・庭野日敬師の教えには何か秘密があるらしい、 | 十如是の法門 [明るい社会づくり運動のポイント]
・庭野日敬師の教えには何か秘密があるらしい、 | 十如是の法門
こんばんは。
今朝は、夏空が広がっている晴れ晴れとした朝になりました。でも、午後から曇天が広がって来ました。ジメジメとしたこの時期は、気分も落ち込みやすい時期でもあります。体調をチェックしながら、素敵な日にしていきましょう。
法華経は難信難解の経典といわれています。
ところが、庭野日敬の説く法華経はとてもわかりやすいです。
何故だか、わかりますか。
庭野日敬師もそうですが、釈尊も同じことを考えていたと思います。
それは、どういう事かと言いますと、「どうしたら、私たちに理解してもらえるだろうか」と、ご自身のこころを砕いて私達に、わかりやすくお話をして下さっているからです。
でも、私たちは、そんな親心を考える術を持たずに過ごしているのです。
以下に、ご紹介させていただきます、「十如是の法門」についても、頭の中だけで考えようとすると、とても難しい法門になります。
しかし、自分たちの足元に照らし合わせていくと、とても、理解しやすい内容になります。
庭野日敬師の素晴らしさに中には、
法華経を私たちにわかりやすく、法華経を実践しやすく、法華経を単純明快に説いて下さっている事があります。
以下の「十如是の法門」についても、こころを静めて、こころを穏やかにして、味わってください。
きっと、今までに気付かない事や、新たな発見が、きっとあるはずです。
:::::::::::::::::::::::::
諸法の実相を究尽(くじん)したまえり
仏さまは方便品に「諸法の実相を究尽(くじん)したまえり」すべてのものの本質を見極められたと、説かれています。
ここで言うすべてのものとは、地球上のことはむろん、人間の運命のことなども含めて、あらゆるものの真実の姿を見極められたということであります。
十如是について立正佼成会の会員は、ひとりひとりいろいろな体験をしてきていますが、私達のそばにいつもおいでになる仏さまの魂を、どんなかたちで認識するか、そこを考えなくてはいけません。
因縁因果の道理とはどういうことなのかを説いて人を導いたところ、柏手が心を変えたとたんに病気が治り、奥さんは主人にかわいがられるようになったとか、困っていた子どもの寝小便が止まり、悩んでいた主人の浮気も止まってしまった、などのさまざまな功徳があるわけです。
ところがなぜそうなるのか、どこにどういうからくりがあるのか、その原理がなかなかわからないものです。
そのために立正佼成会の教えには、何か秘密があるらしいと考えている人も、世の中にはいるようです。
しかし十如是の法門を聞くとそれがわかってきます。
一番目の〃如是相〃にしても、私達は人に会うと真っ先にその人の相に目がいきます。「見聞蝕知 皆菩提に近づく」とお経文にありますように、なんと言っても見るのが一番早い。
そして〃相〃のあるところには、必ず〃性〃がある。
アメリカの第十六代リンカーソ大統領が「人間は四十になったら、自分の顔に責任を持たなくてはいけない」と言っていますが、やはり如是相についてリンカーン大統領は大統領なりの体験をされていたからに違いないと思います。
〃相〃にはその〃相〃にふさわしい人間の〃性〃があり、〃性〃があるところには〃体〃があり、また〃体〃があるところには〃力〃があるわけです。
そして〃力〃のあるところには〃作(作用)〃があります。
〃力〃だけあってこの作用かなければ行動として現われません。
これをたとえて言えは、昨夜テレビを見ておりましたところ、ボクシングの輪島功一選手が韓国の柳選手に勝ちました。以前、ひどい負け方をしただけに、「チャンピオンのくせになんということだ、どうしてあんなに下手な負け方をしたんだ」と、実は残念に思っていましたが、今回は実に見事な勝ちっぶりでした。
一度負けた相手には同じ手では二度と負けないと、去年の六月から大和魂をふるい立たせて一生懸命に精進してとうとう昨夜は問題にしないで勝ちました。
勝利をモノにしたその原動力は如是作です。〃力〃 の作用です。柏手も同じことをやっているのですけれども、輪島選手は向こうのパンチよりも、早くストレートをくり出していきます。それがパッと当たりますと、向こうの動きが鈍る。その鈍ったところへすかさず反対側から攻め立てていく。
それは如是作であると同時に、如是因と如是縁にも関係しています。
〃因〃の一つには、元チャンピオンだったということがあげられますし、努力すればもういっぺん返り咲ける可能性があるということは〃緑〃と言えると想います。
そうやって、一つの闘いを例にして考えてみてもみんなあてはまっているわけです。
十如是は、
相、性、体、力、作、因、緑、果、報、本末究竟等という十の如是についての教えです。
是の如きの相、是の如き性、是の如き体、是の如き力、作、因、縁、果、報という順序になっていくのですが、〃報〃とは全体の報いを指します。
そして、最後の〃本末究覚等〃と言うことは、最初に見た〃相〃も今その人が受けている〃報い〃も、始めから終わりまで煎じっめてみれば一つだと言うことです。
一つなんだけれども見方を変えていくと、ちょっと見た顔つき〃相〃の奥には〃性〃があり、さらにその奥には〃体、力、作、因、縁、果、報〃があるというように、ひとりの人間が持っているものを十に分けて説明し、ところどころをきちんと区分されるのであります。
:::::::::::::::::::::::::
いかがでしょうか。
大切な事は、この「十如是の法門」が理解出来たところで終わりではありません。
あなたご自身が「十如是の法門」をどのように活用しながら、世の人たちの為に、生かしていくかになります。
そんな観点で、今の世界の状況を眺めて下さい。
あなたには、どんな事が見えますか。
あなたのこころには、どんな光景が写っていますか。
法華経は、ただの知識書ではありません。
法華経の真髄は行じる・実践することで、
解る・腑に落ちる・感受できることが多々あります。
そのことが、とても重要な事となります。
これからも、精進を重ねて行きましょう。
☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡
〇ご相談はこちらをクリックして下さい。 ⇒ クリック
☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡
こんばんは。
今朝は、夏空が広がっている晴れ晴れとした朝になりました。でも、午後から曇天が広がって来ました。ジメジメとしたこの時期は、気分も落ち込みやすい時期でもあります。体調をチェックしながら、素敵な日にしていきましょう。
~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~
法華経は難信難解の経典といわれています。
ところが、庭野日敬の説く法華経はとてもわかりやすいです。
何故だか、わかりますか。
庭野日敬師もそうですが、釈尊も同じことを考えていたと思います。
それは、どういう事かと言いますと、「どうしたら、私たちに理解してもらえるだろうか」と、ご自身のこころを砕いて私達に、わかりやすくお話をして下さっているからです。
でも、私たちは、そんな親心を考える術を持たずに過ごしているのです。
以下に、ご紹介させていただきます、「十如是の法門」についても、頭の中だけで考えようとすると、とても難しい法門になります。
しかし、自分たちの足元に照らし合わせていくと、とても、理解しやすい内容になります。
庭野日敬師の素晴らしさに中には、
法華経を私たちにわかりやすく、法華経を実践しやすく、法華経を単純明快に説いて下さっている事があります。
以下の「十如是の法門」についても、こころを静めて、こころを穏やかにして、味わってください。
きっと、今までに気付かない事や、新たな発見が、きっとあるはずです。
:::::::::::::::::::::::::
諸法の実相を究尽(くじん)したまえり
昭和51年4月号 機関紙 求道より
仏さまは方便品に「諸法の実相を究尽(くじん)したまえり」すべてのものの本質を見極められたと、説かれています。
ここで言うすべてのものとは、地球上のことはむろん、人間の運命のことなども含めて、あらゆるものの真実の姿を見極められたということであります。
十如是について立正佼成会の会員は、ひとりひとりいろいろな体験をしてきていますが、私達のそばにいつもおいでになる仏さまの魂を、どんなかたちで認識するか、そこを考えなくてはいけません。
因縁因果の道理とはどういうことなのかを説いて人を導いたところ、柏手が心を変えたとたんに病気が治り、奥さんは主人にかわいがられるようになったとか、困っていた子どもの寝小便が止まり、悩んでいた主人の浮気も止まってしまった、などのさまざまな功徳があるわけです。
ところがなぜそうなるのか、どこにどういうからくりがあるのか、その原理がなかなかわからないものです。
そのために立正佼成会の教えには、何か秘密があるらしいと考えている人も、世の中にはいるようです。
しかし十如是の法門を聞くとそれがわかってきます。
一番目の〃如是相〃にしても、私達は人に会うと真っ先にその人の相に目がいきます。「見聞蝕知 皆菩提に近づく」とお経文にありますように、なんと言っても見るのが一番早い。
そして〃相〃のあるところには、必ず〃性〃がある。
アメリカの第十六代リンカーソ大統領が「人間は四十になったら、自分の顔に責任を持たなくてはいけない」と言っていますが、やはり如是相についてリンカーン大統領は大統領なりの体験をされていたからに違いないと思います。
〃相〃にはその〃相〃にふさわしい人間の〃性〃があり、〃性〃があるところには〃体〃があり、また〃体〃があるところには〃力〃があるわけです。
そして〃力〃のあるところには〃作(作用)〃があります。
〃力〃だけあってこの作用かなければ行動として現われません。
これをたとえて言えは、昨夜テレビを見ておりましたところ、ボクシングの輪島功一選手が韓国の柳選手に勝ちました。以前、ひどい負け方をしただけに、「チャンピオンのくせになんということだ、どうしてあんなに下手な負け方をしたんだ」と、実は残念に思っていましたが、今回は実に見事な勝ちっぶりでした。
一度負けた相手には同じ手では二度と負けないと、去年の六月から大和魂をふるい立たせて一生懸命に精進してとうとう昨夜は問題にしないで勝ちました。
勝利をモノにしたその原動力は如是作です。〃力〃 の作用です。柏手も同じことをやっているのですけれども、輪島選手は向こうのパンチよりも、早くストレートをくり出していきます。それがパッと当たりますと、向こうの動きが鈍る。その鈍ったところへすかさず反対側から攻め立てていく。
それは如是作であると同時に、如是因と如是縁にも関係しています。
〃因〃の一つには、元チャンピオンだったということがあげられますし、努力すればもういっぺん返り咲ける可能性があるということは〃緑〃と言えると想います。
そうやって、一つの闘いを例にして考えてみてもみんなあてはまっているわけです。
十如是は、
相、性、体、力、作、因、緑、果、報、本末究竟等という十の如是についての教えです。
是の如きの相、是の如き性、是の如き体、是の如き力、作、因、縁、果、報という順序になっていくのですが、〃報〃とは全体の報いを指します。
そして、最後の〃本末究覚等〃と言うことは、最初に見た〃相〃も今その人が受けている〃報い〃も、始めから終わりまで煎じっめてみれば一つだと言うことです。
一つなんだけれども見方を変えていくと、ちょっと見た顔つき〃相〃の奥には〃性〃があり、さらにその奥には〃体、力、作、因、縁、果、報〃があるというように、ひとりの人間が持っているものを十に分けて説明し、ところどころをきちんと区分されるのであります。
:::::::::::::::::::::::::
いかがでしょうか。
大切な事は、この「十如是の法門」が理解出来たところで終わりではありません。
あなたご自身が「十如是の法門」をどのように活用しながら、世の人たちの為に、生かしていくかになります。
そんな観点で、今の世界の状況を眺めて下さい。
あなたには、どんな事が見えますか。
あなたのこころには、どんな光景が写っていますか。
法華経は、ただの知識書ではありません。
法華経の真髄は行じる・実践することで、
解る・腑に落ちる・感受できることが多々あります。
そのことが、とても重要な事となります。
これからも、精進を重ねて行きましょう。
☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡
〇ご相談はこちらをクリックして下さい。 ⇒ クリック
☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡
タグ:庭野日敬
2024-07-02 21:09
nice!(1)
コメント(0)
コメント 0