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・法の光を発して‐庭野日敬氏のお言葉 [庭野日敬師の言葉]

・法の光を発して‐庭野日敬氏のお言葉

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おはようございます。

寒さはありますが、爽やか日差しがそそぐ過ごしやすい日が続いています。

こんな日が続くと気持ちも上向きになりますね。

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さて、とても残念なことですが、庭野日敬氏の考えや願いを理解する事が難しい方が多くなっている現実があります。それは、それぞれの置かれた立場や都合だけが優先してしまっている時代だからではないでしょうか。

例えば、最も身近にいる親族でさえ、その立場や都合だけが優先されている現実を危惧しています。

そんな時代を末法と言うのでしょうか。

世界中の方々が不安の中にいる現実を、他人事のように思わずに、自らの言葉で「法の光を発して」欲しいと願っております。

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開 祖 さ ま 随 感

1968年(昭和43年)庭野 日敬 著 『開祖随感』 (佼成出版社) より



法の光を発して


仏法のありがたさを知りながら、それを自分の胸の中だけにしまっておくのでは、懐中電灯を自分の懐の中だけで光らせているようなものです。

懐中電灯は、自分の足元を照らすだけでなく、暗闇で道を失っている人の足元を照らし、道を踏み外さないようにしてあげてこそ真価が発揮されます。

それが菩薩の生き方にほかなりません。

私たちが毎日、朝夕に読誦している『経典』の開経偈には、「無上甚深微妙の法は、百千万劫にも遭遇したてまつること難し。我今見聞し受持することを得たり」とあります。

そして『経典』の終わりの普回向で、「願わくは此の功徳を以て 普く一切に及ぼし我等と衆生と皆共に仏道を成ぜん」と唱えます。

百千万劫という年月をかけても遇うことが難しい至高の仏法に遇い得た私たちは、それを「あまねく一切の人びとに及ぼす」ために“選ばれた人”なのです。

その役割を仏さまに託されているのです。

人びとの足元を照らしてあげるのには、まずわが身を法の光で輝かさなくてはなりません。

それが自行です。

自ら光を発する者となってこそ、<

多くの人びとに法の光に浴してもらうことができます。


それが化他行です。   


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世界中の人々の不安が払拭され、

平和な幸せな時が訪れますように、

貴方に出来る活動を一歩踏み出してください。

必ず、共鳴する方が現れます。

その様に法華経には説かれています。

その事は、

理論や理屈ではなく貴方自身が実感する事です。

法華経を会得するとは、その様な事になります。

共に頑張しましょう。

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