SSブログ
明るい社会づくり運動のポイント ブログトップ
前の10件 | 次の10件

・明るい社会づくりに不可欠な二つのお手本 [明るい社会づくり運動のポイント]

・明るい社会づくりに不可欠な二つのお手本

25280787_s.jpg


こんばんは[ぴかぴか(新しい)]

寒暖差の大きい日々ですが、いかがお過ごしでしょうか。

庭野日敬師は、開祖隋感で私達に、大切な二つのお手本として以下の事をおしゃっています。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

仏教の教えの根本は縁起、

仏教の教えの根本は縁起、つまり縁によってすべてが起こるという教えです。

縁とは出会いのことで、その出会いを、よいほうに転じられるかどうかが、私たちの修行だといってもいいでしょう。そのためのお手本が、どんな嫌なことにぶつかり、嫌な人に会っても、それを自分を本物にしてくれるお師匠さんと受け取る「提婆達多品」の教えであり、そして、いまかりにどんな姿をしていようと、この人も必ず仏になる人だと、すべての人を拝む「常不軽菩薩」の礼拝行です。

日蓮聖人は、「仏種」という言葉をよくお使いになられました。私たちはみんな、仏になる種を与えられているのですが、それに水を与え、陽に当ててやらなくては、芽を出し、成長し、花を咲かせることはできません。

この二つのお手本を、事にぶつかるたびに思いだして、それを善い縁と受け止め、また、自分も人さまの善い縁になっていこうと心がけることで、だんだん信仰者として本物になっていくのです。

平成6年 『開祖随感』 庭野 日敬 著 より

52001_s.jpg


庭野日敬師は、ご自身の信仰体験からお話になっている事だと思いますが、私は、明るい社会づくり運動にも当てはまる事だと思っています。明るい社会づくり運動の推進者として、本物になって行く事が、求められているように思います。<

あなたは、どのように思いますか。


☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡
3536544_s.jpg
〇ご相談はこちらをクリックして下さい。 ⇒ クリック
☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡
 





・明るい社会づくり運動の手法の明確化が不可欠になります! [明るい社会づくり運動のポイント]

・明るい社会づくり運動の手法の明確化が不可欠になります!
27158353_s.jpg


こんばんは[わーい(嬉しい顔)]

気温が変わる時期は、体調を崩しやすいと思いますので、気を付けながらお過ごし下さい。

わかりやすい手法を提示する

 明るい社会づくり運動のさらなる飛躍のためには、より多くの人達にとって、理解・参加(賛同)しやすい手法を提示する必要があるように思います。

 例えば、畑を耕すのに鍬を使い、草を刈るのに鎌を使うように、また、山登りの時に登山靴を履き、登山用の装備をするように、この明るい社会づくり運動は、どのようなも目的を持って、またどのような手法(手段)を持って、その目的(明るい社会づくり)に対応しようとしているのかを、明らかにして、より多くの人達に理解していただく必要があるように思います。

烏合の衆であってはいけない

その為には、どのような姿が望ましいのか将来像を描き、キチンと中期・長期の計画を立て、次世代への引継ぎをして行く道筋を立てて置く事は大切なポイントだと思います。

庭野日敬氏の提唱した明るい社会づくり運動には、奥深い理念と展望のある活動です。

※うごうのしゅう【烏合の衆】烏の群れのように統一も規律もなく寄り集まった群衆)

27338559_s.jpg


そのベースにあるのが法華経です。

只、その事(法華経)が理解出来ないと、庭野日敬氏の提唱した明るい社会づくり運動の、奥深い理念と展望が見えてこないのでは、と思います。

また、前井深大会長は、

明るい社会づくり運動に参加をするのには、それぞれの信仰や信念みたいな物を、突き抜けた先にある物が大切だ、と言っていました。

ちょっと難しい言い方になりますが、それは逆に捉えると、それぞれの信仰や信念みたいな物にしがみ付いていてはいけない。

そこを、突き抜ける事が不可欠になると、言っているのだと思います。

あなたは突き抜ける事が出来ますか。

今の、明るい社会づくり運動にはその事が問われているように思いますが、あなたはどのように思いますか。

☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆
3536544_s.jpg

〇ご相談はこちらをクリックして下さい。 ⇒ クリック
☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆









・庭野日敬氏の思いや願いを正しく理解しましょう。 [明るい社会づくり運動のポイント]

・庭野日敬氏の思いや願いを正しく理解しましょう。

kis0107-049.-12jpg.jpg


庭野日敬氏より提唱されて来ました、明るい社会づくり運動は50年以上の経過しました。

今こそ、明るい社会づくり運動のさらなる飛躍の為に、新たな活動のスタートをすべき時期に来ているのではないかと私は考えます。

特に、現在の社会情勢を知るにしたがって、犯罪率の増加、家庭の崩壊、いじめ 等、目に余る情景があまりにも多すぎます。またこのような状況は、年々悪くなる事はあっても、なかなか良くはならない現実があります。

この事を思った時に、私は明るい社会づくり運動の必要性が高まって来ていると思うのです。

今こそ、「みんなで力を合わせて明るい社会づくりを推進しましょう」と、言う事がとても大切な時期だと思います。


river_00039-13.jpg



庭野日敬氏の思いや・願いとは、

明るい社会づくり運動のさらなる飛躍の為には、提唱者・庭野日敬氏が何を思い、何をしようとしたのかを検証し、さらなる行動を起こす事が必要不可欠だと思っています。

明るい社会づくり運動の原点が理解できる時には、その方向性は自然とはっきりしてくると思っています。

庭野日敬氏は、仏教的精神(思いやり心・感謝の心・奉仕の心)を一宗教団体の枠を超えて明るい社会づくり運動を通じて広めようとなさったのだと理解しています。

そして、その為に庭野日敬氏は、「黒子に徹して、花を譲り、実を採る」と言っておられたと、側近の方から伺っています。

その庭野日敬氏が提唱された明るい社会づくり運動に、各界の方々が共鳴し賛同され立ちあがったのだと思います。

tree_woods_00049-12.jpg



でも残念ながら、

現在ではその理解度に温度差があるようです。

明るい社会づくり運動の方向性につきましても、その時々の時代の変化に伴って、変化すべき事があっても良いと思いますが、逆に変化してはいけない事もあっても良いのではないでしょうか。

明るい社会づくりは一人では出来ません。

でも、一人から活動を始めなくてはいけないと考えます。

そして広く同じ志を持つ多くの仲達が、活動エリヤを超えて、コミニュケーションを取り合い、縦糸・横糸のネットワークを組んで行く事が、今後の活動の飛躍の為には不可欠だと考えます。

私は、その目的の為にこのホームページを立ち上げました。

☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆
庭野日敬氏の目指した明るい社会づくり運動のホームページ
                     http://www.meisha.me/
☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆

明るい社会づくり運動を提唱された庭野日敬氏の、真の願いや思いを、正しく伝える事が最も重要だと考えました。

そして正しく庭野日敬氏の真の願いや思いを、理解していただく為に、その事について書かれている正確な情報を探しました。

誰かに聞いたとか、

そのように言っていたとかではなく。

正式な場でお話された事や、ご自身の著書に書かれた事が、間違いない事だと考え、ホームページに掲載させていただきました。

お読みいただく方には是非、庭野日敬氏の提唱された、明るい社会づくり運動の真の願いや思いを正しく、ご理解いただきたいと念願する次第です。


私は、思いやりのある・感謝の心や奉仕の心があふれる社会が広がったら、今よりもっと明るい社会が出来ると考えています。

庭野日敬氏は、こらから行く道を知らずして行くのではなく、その道を知り、その上で歩む事が大事だとおしゃっていました。

私達は、明るい社会づくりの道を知り、その道をひたすら歩み続ける事が、今最も大事な事だと考えます。

52692e9ad2bf3639c598a8667f14547c.jpg



庭野日敬氏は、その道をすでにお示しくださっていると、私は理解していますので、今は亡き庭野日敬氏の明るい社会づくり運動に対する願いや意志を少しでも継承出来ればと考えています。


また、このような私の考えをご理解いただき、今後のこの場をより充実した内容にして行きたいと考えていますので、ご賛同・ご協力・ご意見・ご批判等をいただければ幸いです。


3536544_s.jpg

〇ご相談はこちらをクリックして下さい。 ⇒ クリック




nice!(1)  コメント(0) 

・庭野日敬氏が望む明るい社会づくり運動とは、 - 土地因縁のご供養 - [明るい社会づくり運動のポイント]

・庭野日敬氏が望む明るい社会づくり運動とは、 - 土地因縁のご供養 -

26527358_s.jpg


私は、ご縁がありまして40年程前から居住地に関係する土地因縁のご供養をさせていただいています。

今回は、その中で現在の居住地の土地因縁のご供養の事をお話させていただきます。

実は、現在は山梨県甲斐市に住んでいますが、2024年3月末で甲府市に移転する予定をしています。

そこで、今までご供養をさせていただきました、現在の居住地の土地因縁のご供養をどのようにさせていただく事が良いのかを、ご相談させていただきました。

その結果、甲府市に移転後も担当教会さんでしていただく事となりました。(感謝です)

今回で8回目(8年目)になります。

私の引っ越し前の、今日(3月19日(火)13:30より)ご供養をしていただきました。

624cd39ac2a6a305c123f05a6bae3de9.jpg


今回は、加賀美虎光領主及びその一族の方々と、馬場・山縣氏の方々と一緒のご供養となります

加賀美虎光領主及びその一族の方々とは武田信虎の重臣。

武田信義(甲斐武田家の祖)の弟、加賀美遠光が甲斐国
(巨摩加賀美庄(現在の南アルプス市加賀美/若草町加賀美)に拠り加賀美氏を称したのにはじまる。
甲斐国においても加賀美氏の勢力は大きく、武田信虎が甲斐統一をはかるうえでも目の上のたんこぶとなっていた。

亨禄2年(1529年)、武田信虎(武田信玄の父)の勘気に触れ、武田信虎に夜襲をかけられ、抵抗むなしく一族が討死した。
(真田三代記 他より-注-1)

また武田家の重臣である
馬場伊豆守虎貞・山縣河内守虎清は、
このような信虎の悪逆を見るに忍びず大いに嘆き悲しみ、
両人心を合わせ57ヶ条の書付を以って信虎を諌めたが、
聞き入れてもらえずに一刀両断に切り捨てられた。

※この事等により、
 後に武田信虎は実子武田晴信(信玄)より幽閉される。
         (武田三代軍記 他より-注-2)


この方々は時の勢力の手により葬られた為に、充分な供養もされることなく、今日にまで放置された方々です。


およそ400名程の、数多くの方々のご供養になります。

例年と同じように、多くの方々に参加をしていただくことを、合わせてお願いさせていただきました。

先日、ご供養願を出させていただきましたので、それぞれの方々が、毎日の朝夕のご供養の中で、ご供養を待っている様子が伝わってきます。

6cd83939c4182ed748f0ebec19031792.jpg



そんな折、毎年8月16日に韮崎市等が中心になり、花火大会と一緒に武田軍没将士供養会を行っている旨を知りました。

※武田軍没将士とは-
将校と兵士になりますので武田家の戦にかかわる人たち全てになります。

早速、韮崎市役所に問い合わせをさせていただき、資料を送っていただきました。

その内容を詳しく拝見させていただきますと、甲斐武田家の祖・武田信義(源信義)が平安時代末に累代の祈願所として再興した寺(願成寺)があり、その住職さんや地域住民の皆さんが中心になりご供養を上げているとの事でした。

その内容には、具体的な作法があり、古くから伝わっている作法のようでした。

また、その願成寺のご本尊が、私が先日、御宝前に置かせていただきました、阿弥陀如来様との事でした、のでちょっと驚きました。

このご供養の事は、おそらく地元の方々は知っていたのでしょうが、数年前に転居した私は耳にする事はありませんでした。

このようなご供養会を、韮崎市が中心になり地域住民と共に、実行委員会組織を作り行っている事は、とても素晴らしい事だと思います。

また、近隣の市町村に比べて、韮崎市の発展が著しい原因の一端が分かったような気がしました。


3b8b55a6244aa60eb3fe4f7d9504d154.jpg



土地因縁のご供養の素晴らしさは、こんな事だと思います。


小乗の考えではなく、大乗の考えに立つ事を、私は庭野日敬氏から教えていただいと思っています。

またその先に、明るい社会づくり運動があることを、教えていただいたと認識しています。



まだまだ、インフルエンザやコロナウイルス肺炎の影響が残ります。お身体を大切にお過ごしください。

※ ご質問、お問い合わせは佐藤まで
  090-8804-5593


注- 1 真田三代記
ー 国立国会図書館デジタルコレクション ー
 真田昌幸,真田幸村,真田幸泰(通称大助)の
真田家3代の興亡を主題とした講談。
幕末近くに成立した実録体小説をもとにしている。

注- 2 武田三代軍記
 ー 国立歴史民俗博物館 図書室 ー 
戦国の乱世に四隣を睥睨(へいげい)した
甲斐武田氏の信虎、信玄、勝頼のいわゆる
“武田三代”にまつわる合戦・軍略・逸話などの事績を
『甲陽軍鑑』とはまたひと味ちがった観点から、
詳細に記している。


☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆
3536544_s.jpg
〇ご相談はこちらをクリックして下さい。 ⇒ クリック
☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡







nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:blog

・庭野日敬氏の明るい社会づくり運動への機縁 [明るい社会づくり運動のポイント]

・庭野日敬氏の明るい社会づくり運動への機縁

庭野日敬師が何故「明るい社会づくり運動を提唱されたのか」を、よく理解されているのか、そうでないのかで、その各々の明るい社会づくり運動の活動のあり方が必然的に変わって来ると考えています。

その為に、私達に課せられた課題は、「その事を後世の方々にお伝え出来るのか」が、問われていると自覚しています。

kis0107-049.-12jpg.jpg


庭野日敬師は、昭和55年4月の機関誌「佼成新聞」で以下の事を述べています。

~~~~~~~~~~~~

私がこの運動を提唱いたしましたのは昭和四十四年のこと。

国内的にはいわゆる、高度成長経済の真っただ中でありまして、心より金や物という風潮が全国にみなぎっておりました。

日蓮聖人のご遺文に説かれている末法の時代、つまり人びとが自分勝手な理屈を主張いたし、神仏を敬う念や倫理、遺徳がすたれて、穏やかならざる世の中になるという様相が、すでに表われていたのであります。

明るい社会づくり運動の提唱は、こうした心の荒廃に対して問題を提起するとともに、じつはもう一つ目的がございました。

それは、世界宗教者平和会議が生まれようとしていた当時、世界宗教者平和会議の理念と運動にふさわしい日本代表を選びたいと思ったことであります。

いわゆる宗教家だけではなく、この社会には陰徳を積んで世のため人のために、尽くしておられるかたが大勢いらっしゃる。

主義主張を超え、真に明るい社会をつくるため、真剣に取り組んでいるかたがたくさんおいででありましょう。

こういう素晴らしいかたがたにご登場いただき、英知を頂戴して世界平和のためにお役に立たせていただきたいと考えたわけでございます。

すなわち、明るい社会づくりと世界宗教者平和会議はその発想において、現代を正す両輪でございました。 

~~~~~~~~~~~~~~~

短い文章ですが、所々にとても大事な事をおしゃっている内容だと受け止めています。

簡単にポイントだけを確認させていただきますと、

1、日蓮聖人のご遺文に説かれている末法の時代、

つまり、穏やかならざる世の中になるという様相が、すでに表われていたのであります。


2、明るい社会づくり運動の提唱は、

  こうした心の荒廃に対して問題を提起するとともに、


3、世界宗教者平和会議の

   理念と運動にふさわしい日本代表を選びたいと思ったことであります。


4、主義主張を超え、真に明るい社会をつくるため、

  素晴らしいかたがたにご登場いただき、英知を頂戴して

  世界平和のためにお役に立たせていただきたいと考えたわけでございます。


5、すなわち、

  明るい社会づくりと世界宗教者平和会議は、その発想において、

  現代を正す両輪でございました。


庭野日敬師のお言葉は、いつも私達にとても分かりやすくお話をして下さいます。

でも、私達のような凡夫は、

ともするとその内容にとても大切な事をおしゃっていても、

耳ざわりの良い事だけに気を取られて、

本当に大切な内容を

キチンと心に受けとめる事が出来にくいようです。


出来ましたら、

上記の文章を暗記出来るように、

くり返し、くり返し読んでいく事により、

今まで気が付かない事に

気が付く事がありますので実行してみてください。


私は、これからの明るい社会づくり運動には、このような視点や感性を持ち合わせるリダーが必要不可欠だと思っています。


☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡
3536544_s.jpg
〇ご相談はこちらをクリックして下さい。 ⇒ クリック
☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡



nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:blog

・庭野日敬氏の明るい社会づくり運動の原点(2) [明るい社会づくり運動のポイント]

・庭野日敬氏の明るい社会づくり運動の原点(2)

a1968d83eb5ce9aeb330e478b2faf87a.jpg


こんばんは[ぴかぴか(新しい)]

朝夕は、まだまだ寒い日が続いていますが、桜の開花はすぐそこまで来ています。

体調に気を付けながら素敵な日にしていきましょう。

~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~

庭野日敬師が話された内容に基づいて、明るい社会づくり運動の原点を探って見ました。


1994年10月7日号の発行された佼成新聞において、

庭野日敬師は以下の事をはっきりと述べています。


np-3.gif




「仏道修行と明杜とは別次元のものではないのですね。」


大島事務局長-

聖マリアンナ医科大学の坂本堯・名誉教授が

「庭野先生が明杜運動を提唱されたのは

人間の本性の回復を目指されたのではないか。

宗教の枠を枠えて人類愛という枠組みで

提唱されたのではないか」と話されております。


庭野開祖-

自分で活動してみてわかるんですが、

やはり人を集め、動く時には識者の協力が大切なんです。

地獄というのも極楽というのも、

つまるところは、人間の心の中あるわけですから、

どうしても世界、

そして足元の日本社会のことを考えざるを得ない。

そうした時に、仏教でいう緑、

これを梵語で「プラティヤヤ」といいますが、

この言葉には「信頼、誠実、証」という含意があるのです。

ですから、識者の皆さんからご緑を頂くためには、

どうしても、私たち自身が

信頼と誠実の証を身もって示さなければなりません。

ですから、仏道修行と明杜とは別次元のものではないのですね。


当たり前のことを当たり前にできる人づくり


大島事務局長-

井深大・前明社会長が

「明るい社会づくりという崇高な運動を継続し、

進めていくためには人柄で進めていく以外にない。

その人柄はどうしてできるか。

それは信念がもとである。

その信念のもととは何かというと人生観であり、

哲学であり、信仰である」と話されております。

明杜はこれからどう取り組んでいけばよろしいのですか。


庭野開祖-

感謝してやれば何事でも成就するんです。

不平でやったならば成就しないんですよ。

世界中の人が望んでいる平和だから、

そのための活動に皆さんが賛成してくださる。

きわめてわかりやすいんです。

何も特別なことをするのではない。

当たり前のことを当たり前にできる人づくりですね。

世界中がみんな手をつなぎ、

異体同心となって幸せな世界をつくろうという考えをもち、

実践していこうということです。



明るい社会づくり運動の大導師は仏さま



大島事務局長-

発足して二十五年を迎えた明杜運動の

新たな出発に際して何かお言葉、お考えがありますか。


鹿野開祖-

山田恵諦貌下が常におっしゃっていた

「よいことは長く続く。よくないことでないと長続きしない」

ということです。

法華経というのは二もなく三もなく

「一仏乗」なんです。仏さまの願いというものは、

すべての人を仏の境地へ導き、

本当の幸せにしてあげたいという一事につきるんです。

「草木国土悉皆成仏」という言葉がありますように

人間はむろん、草も木も水も士もすべて仏になれるんです。

そして、大調和した明るく幸せな世の中は、

われわれの努力次第で必ずつくり出せるのです。


大島事務局長-

それが明社が目指す最終のゴールでしょうか。


鹿野開祖-

そういうことです。いわば、

明るい社会づくりの大導師は仏さまなんですよ。



※ 詳しい内容はこちらでご確認ください。

      ↓

【明社運動発足25周年を迎えて】庭野開祖に聞く 


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


庭野日敬氏より提唱されて来ました、

明るい社会づくり運動のさらなる飛躍の為に、

新たな活動のスタートを
すべき時期に来ているのではないかと私は考えます。


3b8b55a6244aa60eb3fe4f7d9504d154.jpg




特に、現在の社会情勢を知るにしたがって、

犯罪率の増加、家庭の崩壊、いじめ 等、

目に余る情景があまりにも多すぎます。


またこのような状況は、

年々悪くなる事はあっても、

なかなか良くはならない現実があります。


この事を思った時に、

私は明るい社会づくり運動の

必要性が高まって来ていると思うのです。


今こそ、みんなで力を合わせて
「明るい社会づくりを推進しましょう」と、
言う事がとても大切な時期だと思います。


私は、明るい社会づくり運動のさらなる飛躍の為には、

提唱者・庭野日敬氏が何を思い、何をしようとしたのかを検証し、

さらなる行動を起こす事が必要不可欠だと思っています。


明るい社会づくり運動の原点が

理解できる時には、その方向性は自然とはっきりしてくると思っています。

庭野日敬氏は一宗教団体の枠を超えて、
仏教的精神(思いやり心・感謝の心・奉仕の心)を
明るい社会づくり運動を通じて
広めようとなさったのだと理解しています。

そして、その為に庭野日敬氏は

黒子に徹して「花を譲り、実を採る」と言っておられたと、

側近の方から伺っています。

その庭野日敬氏が提唱された明るい社会づくり運動に、

各界の方々が共鳴し賛同され、立ちあがったのだと思います。


でも残念ながら、現在ではその理解度に温度差があるようです


明るい社会づくり運動の方向性につきましても、

その時々の時代の変化に伴って変化すべき事があっても良いと思いますが、

逆に変化してはいけない事もあっても良いのではないでしょうか。


明るい社会づくりは一人では出来ません。

でも、一人から活動を始めなくてはいけないと考えます。

そして広く同じ志を持つ多くの仲達が

活動エリヤを超えて、コミニュケーションを取り合い、

縦糸・横糸のネットワークを組んで行く事が、

今後の活動の飛躍の為には不可欠だと考えます。

その為に、今後も精進・努力して行きたいと思います。


☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡

3536544_s.jpg

〇ご相談はこちらをクリックして下さい。 ⇒ クリック

☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡



nice!(1)  コメント(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

・普遍にして不変なるもの ー 庭野日敬氏の言葉 [明るい社会づくり運動のポイント]

・普遍にして不変なるもの ー 庭野日敬氏の言葉

24155683_s.jpg

こんばんは[ぴかぴか(新しい)]

今日もお疲れさまでした。

春らしい陽気になっていますが、インフルエンザもコロナも、落ち着いてはいないようです。体調に気を付けながらお過ごし下さい。

~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~

この世の成り立ちと言うのは、私たちの好むと好まざるとに関わる、常にパワーバランスで成り立っています。その事は、ともするとパワー(権力・財力・立場 等)がある人(組織・政党 等)の行う事や言っていることが正しいと受け取られる事が多々あります。

その事は、皆さんの身の回りを見渡せばすぐに理解できる、世の中ではないでしょうか。

例えば、現在の佼成会さんのあり方や、明るい社会づくり運営のあり方にも言えると思います。

さかのぼれば、お釈迦さまの教えがご在世の間はあれほどに、出家・在家を問わずに浸透していたのにも関わず、長い年月の間には衰退していく経緯があります。その後、数百年後に強く信受している弟子たちの結集によりお釈迦さまの教えが蘇って来ると言う事実があります。

その事を思うときに、庭野日敬氏の願いや思いが薄れていく現実に触れる時に、とても危惧しています。

そんな時に、庭野日敬氏のお考えに触れる事がありました。

2b09c7936cd06cc8b6841fb3fbda88e1.jpg


^^^^^^^^^^^^^^^^^^^


開 祖 さ ま 随 感

1968年(昭和43年)庭野 日敬 著 『開祖随感』 (佼成出版社) より


普遍にして不変なるもの

「私は悪いことなどしていないから、信仰などする必要はない」と言う人がいます。この場合、悪いことをしていないというのは、自分は法律を犯すようなことはしていない、という意味でしょう。

法律や道徳を守ることは、この社会で生活する人間として当然のことですが、法律や道徳だけをもって善悪の基準とするわけにはいかない、と思うのです。なぜならば、法律はそれぞれの国によって異なりますし、道徳もまた、その時代、時代によって変わっていきます。

このように、時により所によって変わるものは、絶対の価値基準となりえないのです。時と所を超えて、人類全体の価値基準となりうるもの、普遍にして不変なる絶対の真理(法)を鏡として、それに己を照らしていくのが信仰です。

信仰は、ただ法律に触れる行為、道徳に反する行為の贖罪のためにするものではなく、より積極的に、世のため人のために役立つよき実践へと人びとを導くものです。それによってこそ自分が高まっていけるわけです。一人ひとりの向上なくして真の幸福、人類全体の平和は招来されないのです。 
 
 
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^


庭野日敬氏は、こんな観点で何事にも真摯に取り組んできた方です。

ところが、現在の佼成会さんのあり方や、明るい社会づくり運営のありようはいかがでしょうか。

こころ静かに、振り返ってみることも大切なことだと思います。


☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡
3536544_s.jpg
〇ご相談はこちらをクリックして下さい。 ⇒ クリック
☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡





nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:blog

・ご法のものさしー庭野日敬氏のお言葉 [明るい社会づくり運動のポイント]

・ご法のものさしー庭野日敬氏のお言葉
4119606_s.jpg
こんばんは。 2011年3月11日東日本大震災から13年 昨日も、また今日も、各地で追悼慰霊が行われています。 ■妻を亡くした男性 「助けてあげられなかった悔いは一生背負わなければいけないけど、成仏してほしいのは皆同じだと思うんだ。」 ■訪れた人 「母と姪っ子が津波で亡くなりまして。まだ信じられないというか心残りがいっぱいあります。」 心から、ご冥福をお祈りさせていただきます。 また、残されたご家族のこころ安らぎを願っています。
~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~
庭野日敬氏の影響が、年々薄れていく現実を危惧している私です。その中で、危惧している点が一つや二つではなく何点もあります。皆さんは、いかがですか。 庭野日敬氏の影響が年々薄れていく現実に、もし何の違和感がないとすると、このブログをご覧になっている方自身に課題点があるように思っています。 何点もある違和感の中で、私が最も危惧している事は「法座」の衰退があると思います。佼成会さんの大きな特徴の一つに法座があります。その法座に世界に宗教指導者が注目していました。その法座には、法座主が要になりますが、法座主が出来る方がいない(少ない)現実があります。 わかりやすく言いますと法座が、ただの話し合いの場になっている(ただの相談の場になっている)。法座とは、そうではありません。法座主の心構えが出来ていないと、張りぼての法座になります。 具体的にお話させていただきますと、法座主は法華経の学だけではいけない。法華経の行が出来ていないと、庭野日敬氏の考えている法座にはなりえないのでは、と思っています。 そんな事を、こころに刻みながら以下の庭野日敬氏の「ご法のものさし」を拝読してください。
2b09c7936cd06cc8b6841fb3fbda88e1.jpg
~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~
開 祖 さ ま 随 感 ご法のものさし
1968年(昭和43年)庭野 日敬 著 『開祖随感』 (佼成出版社) より
法座にすわって人さまの話を聞くことで、それまで自分が正しいと思ってきたことを「なるほど、そういう考え方もあるのか」と反省させられ、教えられることが、しばしばあるはずです。 「いままでの自分は、独(ひと)りよがりの狭い考え方をしていたのだな」と反省させられ、それまでの自己流の小さなものさしを、ご法という大きなものさしで見直せるようになるわけです。また、人さまの苦労を知って、それまでの自分の甘い考えや生活態度を省みずにいられなくなります。 そうして自分を磨いていく場が法座なのです。人間というものは、とかく自分のそれまでの限られた経験だけで、なにもかも分かったつもりになり、自分は少しも間違ったことはしていない、と考えているものです。 独断と偏見に陥って、それに自分では気づけないことが多いわけです。織物でも、よい布を織るのにはタテ糸とヨコ糸をうまく織り合わせなくてはなりません。これまでの自分の経験をタテの糸とすれば、人さまの意見や知識をヨコの糸としてうまく織り合わせて、自分の知恵にしていただきたいのです。
~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~
いかがでしょうか。 一人でも多くの方が、庭野日敬氏のお心に触れていただければと思います。 ☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡 3536544_s.jpg 〇ご相談はこちらをクリックして下さい。 ⇒ クリック ☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:blog

・庭野日敬氏の考える平和と宗教者の反省 [明るい社会づくり運動のポイント]

・庭野日敬氏の考える平和と宗教者の反省

3238210_1.jpg


ご存知でしょうか。

ここ十数年の間、庭野日敬氏の事を詳しく語られる事が少なくなっている事実を、

確かに、何かの式典や行事・印刷物などに、その流れで引用される事(断片的に)はありますが、それ以上の内容で語られる事が極端に少ないように受け止めています。

何故でしょうか。

それには、様々な要因が考えられますが、その中でも大きな要因は、庭野日敬氏の表面上の事だけを受け継いでいく事が安易だからではないでしょうか。

具体的に言いますと、
例えば、庭野日敬氏の説く教えの中で、真骨頂の一つと言われています「結び」ですが、十数年前から各地で衰退している旨が伝わって来ていました。その後、その事に何も手を入れる事が出来ずに、現在では庭野日敬氏の言う「結び」が出来る方が数人だけと言われています。

さらに、指導が出来る方となるとさらに限定されるのではないでしょうか。

冗談みたいなお話ですが「世間の常識」を結びとしているケースがあるようです。


それで、本当に良いのでしょうか。


私は、庭野日敬氏の言う「結び」とは真摯な・真剣な行為だと受け止めています。


また、この「結び」が出来るのか、否かが、

今後の行く末を左右するものだと受け止めています。


そんな「結び」の観点から以下の事を眺めて見ると、新たな視点が生まれます。


6cd83939c4182ed748f0ebec19031792.jpg


^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

庭野日敬氏の考える平和と宗教者の反省

     昭和40年3月号 機関紙-佼成より


釈尊は、すでに二千五百年の昔に、
今日の闘争時代の出現を予言され、それを救い、立て直すには
いかにすべきかを教えられております。

仏教におきましては、
大慈悲をもたれた久遠本仏と“一切衆生は吾が子である”と言われた
一切衆生とが、しっかりと縦の線で結ばれているうえに、
横においではすべてのものは仏性を持ち、
平等であり、相依相関のいわゆる諸法無我の関係で
結ばれていることをはっきりと説き明かされております。

この縦においても横においても、
実に端的に説き示された関係というものは、
過去においても、現代においても、
そして、未来においても通用するものであり、
これを認識するところに
平和への道が開かれることを教えております。

そして、この因縁所生をしっかり弁え、
正しい仏教精神を把握した菩薩道の実践こそ、
私どもの使命であることを示されております。

私どもが、大いに導き活動を展開し、
ひとりびとりを、
正しい宗教に目覚めしめることが、いかにたいせつであるか、
そして、その使命がいかに重大であるかを
よくわかっていただけたことと思います。(中略)


歴史が人間を動かすのではなく、

歴史をつくるものは人間です。


この世界の危機はどこから起こり、

この社会の転倒ぶりはどこに起因し、

この家庭の乱脈と青少年の非行化が

何を原因としているのかを反省してみるとき、

私どもは、宗教心を忘れた今日の思想と、

それによって生きる人々に活を入れ、

バックボーンを植え込むものは、

実に、私どもがひとりびとりの胸に

法の燈火をつけていくたゆみない努力以外にはない、

ということを知っていただきたいと思います。


^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

cd90cbc71cb88ac263207ea8c88289b8.jpg



庭野日敬氏のお話は、

いつ拝読させていただいても単純にして明快、

とても分かりやすい内容です。


そこで、

家庭・社会・国家の平和境の実現の為に、

いつまでも、

現在の場所にとどまっていては、

いけないのではないでしょか。



庭野日敬氏の幅広い世界を理解し、

実践する事が大切ではないでしょうか。


その為の、スケジュールを

早急に立てる事が不可欠だと思います。




※ 私の背中を押す方の力に合わせて・・・・・・、





^ ^ ^ ^ ^ ^ ^ ^ ^ ^ ^ ^ ^ 



3536544_s.jpg

〇ご相談はこちらをクリックして下さい。 ⇒ クリック






nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:blog

・人間の真の覚醒-庭野日敬氏のお言葉 [明るい社会づくり運動のポイント]

・人間の真の覚醒-庭野日敬氏のお言葉

3b8b55a6244aa60eb3fe4f7d9504d154.jpg


私は、お蕎麦が好きでが、
色々なお店によって味や風味が違うのが、面白く・楽しみでのれんをくぐります。時には、ちょっぴり残念な事もあります。また、期待以上の時もあり、そんな事がひと味加えてくれます。

先日、きのこ蕎麦と言うのを出していただきました。お蕎麦は、もりそばが二口・三口しかなく、温かいつゆに、刻みきのこがたっぷり入っていました。一瞬戸惑いましたが、食べて見るとお蕎麦ときのこがベストマッチで、とても美味しかったです。また、色々なかわり蕎麦があるもんだ、思いなからのれんをくぐり帰って来ました。

どんな事でも、おなじだと思いますが、どれぞれの個性や特徴を生かし合うことが大切だと思います。そんな意味でも、明るい社会づくり活動にも言える事だと思います。
27515502_s.jpg


^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
開 祖 さ ま 随 感


人間の真の覚醒

 政治も宗教も、つまるところは明るく住みよい社会の建設、そして人類の平和をめざすためのもので、その点においては変わるところはありません。

しかし、政治は、きのう、きょう、あすといった比較的さし迫った日限の中で、どちらかといえば力関係を中心にして動くものであるのに対して、宗教は、過去、現在、未来という長い時間の中で、個人の心の平和とともに理想の社会、平和な世界をめざします。

政治は社会の不正を正すことで社会浄化をめざし、宗教は人びとの仏性(ぶっしょう)を磨きだすことで、平和な世界を築くことをめざすものと言ってもいいかもしれません。

お釈迦さまが説かれた慈悲の教えを自分のものとして、それを、さらに多くの人びとに伝えていきたいという願いが菩薩行なのですが、「三千世界を知るも、なお自己を知らず」と言われるように、人は、まわりの欠陥はよく見えても、自分のこととなると何も見えていないものです。政治も宗教も、まず自らを正して、それぞれの道で人間を真に覚醒させていくことを忘れてはなりません。

庭野 日敬 著 『開祖随感』1967年(昭和42年)(佼成出版社) より


^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

とても、大切な事を言ってと思っています。庭野日敬氏の話す事は、とても分かりやすく丁寧に大切な事を説いています。

私たちは、その事をあやふやに聞いてはいけないと思います。

☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡
3536544_s.jpg
〇ご相談はこちらをクリックして下さい。 ⇒ クリック
☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡




nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:blog
前の10件 | 次の10件 明るい社会づくり運動のポイント ブログトップ