SSブログ

・精神的な偏食-庭野日敬氏のお言葉 [庭野日敬師の言葉]

・精神的な偏食-庭野日敬氏のお言葉

24804690_s.jpg

こんにちは[わーい(嬉しい顔)]

ずいぶんと寒さも和らいで、過ごしやすくなりましたが、体調に気を付けながら素敵な日にしていきましょう[るんるん]

~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~

庭野日敬のお言葉の中には、とても意味深いことが含まれてることが多々あります。

表面上の言葉だけではなく、

その奥底に含まれている事も加味して捉えると、

さらに、庭野日敬氏の素晴らしさが伝わって来ます。


世界の状況が不安定な時にこそ、

自身の信仰が試される時ではないでしょうか。


IMG_20180425_115634.jpg


^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

開 祖 さ ま 随 感

      1968年(昭和43年)庭野 日敬 著 『開祖随感』 (佼成出版社) より


精神的な偏食



『法華経』の方便品(ほうべんぽん)には、

「真実の教えはただ一つであって、

二つも三つもあるわけではない。

ただ仏の智慧に到達するまでの手段として、

相手に応じていろいろな説き方の違いがあるが、

その説き方の違いも究極の真実に導くためなのである」と説かれています。


この世にはさまざまな宗教がありますが、

それぞれの違いは、

その時代、その社会を生きる人たちを

究極の真実の道に導くためのものだといえましょう。


それぞれの宗教が互いに違いを言い立てて対立し、

協力を拒むといったことがいかに無意味であるか、

この仏さまのお言葉をかみしめると、よく分かってきます。


信仰とは、帰依する対象を信じきって、それを貫き通すことです。


また、その心構えでなくては真の信仰とはいえません。


しかし、そこで一歩誤ると、

自分の教えの絶対性を主張して他を認めようとしない

排他独善の信仰に陥ってしまいます。


それは、言ってみれば精神的な偏食のためにやせ細り、

視野の狭い人間になってしまうようなものです。

くれぐれも注意しなければなりません。


^^^^^^^^^^^^^^^^^^

いかがでしょうか。


貴方(貴女)の心には、どのように響きましたか。


信仰とは、こころに響き(感受)がとても大切になります。


☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡

3536544_s.jpg

〇ご相談はこちらをクリックして下さい。 ⇒ クリック

☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡











タグ:庭野日敬
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:blog

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。