・人間の真の覚醒-庭野日敬氏のお言葉 [明るい社会づくり運動のポイント]
・人間の真の覚醒-庭野日敬氏のお言葉
私は、お蕎麦が好きでが、
色々なお店によって味や風味が違うのが、面白く・楽しみでのれんをくぐります。時には、ちょっぴり残念な事もあります。また、期待以上の時もあり、そんな事がひと味加えてくれます。
先日、きのこ蕎麦と言うのを出していただきました。お蕎麦は、もりそばが二口・三口しかなく、温かいつゆに、刻みきのこがたっぷり入っていました。一瞬戸惑いましたが、食べて見るとお蕎麦ときのこがベストマッチで、とても美味しかったです。また、色々なかわり蕎麦があるもんだ、思いなからのれんをくぐり帰って来ました。
どんな事でも、おなじだと思いますが、どれぞれの個性や特徴を生かし合うことが大切だと思います。そんな意味でも、明るい社会づくり活動にも言える事だと思います。
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
人間の真の覚醒
政治も宗教も、つまるところは明るく住みよい社会の建設、そして人類の平和をめざすためのもので、その点においては変わるところはありません。
しかし、政治は、きのう、きょう、あすといった比較的さし迫った日限の中で、どちらかといえば力関係を中心にして動くものであるのに対して、宗教は、過去、現在、未来という長い時間の中で、個人の心の平和とともに理想の社会、平和な世界をめざします。
政治は社会の不正を正すことで社会浄化をめざし、宗教は人びとの仏性(ぶっしょう)を磨きだすことで、平和な世界を築くことをめざすものと言ってもいいかもしれません。
お釈迦さまが説かれた慈悲の教えを自分のものとして、それを、さらに多くの人びとに伝えていきたいという願いが菩薩行なのですが、「三千世界を知るも、なお自己を知らず」と言われるように、人は、まわりの欠陥はよく見えても、自分のこととなると何も見えていないものです。政治も宗教も、まず自らを正して、それぞれの道で人間を真に覚醒させていくことを忘れてはなりません。
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とても、大切な事を言ってと思っています。庭野日敬氏の話す事は、とても分かりやすく丁寧に大切な事を説いています。
私たちは、その事をあやふやに聞いてはいけないと思います。
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私は、お蕎麦が好きでが、
色々なお店によって味や風味が違うのが、面白く・楽しみでのれんをくぐります。時には、ちょっぴり残念な事もあります。また、期待以上の時もあり、そんな事がひと味加えてくれます。
先日、きのこ蕎麦と言うのを出していただきました。お蕎麦は、もりそばが二口・三口しかなく、温かいつゆに、刻みきのこがたっぷり入っていました。一瞬戸惑いましたが、食べて見るとお蕎麦ときのこがベストマッチで、とても美味しかったです。また、色々なかわり蕎麦があるもんだ、思いなからのれんをくぐり帰って来ました。
どんな事でも、おなじだと思いますが、どれぞれの個性や特徴を生かし合うことが大切だと思います。そんな意味でも、明るい社会づくり活動にも言える事だと思います。
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開 祖 さ ま 随 感
人間の真の覚醒
政治も宗教も、つまるところは明るく住みよい社会の建設、そして人類の平和をめざすためのもので、その点においては変わるところはありません。
しかし、政治は、きのう、きょう、あすといった比較的さし迫った日限の中で、どちらかといえば力関係を中心にして動くものであるのに対して、宗教は、過去、現在、未来という長い時間の中で、個人の心の平和とともに理想の社会、平和な世界をめざします。
政治は社会の不正を正すことで社会浄化をめざし、宗教は人びとの仏性(ぶっしょう)を磨きだすことで、平和な世界を築くことをめざすものと言ってもいいかもしれません。
お釈迦さまが説かれた慈悲の教えを自分のものとして、それを、さらに多くの人びとに伝えていきたいという願いが菩薩行なのですが、「三千世界を知るも、なお自己を知らず」と言われるように、人は、まわりの欠陥はよく見えても、自分のこととなると何も見えていないものです。政治も宗教も、まず自らを正して、それぞれの道で人間を真に覚醒させていくことを忘れてはなりません。
庭野 日敬 著 『開祖随感』1967年(昭和42年)(佼成出版社) より
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とても、大切な事を言ってと思っています。庭野日敬氏の話す事は、とても分かりやすく丁寧に大切な事を説いています。
私たちは、その事をあやふやに聞いてはいけないと思います。
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・つま先立ちは続かない ー 庭野日敬のお言葉 [明るい社会づくり運動のポイント]
・つま先立ちは続かない ー 庭野日敬のお言葉
ここ数日は寒さが和らいで来ました。只、寒暖差が大きい日々になっていますが、いかがお過ごしでしょうか。
どんなに厳しい状況化にあっても、自分自身を見失う事なく、自分を取り戻してくれる存在はとても貴重で大切なものです。
また庭野日敬氏のお言葉も、私たちの生きざまを点検・確認させてくれる大切な存在だと思います。
そんな中から、今日もご紹介させていただきました。
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
つま先立ちは続かない
なにごとによらず自信を持つことは大事なのですが、それが、うっかりすると慢心、驕慢になりかねません。
自信とはその字が示すように、自らを信じることです。
しかし、ただ自分の力や才能を信じて人に誇示したり、自分の誇りを傷つけられたくないばかりに、いつも肩をいからせている姿は、人から見るといかにも滑稽に映ります。
それどころか、いつも他人を意識して「ばかにされまい」としている姿は、お気の毒というしかありません。人は、いつまでもつま先立ちを続けているわけにはいきませんから、どこかで破綻をきたしてしまいます。
本当の自信とは、どんなに小さな自分であろうとも、いつも仏さまの教えのとおりに行じようと懸命につとめ、仏さまのお慈悲のみ手に包まれ、見守っていただいている自分を信じることです。
自分の身の丈のままでいいのです。常にご法という鏡に自分を映して自分を省みることを忘れなければ、人は卑屈になることもなく、また肩ひじ張った無理な自信過剰に陥ることもありません。
1968年(昭和43年)
庭野 日敬 著 『開祖随感』 (佼成出版社) より
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
庭野日敬氏のお話になることは、難しい事は言っていません。それは、どなたにもわかりやすく理解しやすい言葉でお話をしています。
しかし、それを読んでいる・聞いている私たちのありようはいかがでしょうか。
別の言い方をすると、私たちの我見や偏見がその内容を難しく、かつ複雑にしているのだと思います。その具体的な例えが、現在の明るい社会づくり運動の活動であり、現在の立正佼成さんのありようではないかと思います。
ご法(法華経)に即した活動の在り方は、そんなに難しいことではありません。ただその為には、そのご法(法華経)をきちんと理解し、身につける事が最優先になると思います。庭野日敬氏は行学二道を説いています、学もとても大切ですが、行はさらに大切になります。行なくして学は、仏を作って魂を入れないことになりますので、「張りぼての法華経」になりかねません。その事は是非とも避けたいものです。
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ここ数日は寒さが和らいで来ました。只、寒暖差が大きい日々になっていますが、いかがお過ごしでしょうか。
どんなに厳しい状況化にあっても、自分自身を見失う事なく、自分を取り戻してくれる存在はとても貴重で大切なものです。
また庭野日敬氏のお言葉も、私たちの生きざまを点検・確認させてくれる大切な存在だと思います。
そんな中から、今日もご紹介させていただきました。
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つま先立ちは続かない
なにごとによらず自信を持つことは大事なのですが、それが、うっかりすると慢心、驕慢になりかねません。
自信とはその字が示すように、自らを信じることです。
しかし、ただ自分の力や才能を信じて人に誇示したり、自分の誇りを傷つけられたくないばかりに、いつも肩をいからせている姿は、人から見るといかにも滑稽に映ります。
それどころか、いつも他人を意識して「ばかにされまい」としている姿は、お気の毒というしかありません。人は、いつまでもつま先立ちを続けているわけにはいきませんから、どこかで破綻をきたしてしまいます。
本当の自信とは、どんなに小さな自分であろうとも、いつも仏さまの教えのとおりに行じようと懸命につとめ、仏さまのお慈悲のみ手に包まれ、見守っていただいている自分を信じることです。
自分の身の丈のままでいいのです。常にご法という鏡に自分を映して自分を省みることを忘れなければ、人は卑屈になることもなく、また肩ひじ張った無理な自信過剰に陥ることもありません。
1968年(昭和43年)
庭野 日敬 著 『開祖随感』 (佼成出版社) より
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庭野日敬氏のお話になることは、難しい事は言っていません。それは、どなたにもわかりやすく理解しやすい言葉でお話をしています。
しかし、それを読んでいる・聞いている私たちのありようはいかがでしょうか。
別の言い方をすると、私たちの我見や偏見がその内容を難しく、かつ複雑にしているのだと思います。その具体的な例えが、現在の明るい社会づくり運動の活動であり、現在の立正佼成さんのありようではないかと思います。
ご法(法華経)に即した活動の在り方は、そんなに難しいことではありません。ただその為には、そのご法(法華経)をきちんと理解し、身につける事が最優先になると思います。庭野日敬氏は行学二道を説いています、学もとても大切ですが、行はさらに大切になります。行なくして学は、仏を作って魂を入れないことになりますので、「張りぼての法華経」になりかねません。その事は是非とも避けたいものです。
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・庭野日敬氏の教えには何か秘密があるらしい、 [明るい社会づくり運動のポイント]
・庭野日敬氏の教えには何か秘密があるらしい、
法華経は難信難解(なんしんなんげ)の経典といわれています。ところが、庭野日敬の説く法華経はとてもわかりやすいです。
何故だか、わかりますか。
庭野日敬氏もそうですが、釈尊も同じことを考えていたと思います。
それは、どういう事かと言いますと、「どうしたら、私たちに理解してもらえるだろうか。」と、ご自身のこころを砕いて私達に、わかりやすくお話をして下さっているからです。
でも、私たちは、そんな親心を考える術を持たずに過ごしているのです。
以下に、ご紹介させていただきます、「十如是の法門」についても、頭の中だけで考えようとすると、とても難しい法門になります。
しかし、自分たちの足元に照らし合わせていくと、とても、理解しやすい内容になります。
庭野日敬氏の素晴らしさに中には、
法華経を私たちにわかりやすく、法華経を実践しやすく、法華経を単純明快に説いて下さっている事があります。
以下の「十如是の法門」についても、こころを静めて、こころを穏やかにして、味わってください。
きっと、今までに気付かない事や、新たな発見が、きっとあるはずです。
:::::::::::::::::::::::::
諸法の実相を究尽(くじん)したまえり
昭和51年4月号 機関紙 求道より
仏さまは方便品に、「諸法の実相を究尽(くじん)したまえり」すべてのものの本質を見極められたと、説かれています。
ここで言うすべてのものとは、地球上のことはむろん、人間の運命のことなども含めて、あらゆるものの真実の姿を見極められたということであります。
十如是について立正佼成会の会員は、ひとりひとりいろいろな体験をしてきていますが、私達のそばにいつもおいでになる仏さまの魂を、どんなかたちで認識するか、そこを考えなくてはいけません。
因縁因果の道理とはどういうことなのかを説いて人を導いたところ、柏手が心を変えたとたんに病気が治り、奥さんは主人にかわいがられるようになったとか、困っていた子どもの寝小便が止まり、悩んでいた主人の浮気も止まってしまった、などのさまざまな功徳があるわけです。
ところがなぜそうなるのか、どこにどういうからくりがあるのか、その原理がなかなかわからないものです。
そのために立正佼成会の教えには、何か秘密があるらしいと考えている人も、世の中にはいるようです。
しかし、十如是の法門を聞くと、それがわかってきます。
一番目の〃如是相〃にしても、私達は人に会うと真っ先にその人の相に目がいきます。「見聞蝕知 皆菩提に近づく」とお経文にありますように、なんと言っても見るのが一番早い。
そして〃相〃のあるところには、必ず〃性〃がある。
アメリカの第十六代リンカーソ大統領が「人間は四十になったら、自分の顔に責任を持たなくてはいけない」と言っていますが、やはり如是相についてリンカーン大統領は大統領なりの体験をされていたからに違いないと思います。
〃相〃にはその〃相〃にふさわしい人間の〃性〃があり、〃性〃があるところには〃体〃があり、また〃体〃があるところには〃力〃があるわけです。
そして〃力〃のあるところには〃作(作用)〃があります。
〃力〃だけあってこの作用かなければ行動として現われません。
これをたとえて言えは、昨夜テレビを見ておりましたところ、ボクシングの輪島功一選手が韓国の柳選手に勝ちました。以前、ひどい負け方をしただけに、「チャンピオンのくせになんということだ、どうしてあんなに下手な負け方をしたんだ」と、実は残念に思っていましたが、今回は実に見事な勝ちっぶりでした。
一度負けた相手には同じ手では二度と負けないと、去年の六月から大和魂をふるい立たせて一生懸命に精進してとうとう昨夜は問題にしないで勝ちました。
勝利をモノにしたその原動力は如是作です。〃力〃 の作用です。柏手も同じことをやっているのですけれども、輪島選手は向こうのパンチよりも、早くストレートをくり出していきます。それがパッと当たりますと、向こうの動きが鈍る。その鈍ったところへすかさず反対側から攻め立てていく。
それは如是作であると同時に、如是因と如是縁にも関係しています。
〃因〃の一つには、元チャンピオンだったということがあげられますし、努力すればもういっぺん返り咲ける可能性があるということは〃緑〃と言えると想います。
そうやって、一つの闘いを例にして考えてみてもみんなあてはまっているわけです。
十如是は、
相、性、体、力、作、因、緑、果、報、本末究竟等という十の如是についての教えです。
是の如きの相、是の如き性、是の如き体、是の如き力、作、因、縁、果、報という順序になっていくのですが、〃報〃とは全体の報いを指します。
そして、最後の〃本末究覚等〃と言うことは、最初に見た〃相〃も今その人が受けている〃報い〃も、始めから終わりまで煎じっめてみれば一つだと言うことです。
一つなんだけれども見方を変えていくと、ちょっと見た顔つき〃相〃の奥には〃性〃があり、さらにその奥には〃体、力、作、因、縁、果、報〃があるというように、ひとりの人間が持っているものを十に分けて説明し、ところどころをきちんと区分されるのであります。
:::::::::::::::::::::::::
いかがでしょうか。
大切な事は、この「十如是の法門」が理解出来たところで終わりではありません。貴方ご自身が「十如是の法門」をどのように活用しながら、世の人たちの為に、生かしていくかになります。
そんな観点で、今の世界の状況を眺めて下さい。
貴方には、どんな事が見えますか。
貴方のこころには、どんな光景が写っていますか。
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法華経は難信難解(なんしんなんげ)の経典といわれています。ところが、庭野日敬の説く法華経はとてもわかりやすいです。
何故だか、わかりますか。
庭野日敬氏もそうですが、釈尊も同じことを考えていたと思います。
それは、どういう事かと言いますと、「どうしたら、私たちに理解してもらえるだろうか。」と、ご自身のこころを砕いて私達に、わかりやすくお話をして下さっているからです。
でも、私たちは、そんな親心を考える術を持たずに過ごしているのです。
以下に、ご紹介させていただきます、「十如是の法門」についても、頭の中だけで考えようとすると、とても難しい法門になります。
しかし、自分たちの足元に照らし合わせていくと、とても、理解しやすい内容になります。
庭野日敬氏の素晴らしさに中には、
法華経を私たちにわかりやすく、法華経を実践しやすく、法華経を単純明快に説いて下さっている事があります。
以下の「十如是の法門」についても、こころを静めて、こころを穏やかにして、味わってください。
きっと、今までに気付かない事や、新たな発見が、きっとあるはずです。
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諸法の実相を究尽(くじん)したまえり
昭和51年4月号 機関紙 求道より
仏さまは方便品に、「諸法の実相を究尽(くじん)したまえり」すべてのものの本質を見極められたと、説かれています。
ここで言うすべてのものとは、地球上のことはむろん、人間の運命のことなども含めて、あらゆるものの真実の姿を見極められたということであります。
十如是について立正佼成会の会員は、ひとりひとりいろいろな体験をしてきていますが、私達のそばにいつもおいでになる仏さまの魂を、どんなかたちで認識するか、そこを考えなくてはいけません。
因縁因果の道理とはどういうことなのかを説いて人を導いたところ、柏手が心を変えたとたんに病気が治り、奥さんは主人にかわいがられるようになったとか、困っていた子どもの寝小便が止まり、悩んでいた主人の浮気も止まってしまった、などのさまざまな功徳があるわけです。
ところがなぜそうなるのか、どこにどういうからくりがあるのか、その原理がなかなかわからないものです。
そのために立正佼成会の教えには、何か秘密があるらしいと考えている人も、世の中にはいるようです。
しかし、十如是の法門を聞くと、それがわかってきます。
一番目の〃如是相〃にしても、私達は人に会うと真っ先にその人の相に目がいきます。「見聞蝕知 皆菩提に近づく」とお経文にありますように、なんと言っても見るのが一番早い。
そして〃相〃のあるところには、必ず〃性〃がある。
アメリカの第十六代リンカーソ大統領が「人間は四十になったら、自分の顔に責任を持たなくてはいけない」と言っていますが、やはり如是相についてリンカーン大統領は大統領なりの体験をされていたからに違いないと思います。
〃相〃にはその〃相〃にふさわしい人間の〃性〃があり、〃性〃があるところには〃体〃があり、また〃体〃があるところには〃力〃があるわけです。
そして〃力〃のあるところには〃作(作用)〃があります。
〃力〃だけあってこの作用かなければ行動として現われません。
これをたとえて言えは、昨夜テレビを見ておりましたところ、ボクシングの輪島功一選手が韓国の柳選手に勝ちました。以前、ひどい負け方をしただけに、「チャンピオンのくせになんということだ、どうしてあんなに下手な負け方をしたんだ」と、実は残念に思っていましたが、今回は実に見事な勝ちっぶりでした。
一度負けた相手には同じ手では二度と負けないと、去年の六月から大和魂をふるい立たせて一生懸命に精進してとうとう昨夜は問題にしないで勝ちました。
勝利をモノにしたその原動力は如是作です。〃力〃 の作用です。柏手も同じことをやっているのですけれども、輪島選手は向こうのパンチよりも、早くストレートをくり出していきます。それがパッと当たりますと、向こうの動きが鈍る。その鈍ったところへすかさず反対側から攻め立てていく。
それは如是作であると同時に、如是因と如是縁にも関係しています。
〃因〃の一つには、元チャンピオンだったということがあげられますし、努力すればもういっぺん返り咲ける可能性があるということは〃緑〃と言えると想います。
そうやって、一つの闘いを例にして考えてみてもみんなあてはまっているわけです。
十如是は、
相、性、体、力、作、因、緑、果、報、本末究竟等という十の如是についての教えです。
是の如きの相、是の如き性、是の如き体、是の如き力、作、因、縁、果、報という順序になっていくのですが、〃報〃とは全体の報いを指します。
そして、最後の〃本末究覚等〃と言うことは、最初に見た〃相〃も今その人が受けている〃報い〃も、始めから終わりまで煎じっめてみれば一つだと言うことです。
一つなんだけれども見方を変えていくと、ちょっと見た顔つき〃相〃の奥には〃性〃があり、さらにその奥には〃体、力、作、因、縁、果、報〃があるというように、ひとりの人間が持っているものを十に分けて説明し、ところどころをきちんと区分されるのであります。
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いかがでしょうか。
大切な事は、この「十如是の法門」が理解出来たところで終わりではありません。貴方ご自身が「十如是の法門」をどのように活用しながら、世の人たちの為に、生かしていくかになります。
そんな観点で、今の世界の状況を眺めて下さい。
貴方には、どんな事が見えますか。
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タグ:庭野日敬
・人が信じ合える社会 - 庭野 日敬 著 『開祖随感』より [明るい社会づくり運動のポイント]
・人が信じ合える社会 - 庭野 日敬 著 『開祖随感』より
庭野日敬氏の解く法華経は何故、どなたでも分かりやすく受けとる事ができるのでしょうか。
そんな事を考えた事がありますか、
私はこのように受けとめています。
例えば、スパゲッティを食べた方がその味や風味等を伝えようとすると、一度食べていると、その伝え方は具体的で、時として説得力があります。また、同じスパゲッティでも色々な種類があることを理解して伝える事が出来ます。
しかし、一度もスパゲッティを食べた事がない方が、書物を読んだり、他の人から聞いた事や、ご本人の憶測等で、スパゲッティの事を伝えようとすると、そのご本人がいくら頑張ったり努力しても、おのずと無理や不自然さが生じます。
法華経も同じではないでしょうか。
特に法華経は学だけの教えではありません。
昔から法華経行者と言われるように、行がとても重要になります。
とかく、現代社会は理論や理屈が先行しがちですが、頭でっかちになりがちですが、一度スパゲッティを食べてから、その味や風味を味わい・語って欲しいと思います。
すると、以下の庭野日敬氏のお気持ちがこころに響くと思いますが、いかがでしょうか。
開 祖 さ ま 随 感
人が信じ合える社会
先ごろ、十九歳の少年によって登校途中の子どもが殺害されるという事件がありました。
物を買うためのお金ほしさのためだったというのですが、
その少年にとって、子どもの命よりも物のほうが大事だったわけです。
いまの社会で人間の命の尊さが忘れられていることを痛感させられます。
殺された子どもがかわいそうなのはもちろん、
両親の嘆きはいかばかりかと心が痛みますが、
こうした殺人事件がきっかけで、
それぞれの家庭で「知らない人と口をきいてはいけませんよ。
物をくれるような大人についていってはいけませんよ」と、
子どもに人を疑うことを教える母親が増えるのではないかと、心配です。
そうして悲しむべき人間不信の社会が
どんどん広がっていくのを憂えずにはいられないのです。
この社会に仏法が行きわたっていれば、
みんなが人の命をもっと大切にするはずですし、
見知らぬ人をも信頼し、合掌し合える社会になるのです。
私たちは仏教徒として、
まだまだ人びとに仏さまの教えを説く努力が足りなかったのかもしれません。
私たちの説かざる罪を反省せずにいられません。
私は、庭野日敬氏の教えやお考えを謙虚にこころに止めて頑張って行かなくては思っています。
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庭野日敬氏の解く法華経は何故、どなたでも分かりやすく受けとる事ができるのでしょうか。
そんな事を考えた事がありますか、
私はこのように受けとめています。
例えば、スパゲッティを食べた方がその味や風味等を伝えようとすると、一度食べていると、その伝え方は具体的で、時として説得力があります。また、同じスパゲッティでも色々な種類があることを理解して伝える事が出来ます。
しかし、一度もスパゲッティを食べた事がない方が、書物を読んだり、他の人から聞いた事や、ご本人の憶測等で、スパゲッティの事を伝えようとすると、そのご本人がいくら頑張ったり努力しても、おのずと無理や不自然さが生じます。
法華経も同じではないでしょうか。
特に法華経は学だけの教えではありません。
昔から法華経行者と言われるように、行がとても重要になります。
とかく、現代社会は理論や理屈が先行しがちですが、頭でっかちになりがちですが、一度スパゲッティを食べてから、その味や風味を味わい・語って欲しいと思います。
すると、以下の庭野日敬氏のお気持ちがこころに響くと思いますが、いかがでしょうか。
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開 祖 さ ま 随 感
人が信じ合える社会
1969年(昭和44年)庭野 日敬 著 『開祖随感』(佼成出版社) より
先ごろ、十九歳の少年によって登校途中の子どもが殺害されるという事件がありました。
物を買うためのお金ほしさのためだったというのですが、
その少年にとって、子どもの命よりも物のほうが大事だったわけです。
いまの社会で人間の命の尊さが忘れられていることを痛感させられます。
殺された子どもがかわいそうなのはもちろん、
両親の嘆きはいかばかりかと心が痛みますが、
こうした殺人事件がきっかけで、
それぞれの家庭で「知らない人と口をきいてはいけませんよ。
物をくれるような大人についていってはいけませんよ」と、
子どもに人を疑うことを教える母親が増えるのではないかと、心配です。
そうして悲しむべき人間不信の社会が
どんどん広がっていくのを憂えずにはいられないのです。
この社会に仏法が行きわたっていれば、
みんなが人の命をもっと大切にするはずですし、
見知らぬ人をも信頼し、合掌し合える社会になるのです。
私たちは仏教徒として、
まだまだ人びとに仏さまの教えを説く努力が足りなかったのかもしれません。
私たちの説かざる罪を反省せずにいられません。
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私は、庭野日敬氏の教えやお考えを謙虚にこころに止めて頑張って行かなくては思っています。
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・庭野日敬氏の提唱した明るい社会づくり運動の原点(1) [明るい社会づくり運動のポイント]
・庭野日敬氏の提唱した明るい社会づくり運動の原点(1)
「明るい社会づくり運動と世界宗教者会議は、車の両輪ですよ。」
この言葉を、私に事あるごとに繰り返し言って下さったのは、
元・世界宗教者平和会議(WCRP)事務局長をなさった大島浩之氏(故人)でした。
大島浩之氏(故人)は、
庭野日敬師がカトリック第2バチカン公会議に招待され、
教皇パウロ六世に謁見したときの感動から、世界のすべての宗教を網羅し、
全宗教者が平和のテーブルに着く世界会議の開催を願って奔走し、
世界宗教者平和会議(WCRP)を軌道に乗せる時の事務局長をなさり、
後に、明るい社会づくり運動事務局長をなさり、
皇太子殿下並びに妃殿下(第六回明るい社会づくり運動全国大会)、
常盤宮殿下並びに妃殿下(第七回明るい社会づくり運動全国大会)など、
明るい社会づくり運動に皇室をお迎えするなどの尽力を尽くし、
庭野日敬師の心情をよくご存じの方の一人でした。
庭野日敬師は大島浩之氏(故人)との対談でも、以下の事を述べています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
皆が幸せな社会を願っている
大島事務局長-
まず同運動を全国に呼びかけられることになりました動機、機縁から
お伺いいたします。
庭野開祖-
今から約三十年前というと、
日本人がエコノミックアニマルと書われ始めたころじゃなかったかな。
経済発展ばかり考えて宗教や倫理を無視する人たちというので、
ある外国の政治家がそのように呼んだと聞いています。
外国へ行きますと、日本のことを「背骨のない巨人」とか、いろいろな呼び方をしている。
だからWCRP(世界宗教者平和会議)の基礎固めに走り回っているうちに、
これは足元の日本もしっかりしなければ-というのが、
そもそもの動機といえるかもしれません。
加えて日本人は、宗教を堅苦しいものと感じているんです。
ただ、宗教には参加しにくいが、
明るい社会づくりなら気楽に参加できるというところがある。
つまり、すべての国民がそれぞれの信念や信仰の本義に目覚め、
それに基づく生き方で思いやりのこもった心豊かな社会をつくっていくのが究極の願いです。
そこに行く道として明社運動が始まったわけです。
例えば、県知事なら、明るく住みよい県をつくりたいという理想がある。
それと同様に、私たち宗教者もお互いに手をとり合い、
幸せな社会にしたいと願っている。
明るい社会をつくろうとする信念は一緒なんですね。
ですから志ある人なら、気楽に参加できるわけです。
明社運動を始めたころはね、「庭野は、何を言っているんだ」と言われたものです。
でも、実際やってみると、
知事さんや市長さんが喜んで明るい社会づくりに参加、協力してくださる。
教育者や福祉関係の皆さんも参加してくださる。
徐々に地域レベルへと活動が進み、
今日まで皆さんが手をつないでやってこられたわけです。
佼成新聞(1994年10月7日号に掲載記事より)
【明社運動発足25周年を迎えて】 庭野開祖に聞く ヨリ ← クリック
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
以上の事を考える時に、
「明るい社会づくり運動と世界宗教者会議は、車の両輪ですよ。」と、
おしゃっている事が太変よく理解出来ます。
しかし、現実はどうでしょうか。
私は「片手落ちではないだろうか。」と考えています。
世界宗教者平和会議(WCRP)と、
明るい社会づくり運動の起因とを再確認し、
バランスの取れた活動にして行く事が、
庭野日敬師の願いにお応えする事ではないでしょうか。
お互い様に、様々なご苦労があると思いますが精進・努力して行きたいと思います。
私の今年のキャッチフレーズは、「前に、さらに前に前に・・・・・」
☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆
庭野日敬氏の目指した明るい社会づくり運動のホームページはこちらです。
http://www.meisha.me/
☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆
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「明るい社会づくり運動と世界宗教者会議は、車の両輪ですよ。」
この言葉を、私に事あるごとに繰り返し言って下さったのは、
元・世界宗教者平和会議(WCRP)事務局長をなさった大島浩之氏(故人)でした。
大島浩之氏(故人)は、
庭野日敬師がカトリック第2バチカン公会議に招待され、
教皇パウロ六世に謁見したときの感動から、世界のすべての宗教を網羅し、
全宗教者が平和のテーブルに着く世界会議の開催を願って奔走し、
世界宗教者平和会議(WCRP)を軌道に乗せる時の事務局長をなさり、
後に、明るい社会づくり運動事務局長をなさり、
皇太子殿下並びに妃殿下(第六回明るい社会づくり運動全国大会)、
常盤宮殿下並びに妃殿下(第七回明るい社会づくり運動全国大会)など、
明るい社会づくり運動に皇室をお迎えするなどの尽力を尽くし、
庭野日敬師の心情をよくご存じの方の一人でした。
庭野日敬師は大島浩之氏(故人)との対談でも、以下の事を述べています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
皆が幸せな社会を願っている
大島事務局長-
まず同運動を全国に呼びかけられることになりました動機、機縁から
お伺いいたします。
庭野開祖-
今から約三十年前というと、
日本人がエコノミックアニマルと書われ始めたころじゃなかったかな。
経済発展ばかり考えて宗教や倫理を無視する人たちというので、
ある外国の政治家がそのように呼んだと聞いています。
外国へ行きますと、日本のことを「背骨のない巨人」とか、いろいろな呼び方をしている。
だからWCRP(世界宗教者平和会議)の基礎固めに走り回っているうちに、
これは足元の日本もしっかりしなければ-というのが、
そもそもの動機といえるかもしれません。
加えて日本人は、宗教を堅苦しいものと感じているんです。
ただ、宗教には参加しにくいが、
明るい社会づくりなら気楽に参加できるというところがある。
つまり、すべての国民がそれぞれの信念や信仰の本義に目覚め、
それに基づく生き方で思いやりのこもった心豊かな社会をつくっていくのが究極の願いです。
そこに行く道として明社運動が始まったわけです。
例えば、県知事なら、明るく住みよい県をつくりたいという理想がある。
それと同様に、私たち宗教者もお互いに手をとり合い、
幸せな社会にしたいと願っている。
明るい社会をつくろうとする信念は一緒なんですね。
ですから志ある人なら、気楽に参加できるわけです。
明社運動を始めたころはね、「庭野は、何を言っているんだ」と言われたものです。
でも、実際やってみると、
知事さんや市長さんが喜んで明るい社会づくりに参加、協力してくださる。
教育者や福祉関係の皆さんも参加してくださる。
徐々に地域レベルへと活動が進み、
今日まで皆さんが手をつないでやってこられたわけです。
佼成新聞(1994年10月7日号に掲載記事より)
【明社運動発足25周年を迎えて】 庭野開祖に聞く ヨリ ← クリック
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
以上の事を考える時に、
「明るい社会づくり運動と世界宗教者会議は、車の両輪ですよ。」と、
おしゃっている事が太変よく理解出来ます。
しかし、現実はどうでしょうか。
私は「片手落ちではないだろうか。」と考えています。
世界宗教者平和会議(WCRP)と、
明るい社会づくり運動の起因とを再確認し、
バランスの取れた活動にして行く事が、
庭野日敬師の願いにお応えする事ではないでしょうか。
お互い様に、様々なご苦労があると思いますが精進・努力して行きたいと思います。
私の今年のキャッチフレーズは、「前に、さらに前に前に・・・・・」
☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆
庭野日敬氏の目指した明るい社会づくり運動のホームページはこちらです。
http://www.meisha.me/
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・正直が人間の道‐庭野日敬氏の思いや願いを再確認しよう! [明るい社会づくり運動のポイント]
・正直が人間の道‐庭野日敬氏の思いや願いを再確認しよう!
今の世の中は、おおざっぱな言い方をするとストレス社会と言われています。その事は、わかりやすく別の言い方をすると、「世の中の人の多くは常に何らかの違和感を抱えながら生きている」、「常にイライラとした状況にある」のではないかと思います。
そこで、自身の思いや願いをクリアーにするためには「法にさえ触れなければ、何をしてもかまわない」と言う考えをもっている方が多いように思っています。
例えば、多くの人思いや願いを横に置いて、自身の持論を展開する。また、自身の思いのままにルールを変更する。また、最近ではネットで声優やアイドルを誹謗中傷してもIPを偽造していれば住所は特定されない。訴える事が出来ないので罪を問う事が出来ない。
つまり、「法にさえ触れなければ、何をしてもかまわない」と言う考えをもっている方が多いように思っています。
そんな、社会背景の中で生活をしていますと庭野日敬氏の思いや願いが身に染みて来ます。
あなたは、いかがでしょうか。
開 祖 さ ま 随 感
正直が人間の道
どんなときも正直で、うそがないのが信仰者にとっていちばん大事なことではないでしょうか。
いつも自分のありのままをさらけ出していれば、こんな楽なことはありません。
よく信仰をすると窮屈だという人がいますが、それは自分をことさら立派に見せなくてはと無理をしているからです。
いくら言葉を飾って立派に見せようとしても、メッキはすぐにはがれてしまいます。
いつも自分のありのままを出していれば、なんの窮屈も感じません。
それで、自分に欠けているところがあれば、人さまがそれを教えてくださって、自分がだんだん本物になっていくわけです。
とは言っても、なんのうそもなく自分の裸をさらけ出すのは、そうたやすいことではありません。
つい、自分のいいところだけを見せたいと、とりつくろうのが世間一般でしょう。
そのお体裁をぬぐいさって、いつも正直に生きるためには、絶対に信じられる対象を持ち、信じきれる仲間を持つことが欠かせません。
正直とは、人間の道にピタリとはまっていることであり、神仏に直結していることなのです。
一人も多くの方が、庭野日敬氏の思いや願いを頭の中で理解するのではなく、
☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡
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今の世の中は、おおざっぱな言い方をするとストレス社会と言われています。その事は、わかりやすく別の言い方をすると、「世の中の人の多くは常に何らかの違和感を抱えながら生きている」、「常にイライラとした状況にある」のではないかと思います。
そこで、自身の思いや願いをクリアーにするためには「法にさえ触れなければ、何をしてもかまわない」と言う考えをもっている方が多いように思っています。
例えば、多くの人思いや願いを横に置いて、自身の持論を展開する。また、自身の思いのままにルールを変更する。また、最近ではネットで声優やアイドルを誹謗中傷してもIPを偽造していれば住所は特定されない。訴える事が出来ないので罪を問う事が出来ない。
つまり、「法にさえ触れなければ、何をしてもかまわない」と言う考えをもっている方が多いように思っています。
そんな、社会背景の中で生活をしていますと庭野日敬氏の思いや願いが身に染みて来ます。
あなたは、いかがでしょうか。
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
開 祖 さ ま 随 感
『開祖随感』庭野 日敬 著 1968年(昭和43年) (佼成出版社) より
正直が人間の道
どんなときも正直で、うそがないのが信仰者にとっていちばん大事なことではないでしょうか。
いつも自分のありのままをさらけ出していれば、こんな楽なことはありません。
よく信仰をすると窮屈だという人がいますが、それは自分をことさら立派に見せなくてはと無理をしているからです。
いくら言葉を飾って立派に見せようとしても、メッキはすぐにはがれてしまいます。
いつも自分のありのままを出していれば、なんの窮屈も感じません。
それで、自分に欠けているところがあれば、人さまがそれを教えてくださって、自分がだんだん本物になっていくわけです。
とは言っても、なんのうそもなく自分の裸をさらけ出すのは、そうたやすいことではありません。
つい、自分のいいところだけを見せたいと、とりつくろうのが世間一般でしょう。
そのお体裁をぬぐいさって、いつも正直に生きるためには、絶対に信じられる対象を持ち、信じきれる仲間を持つことが欠かせません。
正直とは、人間の道にピタリとはまっていることであり、神仏に直結していることなのです。
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
一人も多くの方が、庭野日敬氏の思いや願いを頭の中で理解するのではなく、
身体でこころで理解する事が出来る事を願っています。
☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡
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・悲鳴を聞き分ける-庭野日敬氏の提唱した明るい社会づくり運動のポイント [明るい社会づくり運動のポイント]
・悲鳴を聞き分ける-庭野日敬氏の提唱した明るい社会づくり運動のポイント
あなたには、現代社会が訴えている悲鳴が聞こえていますか。
それどころではない、「自分の生活を守る事で精一杯だ」と、お考えでしょうか。
私達は今、現代社会が訴えている様々な声を聞き分ける事が、求められているように思いますが、あなたはいかが思いますか。
庭野日敬師は、平成4年の開祖随感の中で以下の事を述べています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「悲鳴を聞き分ける」
「お母さんなんか死んでしまえばいいんだ」とわが子に言われたら、親は動転してしまいます。しかし、それが追い詰められた子どもの親に助けを求める悲鳴なのですね。
言葉と心は、必ずしも一つではないのです。
「頼みもしないのに、なんで私なんか産んだのよ」などという言葉でカッとなるようでは、親として、まだ駆けだしです。子どもがどんな思いで、そんな言葉を親に投げつけるのか、考えられる心のゆとりを持つのが親の愛情です。
そのゆとりがないと言葉のどぎつさに引っかかって、怒りだしたり、目の前が真っ暗になったりしてしまうのです。
そんな言葉がどうしてわが子の口から出てきたか、その心の奥の奥を見通せるようになるのが「真観」です。
会社帰りのサラリーマンが帰宅の途中で一杯やりながら会社の批判をし、上役をこき下ろしている姿をよく見かけますが、これも、悲鳴なのかもしれないのです。
観世音菩薩がどんな人も救うことができるのは、そうした人びとの悲鳴の中から、本当の願いを聞き取る力を具えておられるからです。私たちも、そういう力を身につけたいものです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
この庭野日敬師のお話を伺った時、私自身も、ここでお話になっている観世音菩薩のようになりたいと、素直に思いました。とかく、私達は様々な誘惑や煩悩に惑わされて、私達の本来の目的や目標を見失いがちです。
現代社会の中で、様々な誘惑や煩悩に惑わされて発せられる、悲鳴を聞き分ける事が出来る人物になりたいと思っています。
ところで、所で以下の事はご存じでしょうか。
毎年、自殺する方が数多くいる現実があります。自殺をするのには、それなりの原因があると思いますが、そのほとんどが“うつ状態”と言われています。その“うつ状態”を治す為には、色々な課題点があるようです。
まず、“うつ状態”とはどういった状態なのかすら、漠然として、あまりよく知られていないようです。一口に“うつ状態”といっても色々なケースがあり、専門家でも判断を間違う事もあるようです。その為に、回復がさらに遅れを生じる事になってしまうようです。
また現在の医学では、副作用が大きく効果的な処方箋が少ないのが現状のようです。今の処方箋では手探り状態で、ある調査によると1割前後の人に効果があれば良いとされています。
また20年~30年後に効果的な処方箋が開発されるだろうと言われていますが・・・・。
中でも特に効果的と言われている、認知行動療法においては、的確に指導できる指導者が極端に少ないのが現実です。
“うつ状態”の特に怖いのは、ある日突然 ・ ・ ・ ・ ・ ・ 。
こんな事をお話しても、ほとんどの人が、「私には関係ないこと。」と、とらえる方が多いと思いますが、この“うつ状態”とは、どこでも、だれでも、心のバランスが崩れると、なってしまう可能性が高い病気です。
こんな現実が、あなたのすぐそばにある事をご存じでしょうか。
出来る事であれば、この“うつ状態”にも何らかの対応策を講じ行く事が出来れば、より、現実的に社会を明るくする事が出来のではないかと、微力ながら、さらなる模索をしています。
その為に、今後も精進・努力して行きたいと思います。
☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡
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あなたには、現代社会が訴えている悲鳴が聞こえていますか。
それどころではない、「自分の生活を守る事で精一杯だ」と、お考えでしょうか。
私達は今、現代社会が訴えている様々な声を聞き分ける事が、求められているように思いますが、あなたはいかが思いますか。
庭野日敬師は、平成4年の開祖随感の中で以下の事を述べています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「悲鳴を聞き分ける」
「お母さんなんか死んでしまえばいいんだ」とわが子に言われたら、親は動転してしまいます。しかし、それが追い詰められた子どもの親に助けを求める悲鳴なのですね。
言葉と心は、必ずしも一つではないのです。
「頼みもしないのに、なんで私なんか産んだのよ」などという言葉でカッとなるようでは、親として、まだ駆けだしです。子どもがどんな思いで、そんな言葉を親に投げつけるのか、考えられる心のゆとりを持つのが親の愛情です。
そのゆとりがないと言葉のどぎつさに引っかかって、怒りだしたり、目の前が真っ暗になったりしてしまうのです。
そんな言葉がどうしてわが子の口から出てきたか、その心の奥の奥を見通せるようになるのが「真観」です。
会社帰りのサラリーマンが帰宅の途中で一杯やりながら会社の批判をし、上役をこき下ろしている姿をよく見かけますが、これも、悲鳴なのかもしれないのです。
観世音菩薩がどんな人も救うことができるのは、そうした人びとの悲鳴の中から、本当の願いを聞き取る力を具えておられるからです。私たちも、そういう力を身につけたいものです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
この庭野日敬師のお話を伺った時、私自身も、ここでお話になっている観世音菩薩のようになりたいと、素直に思いました。とかく、私達は様々な誘惑や煩悩に惑わされて、私達の本来の目的や目標を見失いがちです。
現代社会の中で、様々な誘惑や煩悩に惑わされて発せられる、悲鳴を聞き分ける事が出来る人物になりたいと思っています。
ところで、所で以下の事はご存じでしょうか。
毎年、自殺する方が数多くいる現実があります。自殺をするのには、それなりの原因があると思いますが、そのほとんどが“うつ状態”と言われています。その“うつ状態”を治す為には、色々な課題点があるようです。
まず、“うつ状態”とはどういった状態なのかすら、漠然として、あまりよく知られていないようです。一口に“うつ状態”といっても色々なケースがあり、専門家でも判断を間違う事もあるようです。その為に、回復がさらに遅れを生じる事になってしまうようです。
また現在の医学では、副作用が大きく効果的な処方箋が少ないのが現状のようです。今の処方箋では手探り状態で、ある調査によると1割前後の人に効果があれば良いとされています。
また20年~30年後に効果的な処方箋が開発されるだろうと言われていますが・・・・。
中でも特に効果的と言われている、認知行動療法においては、的確に指導できる指導者が極端に少ないのが現実です。
“うつ状態”の特に怖いのは、ある日突然 ・ ・ ・ ・ ・ ・ 。
こんな事をお話しても、ほとんどの人が、「私には関係ないこと。」と、とらえる方が多いと思いますが、この“うつ状態”とは、どこでも、だれでも、心のバランスが崩れると、なってしまう可能性が高い病気です。
こんな現実が、あなたのすぐそばにある事をご存じでしょうか。
出来る事であれば、この“うつ状態”にも何らかの対応策を講じ行く事が出来れば、より、現実的に社会を明るくする事が出来のではないかと、微力ながら、さらなる模索をしています。
その為に、今後も精進・努力して行きたいと思います。
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・庭野日敬師が語るリダーの資質とは、 [明るい社会づくり運動のポイント]
・庭野日敬師が語るリダーの資質とは、
組織のトップに立つリダーの資質は、とても大切な要素となります。
どんなに素晴らしい組織であっても、そのトップに立っているリダーの資質によって、大した事のない組織が、大変素晴らしい組織に成長したり、また、とても素晴らしい組織が堕落した組織になってしまったりする事があります。
私自身も、様々なボランティア組織のリダーや、明るい社会づくり運動の各地域のリダーの方々とお会いさせていただきますが、 そのリダーの方が、どこに視点を置いているのかで、その組織の活動形態が決まって来ると思います。
明るい社会づくり運動を提唱されました、
庭野日敬師は「すぐれたリーダー」と題して以下の事をおしゃっています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
すぐれたリーダー
私はこれまで数えきれないほどのたくさんの人にお会いしてきましたが、
「初めからまったくやる気がない」というような人はいない、と言いきっていいと思うのです。
もし、やる気をなくしている人がいたとしたら、
何かでやる気が抑えつけられてしまっているのです。
すぐれたリーダーとは、どうしたらみんながやる気になるか、
そこを具体的にアドバイスしてあげられる人だ、といっていいでしょう。
ディズニーランドが大変な人気で、連日、満員盛況だそうですが、
来場者に喜んでもらえるように、じつに細かな気くばりがされているのだそうです。
たとえば風船売りのお嬢さんは、
子どもと目線が合うように、しゃがんで風船を渡すように訓練されている。
それで親御さんが、自分の子どもが本当に大事にしてもらえたと感動して、
わざわざお礼を言いにきてくださる人もいるそうです。
すると、売るほうもうれしくなります。
自分の仕事にやりがいと誇りを持つわけです。
「進め」「がんばれ」と号令をかけるよりも、
だれもが本来持っている、やる気を何が抑えつけているのか、
そこまで心を届かせて、それを取り除いてあげる慈悲心が大切です。
庭野 日敬 著 『開祖随感』より
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
あなたは、どのように思いますか。
私は、このお話の内容を心に留めて、今後も精進・努力して行きたいと思います。
☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡
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組織のトップに立つリダーの資質は、とても大切な要素となります。
どんなに素晴らしい組織であっても、そのトップに立っているリダーの資質によって、大した事のない組織が、大変素晴らしい組織に成長したり、また、とても素晴らしい組織が堕落した組織になってしまったりする事があります。
私自身も、様々なボランティア組織のリダーや、明るい社会づくり運動の各地域のリダーの方々とお会いさせていただきますが、 そのリダーの方が、どこに視点を置いているのかで、その組織の活動形態が決まって来ると思います。
明るい社会づくり運動を提唱されました、
庭野日敬師は「すぐれたリーダー」と題して以下の事をおしゃっています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
すぐれたリーダー
私はこれまで数えきれないほどのたくさんの人にお会いしてきましたが、
「初めからまったくやる気がない」というような人はいない、と言いきっていいと思うのです。
もし、やる気をなくしている人がいたとしたら、
何かでやる気が抑えつけられてしまっているのです。
すぐれたリーダーとは、どうしたらみんながやる気になるか、
そこを具体的にアドバイスしてあげられる人だ、といっていいでしょう。
ディズニーランドが大変な人気で、連日、満員盛況だそうですが、
来場者に喜んでもらえるように、じつに細かな気くばりがされているのだそうです。
たとえば風船売りのお嬢さんは、
子どもと目線が合うように、しゃがんで風船を渡すように訓練されている。
それで親御さんが、自分の子どもが本当に大事にしてもらえたと感動して、
わざわざお礼を言いにきてくださる人もいるそうです。
すると、売るほうもうれしくなります。
自分の仕事にやりがいと誇りを持つわけです。
「進め」「がんばれ」と号令をかけるよりも、
だれもが本来持っている、やる気を何が抑えつけているのか、
そこまで心を届かせて、それを取り除いてあげる慈悲心が大切です。
庭野 日敬 著 『開祖随感』より
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
あなたは、どのように思いますか。
私は、このお話の内容を心に留めて、今後も精進・努力して行きたいと思います。
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・いつまで固く門を閉ざしたままでいるのでしょうか。 [明るい社会づくり運動のポイント]
・いつまで固く門を閉ざしたままでいるのでしょうか。
先日、地元の佼成会さんの前を横切りましたが、いまだに門が固く閉ざしたままでした。
いつまで、固く閉ざしたままにしているのでしょうか。
またこの間、相模國一之宮 寒川神社に参拝に行ってきましたが、コロナウィルス肺炎の感染対策をキチンと行い、数多くの参拝者の受け入れを行っています。(昨年も参拝させていただきましたが対応は同じでした。)
佼成会さんは、何を考えているのでしょうか。
信者さんの事を本当に考えているのでしょうか。
新型コロナウイルス肺炎の影響やインフルエンザの感染者の増加等で、不安に思っている信者さんや、地域住民や市民、県民、国民さらには、世界中の人々は、本当に数多くいるはずです。
そんな、人たちの目線に合わせて接することが出来ないのでしょうか。
庭野日敬氏が、生きていたら、今回の対応をどのように受け止めるでしょうか。
ぜんざい、ぜんざい、ぜんざい、とお褒めになるのでしょうか、
私には残念ながら、それらの方々(今の庭野家)の、こころの有り様がわかりませんか、<
現実を直視する時です。
自身の保身だけを考える時ではありません。
安穏としている時ではありません。
企業の業績が急激に悪化しています。
企業倒産が増加しています。
失業者がますます増えて行きます。
その人たちの事はを考える事が出来ないのでしょか。
家族の心配や不安・仕事や事業の心配・学業の心配・経済的な不安 等々、
その人達(信者さん)の立場に立って考える事は出来ないのでしょか。
その人たちの為に出来る事を模索しないのでしょうか。
世界の人々はコロナウイルスと経済活動を共存する方向で進んでいます。
不安に思っている信者さんたちの為に、新たな活動のあり方を模索しない事は、信者さんたちの事をないがしろにしている事と同じ事です。
そんな、単純な事が分かりませんか。
佼成会さんがあっての信者さんではありません。
信者さんあっての佼成会さんではないでしょうか。
本当に大切な事を忘れています。
庭野家の方々は何をが考えているのでしょうか。
ご本部の方々も何もせずに、ボーと
「只々、今の状態を指をくわえて眺めているだけ」ですか。
そうではなく、出来る事があるはずです。
今の状況の中で、出来る事を模索する事が今、求められている事です。
ご自身の回りにいる方々の活動を、よく見て下さい。
今、政府関係者や都道府県関係者、また、医療関係・介護関係者の方々が、必死の思いで頑張っています。
また、それぞれの状況で皆さんが必死に、模索し、葛藤し、頑張っています。
そんな中で、庭野家の方々や、ご本部の方々は何もせずに、
只々、今の状態を指をくわえて眺めている事は、
庭野日敬氏の思いとは、かけ離れていると考えます。
そんな、庭野家の方々やご本部の状況をとても残念に思います。
是非、今、信者さんたちの為に何が必要なのか。
信者さんたちの為に何が出来るのか、ご自身の目線ではなく、信者さんの目線で、模索し、考え、実行してください。
少なくとも、開祖様の思いや願いを裏切る事はしないでください。
私からの切なるお願いです。
佐藤福男
yjka3103@momo.so-net.ne.jp
【ご参考】
こんな時にどうすべきは法華経を紐解くと説かれています。
是非、法華経を紐解いてください。
疫病が流行った時に、その門を閉じる事は説かれていません。
市民・住民が、また信者が悩み・迷う時ほど、
法華経を説くのではないでしょうか。
その姿を守護するのではないでしょうか。
その様に、説かれています。
※ まさか、法華経を説かないのではなく、説けないのでは・・・・、
先日、地元の佼成会さんの前を横切りましたが、いまだに門が固く閉ざしたままでした。
いつまで、固く閉ざしたままにしているのでしょうか。
またこの間、相模國一之宮 寒川神社に参拝に行ってきましたが、コロナウィルス肺炎の感染対策をキチンと行い、数多くの参拝者の受け入れを行っています。(昨年も参拝させていただきましたが対応は同じでした。)
佼成会さんは、何を考えているのでしょうか。
信者さんの事を本当に考えているのでしょうか。
新型コロナウイルス肺炎の影響やインフルエンザの感染者の増加等で、不安に思っている信者さんや、地域住民や市民、県民、国民さらには、世界中の人々は、本当に数多くいるはずです。
そんな、人たちの目線に合わせて接することが出来ないのでしょうか。
庭野日敬氏が、生きていたら、今回の対応をどのように受け止めるでしょうか。
ぜんざい、ぜんざい、ぜんざい、とお褒めになるのでしょうか、
私には残念ながら、それらの方々(今の庭野家)の、こころの有り様がわかりませんか、<
現実を直視する時です。
自身の保身だけを考える時ではありません。
安穏としている時ではありません。
企業の業績が急激に悪化しています。
企業倒産が増加しています。
失業者がますます増えて行きます。
その人たちの事はを考える事が出来ないのでしょか。
家族の心配や不安・仕事や事業の心配・学業の心配・経済的な不安 等々、
その人達(信者さん)の立場に立って考える事は出来ないのでしょか。
その人たちの為に出来る事を模索しないのでしょうか。
世界の人々はコロナウイルスと経済活動を共存する方向で進んでいます。
不安に思っている信者さんたちの為に、新たな活動のあり方を模索しない事は、信者さんたちの事をないがしろにしている事と同じ事です。
そんな、単純な事が分かりませんか。
佼成会さんがあっての信者さんではありません。
信者さんあっての佼成会さんではないでしょうか。
本当に大切な事を忘れています。
庭野家の方々は何をが考えているのでしょうか。
ご本部の方々も何もせずに、ボーと
「只々、今の状態を指をくわえて眺めているだけ」ですか。
そうではなく、出来る事があるはずです。
今の状況の中で、出来る事を模索する事が今、求められている事です。
ご自身の回りにいる方々の活動を、よく見て下さい。
今、政府関係者や都道府県関係者、また、医療関係・介護関係者の方々が、必死の思いで頑張っています。
また、それぞれの状況で皆さんが必死に、模索し、葛藤し、頑張っています。
そんな中で、庭野家の方々や、ご本部の方々は何もせずに、
只々、今の状態を指をくわえて眺めている事は、
庭野日敬氏の思いとは、かけ離れていると考えます。
そんな、庭野家の方々やご本部の状況をとても残念に思います。
是非、今、信者さんたちの為に何が必要なのか。
信者さんたちの為に何が出来るのか、ご自身の目線ではなく、信者さんの目線で、模索し、考え、実行してください。
少なくとも、開祖様の思いや願いを裏切る事はしないでください。
私からの切なるお願いです。
佐藤福男
yjka3103@momo.so-net.ne.jp
【ご参考】
こんな時にどうすべきは法華経を紐解くと説かれています。
是非、法華経を紐解いてください。
疫病が流行った時に、その門を閉じる事は説かれていません。
市民・住民が、また信者が悩み・迷う時ほど、
法華経を説くのではないでしょうか。
その姿を守護するのではないでしょうか。
その様に、説かれています。
※ まさか、法華経を説かないのではなく、説けないのでは・・・・、
・明るい社会づくり運動は、これで本当に良いのでしょうか! [明るい社会づくり運動のポイント]
・明るい社会づくり運動は、これで本当に良いのでしょうか!
こんばんは。。
厳しい寒さの中にも少しづつ、春の足音が聞こえはじめてきた
今日この頃ですが体調ははいかがですか。
まだまだ寒い日が続きますが体調に気を付けながらお過ごしください。
私は2008年、明るい社会づくり運動全国協議会の東京都中野区の事務所を訪ねました。
そこで、私の応対に出てくだった当時のN事務局長さんが、
私にお話して下さった事は、
「庭野日敬師の明るい社会づくり運動は失敗に終わった。」との事でした。
私は自身の耳を疑いました。
しかし、事務長さんは同じ事を繰り返すばかりでした。
「そんな馬鹿な。資料を見ればそんな事はないはずです。
以前の資料を見せていただけませんか。」と言うと、
N事務局長は「以前の資料は新宿から引っ越しの時に、
破棄してしまいましたので、ここにはもうありません。」との事でした。
彼は、私にこうも言いました。
「佐藤さん、この流れも10年経てば誰も何も言わなくなります。」と、
「そんな・・・・・・。馬鹿な・・・・・・・・・・・・・。」
もし、「庭野日敬師の提唱した明るい社会づくり運動が失敗に終わった。」と、するならば、
それは、どなたが、
「庭野日敬師の提唱した明るい社会づくり運動が失敗に終わらせる。」との、
シナリオを描かかない限りあり得ないと、私は思っています。
そして、誰がそのように仕組んだのか。
私は知っている ・ ・ ・ ・ ・ 。
でも、その事は言わないです。
↓ クリック
庭野日敬師の心情を思うと・・・・・。
庭野日敬師は、昭和四十四年の「躍進」で次の事をおしゃっています。
「いまの世の中に一番求められているのは、
人間の自尊心、個人の主体性、社会的責任に訴えかけてエネルギーを引き出し、
個人の努力が社会全体の進歩に寄与するような活動を促す、
精神の復興連動のリーダーである」
「明るい社会はだれかがつくってくれるというものではない、
気のついた人、目覚めた人がまず立ち上がって行動を開始し、
他の人々にも根気よく呼びかけていかなければならない」
「より良き未来に向かって進んでいると信じられる時には、
人は山をも動かしますし、
反対にもし希望がもてなければ、人は沈潜し腐敗する」
もう40年近くの前のお話ですが、現在にあてはめても違和感のないお話だと思いませんか。
また、以下の事も述べています。
山田恵諦貌下が常におっしゃっていた、
『よいことは長く続く。よくないことでないと長続きしない』ということです。
法華経というのは二もなく三もなく『一仏乗』なんです。
仏さまの願いというものは、すべての人を仏の境地へ導き、
本当の幸せにしてあげたいという一事につきるんです。
『草木国土悉皆成仏』という言葉がありますように
人間はむろん、草も木も水も士もすべて仏になれるんです。
そして、「そういうことです。
いわば、明るい社会づくりの大導師は仏さまなんですよ。」とおしゃっています。
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
私は、庭野日敬師のおしゃるとうりだと思っています。
その、庭野日敬師の提唱した明るい社会づくり運動を
失敗に終わらせる事など、私にはとうてい考えられません。
あなたには庭野日敬師のお考えや願い・思いが本当に理解できますか!
あなたのお考えを、是非お聞かせ下さい。
それとも、あなたは只の傍観者ですか。
あなたは、このままで本当に良いとお考えでしょうか。
あなたのお考えを、是非お聞かせ下さい。
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こんばんは。。
厳しい寒さの中にも少しづつ、春の足音が聞こえはじめてきた
今日この頃ですが体調ははいかがですか。
まだまだ寒い日が続きますが体調に気を付けながらお過ごしください。
~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~
私は2008年、明るい社会づくり運動全国協議会の東京都中野区の事務所を訪ねました。
そこで、私の応対に出てくだった当時のN事務局長さんが、
私にお話して下さった事は、
「庭野日敬師の明るい社会づくり運動は失敗に終わった。」との事でした。
私は自身の耳を疑いました。
しかし、事務長さんは同じ事を繰り返すばかりでした。
「そんな馬鹿な。資料を見ればそんな事はないはずです。
以前の資料を見せていただけませんか。」と言うと、
N事務局長は「以前の資料は新宿から引っ越しの時に、
破棄してしまいましたので、ここにはもうありません。」との事でした。
彼は、私にこうも言いました。
「佐藤さん、この流れも10年経てば誰も何も言わなくなります。」と、
「そんな・・・・・・。馬鹿な・・・・・・・・・・・・・。」
もし、「庭野日敬師の提唱した明るい社会づくり運動が失敗に終わった。」と、するならば、
それは、どなたが、
「庭野日敬師の提唱した明るい社会づくり運動が失敗に終わらせる。」との、
シナリオを描かかない限りあり得ないと、私は思っています。
そして、誰がそのように仕組んだのか。
私は知っている ・ ・ ・ ・ ・ 。
でも、その事は言わないです。
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庭野日敬師の心情を思うと・・・・・。
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庭野日敬師は、昭和四十四年の「躍進」で次の事をおしゃっています。
「いまの世の中に一番求められているのは、
人間の自尊心、個人の主体性、社会的責任に訴えかけてエネルギーを引き出し、
個人の努力が社会全体の進歩に寄与するような活動を促す、
精神の復興連動のリーダーである」
「明るい社会はだれかがつくってくれるというものではない、
気のついた人、目覚めた人がまず立ち上がって行動を開始し、
他の人々にも根気よく呼びかけていかなければならない」
「より良き未来に向かって進んでいると信じられる時には、
人は山をも動かしますし、
反対にもし希望がもてなければ、人は沈潜し腐敗する」
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もう40年近くの前のお話ですが、現在にあてはめても違和感のないお話だと思いませんか。
また、以下の事も述べています。
山田恵諦貌下が常におっしゃっていた、
『よいことは長く続く。よくないことでないと長続きしない』ということです。
法華経というのは二もなく三もなく『一仏乗』なんです。
仏さまの願いというものは、すべての人を仏の境地へ導き、
本当の幸せにしてあげたいという一事につきるんです。
『草木国土悉皆成仏』という言葉がありますように
人間はむろん、草も木も水も士もすべて仏になれるんです。
そして、「そういうことです。
いわば、明るい社会づくりの大導師は仏さまなんですよ。」とおしゃっています。
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私は、庭野日敬師のおしゃるとうりだと思っています。
その、庭野日敬師の提唱した明るい社会づくり運動を
失敗に終わらせる事など、私にはとうてい考えられません。
あなたには庭野日敬師のお考えや願い・思いが本当に理解できますか!
あなたのお考えを、是非お聞かせ下さい。
それとも、あなたは只の傍観者ですか。
あなたは、このままで本当に良いとお考えでしょうか。
あなたのお考えを、是非お聞かせ下さい。
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