お釈迦さまへの直参-庭野日敬氏のお言葉 [庭野日敬師の言葉]
私は常々思う事ですが、師の教えを大切に伝えていく事がとても大事だと思っています。
何故、こんな事を言うかと言いますと、
人は、ともすると
自分を導いてくれた師や、教えを乗り越えて、
すぐれているのは自分自身であるとの錯覚に、
いつの間にか陥りやすい物だと受け止めています。
その点、庭野日敬氏は、
ご自身を法華経に導いてくれた師を
最後の最後まで大切にされてきました。
また、法華経に書かれている事をとても大切にし、
法華経よりは前に出る事はありませんでした。
その事は、
一見たやすい事のように思えるでしょうが、
とても大変な事だと思います。
それは、世間の宗教指導者の
姿や言動を拝見していますと良くわかります。
例えば、
式典などの時だけ表面上は取り繕うが、・・・・・・・。
とても残念に思っています。
法華経は、謙虚に、謙虚に、謙虚に、
行動は果敢に、
勇気を持って進む事が大事ではないでしょうか。
そこに、ご守護があるのだと思います。

:::::::::::::::::::::::::
開 祖 さ ま 随 感
1978年(昭和53年)庭野 日敬 著 『開祖随感』 (佼成出版社) より
お釈迦さまへの直参(じきさん)
なにごとも伝統を守り、
それを踏襲するのは大切なことですが、
それは宗教の場合も同じです。
ただ宗教は芸能などとは違い、
生きている人間を実際に救わなくてはなりません。
人は、その時代、その環境の中で生活しています。
その人たちを実際に救うのには、
その時代、その社会環境に応じた手段が必要です。
これまで大事に守られてきた教えであっても、
そのままでは、時の経過とともに
時代の人びとを教化する力が弱くなっている場合もあります。
宗教の宗は、時代を超え、所を超えて
不変なよりどころとなる根本の真理のことであり、
教は、その真理をその時代、その人に応じて説くことです。
この、時代に対応し、人に応じて説く大切さを
忘れてしまって、いたずらに人びとが
宗教から離れていくのを嘆くようなことがあってはなりません。
私が、お釈迦さまのみ心に直参する大切さを
いつも強調しているのも、そこなのです。
直参するとは直接教えを聞くことです。
常に自分のあり方を法に照らしてみて、
これでよいのかと問いかけ続けるのが、
お釈迦さまのお心に直参することです。
それによって教えが常に新しい教化力を保っていくのです。
:::::::::::::::::::::::::
いかがでしょうか。
常に、お釈迦さの声に耳を傾けているでしょうか。
お互い頑張りましょう。
何故、こんな事を言うかと言いますと、
人は、ともすると
自分を導いてくれた師や、教えを乗り越えて、
すぐれているのは自分自身であるとの錯覚に、
いつの間にか陥りやすい物だと受け止めています。
その点、庭野日敬氏は、
ご自身を法華経に導いてくれた師を
最後の最後まで大切にされてきました。
また、法華経に書かれている事をとても大切にし、
法華経よりは前に出る事はありませんでした。
その事は、
一見たやすい事のように思えるでしょうが、
とても大変な事だと思います。
それは、世間の宗教指導者の
姿や言動を拝見していますと良くわかります。
例えば、
式典などの時だけ表面上は取り繕うが、・・・・・・・。
とても残念に思っています。
法華経は、謙虚に、謙虚に、謙虚に、
行動は果敢に、
勇気を持って進む事が大事ではないでしょうか。
そこに、ご守護があるのだと思います。

:::::::::::::::::::::::::
開 祖 さ ま 随 感
1978年(昭和53年)庭野 日敬 著 『開祖随感』 (佼成出版社) より
お釈迦さまへの直参(じきさん)
なにごとも伝統を守り、
それを踏襲するのは大切なことですが、
それは宗教の場合も同じです。
ただ宗教は芸能などとは違い、
生きている人間を実際に救わなくてはなりません。
人は、その時代、その環境の中で生活しています。
その人たちを実際に救うのには、
その時代、その社会環境に応じた手段が必要です。
これまで大事に守られてきた教えであっても、
そのままでは、時の経過とともに
時代の人びとを教化する力が弱くなっている場合もあります。
宗教の宗は、時代を超え、所を超えて
不変なよりどころとなる根本の真理のことであり、
教は、その真理をその時代、その人に応じて説くことです。
この、時代に対応し、人に応じて説く大切さを
忘れてしまって、いたずらに人びとが
宗教から離れていくのを嘆くようなことがあってはなりません。
私が、お釈迦さまのみ心に直参する大切さを
いつも強調しているのも、そこなのです。
直参するとは直接教えを聞くことです。
常に自分のあり方を法に照らしてみて、
これでよいのかと問いかけ続けるのが、
お釈迦さまのお心に直参することです。
それによって教えが常に新しい教化力を保っていくのです。
:::::::::::::::::::::::::
いかがでしょうか。
常に、お釈迦さの声に耳を傾けているでしょうか。
お互い頑張りましょう。
タグ:明るい社会づくり運動 庭野日敬
コメント 0