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・目覚めたる者-庭野日敬氏のお言葉 [庭野日敬師の言葉]

・目覚めたる者-庭野日敬氏のお言葉

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おはようございます。

今日は、私が主幹しています活動の講習会がありますので早めに起きました。この季節になりますと4時になりますと空が明るくなって来ます。日々、何かと慌ただしく過ごしていますが、自然の移ろいに目を移すと不思議とこころが和みます。

また、生かされている自分に感謝できる瞬間でもあります。


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「我、覚者とならん!」

私に、この言葉を投げかけたのは、明るい社会づくり活動の元佐藤秀裕塾長の後を引き受けて、全国拓塾の塾長に着任した故 坂本尭塾長でした。

⇒ 明るい社会づくり運動の全国拓塾の塾長に着任した故 坂本尭塾長の言葉

坂本 堯 氏とは、
 かわかりやすく言いますと、
  ・ドイツから帰国後、キリスト教と立正佼成会の重要な橋渡しをされた方です。
  ・また、庭野光祥氏の海外留学の筋道を立てた方です。


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故 坂本尭塾長のおっしっている「我、覚者とならん」の覚者について庭野日敬氏は以下に記するように、端的に、かつ明確にお話下さっています。

只、現在ではそのような気概を持って、臨んでいる方が少ないように受け止めています。

先日、このブログで書かせていただきましたように、
⇒ 「お釈迦さまへの直参」についても、あまりその様な事を考える事の意味が、分からない方が多いのではないでしょうか。

例えば、教師がサラリーマン化していくように、仏教従事者(出家者)もサラリーマン化していく傾向がありますので、法華経を深く掘り下げて学び・行ずる事より、当たり障りのない日々を過ごしていく事に重きを置いているようです。

すると、在家者はそこに従う事になります。

その様になって行くのには、現在の宗教のトップ指導者のあり方にも課題はあります。

とても、残念ですが、このような時の流れも末法のさせる業ではないでしょうか。

さて、その様な現在の時の流れですが、

庭野日敬氏は、目覚めたる者について以下のように述べています。

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開 祖 さ ま 随 感

      1969年(昭和44年)庭野 日敬 著 『開祖随感』 (佼成出版社) より


目 覚 め た る 者


仏教とは、いうまでもなく仏さまの教えですが、それともう一つ、仏になるための教えともいえると思うのです。

仏さまの教えによって仏になる、それが仏教です。

仏になるとは覚者(かくしゃ)になることであり、覚者とは、つまり「法に目覚めた者」ということです。

信仰を一生懸命やっていると、想像もしていなかったような好結果をいただくことがあります。そうしたときに「ああ、信仰はありがたい」と歓喜しますが、

それはまだ本当の喜びとはいえません。

自分の願いがかなった喜びの、いわゆるご利益(りやく)信仰ですから、よい結果が出なくなると、「なんだ。信仰しても、なんの功徳もないじゃないか」と、不満を抱く人間に逆戻りしかねないのです。

ご利益が頂けた頂けなかったと、その結果に一喜一憂(いっきいちゆう)するのではなく、この世のあらゆるものごとが縁起(えんぎ)によって生滅(しょうめつ)していることを知り、自分の毎日に起こるすべてのことが、その大法則にのっとっていることを理解する。

その真理に目覚めた者になってこそ、不退転(ふたいてん)の常精進(じょうしょうじん)ができるようになるのです。

:::::::::::::::::::::::::

故 坂本 堯 氏フリー百科事典(Wikipedia)ヨリ

日本の神学者、精神医学者、聖マリアンナ医科大学名誉教授

略歴
兵庫県生まれ。上智大学文学部哲学科卒業、1960年同大学院修士課程修了。1959年から1968年まで、西ドイツを中心としてヨーロッパ各地に留学。1963年聖ゲオルク神学哲学大学卒、1968年国立ケルン大学哲学博士、Ph.D.取得。1970年上智大学文学部助教授となり、1972年独協医科大学教授、1974年聖マリアンナ医科大学教授を経て、1998年定年、名誉教授。患者のスピリチュアル・ケアを行う。

著書
『西洋思想史 近代への懸け橋を探る』エンデルレ書店 1972
『カトリックと日本人』1973 講談社現代新書
『クザーヌス 宇宙精神の先駆』春秋社 1986
『新・カトリックと日本人』フリープレス 2001
『哲学的スピリチュアル・ケア入門 無情な現代精神医療を斬る』クロスメディア・マーケティング 2012

共著
『二人称の死 最愛の人の死をどうとらえるか』棚橋實,大倉民江共著 研成社 1999

翻訳
マリア・モンテッソーリ『人間の形成について』エンデルレ書店 1970
ニコラス・クザーヌス『隠れたる神』大出哲共訳 創文社 1972
『キリスト教神秘主義著作集 第10巻 クザーヌス』酒井紀幸,岩田圭一共訳 教文館 2000
ウルスラ・アヴェ=ラルマン『バウムテスト 自己を語る木:その解釈と診断』渡辺直樹,野口克巳共訳,投影描画法テスト研究会責任編集 川島書店 2002


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