあげる。

それが法座です。


相手の言葉をひと言ふた言聞いただけで、

「あとは聞かなくたって分かっていますよ」といった

調子で決めつけてしまったのでは、

人間の対話は成立しません。


お釈迦さまは、

お弟子がどんな質問をしてきても、

「善哉、善哉」と、

ひと言でなく、ふた言も重ねておほめになって、

それから「善男子よ……」と、

じゅんじゅんと語りかけてくださいました。


ですから、お釈迦さまにお会いできただけで、

どんな人もいっぺんに心が晴れわたってしまうのです。

すべての人が、

それぞれの尊厳さを具えた存在であることを

胸にしっかり刻みつけて、

相手を心から礼拝できなくては、人間の対話は成り立ちません。

^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

いかがでしょうか。

あなたのこころに、どのように響きましたか、

あなたは、先ほどの貧乏人やご苦労が多い方の声を真摯に聞くことが出来ていますか。

そこが、ポイントだと思います。


☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡
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タグ:庭野日敬
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・宗教に対する誤解一 庭野日敬のお言葉 [庭野日敬師の言葉]

・宗教に対する誤解一 庭野日敬のお言葉

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こんにちは。。

今日の体調はいかがですか、

穏やか日和になりましたね。

寒暖差の大きい季節ですが、少しずつです春の香りが漂うようになって来ました。

私は、一年間の中で四季折々どの季節も好きですが、その中でも木々行く芽吹く春が一番好きです。

あなたはいかがですか、

~ ~ ~ ~ ~ ~ ~

庭野日敬氏の著書を拝読させていただきますと、常に一本の筋がしっかりと通っていて、とても気持ちよく拝読させていただきます。

しかし、他の庭野家の人達や教団関係の方のお話や印刷物は、なかなかそうは行きません。

解せない内容であったり、時には嫌悪感を感じる事さえあります。

自分で不思議だと思っています。

こんな私が変なのか、と思う時もあります。

何が違うのだろうか、と思う事がありますが自分でも良く分かりません。

ただ一点、思い当たる事と言いますと、法華経に取り組む姿勢が違うのでは、と思っています。

具体的に言いますと、

庭野日敬氏は法華経に命を掛けて取り組んで来た方です。

法華経の真髄は、そんな過程をくぐり抜けてこないと理解出来ない事が多いのです。

ところが、法華経をあまく捉えて(法華経の研鑽が甘いと)、表面上の体裁だけに捉われている事になり、法華経の真髄には触れる事が出来ません。

その結果が、人々の救済や人助けではなく、教団組織や信者さんたちを管理する事に重きを置く、組織に変貌していくのではと懸念しています。

庭野日敬氏は、一教団の枠を超えて、世の中の人々の幸せとは何なのか、どうする事が人々の幸せに繋がるのかを考え、己の身をもって実践をされました。

そんな、庭野日敬氏の思いや願いの一端に触れてみたいと思います。

こころを静めながら庭野日敬氏の思いを味わってみましょう。

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開 祖 さ ま 随 感

      1973年(昭和48年)庭野 日敬 著 『開祖随感』 (佼成出版社) より


「人間の道」の教育


現代に宗教は必要ないと極論する人がいます。

そういう人は、宗教をごく狭く解釈しているのだと思うのです。

自分の人生が順調にいっているとき、

人は「すべてのことは自分の力で解決できる。信仰など必要ない」と考えます。

ところが深刻な問題にぶつかると、

こんどは藁をもつかむ思いで呪術的な迷信にすがり、

それで自分が願うような結果が得られないと、

「宗教などまやかしだ」と否定してしまうのです。


どちらも宗教に対する誤解です。


人はだれしも心の深いところで、

いかに生きるべきか、

何を目的として生きるのが正しいかと、

人間の真実の道を求めています。

その希求が、すでに宗教なのです

何か特別の儀式とか、祈祷だけが宗教信仰ではありません。

その人間の道が、最高の人格である仏と、

この世界の万物をあらしめている真理の法と、

互いに磨き合う人びとのつどいである

僧の三宝に帰依することによって、

すべての人のものになると仏教は教えるのです。


国をつくるのは人間であり、人間をつくるのは教育です。


その教育で「真の宗教とは何か」を教えることが、

なによりも大切だと思うのです。 

:::::::::::::::::::::::::


いかがでしょうか。


何か、こころに響く事があったでしょか。


こころとは響き合う事がとても大事になります。


その響きを大切にしながら日々の精進を積み重ね行きましょう。


☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆

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・目覚めたる者-庭野日敬氏のお言葉 [庭野日敬師の言葉]

・目覚めたる者-庭野日敬氏のお言葉

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「我、覚者とならん!」

私に、この言葉を投げかけたのは、明るい社会づくり活動の元佐藤秀裕塾長の後を引き受けて、全国拓塾の塾長に着任した故 坂本尭塾長でした。

⇒ 明るい社会づくり運動の全国拓塾の塾長に着任した故 坂本尭塾長の言葉

坂本 堯 氏とは、
  かわかりやすく言いますと、
  ドイツから帰国後、キリスト教と立正佼成会の重要な橋渡しをされた方です。
  また、庭野光祥氏の海外留学の筋道を立てた方です。


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故 坂本尭塾長のおっしっている「我、覚者とならん」の覚者について庭野日敬氏は以下に記するように、端的に、かつ明確にお話下さっています。

只、現在ではそのような気概を持って、臨んでいる方が少ないように受け止めています。

先日、このブログで書かせていただきましたように、
⇒ 「お釈迦さまへの直参」についても、あまりその様な事を考える事の意味が、分からない方が多いのではないでしょうか。

例えば、教師がサラリーマン化していくように、仏教従事者(出家者)もサラリーマン化していく傾向がありますので、法華経を深く掘り下げて学び・行ずる事より、当たり障りのない日々を過ごしていく事に重きを置いているようです。

すると、在家者はそこに従う事になります。
その様になって行くのには、現在の宗教のトップ指導者のあり方にも課題はあります。

とても、残念ですが、このような時の流れも末法のさせる業ではないでしょうか。

さて、その様な現在の時の流れですが、

庭野日敬氏は、目覚めたる者について以下のように述べています。

:::::::::::::::::::::::::


開 祖 さ ま 随 感

      1969年(昭和44年)庭野 日敬 著 『開祖随感』 (佼成出版社) より


目 覚 め た る 者


仏教とは、いうまでもなく仏さまの教えですが、それともう一つ、仏になるための教えともいえると思うのです。

仏さまの教えによって仏になる、それが仏教です。

仏になるとは覚者(かくしゃ)になることであり、覚者とは、つまり「法に目覚めた者」ということです。

信仰を一生懸命やっていると、
想像もしていなかったような好結果をいただくことがあります。そうしたときに「ああ、信仰はありがたい」と歓喜しますが、

それはまだ本当の喜びとはいえません。

自分の願いがかなった喜びの、
いわゆるご利益(りやく)信仰ですから、よい結果が出なくなると、「なんだ。信仰しても、なんの功徳もないじゃないか」と、不満を抱く人間に逆戻りしかねないのです。

ご利益が頂けた頂けなかったと、その結果に一喜一憂(いっきいちゆう)するのではなく、この世のあらゆるものごとが縁起(えんぎ)によって生滅(しょうめつ)していることを知り、自分の毎日に起こるすべてのことが、その大法則にのっとっていることを理解する。

その真理に目覚めた者になってこそ、不退転(ふたいてん)の常精進(じょうしょうじん)ができるようになるのです。

:::::::::::::::::::::::::

故 坂本 堯 氏フリー百科事典(Wikipedia)ヨリ

日本の神学者、精神医学者、聖マリアンナ医科大学名誉教授

略歴
兵庫県生まれ。上智大学文学部哲学科卒業、1960年同大学院修士課程修了。1959年から1968年まで、西ドイツを中心としてヨーロッパ各地に留学。1963年聖ゲオルク神学哲学大学卒、1968年国立ケルン大学哲学博士、Ph.D.取得。1970年上智大学文学部助教授となり、1972年独協医科大学教授、1974年聖マリアンナ医科大学教授を経て、1998年定年、名誉教授。患者のスピリチュアル・ケアを行う。

著書
『西洋思想史 近代への懸け橋を探る』エンデルレ書店 1972
『カトリックと日本人』1973 講談社現代新書
『クザーヌス 宇宙精神の先駆』春秋社 1986
『新・カトリックと日本人』フリープレス 2001
『哲学的スピリチュアル・ケア入門 無情な現代精神医療を斬る』クロスメディア・マーケティング 2012

共著
『二人称の死 最愛の人の死をどうとらえるか』棚橋實,大倉民江共著 研成社 1999

翻訳
マリア・モンテッソーリ『人間の形成について』エンデルレ書店 1970
ニコラス・クザーヌス『隠れたる神』大出哲共訳 創文社 1972
『キリスト教神秘主義著作集 第10巻 クザーヌス』酒井紀幸,岩田圭一共訳 教文館 2000
ウルスラ・アヴェ=ラルマン『バウムテスト 自己を語る木:その解釈と診断』渡辺直樹,野口克巳共訳,投影描画法テスト研究会責任編集 川島書店 2002


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・諸法実相と十如是についてー庭野日敬氏のお言葉 [庭野日敬師の言葉]

・諸法実相と十如是についてー庭野日敬氏のお言葉

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庭野日敬氏の説く法華経はとてもわかりやすい教えです。

只、その庭野日敬氏の説く法華経を、聞いてる方の機根によって聞こえて来る姿が変わって来ます。

例えばスパゲッティで言うと、
スパゲッティは、どなたでもご存知のお料理ですが、スパゲッティを食べたことが無い方に、いくらスパゲッティの味を丁寧に説明をしても、なかなか分かっていただく事は難しいです。

ところが、黙って一口食べていただければ、その味は、一目瞭然になります。

その様に、庭野日敬氏の説く法華経を実践しない方には、どうしても雲をつかむようなお話になってしまいます。

また、スパゲッティの種類は一種類ではありません。たくさんのスパゲッティの種類がある事が、瞬時に理解出来ます。

庭野日敬氏の説く法華経は単純明快、

特に最近では、教団の代表者や教団関係であっても、庭野日敬氏の説く法華経を実践しない、出来ない方がいる事を、とても残念に思っています。

役職は一切関係ない!
そこで大切な事は、教団の代表者や教団関係の方、さらに協会長さんや支部長さん、また末端の会員さん等の役職は庭野日敬氏の説く法華経の世界では一切関係ありません。

具体的には、末端の会員さんであっても、法華経を実践する方には結果・現象が変わりますので、幸せな日々を送る事が出来ます。

教団の代表者や教団関係であっても、法華経を実践しない方は結果・現象が変わりませんので、いつまでも、闇の世界にとどまる事になります。

今日は、そんな観点で法華経の要の教えの一つになります、諸法実相と十如是について、以下のように述べている内容をご紹介いたします。

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:::::::::::::::::::::::::


 諸法実相と十如是について 

      
昭和51年4月号 機関紙 求道


東大の名誉教授で官本正尊というかたがいらっしゃいます。

印度哲学の大家で印度学仏教学会の理事長でもある立派なかたです。

今から二十年くらい前になるでしょうか、

私はその宮木先生に十如是の理(ことわり)についてお聞きしたことがあります。

そうしましたら、先生いわく「庭野さん、そんなもの説いたって、だれにもわかりゃしないよ。」と言われます。

そこで重ねてどうしてですか、とお閲きしますと、先生はこう言われました。

「たとえば、東大の生徒にいくら説いたって、十如是なんてわかりやしない、そんなものを説いて立正佼成会の信者はわかるのかい」。(中略)


そのように、頭のいい人を相手に、頭の秀でた印度哲学の大家が、いくら説いて聞かせてもわからないものも、お導きをした人にはその十如是の縁起がすらすら説けるのです。

なぜかと言いますと、それは仏の慈悲、仏の友情から出た体験をもっているからです。

この娑婆はみんなの集まり、集合体によって、成り立っています。

ひとりひとりが、たいせつな友達です。

人間同士がお互いに友情を持って〃この人を幸せにしてあげたい〃と思えはこそ、法門を説いて、自分の体験を話して導こうとするわけです。

ですから、人を救うという活動をしていない人には、十如是はわからないのです。


お経だけを一生懸命に読んで、勉強しているだけという人には、いくら印仏学会の理事長が説いてもわからない。

なのに、私どものような落第生が人さまに向かって説かせていただくと、みんなわかる、

というのは不思議なことに思えますが、それが仏さまの法力なのです。


お導きの功徳がそこにあるのです。

人さまに幸せになってもらうために、手をとってさしあげよう、と一生懸命になってご法を実践している人が、十如是の縁起を聞くと、なるほど、ここはこうなのか、そしてここはこうなっているのか、とすぐにわかってしまう。

「この人のこういう現象の是の如き相、是の如き性、是の如き体、力、作、困、縁は、こういうことなんだ。この人の力はこういぅことで、作はこのようであり、それが原因となって、このような縁にふれ、このような果報を受けているのだ」と、そこまではっきりしてきます。

仏さまもそういうことを悟られて、どのように教えたら人間の、また物事の実態がよくわかるかを考えられて十如是を説かれたのです。


ですからこれは、お釈迦さまの説法の中でも、最も大事な難しい教えだと言われております。


方便品にある「諸仏世尊は、唯一大事の因縁を以ての故に世に出現したもう」というお言葉も、この十如是のことがわかるとはっきりしてきますし、法華経のおおよその構想までがつめてくるのであります。
                       

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いかがでしょうか。

この事は、近年衰退が危惧されてる佼成会さんの法座や結びにも言える事です。


具体的に言いますと、「法座が成立しない、」「結びを指導できる方がいない、少ない。」等の、その危機感を果たして、どの程度もっているのでしょうか。

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