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・庭野日敬師は明るい社会づくり運動において何を目指したのか。 [庭野日敬師の言葉]

・庭野日敬師は明るい社会づくり運動において何を目指したのか。

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明るい社会づくり運動において、庭野日敬師の発言されたお言葉を再度拝読させていただいています。

今、私達が考えている事や、これからの活動に誤りはないのか。また、庭野日敬師の思いや願いにかなっているのか、否か。再点検です。


先日、機関誌「佼成」(昭和53年11月号)に

掲載されている内容を拝読させていただき、とても奥深い事を述べていると感じましたので、是非、庭野日敬師の思いや願いを感じ取っていただきたいと願い以下にご紹介させていただきます。


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~~~~~~~~~~~~~~~~~

最近、いい言葉を学びました。

アメリカへ出かけた折、ホテルで読んだ山田無文老師のご本に、臨済の教えが出ておりました。

「無位の真人」いう言葉ですが、なるほど昧わいのある、いい言葉だと思いました。

だれもが自分は凡夫なんだ、と決めてかかっている世の中ですが、それを自分には何の位もないが、

われこそ真の人間なんだという自信に変えていったら、

それだけでも世の中は明るくなるはずです。


また、それを説くことによって、集まってきた人たちに参加を呼びかけていく場所をつくることができれば、第一段階の成功といっていいでしょう。


むろん、この運動を

立正佼成会のためにしようとする気持ちはありません。

第一、宗教協力といった言葉一つにしても、

ただ教団を大きくしたいというだけのことなら、無駄なことです。


協力し合うからには、他の宗派の人たちに向かって、

「あなたのところより、うちの教団のほうがいいからいらっしゃい」とは

言えるわけがありません。


明るい社会づくり運動も同じです。


ところで、「国民皆信仰」は、新宗達がめざす四つの柱のうちの一つですが、この目標を果たすためには、なんらかの形で、これが宗教者の生き方だという行ないも見ていただきたいし、話も開いていただきたい、と私はかねがね考えていました。


それに沿って提唱してきたのが、明社運動です。

また、そうしてお互いが相手を尊重し会って、仏性を拝みながら協力していけば、この世の中はたちまち極楽になると確信しています。(中略)


この世を極楽にするもしないも、心の置きどころ一つですから、集まってくる人びとが真の人間になれるか、なれないかによって、それが決まるのです。

    
機関誌「佼成」(昭和53年11月号)

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「私自身を含めて、あなたはいかがですか。」

お互い様に、

様々なご苦労があると思いますが

精進・努力して行きたいと思います。


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